3
佐藤君というのは、悪い意味でなく変わっている人だ。と、思う。うん。
週末、佐藤君と私は市のハズレまで電車に乗って出かけた。週末だけあって、動物園は親子連れでなかなかの混雑だ。
「結構盛況なんだね」
一番最初に出迎えてくれた象の前で私はそんなことを呟いた。
自分がいかなくなったから、動物園なんていつの間にか遠い世界だと思っていたけど、いつの世だってやっぱり親子で出かける場所だったのだという再発見だった。私だって休みの日に連れて来てもらったことくらいある。
佐藤君は今日は女装子じゃなくて(あたりまえだが)素敵な好青年だ。ラベンダー色のTシャツを差し色にグレーのシャツを羽織っていた。佐藤君は本当にブルー系のぴかぴかした色がきまるなあ。そういえば女装の時にはあまりこういう色は着なくって、ほんわかした色ばかりだ。
まあよく考えたら問題は似合う色とかそういうことじゃなかったな。
「そうなんだな。俺も一、二回くらいしか来たことないから知らなかった」
「佐藤君なんて育ちが良さそうだから、両親に凄くたくさん連れてきてもらっていると思っていた」
「うちの両親忙しくてさ」
佐藤君はあっさり言った。そういえば医者の息子とか言っていたっけ。
「いろんな家があるねえ。うちのほうがよっぽど変な家族だったけど動物園に来た回数は私のほうが多いなんて」
そういったら佐藤君はちょっと困ったような顔をした。
「まあほんとそれぞれだと思うんだけどさ」
あらやだ、気を使わせてしまいました。
なんか佐藤君には、伽耶子さんと会ったことがきっかけでうちのことをいろいろ話してしまったのだけど、あれ失敗だったかなあとか思っている。
佐藤君がけっこう気にしたがりだったと言うことが最近しみじみとわかってきたからだ。
「さて行こうよ」
なので私は話を終わらせて歩き始めた。
ぼやぼやしているとまた佐藤君がお姉ちゃんの話をし始めそうだったし。
我々はのんびりと園内を回り始めた。それほど変わったものや珍しかったり人気のある動物がいるわけでもない普通の動物園だ。それでも一周するのには時間がかかる。
動物園は何をするということもないのだけど楽しい。
そのまましばらくは普通に動物園の生き物を話題にして楽しかった。問題が起きたのは大体園内を見終わって入り口近くまで戻ってきたときだった。ふと私がこぼしてしまった一言のせい。
「結構広いね。昔もこんなだったのかな」
私は歩いてきた通路を振り返りながら言った。
「え、三嶋はこの動物園にきたことがあるのか?」
「あ、そうだよ」
「お父さんと?」
「ちが……」
それに答えようとした段階で、私はやっと誰と来たのかを思い出したのだった。 母と姉だ。三人だけで、母の恋人はいなかった。
何で今こんな風に思い出したんだろう。
「死んだ母親と姉と来たんだった」
なんであの母親が動物園に行こうなんて思ったのかは、もう私の思考がおいつく話ではない。でもきっと人間だからそういう思いつきも一度くらいあるのかな。母親として稀なる善行なんだろうに、肝心の娘には忘れ去られていて気の毒な話だ。
なんたって、私が細かいこととか全然思い出せない。
佐藤君を気遣うのも忘れてしばらく無言で歩いてしまった。どこかで猿の鳴く声がする。
私は、本当は母親が嫌いだったのかなあ……。
……母親は本当は私をちゃんと好きだったのかなあ。
私が今、たとえばカバディにチャレンジしたいとしてもムリだろう。だってルール知らないし。それと同じで、母親もちゃんとわが子を好きだったけど、そのやり方を知らなかっただけなのかな。だとしたらなんだかちょっとしんどい。カバディカバディ。
「三嶋ってさ」
佐藤君の声が急に思考に入り込んできた。
「今、何を考えている?」
「へ?」
いきなりの言葉にぎょっとする。
「俺は三嶋が何を考えているのかはわからないんだ。でもろくなこと考えていないだろうなあってことはわかる」
「いきなり失礼な」
「だからさ、俺は三嶋にはにこにこしていないでもらって、ちゃんと話して欲しいんだけどな」
「……私、にこにこしている?」
「しているよ?」
へえーっ、自分で自分に驚いた。そんなにうまいこと隠そうとしているのか……知らない自分を発見してしまった。
「でもにこにこしているのならいいんじゃない?」
反論しかけた私に佐藤君は畳み掛ける。
「でも三嶋がそれはなにか大事なことを言わない時だってことには、なんとなく俺も気がついてきた。なあもう真夜中にだって何回も会っているんだぞ。ちょっとは親しくなっているんだ」
なんていうか。
私の性格が曲がっているのかもしれないけど、佐藤君にあまり言われるとだんだんうっとおしくなってくる。
そりゃ確かに真夜中に何度も交友を深めているけど、私だってなにからなにまで喋っているわけじゃない。むしろ佐藤君には言っていないことのほうが多い。それなのになんだか知った顔でいろいろ言われるとどうも居心地が悪くなるって言うか。
でも佐藤君のせいじゃないのかもしれないなあ。佐藤君の何が腹が立つって彼が問いかけることによって私が今まで勤めて考えないようにしていたことを思い出させるからなんだろう。ははは、なんだ結局自分の怠慢のせいじゃないか。
でもさ、佐藤君に言ってもきっとわからないだろうことを言う気にはなれないよ。
「大丈夫。心配させてごめんね」
だから私はそう答えていた。
「なにかあったら佐藤君には言うから」
「三嶋」
「佐藤君は結構心配性だよね。でも心配するなら自分と香坂エミリのことを心配したほうが良いと思うよ。私のほうは大丈夫」
佐藤君が何か言いたそうにしてるのを遮って言い切った。
「佐藤君はなんだか私の姉のことをずいぶん気にしているようだけど、あの人だって別に悪い人じゃないんだよ。少なくとも私には良いお姉ちゃんだった。だからあの人が私に悪いことをするってことはないんだ」
一部の男性にはひどいことをするかもしれないけど。
「佐藤君はお姉ちゃんのことなんて気にしなくって大丈夫」
「でも俺は!」
ぎょっとするほど大きな声で佐藤君は私の言葉に割り込んできた。
「俺は三嶋が心配なんだ」
「ちょ、そんな大声で」
私は慌てて回りに目をやった。一組だけ親子連れがこっちを見たけどすぐに視線は外された。周囲に人があまりいなかったこともあって、佐藤君の言葉にこちらを見たのは、柵の中のキリンだけだった。
「三嶋はさ、お姉ちゃんと再会してからやっぱり様子がおかしいと思う」
佐藤君の声は小さくなりこそしたものの、強さは逆に増したようだった。その断定的な口調にいよいよ私も困惑を隠せなくなる。
「大丈夫だって。だってお姉ちゃんだよ。そりゃエリックさんにはひどいことしたと思うけど、悪意は無かったみたいだし、手助けできることならするって言っていた」
「なあ、その話、いつしたんだ?」
やばい。佐藤君にはお姉ちゃんとあったことは言ってなかった。
「……あったんだろ」
佐藤君の悲しそうな声に、私は罪悪感を感じる。でもそれは憤りにすり替えてしまった。
「佐藤君には関係ないじゃん」
「関係なくない。前にも言ったよな、お姉ちゃんとは会わないほうが良いって」
いらいらしてきた私に佐藤君は気がついているのかいないのか。
「どうして佐藤君は私にそうやってつっかかってくるの?」
「つっかかるって……別に喧嘩を売っているわけじゃない。でも少なくとも俺はそう思う。だって」
だって、の先は佐藤君自ら口をつぐんでしまった。
「……三嶋はお姉ちゃんになにか後ろめたいことでもあるみたいだ」
だっての先の言葉を変えたことは明らかだった。
なんだか嫌だな、と思った。だって佐藤君は私にいろいろ話せ話せっていうのに、佐藤君自身はなにも言わないなんて不公平だと思う。
「……そんなに知りたいんだったらさあ」
私の言葉にはきっと棘棘としたものが生えていると思う。
「今日これから時間ある?一緒に来て。近いから」
私は佐藤君の手首をつかんで、歩き始めた。




