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「三嶋」
さて、夏休み前の最後の土曜日の夜、佐藤君がちらりと見せたのは、なぜか動物園のチケット二枚だった。私がお姉ちゃんと再開して微妙に悩んでいる時のことだ。
「なにそれ」
深夜の会合で佐藤君はデニムのミニスカ姿だった。すらりと伸びた足のすね毛には焦点を合わさないようにして私は尋ねた。
「親から貰ったんだ。動物園、行かないか?」
「なんで?香坂エミリと行けばいいのに」
妥当なはずのことを答えると、佐藤君は信じられないくらい悲しい顔をした。
「俺は三嶋と行きたいんだ」
「そうなの?」
よくわからんがそこまで言うならと私も受け入れた。キリン男は嫌いだが、動物は嫌いではない。しかしこんな暑い季節に動物園とはなかなか私もチャレンジャーだ。
でも私が行くといったら佐藤君はさきほどの顔が嘘みたいに明るく笑った。おおー爽やかすぎてまぶしい笑顔だ。
「今日は早く切り上げて、明日行こう」
「せっかく今夜は可愛いスカート履いているのに?」
「三嶋だけだよ、そう言ってくれるのは」
まあそうだろうな、それは自信がある。
私達はそこで会話を途切れさせた。佐藤君は何か言葉を捜している。今日に限らずここ最近佐藤君の様子は変だ。いつも何か言いたげに私を見ている。ただ、私もその内容についてはうすうす察していて、しかもそれは私が言われたくないことなので、スルーを狙っている。本当は今晩だって来たくなかったのだけど、それならそれで佐藤君に言われてしまうなあと思ってきたのだった。
きっと言われるのはお姉ちゃんのことだ。
会って、隙のない態度でいれば佐藤君もきっかけがなくて言いそびれるかと思ったのだ。
「それで、最近香坂エミリとはどうなのよ」
私は先手を打って佐藤君に質問をぶつけてみた。
「どうって」
「付き合おうかそういう話になったとか何か進展は」
「ないよ」
佐藤君はため息をつく。しかしそのため息の種類はわからない。エミリとの恋愛が進んでいないことを憂いているのか、それとももっと別のなにかか。
「だいたいちょっと話しただけでもあれだけ噂がとぶんだから、本当に付き合い始めた日にはテレビ局くらい来かねない」
ちょっと聞いたらお前ナニサマと言いたくなるような発言だけど、本当に普段から何をやっても噂の的の佐藤君が言うと、その必死さが逆に哀愁となって、私は笑ってしまった。
「かもねー」
「それに付き合うとか付き合わないってすぐに決められることじゃないし」
佐藤君のその言葉は、彼が今まで彼女を作らなかったことを理解するに十分な発言だった。すごく石橋を叩いて渡る男だな、佐藤君は。叩きすぎて石橋が壊れるレベルだ。だって、じゃあ十分理解するのは友達関係でできるのかって話じゃない?それで理解できるのならもう友達でいいじゃないかと言う気がするし。
あまり恋愛に興味ないんだろうな佐藤君。
「そっか」
しかし私が返した言葉はそんな漠然としたものだった。
大体、私だって自分のことでけっこういろいろ悩んでいるのだ。人の悩みにまで足をつっこめない。
お姉ちゃんはやっぱり怒っているんだろうか。
ママが病気になったという話はお姉ちゃんから聞いた。私はパパと一緒に暮らすようになってからママには会わなかった。パパがあまりいい顔しないというのもあったけど、何より重要だったのは私が会いたくなかったから……いったいどんな顔をしてあったらいいのかわからなかったからだ。
けれどお姉ちゃんはよくママと会っていたらしい。パパとお姉ちゃんはあまりいい関係を築いていなかったと思う。お姉ちゃんは相変わらず遅くに帰ってきていたし、男の人からの貢物もあのままだった。いや貢物に関してはどんどん高価なものに変わっていたと思う。それと速度を等しくしてお姉ちゃんは綺麗になっていった。
そして、決別の日。
お姉ちゃんはママのお見舞いに行こうといった。でもそれだけじゃなくて、そのままパパのところは出てしまおうという誘いだった。
私はそれを拒絶した。
だからあの時お姉ちゃんは私を責めたのだ。
『裏切り者』
って。
「三嶋」
佐藤君に呼びかけられて私は慌てて彼を見た。
「なんかぼーっとしている」
「え、別に」
「なあ、三嶋はお姉さんに会っただろう?」
それは佐藤君が言うをためらっていた言葉だった。
突然出てきてびっくりする。
「……会ったらいけない?」
「あまりよくない気がする」
「そう」
私は不機嫌さを隠さずに答える。
お姉ちゃんを悪人みたいに言われるのは私をバカにされているのと同じ気がする。私はやっぱりお姉ちゃんをことは好きだから。
「何で佐藤君はお姉ちゃんを毛嫌いするの」
「だって人の財産を強引に手に入れるなんてあまり褒められたことじゃない。しかも一人や二人じゃないんだし」
佐藤君の憤りはごもっともだ。
でもなあ、家族の縁っていうのは友人みたいに切れるものじゃないんだよね。だからソレが切れちゃっている私は自分に対していつも心細さを感じている。
お姉ちゃんとやりなおせたらいいな、そんな希望は私にもあるのだ。だから気持ちのわからない佐藤君にはちょっといらいらする。
でも佐藤君に憤りをぶつけるのは違う。わからない人は本当にわからない。責めても仕方のないことだ。
「確かに褒められたことじゃないけどね」
私は短くそう答えた。
その短さで少し空気が悪くなる。
「俺もう帰るよ」
そういいだしたのは佐藤君が先だった。
「そう?」
「明日動物園行こうな」
「あ、うん」
佐藤君は自分が先に立ち上がると私の手をつかんで立たせる。おお、ジェントルマンだ。差し出された手はさっきまで冷たいジュースを飲んでいたにもかかわらず温かい。
「行こう」
「うん」
気まずさを少しだけ内包しながら、私達は夜の山を歩き始めた。




