423 母の楽しい悩み
今回はアリッサさま視点です。
「大丈夫かしらねえ、あの子たち……」
「奥さま……」
わたくしの言葉に、侍女が困ったような顔をしている。
それでも、心配なものは心配なのだ。
(生まれてくる腹を間違えただなんて、アルダールには言ったけれど)
わたくしが結婚した年齢とあの子の年齢を考えれば、どだい無理であると誰でもわかる、詭弁にしかすぎない言葉だろうと思う。
それでも、そうであってくれたらとわたくしは思うのだ。
確かに腹を痛めて産んだわけでもなければ、赤子の頃から育てたわけでもない。
幼少期、とても従順で優秀な子供だと思い心配になるくらい、アルダールはよくできた子供だった。できすぎた子供だった。
自分でも、どうしてここまであの子のことを我が子として愛せるのか説明はできない。
ライラがあの子の実母であることも、あの人がわたくしと結婚する前に彼女に対し、責任感から結婚を申し込もうとしたことも、わたくしの中では……今でも、消化し切れていない部分はある。
それでも、表に出さないのは、伯爵夫人としての矜持であり、一人の女としての意地でもあった。
そんなアルダールが、今、ライラと対峙するのだと聞いてどうして心穏やかにいられるだろうか。
あの子にとって実の母親という存在は特別だということは、誰の目にも明らかだ。
それがひどい形で裏切られても、なお、あの子にとっては特別なのだろうと思う。
(いいえ、……わたくしを、あの子は母と思ってくれていると……そう、言ってくれたわ)
家族間に溝があることはずっと気にしていて、それを埋めるためにわたくしなりに努力を重ねる中で、アルダールが恋をした。
何もかもを諦めてしまったあの子が大切に思う人を見つけたことを、喜ばない母親などいるだろうか?
そして、結婚するのだと報告を受けてどれだけ嬉しかったことか!
あの夜に、アルダールはユリアさんがいないところでわたくしのことを『母と慕っている』……そう、言葉にしてくれた。
(だから今更、ライラに母親の座を奪われるとかそんな小さなことで悩んだりはしないけれど)
でも息子がまた傷つくかもしれないと思うと、未来の義娘となってくれるユリアさんに対しても失礼な真似を仕出かしているんじゃないかと思うと気が気でないのだ。
ライラの境遇には同情する。
あの流行病の頃、夫がどれほど追い詰められていたのか、妻の立場として当時の資料を読むことのできるわたくしは理解している。
まだ跡取りであったから、騎士である立場の方を優先して生きていても許されていた夫は流行病で先代であるお義父さまを亡くし、困難極まりない状況で当主とならざるを得なかった。
頼りにしていたお義母さまも流行病に罹り一命は取り留めたものの、アルダールが生まれて程なくして亡くなられてしまった。
親族たちは優秀な指導者を失い、それらの期待を武にだけ生きてきた若者に押し付けた結果、彼は寝る間も惜しんで働かねばならず、ライラに対してのあれこれが未熟であったことは今でも文句は言いたいけれど……それでも、彼だけを咎めるわけにはいかないのだと思う。
(アルダールは、ユリアさんと出会って未来を望んだ)
きっと、あの頃から一歩も前に出られない夫と、ライラにとってはアルダールという存在は眩しくて、憎らしくて、愛しくて、なんとも複雑な感情の対象なのでしょうね。
わたくしからしてみれば、どこまでも不器用な、夫と同じように不器用な、ただの若者に過ぎないのに!
(まあ、親の欲目で物を言うならば……なかなかの好青年だと思うけれど)
きっと親族からはあの子が独立することや、ユリアさんを娶ることについて文句の一つや二つ、出てくるのだろうけれど。
それに関してはあの子たちの手を煩わせてなるものか。
親として、あれもこれも後手後手で遅れてしまいできなかったことを、今からすると決めたのよ。
(まあ、ユリアさんを娶ることに関しては高位貴族たちからも横やりが入りそうだけれど。……そうね、おそらくはあの方たちも見越して動かれておられるでしょうけれど、一度連絡を入れてご挨拶をしておくべきね)
どうせ心配でわたくしも落ち着いてなどいられないのだ。
伯爵夫人の立場であれこれと動いている方がまだマシだろうとわたくしは温くなった紅茶を置いて、侍女を振り返った。
「ねえ、お手紙を書きたいからレターセットを準備して頂戴。それからお茶を淹れ直してくれるかしら? そうねえ、今度はフレーバーティーがいいわ」
「かしこまりました」
お手紙は二通、自分よりも上位の方にお手紙を送るのはいつだって緊張するけれど一文字一文字、丁寧に。
礼を尽くしてお手紙を記せば、あの方々は無下にはなさるまい。
それに、なんだかんだユリアさんの味方であるあの方々ならばきっと彼女がアルダールを好いてくれている限り、あの子にとっても味方であってくれるに違いない。
(それにしても、あの人は何を考えているのかしら?)
ユリアさんとの婚儀自体を反対しているようには思えないし、今更父親らしく息子の成長に対し壁にでもなっているつもりなのか、それとも他に思惑があるのか。
そうだとしたら、妻として正してあげなければならないところなのだけれど…… 。
(そもそもあの人、考えることが苦手なんだから妙なことをせずにいけばいいのに。変に気を回したりするから失敗するんだし……武人として下手な小細工は苦手だというなら、それこそ真っ向勝負でいいじゃないの)
ここにはいない夫に対して、ふつふつと怒りを覚えるけれど我慢我慢。
あの人なりに考えがあるなら良いし、今は王城でやることがあると言っていたから帰って来られないのも仕方ない。
ただ、アルダールとユリアさんがこちらについたらしっかりともてなして休ませてあげてほしいと事前に連絡を寄越してくれていたことは、及第点ね。
なんせ、そもそもあの子たちに苦労をかけたのは他でもないあの人なんだからこのくらい当然よ!
そう言いたくてもバウム家当主の意向に対して苦言を呈することはできても逆らうことができなかった点ではわたくしも同罪かしら。
アルダールのためになる、分家を立てぬことを縁戚の者たちに納得させるには確かにそれなりの功績が必要であるとわたくしも思ったのは、事実なのだから。
(でもこれで、ようやく……)
ユリアさんに結婚を申し込んだと笑ったあの子が、わたくしと夫のように仲睦まじい夫婦になりたいと、わたくしのように子を慈しむ親になりたいとそっと告げてくれたあの言葉を、アルダールの未来を守りたい。
そのためならばあまり好きでもない社交もこなすし、縁戚たちを威圧する本家の女主人でもなろうというものだ。
きっとユリアさんにはユリアさんなりの苦労がこれからはあるのだろうけれど、そちらは周囲が助けてくれるのでしょうね。
彼女は自分がこの国の美的観点でいえば望まれる美女ではないなんて笑うのでしょうが、家庭的で人を扱う術を知り、下の者としての気持ちを理解し、貴族たちの情勢や心情を察して行動できるという、わたくしたちのような〝女主人〟から見て喉から手が出るほど欲する能力を持っているのだもの。
補って余りあるどころか、それだけで十二分でしょう!
(それに、アルダールじゃないけれど、彼女は可愛らしい人よね)
確かにこう、華があるともてはやされるタイプではないけれど、ゴテゴテと着飾るよりもシンプルに、彼女の柔らかな雰囲気を最も引き出せるドレスを未来の義母としてプレゼントしてはだめかしら、だめよね……重たいわよね。
姑好みのセンスないドレスを贈られて困っちゃうって愚痴をお茶会で耳にしたことがあるし、いえ、自分のセンスがそんなおかしいとは思わないし、嫁いびりとかそんなこと考えていないから彼女に似合うものをきちんと選ぶつもりだけれどユリアさんがどう思うかよね、そこが大事だわ。
(さすがに義母からいきなり服が贈られたら困っちゃうわよね、仲良くなりたいだけなのだけれど……ああ、どうしたらいいかしら!)
手紙を書き上げて侍女に託し、わたくしは新しい紅茶に口を付ける。
そうこうしている間にも時間は経っていたらしく、執事がわたくしの元へとやって来た。
「奥さま、アルダールさまとファンディッド子爵令嬢さまがお戻りになりました」
「そう! では出迎えなくてはね。二人も疲れているでしょうから、甘いお菓子とお茶を準備して頂戴」
ああ、こんなに楽しい悩みが来るなんて!




