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ばたばたと夏が終わり、草むしりで晩夏が消え、そして文化祭がやってきた。
「こんにちは!」
私は学校を訪れたエリックさんと久しぶりに会った。娘を探すエリックさんと廊下で立ち話をする。文化祭の騒然とした雰囲気が校内に満ちていた。
「なんだかエリックさんと昼間の学校で会うなんて変な気分です」
ハンサムな優しいパパオーラを出しているエリックさんを見ると、事件の始まりだった、あの真夏の夜が嘘みたいだ。
「佐藤君は?」
「あ、源氏物語の準備をしています。私もこれから行くんです。娘さんとは会えました?」
いつもの数倍は人間がいる校内で闇雲に探すのは大変だろう。多分彼女は演劇源氏物語の準備でまだ表にはいないだろうし。男子と女子に別れているけど、多分楽屋扱いの教室にいるはずだ。
私はエリックさんと一緒に楽屋に向かって歩き始めた。
「また、うちにも遊びに来てください」
エリックさんはにこやかに言う。
「そうですね、ありがとうございます」
「……お姉さんとはまだ会っていますか?」
エリックさんは静かに問う。多分この人は長い間これを聞きたかったんだろうと思った。私は動揺することもなく首を横に振った。
「会いません。もっとちゃんと、私が姉にあっても混乱しないでいられるようになるまでは」
私はお姉ちゃんを助けたかった。佐藤君は小学校の時のかわいそうな女の子を助けたかった。
でも私達にはできなかった。できなかった理由は違うし、助けるべきだったのかと言う点でも違う。私達は無意味なことで悩んだり落ち込んでいたのかもしれない。空しい。
それでも佐藤君は今回、私を助けてくれた
空しくても、私達は誰かの力になりたいと願ってしまうんだ。
だったらその願いに見合う力をつけなきゃ。それが大人になるということなんだろう。
「でもやっぱり私はお姉ちゃんを嫌いにはなれないんです」
そういうとエリックさんは頷いた。
「碧さんは嫌な人ではなかったですよ」
エリックさんもきっともう姉には会わないだろう。手痛い目に会って、でも私を気遣ってくれるエリックさんが嬉かった。
辿りついた楽屋の前の廊下に香坂エミリの姿を見つけた。彼女は源氏物語の主人公の衣装を着けている。身長さえ覗けばなかなかの美青年風だ。早いなあ、もう準備終わったんだ。
が。
私はあちゃーという気分で隣のエリックさんを見上げた。
香坂エミリの前には、三年生男子がいる。佐藤君と同じ柔道部員だ。これ言っちゃうとあれなんだけど、ぶっちゃけイケメンではない。
文化祭直前に校内で大炎上があった。
香坂エミリと彼が付き合い始めたと言うことだである。しかもエミリから告白したという。おいおい一時すごく仲良しだった佐藤君とはどうなったんだあといきり立った我々弁明を求めたところ、
「その相談をされていた」
と、佐藤君は涼しい顔で言ったのだった。
好きになったきっかけなど知らんが、とにかく佐藤君の友人を好きになった香坂エミリはどうやったら近づけるか悩んでいたらしい。佐藤君と話せるようにしてやったのは、真弓の行った牛乳ぶっかけ事件だが、それは佐藤君を相談役にあてがっただけだったという……。
しかし、佐藤……私にも秘密とは口が堅すぎるだろ……。
まあいい。
よくないのは、娘が男といちゃついているのを見たエリックさんの方だろう。
「え、エミリ!?」
さっきまでの大人加減をいきなり脱ぎ捨ててエリックさんは声を裏返した。
「あ、パパ!」
エミリがうろたえもせずに笑顔で呼びかけた。しかも仲良くお手手つないだ彼氏を連れてこちらにやってくる。紹介する気満々だな。さすが堂々としているぜ!
「じゃ、じゃあ私はこれで」
私はそろーっとその場を離れて、男子の楽屋である脇の教室に入った。
なんというか、むさくるしい。湿度だかそうな部屋の中に佐藤君がいた。真弓が佐藤君のかつらを梳かしている。
「ごめんね、遅くなって」
私は手にしたメイク道具入れを掲げた。
佐藤君は服を着て、髪をネットの中にまとめている。白塗りだけは終わっているけど、あとは手付かずのままだ。
どう弄っても男の顔の佐藤君だって、さすがに白塗りにすれば、美人に化けるかもしれないじゃないか。
どうせ俺は女装は似合わないから。
佐藤君の繰り返された言葉を思い出す。
そうなんだ。それはそうなんだ、どうやったってダメなんだ。
でも。
「お笑い路線でいかないんだって、聞かれた」
真弓の言葉はきっとクラス全員の疑問なんだろう。
文化祭の源氏物語は、女子が光源氏で男子が女達を演じる。まれに女子より綺麗な男子生徒がいるけど、たいていはそうはならない。だから逆にほっぺた丸く赤く塗って、お笑い路線で行くことが多い。でも佐藤君はそもそも造作は整っているんだから、ちゃんとやればきっと大丈夫。舞台用のメイクだし。
佐藤君だって、一回くらい「綺麗」って言われたって良いはずだ。
「なあ三嶋」
佐藤君のほうが不安みたいだ。
「まあまかせておくれ」
私は佐藤君の前に椅子を持ってきて座る。このためにいろいろ勉強してきたんだから。真弓は見ていたそうだったけど、部活の件で廊下の外に呼ばれてしまった。
「今、エリックさんと、ここまで来たよ」
「あ、そうなんだ。じゃあ俺も挨拶したいな」
「まあ、そうでなくてもまたメールが来ると思うけど」
佐藤君は首を傾げた。ハツカレができた娘を心配して佐藤君に相談するメールがこれからじゃんじゃん来ると思うんだな。まあ頑張れ。
私は多くを語らずに佐藤君のメイクを続ける。白塗りだからやれることはさほどないんだけど、とりあえずがっつり付けまつげをするだけでも大分違う。
「三嶋、ありがとうな」
「なにが」
「三嶋と親しくなれてよかったよ」
私が佐藤君の顔から手を放すと、彼は目を開いた。うおっ、しまった、すごく濃い。アイラインとまつげやりすぎたか?と思ったけど、舞台衣装ならこんなものか。
その迫力満点の目で私を見つめる。
「エリックさんが三嶋のお姉さんのことを、魔性の女って言ったことがあっただろう。ファムファタルって」
「あ、うん」
私もそう思う。
そして佐藤君は黙ってしまった。中途半端な言葉の続きを待っていたけど、何もこないままで私は困ってしまう。とりあえず時間も迫っていることだし、と、佐藤君の唇に小さく紅を差す。ルージュというよりは紅というほうがしっくりするような朱を。
おっ、悪くないんじゃないか?
佐藤君はやっぱり佐藤君にしか見えない。でも悪くない。
「ねえちょっと佐藤君!いいよーこれ!悪くない!」
私は佐藤君に手鏡を差し出した。佐藤君はそれでまじまじと自分を見つめる。
「かつらかつら」
さっきまで真弓が手入れしていたかつらに手を伸ばす。ネットに包まれた頭にかぶせるとそこには綺麗な人がいた。
「ほらね。佐藤君は綺麗だよ」
こんなこと言われて嬉しいものかどうかはわからなかったけど、思わず口をついてでた。
可愛いとは言えないけど。
手鏡を脇において佐藤君は言った。
「別にファムファタルなんて、珍しい存在でもないんだなあ」
「は?」
自分のメイクの感想より先にそんなことを言った佐藤君に目が点になる。
「女の人ってさあ、みんなきっと誰かの運命の女なんだ。三嶋は俺のファムファタルだ」
その意味を聞き返そうとしたとき、真弓が呼んだ。もうみんな準備できてるよって。佐藤君はおう、と男らしく返事をして立ち上がる。
「三嶋。舞台が終わったら料理同好会のお好み焼きおごるよ」
きょとんとしている私を置いて、佐藤君は衣装の前をたくし上げると、大股にすたすたと皆のほうに歩いていってしまう。おい佐藤、お前ちょっと美人じゃん、なんてみんなの声がした。そして佐藤君のちょっと照れた横顔が見えて。
……そこにきて、ようやく私は顔が真っ赤になった。
さ、さ、佐藤!お前、何言ってるんだ。まるで。
まるでそれは告白みたいじゃないか!
慌てている私は、手にしたブラシを握り締める。
佐藤君は入り口で振り返った。
「三嶋、じゃあまた後で!」
おわり
あとがき
運命の女の話ですが、あまり恋愛ぽくない話にしてみました。
主人公もその周囲もなにも変わりません。でも自分を好意的に受け入れてくれる人がいるというのは、ありがたいことだよねという話です。
なかなか文章のテンションあがらずコメディっぽくならず、いろいろ悩み深い作品となりました。また次作で役立てたいと思います。
お付き合い頂きありがとうございました。




