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「……どこから、話そうかとか前にも考えたことがあったんだ」
アルダールは私の手を握ったまま、また曖昧に笑って見せた。
「色々考えたけど、やはり最初からきちんと説明するべきだろうと思う。少し、長くなるけど」
「構いません」
少しだけ、視線を彷徨わせて。
アルダールはため息を吐き出した。
「ええとね、私は……まあ、バウム家の複雑な家庭事情っていうのは有名だから知っている通りなんだけどね。私の母親というのは、あー……うん、まあ。父の、初めての女性でね」
「え?」
「ユリアも知っての通り、名門貴族というのは……うん、まあ。正式に妻を娶る前に、嫡男や跡取りである男に経験を積ませるため、あと腐れの無い女性をあてがうという風習が残っているところがあるだろう? それで、私の母というのは『そういう』人だったんだ。なんでも、家人の娘だとかそういう立場の女性だったと聞いているよ」
うわあ……いや、アルダールの出生とかそういうのに関わる話だって思ってましたけど。
思ってましたけどね!?
まさかの話で……ああいや、でもないワケでもないか……。
私だって人伝いですが、聞いたことありますしね。名家の跡取り男性が、やっぱり名家の女性を妻に迎えた際にどうしていいかわからずオロオロするとか、辛い思いをさせて拒否されるとかの事態を避けるために、ある程度あと腐れない相手を用意して練習するって話は……うん、ちょっと嫌な話ですが聞いたことはあります。あんまり良い風習とは私は思ってませんけど。
あと、男の人のプライドがどうの、というのも先輩侍女から聞いてますし……いや、ほら私も前世のこともありますし耳年増っていうかなんていうかね? うん、いやいや、ほら。あれです。どれだ。
名家となると人の噂も問題だから、商売の女性とかは頼れないって聞いてます。うちみたいな弱小だとどうなんだろう、……え、待ってうちの天使はどうなんだろう!?
いやいや今はそれじゃないな。
っていうかその女性が誰かまでなんでアルダールは知ってるんだ?
「……聞いたって誰からなんですか?」
「それは、まあ……」
曖昧に濁そうとしたアルダールでしたが、ゆるく頭を左右に振りました。
意を決したように私を見て、ちょっとだけ口ごもって。
「私は望まれて生まれた子供じゃあなかった。『そういう』相手だったからね、偶然……としか言いようがなくて。けれど生まれたのは健康な男児だ、さすがに金を握らせて終わりというわけにはいかなかった。今後正妻を迎えても、男児が生まれるとは限らなかったから……」
だから、アルダールは城下にあるバウム別邸で乳母をつけられ育てられた、ということらしい。
そしてまったくもって彼に責任はないのに、期せずしてコブ付きになったバウム伯爵さまの嫁取りに傷がついただのなんだのと周囲があれこれ聞かせてくれたんだそうだ。
(……なんてこと)
そりゃあ口ごもりたくもなりますわ!
アルダールもあんまり話したくない内容だったからか視線を彷徨わせてますしね!
ここは私が狼狽えてはいけない。そう思いました。
「まあ、そういうこともあってね、私はいつか追い出されるんだろうと子供心に思っていたんだ。その頃はちょっとまあ、荒れていたというか、なんというか……それで、親父殿が義母上を正妻に迎えてから二年くらいだったかな。ディーンを身籠った時、私のことをどこかで聞いたのだと」
「え、それまでご存知なかったのですか?」
「うん。周囲は徹底して私の存在を隠していたらしい。とはいえ、人の噂は止められるものではないからね、義母上がそれを耳にして、私を迎えることを親父殿に提案したと聞いているよ」
「……」
「それで迎えられた時に、親父殿にはっきりと言われたよ。『跡を継げるものだと思わないで欲しい。……息子よ』ってね。正直に言うとそれまで一、二回しか会ったこともない親父殿だ。そんな風に言われるとますます要らない子供だったんだなあと思ってしまって」
なんとまあ!
前回お会いしたバウム伯爵さまは、確かにアルダールの方をあまり見てなかったけど……でも言葉の端々にはアルダールを家族の一員として見ていると思っていましたが。
どういうことだろう、奥さまに言われたから渋々、とか?
「ああ、いや。それは私の考えすぎだったんだけどね、親父殿も自分の手違いで生まれたのに面倒を押し付ける形になってしまった息子に、どう接して良いかわからなかったらしいんだ。ディーンと同じで武門一辺倒な親父殿だからね。そのことを知ったのはつい最近なものだから、今更仲良し親子というのもなんだか違う気もするからちょっと……ディーンには気を遣わせていて申し訳ないなとは思うんだけど」
「まあ……」
ちょっとコメントに困るよね!!
っていうかバウム伯爵さま、不器用過ぎない? 奥さまが気を遣って離れて暮らす息子を迎え入れてくれたのに、跡取り問題とかで奥さまに気を遣ったつもりが超裏目ですからねそれ。
「で、まあそれが前提で。私はこの家に必要のない子供だとわかっていたからね、表向きは欲しがったりなんかしない良い子を演じてないと即座に追い出されると思っていたわけなんだ」
でも、アルダールに言わせればそれは表面上のこと。
いずれは追い出されるのに今更親気どりか、とかまあ一桁の年齢からグレてた内面を抱えていたってことですね。
で、どうせ追い出されるんなら折角だし剣を修業しよう、武門の一家だけあって修行する場所には事欠かなかったから、という。そして親父殿経由でお師匠さまに出会って、そのハングリー精神を買われて……ってことだったそうです。
うん? 内なる獣ってハングリー精神のこと?
「うーん、いや、おそらくだけど。その、良い子を演じるのにストレスを感じていてね? 元々は結構口が悪かったり悪餓鬼だったんだよ。師匠はそういうのに頓着があるどころか、あちらの方がやんちゃだったから私がそういう振る舞いをしても気にしていなかったし……多分そのことをギルデロックに話してたんだと思うんだ」
「え、そんなにやんちゃだったんですか?」
「といっても、師匠に剣で勝とうと必死になってたくらいだよ。賭け闘技場とかに連れて行かれたりとかもあったけどね……そこは後で親父殿が師匠に抗議したようだけど」
「……アルダールがやんちゃだった、……ちょっと見てみたい気がしますね」
「うーん。ディーンよりも、もうちょっとこう……活発と言うか、生傷が絶えないとかそんなものだよ? あと、まあ、ちょっとばかり口が悪かったとか。家に戻ってからはちゃんと大人しくして、っていう差が激しい子供だったとは思う」
ちょっと言い訳のように慌てるアルダールの姿が、新鮮で。
深刻な話なのに、思わず笑ってしまいました!
「あんまり面白い話じゃなかったろう」
「いいえ、でもアルダールのことが知れて良かったと思います。獣っていうから私てっきり」
「うん?」
「女性関係かと思っ……いやなんでもありません」
「へぇ?」
おっと失言。
いやいや、ちょっとしたブラックジョークですよ。そうですよね、一般的ですとも!
「え、あれ、アルダール、あの、顔が怖いですよ? 笑顔で怖いですよ?」
「うん、ユリアが私のことをどう思っているのか改めて話し合う必要があるかなと思って」
「いやいやただのブラックジョークじゃないですか、ほらほらジョークですジョークです、空気を読まなくてすみませんでした!!」
アイアンクローは勘弁です。砕けます!
そう思って思わず頭を下げそうになる私に、アルダールの手が伸びてきて顔を上げさせられました。
まったくもう、って感じで笑うアルダールは怒っていないのかなってちょっと期待しました。
「じゃあお詫びに、ちゃんと私のことをどう思っているのか言ってくれるかな?」
「え」
「私の恋人、と啖呵をきってくれるくらいには、私のことを好いていてくれるとは思うけどね。ユリアはあんまりそういうことを口にしてくれないからなあ」
「ええ……!?」
いや、ほら態度で示してるつもりですけどね?
いや、うん、あれそう言えばアルダールからはいくつも言葉をもらってるし贈り物とかもされてるけど私はどうだったかな?
いやでも、え、あれもしかしてこれすごくピンチじゃね!?
ちょっと真面目に話してるかと思いきやお前ら、という!




