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「……まさか」
エリックさんは呆然としていた。その横で佐藤君もポカンとしている。
「これ正式な権利書です、譲渡証明書も。私の名前にとりあえずなってるんですけど、適当にエリックさんに直してください」
私が今日エリックさんのうちに運び込んだのは、大量の香坂翔子さんの作品だった。それと正式に所有権を主張できる書類。
「これを一体どこで……」
エリックさんはリビングに運び込まれたその数々の作品を見渡しながら呟く。嬉しいというよりは驚きが先に立っているようだった。
「あまりいろいろ突っ込んでくださいますな」
私は頭を掻きながら言う。今日はひさしぶりのノーメークで、スニーカー。身が軽い。
「他人の好意です」
夏休み入って二週間目だった。
まああれだ、平たく言えば、画廊経営者をたらしこんで私が頂いたわけです。姉がしたのと同じ要領で、私は画廊経営者から作品を取り戻した。
ていうか、自分の才能にちょっと驚いた。
今までびくびくとして目立たないように、変な人に目をつけられないようにしてきたけど、逆に力を力として使ってしまえばよかったんだ。コンビニの光に人は吸い寄せられるけど、星の光には手が届かない、そういうことだった。
多分、えーと、なんだ、その、画廊経営者に体を差し出せば多分一週間は短縮できたと思うけど、それはしたくなかったからやめた。お姉ちゃんだってそこまで軽くない。手は繋いだけどね。
香坂エミリが実家に戻るのがなるべく遅くなるようにと祈りながらだった。
昼間は夏休みの宿題やって、夕方父親がいれば一緒に夕飯を食べて、そのあと寝たふりしてからこっそり抜け出して例のバー、あるいは画廊経営者と待ち合わせた場所に行く。父親が仕事遅かったり出張だったら時間を早めてデートとかしてみたり。まあ規則正しい生活ではあった。ちょっと夜遅い時間のバイトと同じだな。
疲れた。
気の無い人と話をしたり一緒にいることがこんなに疲れるとは思わなかった。お姉ちゃんってそれを楽しんでいるみたいだからやっぱりどうかしているんだろう。また画廊経営者がエリックさんみたいにどことなく人の良さそうな人なのがまた胸が痛い。ていうか、人を騙している自分はすごく嫌いだ。彼は私に好意をもってるわけだし。それがわからないほど私もバカじゃない。狙ってやったわけだし。
ちなみに……私としてはここが一番胸の痛むところなんだけど、これで香坂翔子作品騒動は解決したので、画廊経営者とはあと一、二回でフェードアウトしようと思っている。彼にしてみれば大損なんだろうけど、そもそも香坂翔子の作品だってただで手に入れたわけだから損をしたとか言わせない。作品はただ一周しただけだ。
……でもやっぱり人の気持ちを弄ぶのは嫌だ。
「三嶋」
佐藤君はひとしきり作品を見て回った後で、私に噛み付いてきた。
「一体どうやってこれをなんとかしたんだよ」
いつも穏やかな佐藤君にしては非常に険のある表情をしていた。おやおやそんな顔をしていたらどんな可愛い服を着たって似合いませんよ?
「そこはノータッチで。でも法に触れないし自分を売ったわけでもありませんので心配御無用」
「心配するよ!バカ!」
空気がびりびり震えた。
佐藤君の怒声なんてこれはまたレアなものを聞いてしまった。
「何怒っているの。だから別に問題になるようなことしてないっていってるじゃん。これで香坂エミリが泣かなければみんなめでたしじゃない」
「……三嶋碧と同じ手段を使ったんだな」
……ったく、カンが冴えてるなあ寮長は。
「悪い?でも他に方法なんて無いでしょう。結果よければ全てよしじゃない。それに私だってこの一件で自分がレベルアップできた気がする。いままでびくびくするだけで、苦しかったけど思い切ってお姉ちゃんみたいに堂々としてみたら何も怖いことなんて無かった」
「誰かの気持ちを弄んでるんだよ!三嶋はそんなの嫌いな人間だったんじゃないのかよ!」
「熱血……」
私は目をそらして吐き捨てた。佐藤君みたいに何一つ歪んだところの無い人間にはわからない。女装癖は歪みかもしれないけど、本人は楽しそうだし。
「最低だ」
佐藤君は苦いものを間違って食べちゃったみたいな顔でそういった。
「まあまあ二人とも……」
エリックさんが一番冷静だった。作品をみて狂喜乱舞するかと思えばそうでもなく、ただ確認して一つ安堵のため息をついただけだった。それからキッチンでお茶を入れてきてくれると険悪な雰囲気になっている私と佐藤君をソファに座らせた。
「三嶋藍さん」
エリックさんは深々と頭を下げた。
「僕が最初に言うべきことは君への御礼以外ありません」
ありがとうございます、という言葉は本当に気持ちの入ったものだった。
「僕にはできなかったことを成してくれた」
「……私は私にできることをしただけです」
「でも、それでも僕は君にお説教をしないわけにはいかないんです。そんな立場じゃないとわかっていても」
「……」
大人って面倒くさい。
「君はお姉さんと同じことをしてはいけなかった」
エリックさんはそれだけ言うと、アイスティーのグラスを私達に出してくれた。冷たいグラスについた水滴を見るともなしに私は見ていた。
わかってる。あんまり褒められたことじゃないことは。
すべて予想して納得してやったことなんだから、今さら不愉快になる必要なんてないんだ。
でも。
もやもやとした気分は晴れない。でもそれがなぜか私にはわからない。だって確かに人の気持ちを弄ぶことはよくない事だって私も知っている。怒られるかもしれないってことは覚悟してやった。エリックさんはそれでも私に対して最大の感謝は示してくれた。想像していた範囲の結果だ。なのにどうしてこんなに嫌な気持ちなんだろう。
佐藤君が不機嫌そうだからかな。それも見越していたはずなのに、どうしてだろう。佐藤君に嫌われるのが悲しいからだろうか。もともとそれほど特別に好かれていたわけでもないじゃん、ははは。
エリックさんの携帯に香坂エミリから今日帰るという連絡が来て、こんなときだけは息が合って三人そろって冷や汗かいたのが午後三時。
これ以上気まずいのも嫌だったので、私と佐藤君はエリックさんのうちを辞することにした。まだまだ灼熱が空から下界を炙っている時間帯だ。
家から出たとたん、熱気にくらくらしたけど、そのまま歩き出す。
「三嶋」
駅に向かう途中、佐藤君は沈黙だった。それを破ったのは駅が目前に迫ってからだ。
「怒鳴ってごめん」
「別に」
佐藤君はきっともっと言いたいことがあるんだろう。でも私にそれを受け入れる余裕が無い。何で自分がこんなにもやもやしているのかわからない。暑いせいだろうか。
「でも三嶋はそんなことしないと思っていたんだ」
「なんでそんなに嫌がるの?結果的にはこれで佐藤君の好きな香坂エミリだって泣かなくてすむんだよ?」
別に香坂エミリの為にやったんじゃない私がこういうのは卑怯な気がするけど仕方ない。私がやったのはひとえにお姉ちゃんを悪人にしたくなかっただけだ。お姉ちゃんだって別に悪い人じゃない。ただ、きっとあまり人の気持ちに感心がないんだろう。だからそのフォローをしたかっただけだ。
お姉ちゃんが悪い人じゃなければお父さんとの関係もいつかはよくなる。もうママはいないからせめて三人は仲良くしたいんだ。お姉ちゃんを『悪女』にはしたくない。そのためのフォローなら仕方ない。
「……なあ、これが最後だよな」
佐藤君が呟くみたいにして言ったのは私の気持ちを読んだみたいだった。私もちょうどそこに行き当たったからだ。
これからもお姉ちゃんがなにかしでかしたら、私ができる範囲でフォローしたほうがいいのかなって……。
「……香坂エミリとエリックさんのためだけじゃないんだろ」
私の一瞬の沈黙で、佐藤君は自分で思いついてしまったようだ。
「なあ、もうやめろよ。三嶋は自分のエゴの為に誰かを傷つけるとかそういう種類の人間じゃない。だからお姉さんに関する複雑な思いがあるんだろうけど、でも、もう関わらないほうがいい。きっと三嶋は無理することになる」
「……佐藤君はさあ、無理とかしたことないのかな」
私は駅を見ながらぽつぽつと話した。だって私だってもやもやする気持ちはつかめていない。
「無理って」
「自分にできることならもっと頑張りたいとかそういう気持ち。佐藤君は無理しなくてもなんでもできるだろうからわからないような気がするんだ」
「俺だって……」
でも佐藤君はそこで口ごもってしまった。
「私は今回無理したら、もうちょっとなんとかなるような気がしたんだ。でも間違っている部分があるのは確かだと思う。だから佐藤君が怒るのも仕方ない。だから、意見が違うんだよ」
駅の改札まで来て、私達は違う時刻表を見る。
「一緒にいても意見が合わないのは仕方ないけど悲しいから、もう会わないでおこう。夏休みが終わるくらいまでは」
「三嶋!」
「じゃあね。よい夏休みを」
そして私は一足先に改札に足を踏み入れ、そのまま振り返りもしないで早歩きでホームに向かった。




