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オーナーは、あっさり好意を私に向けた。
私自身、その才能については、熱に浮かされるとかいう言葉が有るけど、実際そんな感じだった。
別に人生初のモテ期に能天気にはしゃいでいたわけじゃない。なんだろう、どうしていいのかわからなくってなぜか笑っちゃう、そういう感じが近いのかな。
高校三年生の八月から九月にかけてはそんな思い出を作ることになった。
ちょっと要領を覚えたら、あっさりといろんな人から好意を寄せられることになった。お姉ちゃんが言うように笑って話しかけて、そして好意からするりと身をそらす。
夏休みの間は日中は勉強して、夕方お姉ちゃんが迎えに来るのを待つ。そして一緒にご飯を食べてお姉ちゃんの知り合いを紹介してもらって。そして門限前に帰る。実質二時間か三時間しかないというのに、私の人脈と言うのは爆発的に広がっていた。
おっかないので一人にはならなかったけど、今私が一人で行っても、なんだかんだで飲食代がかからない店と言うのはそれなりの数があると思う。
いろいろマズイと思うので、私が高校生と告げることは避けていた。飲酒もしない。昼間に会おうという誘いに最初は困ったものの、お姉ちゃんからそれをひらりとかわす言葉を教えてもらってからは悩みですらなくなった。
嫌なら嫌と言っていい立場だったのだ、私。
「たまには私のうちに泊まればいいのにー」とお姉ちゃんはすねていた。でもそれをやったらもう引き返せないような気がして私は頑固に寮に帰り続けた。
多分。
お姉ちゃんは私が勉強しているということが気に入らないんじゃないかとうっすら思う。お姉ちゃんはまるで、私を、自分のコピーにしたいみたいだ。それは感じとっていてその意図には薄気味悪さを感じるものの、お姉ちゃんから離れられなかったのはなぜなんだろう。
やっぱり私もブラックホールに捕まっていたのかな。
「三嶋」
夏休みが終わって新学期が始まった初日、化学の教師が珍しく私に声をかけてきた。珍しく、というのは語弊がある。割と生徒をよく見ている先生だと思うけど、私が声をかけられるようなことを良い意味でも悪い意味でもしないタイプの生徒だからか。
「渡辺先生」
私は次の移動授業に備えて教科書を持って教室を出て行こうとしていた。
「お前、顔色悪いぞ」
「え、そうですか?」
節度を保った夜遊びだったつもりだけどやっぱり疲れは出ているのかな。
「高校生なんて無駄に顔色がいいぐらいしか長所ないんだから、ちゃんと気を使え。おい大久保、この自己管理不備の受験生様を保健室連れて行け!」
これだよ。
この先生の口の悪さはぴか一だ。顔は整っているし授業とかめちゃくちゃ上手いけどなんたって口が悪い。大体新入生が一度は先生素敵!とかなるけど、もって一ヶ月だ。あとは、ただのドエス扱い。結婚して丸くなったというのが先輩方からの話だがこれで丸かったら前は一体どうなってんだ。生徒を奴隷扱いでもしていたんだろうか。
呼ばれた真弓が私の方にやってきた。
「藍、行こう」
「ええーいいよ。だって別にどうってことないし」
「先生の言うことはもっともだし、私も話がある」
真弓は手を繋いでぐいぐいと私を引っ張っていく。
「話ってなに」
「あんたどうして最近あんなに毎日出かけていたの。実家に帰っているっていったって、程度があるよね」
真弓の表情は険しい。なまじ鋭い顔立ちだけに迫力があるなあ……。
「それはまあ、止むに止まれぬ事情が」
「私も門限時間内だからずっと特に何も言わなかったけど、あんた最近おかしいよ」
保健室は校舎が違う。その渡り廊下で真弓は立ち止まった。
「何やっているの?」
真弓は私の昔のこととか割と知っているほうだ。だから私がそもそも自分のことをあまり語らないという性格だということも知っている。真弓とも友人だといえるようになるまでずいぶん時間がかかっているし。
だから真弓は余計なことを聞かない。その真弓が言うんだからどうなんだろう、私は妙なんだろうか。
「別に何も」
私はにっこり笑ってみた。でも真弓の眉の間の皺は深くなるばかりだ。
「なにそれ」
「え?」
「なんか、笑い方が変」
真弓はずばりと言ってのけた。
「あんたさ、自分は飲んでいないみたいだけど、帰ってくるとお酒とかタバコの匂いがしてる」
げっ、気をつけなきゃ。
「それに化粧とかしているでしょう。おかしい。もともとがそういうタイプならわかるけど、今までそういうの嫌っていたじゃない、どうしてそうなっちゃうの?私はね、丑の刻参りについては、藍らしいなって思うよ。面白い。そもそも伽耶子さんのことだって、好きな人の性別なんてどーでもいいし、逆に一途で好感をもてるくらいだ」
真弓は一気にまくし立ててからため息をついた。真昼の渡り廊下には九月とはいえ強い光が差し込んでくる。
「でも今はなんだか藍じゃないみたい」
ぽつんと言葉を付け足した。
お姉ちゃんのことは真弓には言っていない。どこまで話したらいいのかわからなかったからだ。エリックさんのこととか香坂エミリのこととか地雷が多すぎる。
多分真弓は、話さなければ話さないで仕方ないと思っていたんだろうな、いままでは。ということは私の今の状況はそんなに目に余るんだろうか。
「とりあえず保健室行こう」
真弓はうつむいてからまた歩き始めた。
よくわからない。
私は何にこだわっているんだろう。お姉ちゃんがどうしてくれたら私は満足するのかな。でも私はそもそもお姉ちゃんを変えるべきなんだろうか……だってお姉ちゃんはすごく楽しそうで……あんなに楽しそうならもう仕方ないんじゃないかなとか……。うん?待って、そもそもはお姉ちゃんが誰かの気持ちを考えていないのが嫌だったんだよね。でもそれあの人自身が考えてわかっていることなら、私が出来ることなんてあるの?
すうっと目の前が暗くなるような気がした。
あれ?
「貧血ね」
睡眠不足とかあるんじゃないかしら。でも寮にいれば食生活は万全のはずよねえ、と語る中年女性の声がした。
食生活か……よく考えてみれば、お姉ちゃんと会っている時はなんだかんだであまり食べていなかったな。
ぼんやりと戻ってきた意識に、自分が貧血起こして渡り廊下でしゃがみこんでしまったことを思い出した。
「先生」
中年女性は保健室の先生だ。身を起こした私に彼女はこちらを向いた。
「ああ、三嶋さん」
時間は結構たっていた。真弓は自分の授業を受けにいったんだろう。
「佐藤君」
じゃあ、と思って顔を上げてみれば、保健室の先生と話をしていたのは佐藤君だった。
「三嶋……えーと次の授業どうする?」
どうやら先ほどの授業はサボってしまったことになるようだ。
「あ、うん、でる」
保健室の先生はまだ少し気がかりみたいな顔をしていたけど私を解放してくれた。少しふらふらしている私に気を使うように佐藤君が並んで歩いてくれた。廊下に出てみれば、生徒が短い休みでもせわしく活動している。
「大久保が心配していたから」
「うん」
「今のことだけじゃないぞ」
佐藤君の言葉に私ははっとして顔を上げた。
「……まだ、お姉さんと会っているのか?」
佐藤君はなるべく自然に聞こえるように気を使ったのだろう。静かな声だった。
「うん」
「これからも?」
「お姉ちゃんだからね」
「そっか」
そして反論も否定もしなかった。なんだか逆に居心地が悪い。
「佐藤君こそ香坂エミリとどうなったの?」
「いや、別に」
なんだかわけのわからない返事だった。でもそれは私に似たものだ。ってことは佐藤君は香坂エミリとうまくいっているのかな?
尋ねようかと思ったけど、見上げた佐藤君の顔が妙に真剣で私はそれを聞くことはできなかった。




