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さて週末、私は性懲りもなくまたお姉ちゃんに会いに出かけた。一応平日は寮でおとなしくしていたよ。
今回会いに行く理由は、もうあまり遊ばないと言うためだ。お姉ちゃんはお姉ちゃんで好きだけど、でも貧血起こすようなことはしてはいけないと思うから。お姉ちゃんと夜会うのは数ヶ月に一度にしよう。昼間ならいいんだけどさ。
そんなことを思いながら、待ち合わせのバーに行く。それは一番最初にお姉ちゃんと夜に遊びに行った時の店だった。
「藍ちゃん!」
店に入るやいならそう声をかけてきたのは、オーナーだった。
おっと、まだ忘れられていなかった。
「久しぶりだね。何回もメールを送ったのに、店に来てくれないどころか返事も寄越さないなんてひどいなあ」
「えー、だって忙しいんだもん」
私はいつの間にか、物怖じせずに自分より全然年上の男の人と喋れるようになっていた。カウンターのスツールに腰掛けて、正面に彼を置いても怖くない。
「忙しいって言ったってさあ」
オーナーは寂しそうに笑った。
「日曜日も平日も昼間も夜も忙しいの?」
忙しいとも、女子高校生だからな。しかも受験生。
でも私は正解は言わないままオーナーが出してくれたノンアルコールカクテルを舐めた。お姉ちゃんが私のことはアルコールは死んじゃうほど体質に合わないと言ってくれたのだ。
「一度くらい店外で会いたいな」
「また今度ね」
男の人は怖くなくなってきたけど、やっぱり一対一はやだな。それに。
お姉ちゃんみたいに無条件に好かれる何かが私にもあるようだということはわかってきた。でもなんだろうな、そういう相手を逆に私が好きになるってことは無いような気がする。だって私が今好かれていえるとしてもそれはお姉ちゃんの借り物だ。私はお姉ちゃんの真似をしているだけな気がする。
オーナーはいい人だ。思い起こせば画廊経営者だって良い人だった。
でも伽耶子ちゃんを思っていたときのような自分の強い感情がわきあがるようなことはなさそうだと思う。
……あれっ、と気がついた。
私が思うようなことはお姉ちゃんだって気がついているんじゃないのかな。
お姉ちゃんはずっと前からそれだけの魅力を持ち合わせていた。それはお姉ちゃんにとって自分自身に含まれるものなのかな。それなら良いんだけど、お姉ちゃんがもしその魅力と自分自身に乖離を感じていた、ら?ら?ら???
「藍ちゃん、聞いてる?」
何か思いつきそうだったのにオーナーが声をかけてきてその思考は散ってしまった。
「ごめん」
私はへらへらと笑った。お姉ちゃんだったら謝る時ももっと妖艶だけど、私はそこまではできない。オーナーは私をみてため息をついた。
「藍ちゃんて時々すごく子どもっぽい笑い方するよなあ。碧さんとは全然違う」
まあ子どもだからね。
「でもそこが可愛いんだよなあ」
……うん?
私は首を傾げそうになる。
「あのさ、オーナーってお姉ちゃんのこと好きだよね。私知ってるんだよ」
「……前はね」
オーナーは私の質問を嫌そうに答えた。
「私とお姉ちゃんは全然違うけど、可愛いの?」
「違うけどそれはそれでいいんだよ」
オーナーは私から見れば十分いい年しているのに、なんだか照れたみたいな顔でそれだけ言うとカウンターの奥にひっこんでしまった。
なんだろう……よくわからない。お姉ちゃんが言うには、私だってお姉ちゃんみたいに強固に人を惹き付けるものがあるのかなとは思っている。お姉ちゃんに似ているからお姉ちゃんのまねをしてそれを固めていると思っていた。でも今のオーナーの言い方だと、なんだか私の個性としてその『魔性』がありそうな感じだ。
借り物ばかりじゃないってことかなあ?
どうかなあ……それならなんで佐藤君は私にあんなにつっけんどんなのかな。
……。
……っておい!私なんで、佐藤君を思い浮かべた?あれは香坂エミリのものじゃないか!大体私は伽耶子ちゃんが好きなのであって、そもそも佐藤君は女装男子だ。
なんだろ、いろんなことが今日は頭に浮かぶ。でもどれ一つまとまらない。
しかも考えようとすると見覚えのある男性客が入れ替わり立ち代り私の方に来て話しかけてくるのだ。めんどくさい。
メアド教えてとか電話番号教えてとか、今日送るよとか。
「お姉ちゃんと待ち合わせているから」
私はそっけなく言う。
……後で考えればまったくもって鼻持ちなら無い小娘である。それに私は不気味な関係にずぶずぶと足を踏み入れかけていたのにまったくその時は気がつかなかったのだ。ほんとバカみたい。
三嶋碧の魅力をエリックさんは魔性って言った。
確かに尋常じゃない愛されっぷりだ。偽者の私ですらこれほどなんだから、本物のお姉ちゃんはどれほどの破壊力を持つんだろうと思うよ。
でも魔性というならその力を行使するということは魔術だ。どんなゲームだって魔術にはMPとか代償が必要じゃんね。使うことでどんな代償があるのか……私は気がつきかけていたけど答えまでいたらなかったのだ。本当にバカだ。
「藍ちゃん」
顔を上げると見たことのある男性客が立っていた。
「今日は碧さんは?」
三十代くらいの男性はお姉ちゃんの信奉者だ。
「後できますよ?」
……ふっと、思いつく。
私がその気になったらお姉ちゃんを好きなこの人も、私を振り向いたりするんだろうか。
私は時計を見た。
「本当はもう来ていないといけない時間なんだけど。お姉ちゃん遅刻だ」
私は彼に微笑みかけた。
「ここ座ります?」
「いいのかな」
オーナーが見ているから、男性客は我々の横には座らない。座れるのは碧さんが許可した時だけ、そんな暗黙のルールがあった。
「すぐ来ますから」
その男性は私の横に座った。別に怖気づいているわけじゃないからこの人も大したものなんだろう。大体この店は、騒々しいだけの若者はほとんど来ない。なにかしらスペシャルな人達だということはお姉ちゃんが話してくれた内容から察しがついた。
すごいなあお姉ちゃんの人脈。
ていうか、エリックさんもぼんやりしているとはいえ大学の教授だった。
「藍さんだっけ」
「そうです。いつも姉がお世話になってます」
私は素直に頭を下げる。
「姉とは長い知り合いなんですか?」
「そうだね、五年位前かな。碧さんが結婚したと知ったときにはこの店の客も店員も泣いたものだ」
……そうなのか!みんなお姉ちゃん結婚していること知っているのか!それなのにあの狂信者っぷりなのか!
ちょっと唖然とするくらい驚いた。
「お姉ちゃんは昔どんな感じでした?」
「うーん、碧さんに怒られそうだ。昔の話なんてしないでって」
男性は笑った。私はもっとその話を聞いてみたくなる。しかしお姉ちゃんの緘口令は固い。
……もし私がお姉ちゃんみたいに笑ったら、この人は。
ふっと思いついた瞬間だった。店の入り口で人影が動いた。お姉ちゃんが来たのかなと思った私はそちらを向く。
冷静に考えれば私は今、お姉ちゃんを好きな人を誘惑しようとしていたわけで……普通は後ろめたいものなのだ。
なのに私は焦りもしなかった。
それについて気がつくのはもう少し後の話だ。
そう、今はマジで、ヤバイ、それどころじゃない。
そこにいたのはお姉ちゃんじゃなかった。
伽耶子ちゃんだった。




