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「は?」
女子寮にいることについてか、女装姿についてか、結婚式発言か、あるいはそのスカートと靴下の間の絶対領域のスジっぽさについてか、一体なにに重きを置いたら良いのかわからない私は、とりあえず、ドアを閉めた。
バタン!と言う激しい音も私を冷静にはさせない。
先ほどまで険悪な雰囲気だった真弓もポカンとして、私と閉じたドアを見比べていた。
「今のなに」
「わからない……」
「三嶋ァ!」
扉の向こうから佐藤君の怒鳴り声がする。
「出て来い!」
怒鳴る声と重なってなだめる寮母さんの声もする。
「さ、佐藤君?一体どうしちゃったの」
模範的生徒佐藤君の御尊顔はもちろん生徒教師に留まらず、寮母さんも知るところでもある。はっきりいって事情をまったく知らずにこの状況を見ている生徒や寮母さんにとっては驚きに留まらずこれは恐怖だろう。
さとうくんあたまおかしい、的な。
「佐藤君、男子は女子寮には入っちゃいけないのよ?普段真面目なあなたがどうしてこんなことしちゃっているの?それのその服……」
寮母さんの言葉を完全に無視している佐藤君に、ドンドンとドアを叩かれてひぃと私はすくみあがった。普段おとなしい奴ほど逆上すると何知るかわからないとはこのことだ。
「三嶋!お前は今日はちゃんと出席しなきゃいけないんだよ!出なかったら一生後悔するぞ!おい出て来い!」
こえええええー!
「……佐藤君、やるなあ。さすが」
私が扉の前で立ち尽くしている間に、真弓は正気に戻っていた。なにやらがさがさと紙の音がする。そして私を押しのけて真弓は一歩踏み出した。カチャリと鍵を外し、扉を開ける。
「大久保」
「これ、よろしく」
真弓は佐藤君に紙袋を一つ渡した。中をちらりと見た佐藤君はなぜか合点が言ったような顔をしてそれを預かった。そして一歩踏み込み、空いている手で私の手をつかむ。
「行くぞ三嶋」
ものすごい力で引っ張られて、私はつんのめるようにして部屋を出た。
「ちょ、ちょっと」
「佐藤君!」
佐藤君、引っ張られる私、心配している寮母さん、野次馬寮生、とぞろぞろと集団が廊下を動き始めた。
佐藤君は玄関には向かわず、非常階段の扉を開けた。そして時計を確認する。
「……時間はぎりぎりだな。走るぞ、三嶋!」
イッタイナニガドウナッテイルンダー!
佐藤君は私の手を引いたまま走り始めたのだった。私もスリッパのまま走り出すことになる。佐藤君のスクールガールローファーが乱暴な足音を散らす横で、私のスリッパがパタンパタンと間抜けな音を立てていた。非常階段を降りきると佐藤君は本領発揮とばかりに全力で走り始める。
気持ちとしては抵抗して手を振り払いたかったけど、その強さと速さは私にとって濁流に飲まれたみたいだった。強引にひっぱられるまま私は学校敷地内を走った。
寮母さんと寮生はふりきるのはあっという間だったけど、敷地内には思い思いの場所の生徒達がいる。
あれなんだ?という視線や実際の声は私の耳に届く。私なんて蚊帳の外で、その驚きは概ね佐藤君に向けられていたと思う。
佐藤君のミニスカはひらりひらりと軽やかに揺れている。その後ろにいる私は息も絶え絶えだ。
「佐藤君、ちょっと。まって」
「待たない!」
佐藤君は振り返りもしない。
「時間ぎりぎりだろう!」
結婚式にちゃんと余裕を持って出席するためには本来なら一時間は早く出ていないといけないところだ。
「もう間に合わないよ!」
「ぎりぎりっていうのは間に合うってことだ」
私達は校門を越えて坂道を駆け下りる。
下り坂とはいえ、佐藤君についていくことは全然楽じゃない。ていうか、ついていきたいわけじゃない、でもうっかり暴れたら転ぶ。
何考えてんだこのバカ!
罵倒したかったけど息が上がっていて無理。
外門までたどり着くと警備のおじさんが私達を見てぎょっとした。そりゃそうだ、女装男子に部屋着とスリッパの女子なんて。
「あの……君達どうした?」
佐藤君は無言で外門を突破する。
「居た!」
そして叫んでさらに速度を上げる。佐藤君の向かう方向にはタクシーが一台停まっていた。
佐藤君が呼んだのだろうなとわかる。まったく下準備も丁寧なことだ。
「三嶋、乗るぞ!」
「いや、乗らねーよ!」
私は平地についてようやく手を振り払った。私もこけそうになったけど佐藤君も勢いあまって二、三歩姿勢を崩した。
ぜいぜい言っているのは佐藤君も同じだった。
「なんなの!」
私は叫んだ。
「私が結婚式に出ようと出まいと佐藤君には関係ないじゃん!」
「関係あるんだ」
佐藤君の胸も大きく上下していた。でもよろけた姿勢をあっという間に立て直すと、また私の手をつかんだ。
「三嶋が涼宮さんと仲直りできたらきっと俺も納得できる」
「何に!」
「あの時何もできなかった俺自身にだ!」
何言ってんだ。
でも佐藤君は普段のあのちょっと臆病な姿なんて全くない。
逆に私はヒステリックに怒鳴ってバカみたいだ。
「俺は確かに傲慢だなって思った。三嶋に言われるまでわからなかったけど。俺もバカだ。バカで何もできない子どものままだ。でも救えなくてもちょっとでも力になれれば、少なくともあの時よりましだ。俺の後悔はできることをしなかったことなんだ。今はできることをちょっとでもできる人間に成ったと思いたい」
佐藤君は私の手首を放さない。
夜の林を思い出す。
いつも丸太に二人で並んで座って話をしていた。
真剣に話す佐藤君を私ははじめて正面から見つめた。
額から汗が落ちて肩で息をして、カーディガンは片方の肩から落ちている。
「あの時、両親に、あの子はいつもどこか怪我をしているって言えば……、先生にあの子が親に殴られたって言えば。もしかしたら何かが変わっていたかもしれない。何も変わらなかったかもしれないけど、でも変わったかもしれないじゃないか」
「自分ばっかり正しいと思って!」
私だって、お姉ちゃんを助けられると思っていたよ!
「そうだよ、俺は全ての善悪なんてわからないんだ。何が善意で何が傲慢かも俺はまだわからないバカだけど、でもそれならなおさら俺は俺の正しさを信じるしかない」
「なんで私をつき合わせるの。佐藤君の自己満足じゃん」
ひるむかな、と思ったけど佐藤君はひるまなかった。
「そうなんだ。だから三嶋、俺の自己満足に付き合ってくれ。あんなふうに全部自分が悪かった、みたいな顔で、大事な人を切り捨てないでくれ。俺はそうじゃない三嶋が見たいんだ」
飄々としているようで実は単にぼけーっとしているだけで、しかも肝心な時には「俺なんて」とか急に後ろ向きで、極め付きには女装趣味で。
佐藤君はカーディガンの肩を直した。
「三嶋を俺の自己満足に突き合わせるんだから、俺だって腹をくくらなきゃと思った」
「……まさかそれでその格好……」
……バカすぎる。
「三嶋、結婚式に行こう。伽耶子さんに会おう」
佐藤君はあと数歩を進み、扉を開けたタクシーに私を押し込む。そしてなぜか自分まで乗り込んだ。佐藤君の姿を見て運転手さんのぎょっとした顔がルームミラーに移った。
佐藤君は、結婚式場として有名な……有名すぎるホテルの名を告げた。
あれ?なんで佐藤君は式場とか知っているんだろう。それに、まるで私と伽耶子ちゃんとお姉ちゃんが、三人であったことを知っているみたいな態度だ。
それは疑問だったけど、でも私が息を整えながらまず思ったことは別のことだった。
今まで他人の評価で佐藤君はかっこいい人なんだろうと思っていた。
今日はじめて、私自身が、佐藤君はとてもかっこいいと思った。




