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スプリングデート  作者: Administrator : Marve
22/25

Day45

 day45          


 一


「……おはよう、デート」


「おはようございます」


 朝、レーシャは寝ぼけまなこでリビングに入ってくる。そしてソファに座り込み、ぼーっと虚空を見つめた。最近はいつもこんな調子だ。そろそろ急速に記憶が抜け落ちていく頃合いで、普段の行動にも大きな支障が出る。もう料理も手芸もできなくなってしまったみたいだ。

 まずは朝のルーチンを指示する。


「顔を洗って、寝ぐせを直しましょう」


「あ、はーい。……洗面所は」


「そこの扉の先です」


「うん」


 不安定な足取りで彼女は扉を開けてリビングを出ていった。

 私たちは今も、【安寧地区】で暮らしを続けている。ロストフィルズの最期の命令により、私の罪は免除されることになった。でも……


「……お父さん」


 ふと、思い出してしまう。

 瞳に映り込む、斃れる父の姿を。鮮血で染め上げられていく純白の雪を。正直、私には干渉医を続けていく自信がない。管理者殺しとしての名が中央では広がっているかもしれないし、本来なら殺人は死刑に該当する罪なのだ。でも、干渉医の道を諦めるということは、『言霊病』の障害を受け入れることと同義であって……私の死をも意味する。


 それでいいのかもしれないと……これが最後の医務となってもいいかもしれないと、そう思う瞬間がある。レーシャを救えれば、それでいいのではないか。そんな自覚が、少しずつ私の心に芽生えてしまっていた。

 ロストフィルズはそんな真似を望んでいないだろう。でなければ、彼が私の凶弾を受け入れるはずもなかったのだから。


「……デート? どうしたの?」


 気がつくと、レーシャが目の前にいた。

 私は作り終えた朝食をテーブルへと運び、なんでもないように笑う。


「いえ、少し考えごとを。朝ごはん食べましょうか」


「最近、デートはぼーっとしてることが多いと思う」


「それをあなたが言いますか……まあ、気にしないでください」


 レーシャといえば起床中は大半の時間、何もせず過ごしているのに。そんな彼女に言われてしまうとは。たしかにロストフィルズから仕事を押しつけられなくなって、暇は増えたけど。時間的な余裕ができたのに、どこか虚しい。

 前みたいに、彼から山ほど仕事を押しつけられて……文句を言いながらも多忙な日々を過ごしていく。そんな日常が、ひどく懐かしくて。


「いただきます」


 この食前の挨拶も聞きなれた。

 今日の朝食はパンとスープ。サラダは付けておらず、パンを多めにしている。

 レーシャは野菜の類は大体忘れてしまっている。苦いものも入れないようにして、食事も次第にシンプルになっていく。

 食器が鳴らす無機質な音が響く。沈黙が続いていた。


「……無理しちゃ駄目だよ」


 ふと彼女はそんな言葉を紡いだ。

 一瞬、私にはその言葉の意味がわからなかった。だって、私には無理をしている自覚などなかったのだから。正確には『言霊病』の性質上、無理をして背負わされた言葉を果たさねばならない。


「……はい。ありがとうございます」


 無理をしなかったら心が壊れてしまう。彼女の言うとおり無理をしないというのは、私にとっては難しい……いや、不可能に近い話なのだ。

 それでも、彼女なりの思いやりは伝わってきた。彼女はロストフィルズとの一幕をまだ覚えているのだろうか。つらい記憶だからもう忘れている可能性が高い。忘れていないのならば、早く記憶から抹消してほしいところだ。


 食事を終えて、レーシャは再び二階へと上がって行く。

 このまま、今の彼女は死んでいくのだろうか。それで私は彼女を救えているのだろうか。煩悶しても、答えは出ない。私は干渉医として、彼女と向き合えていると信じて進むしかない。夢を諦めてはいけない。父を殺してまで、私はその道を選び取ったのだから。



 二


 私は誰だったかな。

 部屋の真っ黒な片隅を見つめて、思い出そうとしていた。思い出せないや。

 今日、私はまた私じゃなくなっていく。それがとても嬉しくて、心が喜悦に満ちる。記憶が心を形づくるのならば、私の心は死んでいく。死んでいく心の中で、喜んでいるのだ。


 そういえば、なにかやらなければならないことがあるような気がする。

 こういうときには、何も考えずに身体を動かしてみるのがいい。記憶は覚えていなくても、身体は覚えていることがあるのだ。


 私の足は暗い部屋を出て階段を下りていく。そしてリビングの扉を開ける事はなく、そのまま廊下を歩く。向かったのは玄関だ。外に用があるのだったらデートに伝えておかないと……そうは思っていたものの、一度本能に任せた身体は止まらない。


 扉を開け、肌を刺すような冷気を浴びる。そして坂を下ることなく家の左手に曲がり、木の根元に迫る。


 紫の花が咲いていた。

 綺麗な花だ。たしか、名前は……


「ビオラ」


 よかった、まだ覚えていた。

 ちょっとだけ萎びている。屈みこみ、周囲の雪を払う。


 この花はいつ枯れるのだろうか。

 どうして春や夏に咲かないのだろうか。まだまだ雪は降っているけど、一月後には春が来る。その時に地面から顔を出せばいいのに。


 愚かだ。まるで私みたい。私のどこが愚かなのかは覚えていない。

 私が前に作った雪だるまが近くに置いてあった。ちょっと歪に変形していて、でこぼこしている。溶けた後に新しい雪が降って変形したのだ。ちなみに、デートが作ってくれた雪うさぎは地面に埋もれてしまっていた。


 もうすぐこの家ともお別れだ。どうせこの地での暮らしも最後には忘れてしまうのだから、悲しくなる必要はない。もはや覚えている記憶の方が少ないだろう。自分がどのような存在だったのか、何が好きだったのか、何が嫌いだったのか、思い出せない。でも、この地区で起こったことと出会った人、デートのことはまだ鮮明に記憶している。


「……忘れたくない」


 私の小さな声が雪の中に消えいった。誰も聞いていない戯言だ。

 私はデートのことを忘れたくない。彼女は優しくて、かっこよくて、尊敬できる人だ。彼女と過ごした日々が、この地区での日々が楽しかった。新しい私になれば、彼女はもう私に会おうとはしないだろう。


 でも、彼女が私のことを覚えてくれるのならば。それでいいと思う。いや、本音を言えばずっとこの日々を覚えていたいけど……妥協する。どうしようもないことだから。


 ビオラの花に触れる。冷たい。ざらざらとした花弁の感触。

 ――衝動が、駆け巡った。

 力を少し入れて、茎を持って、上に引き抜こうとした。

 直前で思い留まる。私はこの花を生かす。


 懺悔は済ませた。だから、もう私に悔いはない。



 さようなら、私。


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