362 知っていた、知りたくなかった
今回はエイリップ・カリアン視点になります。
バルムンク公爵がその場を去った後、周囲は騒然としていた。
俺は押さえつけられるまま、ただただ、現実が受け入れられなかった。
伯爵家に生まれ、待望の男児だと言われ続けた。
パーバス伯爵家では女の価値は男に仕えるだけだと言われていた。母親も静かに、父親の後ろをついて歩いていたし、当主であった祖父の妻、つまり俺の祖母だってそうだったのだからそれが当たり前だったから。
それが、崩れたのはいつだった?
俺の前に立つ、女の姿を見上げる。
(お前が、どうして!)
立つ女と、地に押さえつけられる俺。
どちらが正しいと周囲が判断しているのかは、明白だ。
俺がなにかを言おうとするのを周囲が許すことなく押さえ込む。苦しさに、呻いた。
(どうして、貴様ばかり)
ユリア・フォン・ファンディッド。
取るに足りない子爵家の、見目も平凡以下と言っていい地味女。
金の髪も、青い瞳も、愛想もない、そんな女ばかりがどうして周りに評価されるのか。
「ユリアさま、行きましょう! 後はきっとあちらの騎士団の方たちがやってくれますよ!」
「え、ええ……でも」
「いいからいいから!」
ああ、クソ、待て!
貴様が俺を一言『許す』と言えば、周りに取りなせば、それで済むのだと何故わからん!
俺は、パーバス伯爵家の跡取りなんだぞ。青き血筋の、男を立てるのが女の役割だろうが!
それを言いたくても押さえ込まれて声が出ない。
どいつも、こいつも……なぜだ、なぜだ、なぜだ!!
「そろそろ放してやって、彼の部署で裁かせるのがよろしいのではなくて?」
遠ざかったあの女に代わって、同じ衣装を身に纏った女が俺を見下ろしていた。
赤毛の、小生意気な顔で俺を冷たく見下ろす女は、確か……侯爵家の娘だと名乗っていたことを思い出す。
ようやく緩んだ拘束に、俺は喉を押さえた。
まともに呼吸ができて、押さえ込まれていた胸部が痛んだ。
「いい加減に学んだらどうかしら。あの方に迷惑を掛けないでいただきたいわね。貴族の面汚しが」
「なん、だと……」
「ワタクシは侯爵令嬢としても、ユリアさまを尊敬しているわ。それは、未熟であったワタクシを導いたその手腕と、令嬢としての手本を示してくださったからよ」
「なに……?」
「バルムンク公爵さまも仰ったでしょう」
俺に対して臆することなく、真っ向から睨み付ける小娘に生意気だと怒鳴りたいのに何故かその言葉の続きが知りたくて、俺は押し黙った。
「あの方は、ご自分の役目をきちんと担い、全うなさっているの。身分がどうこうアナタは言うけれど、それすらできてない男があの方に偉そうになんかしないでくださる?」
ふふんと顎を反らして笑う小娘に、瞬間的に怒りが湧いた。
カッとなって思わず拳を振り上げたが、まだ立ち上がってもいなかった俺の拳が届くはずもない。悔し紛れに振り下ろした拳を廊下に叩きつければ、痛みが襲う。
当然だが、そのおかげで幾分か冷静になれた気もする。
「俺が、この俺が、役目を担っていないとでも言うのか」
「そうでしょう? 伯爵家の名前だけで偉そうにふんぞり返って、アナタなにができるの? 兵士としての役目もこなさず、伯爵家の名前だけに縋って」
ふんぞり返っていたかと思うと一転、真面目くさった顔をした小娘がびしっと俺を指さした。
そんな小娘の後ろで、英雄の娘が顔色をなくして俺たちのやりとりを見ていた。
周囲も止めない。
「ワタクシは侯爵家の娘。それを誇りに思っているわ。だけど、それだけじゃ示せないってユリアさまに諭されて、知ったわ」
「……あの女に、なんの価値があるというのだ」
「そんなの、あの方を慕う人間が決めるんだからアナタには関係なくってよ。とにかく! これ以上ユリアさまにつきまとわないでくださるかしら!」
言いたいことだけ言って去って行く小娘に、俺は文句を言ってやりたかったがなにも思いつかなかった。
今の俺は、パーバス伯爵家の人間だと名乗ることを許された、ただの貴族でしかない。
失態続きだと俺を見捨てた父親は、あの女の許しを得て周囲と繋がりを作れとしか言わず、俺を助けようともしなかった。
頭を下げるなど論外だと思っていた。
だが、もし……俺が間違っていたなら?
今の俺は、ただの貴族でしかない以上、あの女よりも立場は下なのだ。認めたくないが、それは事実だった。
「クソ……」
今の俺は、なにもない。
地位も、権力も、……俺のモノだと信じていたなにもかも。
伯爵家の男として、俺は優秀だと信じてやまなかった。
だというのに俺よりも強い人間も、博識な人間も掃いて捨てるほどいる。
それも、俺よりも身分が低い人間に、だ。
あのアルダール・サウル・フォン・バウムがいい例だ。
俺と同じ伯爵家の人間で、長男で、近衛騎士。
だが庶子であり、弟に将来は顎で使われる立場だと思えば溜飲も下がった。
それなのに、周囲はあの男を評価する。剣聖候補だなんだと……。
(ああ。そうさ、知っていたさ)
居丈高に振る舞おうがなんだろうが、許されていた。
いいや、許されていたのは伯爵領の中でだけ。
子どもの頃はともかく、大人になってくれば見えてくる現実というものを俺だって理解できている。
知っていたさ。
知りたくなかっただけで。
(……もう、いいんじゃないか)
無責任だと言われようが、なんだろうが。
伯爵にいつかはなれるのだと、それだけを慰めに生きてきた。
好き勝手しても、みんなが俺をあざ笑っているように感じていた。
だからこそ余計に腹が立った。
あの女は、俺に怯まなかった。媚びなかった。
脅しても、傷つけようとしても、嘲ろうとも一歩も引くことなく俺を睨み付けて意見を言った。
(認めてやる)
あの小娘が、あの地味女を慕う気持ちは理解できない。
だが、価値があるのは――なにも持たない俺じゃなくて、なにかを得ようと努力したあの女の方だということは、認めざるを得ない現実だ。
のろのろと立ち上がる。
俺が暴挙に出るんじゃないかと寄ってきた兵士の手を振り払い、俺は詰め所へと歩き出した。
押さえ込まれた箇所が痛んだが、今はそれで良かった。
「あっ……」
「なんだ」
「……なんでも、ない、です……」
英雄の娘がなにかを言いかけたが、結局なにも言わない。
見た目は悪くないと思ったが、今はその清楚ヅラが妙に気に食わなかった。
罵倒の一つもしてやろうかと思ったが、今はなにも思い浮かばない。
舌打ちをして、今度こそ振り返らずに俺は歩き出す。
ああ、そうさ。
なにも持っていないなら、これから俺はパーバス伯爵家とは別に俺自身の力で成り上がってやる。
たとえ、どれほど時間がかかろうとも。
あの女に、俺と縁戚であって良かったと言わしめてみせる。
アルダール・サウルのやつが歯がみするほど良い女を手にしてみせる。
地位も名誉も、努力でどうにかなると思うほど馬鹿じゃない。
だが、俺は貴族の、青き血筋の男なのだ。
そこいらの連中に劣るはずがないのだ。
(そうだ、親父を超えてやる。俺は、俺自身の力でいつか親父すら屈服させてやる)
お祖父さまに頭が上がらなかった親父よりも、お祖父さまに愛された俺の方が優れているに違いないのだ。
ああ、そうさ。そうに違いない。
この、エイリップ・カリアンを馬鹿にした連中に、いつか目に物見せてやるのだ!




