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さて、『ヒロインに向いている人とは』なんてことをぼんやり考えている間にも時間は経過するもので、私は統括侍女さまの執務室へと足を向けました。
「失礼いたします。王女宮筆頭ユリア・フォン・ファンディッド、参りました」
「入りなさい」
ノックの後に聞こえるいつもと変わらない統括侍女さまのお声に、私はドアを開けてお辞儀を一つ。
昔に比べればかなり洗練された動きになっていると思います。
筆頭侍女になったばかりの頃は、結構指導されたもんですよ。
いやあ、なんでこんなこと思い出すかっていうとですね。
(……私、結婚するんだなあ)
そう、思ったから。
私は十歳の頃からこの王城で過ごし、常に誰か先輩侍女やセバスチャンさんたちに見守られ、指導を受け、必死にここまでやってきました。
統括侍女さまも同様に厳しく指導してくださり、時には怖いと思ったことは数知れず。
だけれど、そこに確かな愛情があることを、私は知っていました。
(たくさん叱られて、ここに呼ばれたっけ)
王女宮筆頭になったばかりの頃は当然ですが一介の侍女としての仕事しかしてこなかった私には荷が重い話で、ミスも多かったのです。
もちろん、問題ある失敗はしておりません。
それも経験だとセバスチャンさんがフォローできるところと、私が学ぶべき失敗とできちんと見定めていたのでしょう。
あの頃はまだどこか子供としての甘えもあって『失敗する前に教えてくれたらいいのに!』とか思ったような気もしますが、今となってみればやはり必要な失敗でした。
よく、統括侍女さまに叱られて……それから諭されて、お茶を淹れてもらって。
(でもそれは子供舌だった私の口には苦くて、言えないから我慢して飲んだっけ)
「よく来ましたね、王女宮筆頭。お座りなさい」
「はい」
書類仕事をなさっていた統括侍女さまが私に来客用のソファに座るよう指示してから立ち上がり、手ずからお茶を淹れてくださいました。
あの頃と変わらず、綺麗な所作で……。
(あんな風にお茶を淹れたいって、憧れたんだよな)
今は私もそれなりに綺麗な所作をしていると自負しておりますがね、ええ!
それでもやはり、統括侍女さまが統括侍女である所以と言いますか、やはりキャリアが違いますよね。わかっていますとも。
精進あるのみです。
それにしてもつい感傷的になってしまいました!
結婚するからってまだ結構先の話だっていうのに!
急がされているとはいえ、まだ先ですよね? そうですよね?
さすがに統括侍女さま経由で国王陛下が『三ヶ月後に挙式を予定したから覚悟しろ』とか通達してくるとかそんなことないですよね!?
「……今日来てもらったのは他でもありません。そなたの婚約式から結婚、及びこの城内からの転居などの手続き書類に関して事前の説明をするためです」
「はい」
「それに加え、今後について現段階で決定している人事について話しておこうと思っています」
「人事、で、ございますか……」
「そうです。ただしこれはまだ数年先を見据えた、現段階でのもの。そこまでの間に何かあれば変動するものでもあるため、口外無用です」
「かしこまりました」
結婚に関しての書類云々は予想していたけど、人事もか。
いや、確かに私も結婚したら当面は新婚ってことで休暇も与えられるだろうし、しばらくは勤務形態も……プリメラさまが遠方に公務ということがなければ、基本夜勤で詰めるのは入れられないだろうし……。
そう考えるとやっぱりこれは、増員!?
「さて書類に関しては基本的に婚姻後に名前と爵位が変わること、そちらはおそらく貴族院側から通達が来るのであまり気にしなくてよろしい。ただし家名が変わるだけでなく新たなる爵位を賜るのですから当主夫人という立場から家紋入りの何かは常に持ち、身分を明かさねばならぬ場合は使いなさい。できれば指輪が良いのでしょうが、そこはそなたの裁量に委ねます」
「はい」
これは妥当な話だった。
まあそりゃそうよねっていう。
侍女服のお仕着せを着ているとはいえ、王城の、というか王宮側の侍女って割と貴族位にある子女が多いですから……。
その関連でトラブルが起きたときに、家名を盾に難を逃れるなんてこともあるそうです。
とはいえ、威光を振りかざすのはダメです。
いつぞやのスカーレットみたいに周囲から鬱陶しがられちゃいますからね!
使いどころは見極めて、ほどほどに。
ちなみに私の現状である〝子爵の娘〟程度では実に弱いんですよね。
愛人に……とか押し切られて断ったら圧力をかけるぞ! ってことが過去にあったらしいので、貴族令嬢である侍女たちはこれを習っています。
とはいえ、私は『夫人』になりますので令嬢よりもその効力は強くなります。
子爵令嬢と子爵夫人ではまず声をかける頻度も変わると思いますけども。
というか既婚者にそんな声をかける人が王城内を闊歩しているとか思いたくないですしね!?
(しかし、家紋入りの指輪かあ)
確かにしている人はちらほら見かけますね。
業務上邪魔になることも多いので、私は指輪はしない派ですが……結婚指輪を外したくないって人もいますから、既婚者に関してはそれが許されていますし。
私の場合はやっぱりネックレスに通して身につけるとかそんなんでもいいですかね。
裁量に委ねるって仰ってますし。
「……遅くとも来年の今頃までには婚儀を終えていてほしいと、あの方が仰っています」
はあ……と深いため息を吐いて統括侍女さまがそう言いました。
うーん、それって国王陛下ですよね。
普通に考えたら無茶ブリィィ!
って言う所ですが、そう言ってなかったことにできないのはこの国のトップの発言だからこそ。
統括侍女さまも頭痛いって顔してらっしゃいますもんね……大変ですね……。
「それにしてもとうとう結婚ですか。急かされるばかりとはいえ、めでたいことには変わりありませんね。わたくしは婚儀に参加できるかもわかりませんから、今のうちに言っておきましょう。おめでとう、幸せにおなりなさい」
「……はい、ありがとうございます」
ふわっと笑った統括侍女さまのその笑みが優しくて、つい泣きそうになるのをグッと堪えました。
ここで泣くのは、きっと違うと思ったのです。
婚儀に参加できるかどうかはお仕事の都合もありますし、そこは仕方ありません。
もちろん、参加していただけたらとても嬉しいですが統括侍女さまは私よりももっと責任ある立場の方である以上、動けないこともありますから。
でも、なんというか。
やはり幼少の頃から尊敬していた方に、こうして祝いの言葉をいただけるというのは、とても……胸に来るものがあります。
「そなたには厳しいこともたくさん言いました。それでもこうして筆頭侍女になり、立派になってくれたこと、とても嬉しく思います」
「……そんな。私こそ、統括侍女さまには多くのことを学ばせていただいております」
「過去形にはしないのですね」
「今も、これからも。統括侍女さまは私の指針です」
この方が厳しいのは、自身に対しても厳しいものであること。
その教えはどれもこれも、私を助けてくれるものばかり。
私は統括侍女さまほど厳しくはなれません。そして、ならなくて良いのでしょう。
この方のように立派だと自身を認められていないですし、私が教える子たちに対して良い指針になれればと思うだけで……なれているとまでは、思っていません。
私は思い上がってはいけません。
上には上がいて、私が目指している限り私は上を目指せるのです。
そして目指すそこには、いつでも統括侍女さまがいてくださるのです。
「……ありがとう」
思えば、王城で暮らす中で統括侍女さまもまた私の保護者のような方でした。
他の宮の責任者たちは、年若い私を侮ることはありませんでしたが、どこか甘かったような気もしますし……そもそも彼女たちも忙しい方々ですから、そう一緒に過ごしたわけではありませんが。
一般侍女だった頃はお世話になりましたけどね!
「それで、人事ですが。こちらは王妃さまからの伝言もお預かりしています」
「王妃さまの……!?」
なんとなく昔を懐かしんでほっこりしていたら、統括侍女さまがしれっととんでもないことを仰いました。
なんで人事に王妃さまの名前が出てくるのかな!?




