雨宿りブルー
降ってきたね、と彼が言う。
私は肩をハンカチで拭いながら、隣に立つ彼を見た。
朗らかな笑みを渡される。
「ね。突然降ってきたね」
「……そうですね」
「いつまで経っても警戒心が解けないなあ」
「気をつけるように言われているもので」
「誰に?」
「小見さんの毒牙にかかった被害者達に」
私が言うと、彼は笑った。腕時計をハンカチで拭いながら目を伏せる。
小見には気をつけろ。
それがうちの全女性社員の見解だ。
顔も普通、声も普通、目を引く男ではない。
それでも、その噂は年齢の垣根なく広がった。フロアの違う私の耳にまでも、ひらひらと。
ヤバい男、小見。
私は三週間前まで、そいつを架空の人物だとすら思っていた。
エレベーターで遭遇して挨拶を交わした後から、何故かこの男と会うことが増え、とうとう今日、社外で捕まったわけだ。
土砂降りの雨も、偶然のはずだけれど。
「昼にコンビニ、よく来るの?」
「いえ。今日は、長野の誕生日で」
「長野くん? そうなんだ」
「なので、ケーキをって」
「付き合ってるの?」
ああ。
理解した。
小見に気をつけろ、という意味を。
「小見さんって、いつもそうなんですか?」
「うん?」
「試すみたいに話すんですね」
気持ちを。感情を、わざと揺らして楽しんでいる。
昔からの友人みたいに心にすっと入ってきて、拗ねたように言う。平たく言うと、彼の想い人であるような錯覚をさせてくるのだ。
「それ、わざとですか?」
だとすれば、見境なくお局様から新入社員までからかっているということになる。
彼はゆったりと笑った。
「なにが?」
わずかに視線が鋭くなる。それを睨み返して、私はタオルを頭に被った。
「お先に失礼します」
そう言って出ようとすると、腕を掴まれ、戻され、タオルまで取り上げられる。
「ごめんね。育ちが悪いもんで、すぐ懐柔したくなるみたいでさ」
「……程々にしたほうがいいと思いますけど」
「じゃあ、君だけにしようかな」
ちらりと見てくるその虚無しかない目を無視して、落ちてくる雨粒を見上げた。灰色の空に青い影がちらつく。
わかる。
この男は人を破滅させる。
「遠慮します」
「そ? 残念だなあ」
「でも──本気で、全部捨ててくるなら、お相手しますよ」
私は彼を見上げる。
ただ見つめれば、その目が微かに興奮に揺らめいた。
彼の中に杭を打ち込むように微笑む。
彼には愛がない。
私にも、愛はない。
けれど、遊ぶには退屈しない相手かもしれない。
青い沈黙と、青い感情が、雨の隙間で迸る。




