12.二度目のはじめまして
「人の顔を見て吐くなんて、酷いじゃないか」
何度目かの変わらない景色。
どこまでも続く空。そして、微笑む残忍な悪魔。
「さぁ、選んでよ。7日以内に魔王に奪われた悲しみを取り返してくれたら、君を生き返らせてあげよう。」
叫びたくなる声を、必死に堪える。
何度目の繰り返しだろう。まだ二回目か。指輪に埋め込まれた宝石は――やはり、一つ減っている。
残りはあと一つ。つまり、あと一度しか過去に戻ることは出来ないということか。
私は、あの悪魔に負けた。手も足も出なかった。貴重な一回を無駄にしてしまったという後悔は、拭えない。
あいつの存在は、この世界の道理なんて超えた存在。例えこの世界が、私が想像したものを自由に生み出せる空間だとしても、敵うはずがない。
「…………何が目的なの」
「さっき言ったじゃないか。悲しみのない、均衡が失われた世界を、調和を望む私は見過ごせないのさ」
嘘つき。水面の下のざらついた地表を、握りしめる。
戦おうとした瞬間、悪魔は闇の怪物のような姿に変わり――そして、私は殺された。
こいつの目的は調和なんかじゃない。世界に悲しみを振りまいて、それを食べること。人間のことなど、食用の家畜としか思っていないんだ。
「さぁ、やるかい?」
私は、悪魔には勝てない。
ならば、どうするべきか。
目を瞑って思い出すのは、たった一つの背中。
ベル様ならば、あの悪魔に勝つ術を知っているかもしれない。ベル様ならば、この運命を変える手助けをしてくれるかもしれない。
本当に、それでいいのだろうか。僅かに躊躇う。
悪魔の提案を飲んで、もう一度あの世界に行ったとして。そうすればベル様はまた、私のせいで死んでしまうかもしれない。
一度目のループの結末が、私の胸を締め付けていた。
私はこのまま死んだ方が、ベル様のためになるんじゃないか。このまま死ねば、ベル様は私を知らないまま、普段通りの毎日を送るだけ。
本を眺めて、硬いパンを食べて、ベルガの散歩をして。だけど、そんな日常なんて――。
「……わかった。引き受ける」
約束したんだ。一緒に本を読んで、一緒に人間の街に行くって。
そのためだったら、何回でも死んでやる。
私の返事に、悪魔は目を細めた。
「健闘を祈るよ」
胸を抉られるような痛みなんて、ベル様を失う痛みに比べれば、何でもない。
例えベル様が、私のことを覚えていないとしても。もう一度あの手を握るためなら、もがいてやる。
* * *
視界は、一面の吹雪に奪われていた。
氷の刃のような風が、肌を切り裂くように吹き荒れる。
おかしい。私がこの世界に来たときは、こんなに悪天候じゃなかったはずなのに。
分かれ道の真ん中に立つ看板は、半分ほどまで雪の中に埋もれている。
指輪によるループの力は、完全ではないのだろうか。
とにかく、まずはベル様に会わなきゃ。
そしてもう一度、ベル様と心を通わせるために。
「おーい!こんな吹雪の中で、どこに行くんだい!」
聳え立つ漆黒の城が見えたところで、呼び止められた。
振り向くと、いつか見た雪男が私のあとを追いかけていた。
「そっちは魔王城だよ。人間の村は反対だ」
「わかってる」
「まさか、魔王城に用があるのかい?一体どうしてさ、あんなつまらない奴」
「ついてこないで!」
追いかけてくる雪男を制止する。
もし雪男が魔王城までついてきてしまえば、ベル様と出会う未来が、変わってしまうかもしれない。
そんな危惧だった。
「そんなに怒らなくたっていいじゃないか。変なやつだな」
心優しい雪男の気遣いすらも追い払うようにして、吹雪の中をざくざくと進む。必死だった。
胸に抱いている不安は、悪魔に対するものではない。ベル様に対してのものだ。
月明かりの下で見つめた優しい眼差しは、私の中にしかない。この世界には、無いものなのだ。
本当に私はもう一度、ベル様に手を握って貰えるだろうか。
もう一度、同じ運命をなぞることはできるのだろうか。
凍てつく両手を擦り合わせながら、なんとか辿り着いた魔王城。
私は覚悟を決め、鍵のかかっていない扉を押した。
「あの、すみません……!」
空虚な冷たい城。その中を私の声だけが反響する。
そのまま、二階へと続く階段へ。
埃くさい手すりも壁の装飾も、何もかもが懐かしく感じられる。血溜まりはない。やはり、世界は7日前に戻っている。私とベル様が出会った日へ。
この階段の上が、私とベル様が初めて出会った場所。そこで、私はベルガの突進をくらって、階段から落ちて――。
「何者だ」
鋭い視線と、冷たい声。真っ黒な外套。
階段の先からこちらを見下ろすようにして立つ影。
それは、例え何度命を失っても、そばにいたいと私が願った人。ベル様だった。
「そこで何をしている」
やっぱりまだ生きている。よかった。そう安堵したのも束の間、氷の花弁のような赤い瞳には、かつての優しさはない。
思わず、息をのむ。
ベル様に、私と過ごしたあの世界線の記憶はないのだ。冷たくなるのは当たり前で、何もおかしいことじゃない。だから、悲しむ必要はないんだと。必死に自分に言い聞かせる。
記憶があるのは私だけ。ベル様にとっては、“初めて出会った人間”に過ぎない。
また一から、やり直せばいいだけなんだ。
「私は、」
どう話すべきか迷った。
本来なら、ベルガが突進してきて私は階段から落ちて気絶するはずだった。
だけど、そうはならなかった。多分、雪男との問答や吹雪のせいで、城に着く時間が前回と違ってしまっていたせいだ。
「道に、迷ってしまって」
「人の村までは一本道だろう」
赤い瞳が、睨むように私を訝しむ。
一度目のときには、見たこともない表情だった。
知らない展開。それも、良くない方向に進んでいることに焦る。
「その、酷い吹雪で……雪が止むまで、このお城にいさせて貰えませんか?」
雪が止むまで。私のひと言に、ベル様の瞳は氷のような鋭さを放った。
何か、間違ったことを言ってしまったのだろうか。そんな不安が込み上げる。
「…………好きにしろ。変な真似をしたらわかっているな」
それだけ言って、ベルガを連れて書斎に消えていく背中。
ひとり廊下へと残されて、その背中をただ見つめる。
未だに肌に残る、殺意すら込められた刺々しい視線の感触。
込み上げる感情は虚しくて。何と声をかければいいのかも見当たらない。
私は、何を間違えたのだろう。前回の私と、何が違ったんだろう。
迷子のふりをして、城への滞在を頼み込む。それは前回も同じだったはず。違うとすれば、ベルガとぶつからなかった事。私が気絶しなかったこと、くらいだろうか。
いや、今は分析している場合じゃない。前を向くしかないんだ。タイムリープは、残り一回分しか残っていない。動き始めてしまったものは、止めることはできないのだから。
「ベル様っ」
ベル様の背中を追いかけて、書斎に一歩踏み出す。
焦っていた。取り戻さなくちゃと。
一度失ったベル様との思い出。関係。時間。少しでも早く取り戻して、元のルートに戻さなくちゃと。
それは、自然とこぼれる言葉にすら、注意を払えないほどに。
「誰だ、それは」
侮蔑の色の宿った、不快そうな視線が刺す。
窓の向こうの雪。暖炉。本棚が並ぶ部屋で佇むベル様。何度も見た景色のはずなのに。
それなのに。目の前にいるのは、ベル様なのに。
「……いえ、なんでもないです」
続く言葉を探して、視線が泳ぐ。
前回のときはどうしていたか。本を取って、「文字を読めるのか」と聞かれて。いや、それは二日目だった。一日目はただ部屋で過ごしていた。だとしたら、これも失敗なのか。
「何の用だ」
疑念の込もった、冷たい目つきだった。緊張で口の中が乾く。
越えられない。あの時の自分を。無数に広がった細い糸は、ほんの僅かにずれただけで、儚く切れる。
私とベル様は、運命なんて強いもので結ばれてはいないのだと。自分の傲慢さに、奥歯を噛む。
「……本が、お好きなんですね」
「お前には関係のない話だ」
関係ない。その言葉に、胸が締め付けられる。
話が終わったのならとっとと去れと。そう言われているようだった。
「もう少し、ここにいてもいいですか。」
「なぜだ」
ずっと空回りしている。
回転速度の違う、二つの歯車。それをどうにか無理矢理合わせようとして、不協和音が鳴り響く。その音に焦って、さらに力を込めてしまう。
「私も文字を覚えたくてっ」
「なぜ私が文字を読めないと知っている?」
蟻地獄のように。真っ暗な下り坂を、ひたすら転げ落ちているようだった。
言葉を詰まらせる私に、無表情のままのベル様の冷淡な視線が投げかけられる。
「……もういい。ベルガ、散歩に行くぞ」
「私もっ」
「ついてくるな。貴様の目的が何かは知らぬが、私の世界を荒らす者には容赦しないぞ」
白銀の髪の先が、僅かに浮かび上がる。ベル様の外套を包む、青白い電光。これは怒りだ。脳裏に過ぎる、地下室で数千もの欠片に刻まれた、大蛇の姿。
膝から力が抜けて、床にへたり込む。
「なんでっ……」
残された書斎で。声を押し殺して、床へと叫ぶ。
ベル様にとって、今の私はあの蛇の魔物と同程度の存在なのだ。
理由は簡単だ。ベル様は私のことなんて覚えていないのだから。
「違うっ!!!」
違うんだ、本当の理由はきっとそうじゃない。
覚えているとか、覚えていないとか、そんなことではないのだ。
本当にベル様に足る人間であれば、何度繰り返しても同じ結末を辿れるのだろう。
ベル様の隣に立って、運命すらも相手取って。
だから、私は。私は。
「ベル様と、私はっ」
泣くなと、強く念じる。
繋いだ指先。星の降る夜。本を読む横顔。静かな夜。
私の中に埋められた記憶は、ガラスのように繊細で。スノーボールの中のように、同じ時間が繰り返されている。
泣いてる場合じゃない。全ては、悪魔を倒すため。ベル様を守ると決めたじゃないか。
思い出す。握ったベル様の指先から、力が失われていく感覚を。愛しい体から溢れ出す、血の絶望を。
震える指に力を込めて。
私は立ち上がった。




