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ファムファタる。  作者: 蒼治
8 ファムファタル
37/40

5

 更衣室で手早く汗を拭いて、だらしなさの局地の部屋着から制服に着替えると私は伽耶子ちゃんと対面した。

 そう、まさに対面。

 鬼が出るか蛇が出るか……という気分だったことは否定しない。


 すでに予定時刻から十五分はすぎている。佐藤君の服は入っていなかったけど、門倉さんがかけあってくれてホテルスタッフの制服をとりあえず借りている。

 門倉さんが連れて行ってくれた新婦控え室では、冷や汗をかいているホテルスタッフと、落ち着き払った態度で椅子に座ってる伽耶子ちゃんが居た。


「あの……」

 急に怖気づいた私は言葉が出てこない。

「新郎新婦様は時間も押しておりますし……」

 スタッフが遠まわしにせかすと伽耶子ちゃんは頷いた。でも視線は私にまっすぐ向けられている。


 伽耶子ちゃんは白無垢に綿帽子だった。白く塗られた肌にぽちりと唇の紅。非現実的なまでに綺麗だ。どんな相手ならば相応しいのかわからないほどに。

 でもさっき、キリンの肝の座りっぷりに私はちょっと彼を見直してもいる。並んでも姫と家臣くらいには見えると思うんだ。


「あの、ごめんなさい!」

 私は頭を下げた。

「何について?」

 伽耶子ちゃんは静かな声で聞き返した。

「結婚式に出ないって事をメールで言ったことと、貰ったメール見なかったことと、あの時急に逃げ出したことです」

「概ね良い答えだと思うわ」

 伽耶子ちゃんは言った。


「佐藤君に何も言われなかったら来なかったんでしょう」

「言われたけど……本当は来るつもりも無くて」

 あら、と伽耶子ちゃんは佐藤君に興味深そうな視線を向けた。

「じゃあ結構苦労したのね」

「そこそこ。です」

「ありがとう」

 うん?なんだかおかしいな、この伽耶子ちゃんと佐藤君の会話は。とてもあの日一緒に食事をしただけの関係とは思えない。


「あのさ佐藤君は」

 聞きかけた私の言葉を遮ったのは伽耶子ちゃんだ。

「で、それだけ?」

「えっ?」

 問われて私は思い出す。

「あと、あの時店に迎えに来てくれて嬉しかったです。ありがとうございます」

「どういたしまして」

 ……ちょっとまてよ?そもそもどうして伽耶子ちゃんはあの店にいたのだ?


「で、それだけ?」

 なおも問われて考え込む暇もなく、私は言葉を失った。なんだろう、他になにがいけなかったんだろう。

 えっと、と口ごもる私に伽耶子ちゃんは呆れたように言った。


「結婚式に招かれたなら、お嫁さんを褒めなさい」

 忘れていた!

 まったくもって、こんな大事なことをせかされるまで忘れていたなんて、最悪すぎる。


「今日はお招き頂きありがとうございます。伽耶子ちゃんは凄く美人。いつも綺麗だけどもっと綺麗。世界一だと思う」

 本心も本心。よかった言えて。

「そうよ、私は世界一の花嫁だと思うわ」


 伽耶子ちゃんの言葉ははっきりしている。ああ、いつもどおりだと思った私は安堵する。でもこれに慣れていないホテルスタッフの人が後ろで目をしばたかせていた。

「世界一の彼女だったし、世界一の妻なのよ。たとえば門倉が他の女にうつつを抜かすこともあるかもしれない」

「ええ、伽耶子さん、そんなことありえないですよー」

 ふぇふぇふぇ、としか表現できないようなやに下がった声でキリンが笑う。


「たとえばの話よ」

 伽耶子ちゃんの話がたとえ話じゃないのに気がついているのは私だけだ。

「そういうこともあるかもしれない。誰だって気の迷いはあるもの。仕方ないわ。でもその時点でもまだ私が彼を好きだったら、取り返すからいいのよ。それくらいのことができる花嫁だと思う。もうほんと世界一だわ」

 伽耶子ちゃんの言葉に、私は安堵し、佐藤君は唖然として、門倉さんはすっげー嬉しそう。


 ああでも、そういうことなんだ。

 伽耶子ちゃんは門倉さんを好きなんだろうな。

 それで、ちゃんと信じているんだ。門倉さんのこともだろうけど、自分自身も。

 自分はちゃんと愛されるに足る存在だってわかっている。

 そうやって言葉にして理解しているわけじゃないんだろうな、実感としてきっと身にまとっているんだ。私はそこに憧れているから伽耶子ちゃんを好きになったのだろう。

 光と言うのはやっぱり人間の標なんだ。


 伽耶子ちゃんがそれを幼い頃に天性として見につけたのか、それともいろんな出来事の末に理解したのかはわからない。

 私にはまだムリだ。多分自分を信じていない。

 きっとお姉ちゃんはもっと自分を信じていないんだろうなあ。だから伽耶子ちゃんに好意的な態度をとらなかったんだ。

 私は憧れたけどお姉ちゃんは嫌った。

 お姉ちゃんは自分と近しいものにそばにいて欲しくて私を誘導したんだろう。それは悲しいことだ。理解できることだとしても。


 どうかと願う。

 私もちゃんと自分を理解できますように。

 そしてお姉ちゃんももうちょっと楽な気持ちになれますように。

「さて、式に行きましょう。藍は急いで行きなさい」

 やっと伽耶子ちゃんが立ち上がって、安堵の顔を浮かべたスタッフにちょっと申し訳なさを感じた。



 三十分遅れて始まった式は、そのまま後まで押した。でも伽耶子ちゃん達一組だけだったからなんとかなったみたいだけど。

 式に出た私はその後盛大な披露宴にも出た。

 地平線がみえるんじゃないかと思うような広大な式場と膨大な招待客にびっくりしながら出席したのだった。すごいなあ、伽耶子ちゃんと門倉さんはこれほどのものと関連しているんだなあと、全ての人の顔を見ることもできないくらいの出席者を見て思った。


 式が終わってみれば、ずいぶん佐藤君を待たせてしまっていた。

 ホテルの入り口で落ち合った佐藤君はその間、近くのデパートで服を買ったり、ラウンジでコーヒーを飲んだりしてわりと楽しく過ごしていたと言った。なんという気遣い……。


 私は疑問を口にした。というか確認だな、だってそうじゃなきゃいろいろあり得ない。

「佐藤君は、伽耶子ちゃんと何回会ったことがあるの?」

 険のある言葉にもまったく悪びれることなく佐藤君はしれっと答えた。

「えーと、二回、かな。あと電話は十回くらい」


 このやろう……。

 伽耶子ちゃんがあのバーに現れたこととか、佐藤君が妙に結婚式のことに詳しかったりとか。

「最初に会った時に連絡先を交換したの?」

「そう。三嶋がちょっと席を外した時に」

 ……やれやれ、世界というのは本当に自分以外の思惑ばかりだ。

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