98 一人ぼっちの勇者
故郷の村が魔物の群れに滅ぼされたのは、私が11歳の時。
新婚さんで、子供を産んだばかりだったマリアさんも、買い物に行くと時々オマケをしてくれたグランネルおじさんも、村を守る自警団の皆さんも、パパもママも妹のミャンナも、皆魔物に食い殺された。
私だけが生き残れたのは、生き残ってしまったのは、その日は森に薬草摘みに出掛けていたから。
今の世界じゃ、そんな年の子供が森に一人で入るなんて自殺行為も良い所だ。
でもあの頃は未だ魔物なんて何処にもいなくて、獣避けの香を焚き込めた外套を着ていたら其れで充分に安全は確保出来ていた。
なのに私は、あの日、何だかとても不安を感じて、薬草摘みを途中で切り上げ、村への道を駆け戻る。
そう、そして私は、魔物達がぐぎゃぐぎゃと歪んだ笑い声を上げながら、村の人達を食い殺す地獄の宴の最中に、丁度村へと辿り着く。
後で知った事だけれど、世界に大きく澱みが溜まると魔王が出現する風に、此の世界は創られてるらしい。
魔王が出現すると、澱みは指向性を得、魔物として世界の各地に生まれ落ちる。
生まれた魔物は本能的に、自分達の敵である勇者の居所を察知して、其れを殺しに向かう。
けれども勇者の力は強力なので魔物を返り討ちにして、……世界の澱みは浄化されるのだ。
その際に魔物は貴重な素材を残し、世界は富み栄える仕組みになっていた。
勿論、その流れに勇者の意思や都合は考慮されない。
その日、村を襲った魔物達は、私を探して、村にやって来た。
だけどその時の私はまだ勇者の力に目覚めて無かったから、獣避けの香の匂いに、魔物の探知能力も誤魔化されて、私の匂いが強く残ってた村の方を襲ったのだろう。
だから私の故郷の村は、私のせいで無惨に滅ぼされたのだ。
村を滅ぼした魔物の殆どは、未だ発生し始めたばかりだった事もあり、魔狼等の中型以下の魔物達で、四肢や腹部などの柔らかい部分ばかりを喰らい、骨に包まれた頭部には興味を示さない。
私の記憶は、地面に転がったミャンナの、恐怖と苦痛に歪んだ顔を見た所で途切れてる。
魔物は私が全て倒したらしい。
気付いた時は血の海の中に倒れていたが、自分が勇者の力に目覚めた事は、本能的に、或いは世界の仕組みとして理解出来た。
それ以来、私はずっと戦い続けてる。
最初の頃は、神の啓示を受けたとかで、他の人達が私に付いて来ようとした事があった。
でも直ぐに、徐々に強くなる敵に付いて行けなくなって、同じ様に付いて行けなくなって直ぐに壊れる武器に業を煮やした私が敵の頭部を握り潰した姿を見て逃げたのだ。
「化け物」
って呟き、私を怯えた目で見ながら。
勿論別に構わない。
だって其の人の言った事は正しくて、私は勇者って名前の化け物だ。
人里にも出来る限り近付かない様にした。
もし私が人里に行ったなら、其れを追って魔物がやって来る可能性がある。
私は誰かが私のせいで殺されるのは嫌だし、……戦う姿を見られるのだって嫌だ。
食べ物は殺した魔物の肉を焼いて食べ、武器も殺した魔物の爪や牙を利用した。
人間の作った剣や槍なんかの武器に比べれば、魔物の残す素材はずっと頑丈だったから。
そんな生活を、一体どれだけ続けただろう?
私は少しずつ魔王の居る場所を目指して進んだけれど、魔物はドンドン強さを増して、私の進む速度は遅くなって行く。
そんなある日、私の夢の中で、『神』を名乗る存在が話しかけて来たのだ。
多分その時、私の抱いた感情は、憎しみである。
だって本当に其れが神だったなら、私をこんな風にしたのはソイツなのだから。
でも自分が今夢の中に居る事と、夢の中じゃ相手を殺しても意味が無いのは理解出来たから、私は素直に相手の話を聞くフリをした。
何でも今の一人で生きる私は見てられないからと、此の世界の外から応援を呼ぶらしい。
私から全てを奪う原因を作って置いてどの口が其れを言うとは思ったが、私は歯を食い縛って溢れ出そうになる言葉を飲み込む。
神は、そんな私の態度を、他の人間への不信感だと思ったのだろう。
適当な慰めの言葉を口にして、準備があるから一年待てと私に告げて、夢の中から消え去った。
魔王を殺す為に此れまで生きて来たけれど、一年後、応援とやらを神が連れて来るのなら、その時はこんな風に夢では無く、直接姿を見せるかも知れない。
だったらその時、例え敵わないとしても、姿を見せた神を殺そう。
返り討ちにあったとしても、魔王を殺さずに勇者である私が死ねば多少は困るだろうし、他の世界から来た応援とやらの前で大恥をかかせる事だって出来る。
……そう思っていたのだけれど。
一年と言われていたけれど、其れよりも大分早い八ヶ月後、
「遅くなってごめん!」
神を討とうと動き出す直前に、がばっと抱きしめて来たその子の行動に、私の計画は潰された。
正確には、数年ぶりに感じた人肌の暖かさに、私の頭の中が真っ白になってしまったのだ。
返り血の暖かさとは全然違う。
意味がわからない。
其の子は黒髪に黒い瞳っていう珍しい色合いはしてたけれど、とても綺麗な子だった。
髪も、服も、肌も、匂いも。
それに引き換え、私は獣同然の姿をしてる。
極稀に出会って、魔物に襲われてる所を助けた人間は、皆必ず私を見て顔を顰めた。
髪は邪魔にならない様に適当に魔物の爪で切り、時折水浴びをする位が精々の生活を送ってるんだから其れも当然だけれども。
なのにその子は一目あった瞬間から、迷う事無く私を抱きしめ、そして涙を流した。
見下した同情の涙じゃ無く、何故かわからない後悔の涙を。
でも私が戸惑う間に、折角現れた神は消えてしまう。
私は気の迷いで、復讐の唯一の機会を失ったのだ。
……目的を見失っていた事に、酷く落ち込んだ私を、異世界からの応援だって言う三人は懸命に慰めようとしてくれた。
そう、私は抱き付いて来た女の子、一色・紗英に驚かされて気付いて無かったのだけれど、他にも二人、男の人が居たのだ。
如何にも女の子にモテそうな方が渡瀬・岳哉で、とても賢そうな、一度だけ会った賢者って呼ばれてた人に似た雰囲気を持つ方が柳・仁之。
紗英も岳哉も仁之も、とても優しい人達である。
岳哉は魔術で、本人は『四大操作』って名前のスキルだと言ってたけれど違いは良くわからないが、お風呂を造ってくれた。
地面に穴を掘り、掘った穴を岩で覆い、中を熱いお湯で満たして。
一緒に入ったのは紗英だ。
紗英はお風呂の中で私を洗い、髪を綺麗に整えてくれた。
でも正直、其の時の私はもう色々とどうでも良くて、ただただされるがままになってただけ。
しかしそんな心理状態でも、暖かなお湯や与えられた優しさは、心と身体の緊張を緩めたのだろう。
お風呂から上がった私のお腹は、どれくらいぶりにだろうか、ぐぅと音を立てて鳴いた。
そんな私を待っていたのは、仁之が作った、見た事も無い料理の数々。
後で聞いた話だけれど、彼等を派遣した悪魔の王様って人は料理が上手で、仁之は其の人?に料理を教えてもらって腕を上げたらしい。
『どんな状況でも美味しいご飯でお腹が満ちれば、人間は何とか立ち上がれる強い生き物だ。他の二人を支える為にも、君には料理の腕も磨いて貰う』
って言われたそうだ。
悪魔なのに変な人だよねって、皆は笑ってたけれど、私も本当にそう思う。
そして仁之の料理を口にした私は、不覚にも涙をこぼしてしまった。
とても美味しくて、だからこそ悔しくて、憎かったのだ。
こんなに優しさと幸せを、簡単に他人に分け与えられる恵まれた彼等が、とても。
その後は、私は、彼等を口汚く罵った。
魔物とも、魔王とも、神とも、関係なくて、ただ私を助けに来てくれただけの人達なのに。
なのに三人とも私の言葉をずっと聞き続けて、紗英はやっぱり私を抱きしめた。
「私達もそうだった。でも私にはガックンとトシクンが居て、でもね。此処からは、シャンナにも私が居るから」
って言いながら。
そう言う事じゃ無い。無いけれど、でも、紗英の言葉と暖かさは、私を少しだけ落ち着かせてくれた。
此れも後で聞いた話だけれど、紗英も、岳哉も、仁之も、全員が少し前に起きた事件で家族を失ったそうだ。
平和だった世界に突然湧いて出た化け物に家族を殺され、更にゾンビとして起き上がった家族に、殺されそうになったらしい。
だから或いは、私よりも酷い体験をしていた。
でもその場を逃げ出し、昔馴染みだった三人は合流出来て、元居た世界を捨てて悪魔の支配する世界に移動したのだとか。
正直その辺りの下りは、私には今一理解出来なかったのだけれど、大事な事は、彼等は一人じゃ無くて三人だから辛い体験にも耐えれたのだそうだ。
そして彼等は私の話を聞いて、私を迎えに来たのだと言う。
応援に来たんだから、魔王を倒したら帰るんじゃないの?
と問えば、彼等は三人ともが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
共に戦う事になった三人は驚く程に、或いは私を越えて強かった。
停滞していた魔王退治の道程は、驚く程スムーズに、更に快適に進む。
先ず何と言っても仁之が凄い。
彼の持つスキルって力は『接触石化』と、件の悪魔の王様が持たせてくれたって言う食材やらが詰まった『収納鞄』だ。
前者は仁之の触れたあらゆる物を石化させるスキルで、勿論解除も可能な力らしい。
手で触れるだけで敵を石化させるばかりじゃ無く、自分の身体を石化、更に振るわれた刃も、身体に届くと同時に石化させる事で、敵の魔将軍の剣を防ぎ切った。
そう、彼は見た目と裏腹に、実は前衛タイプだったのだ。
凄く賢くて行動決定や戦う際の作戦を立てるのも彼なのに、前にも出て戦えるなんて、仁之には本当に隙が無い。
其れに何時も私が食べた事も無い様な、美味しい料理を作ってくれる。
逆に見た目は一見前衛に見えるのに完全に魔術師タイプなのが、四大操作で地水火風の全ての現象を操れる岳哉。
魔術を使う魔物に囲まれ、一斉に攻撃された時にも、慌てる事無く手の一振りで全部の攻撃魔術を消してしまう。
岳哉曰く、スキルは通常の魔術とは土台が違う力だから、余程力ある大魔術師が相手じゃなければ、攻撃魔術は簡単に打ち消す事が出来るそうだ。
彼は野営の時にはお風呂や防壁を造ってくれたから、私は安眠って言葉を思い出せた。
最後に紗英は『絆』って名前の、信頼し合える仲間と一緒に戦えば、自分も仲間も強くなれるって不思議なスキルと、『回復魔法』のスキルの二つを持ってる。
……初めて絆の力が私にも効果を現した時、皆はとても大喜びで、その日はお祝いをしてくれた。
紗英は、何時も寝る時は私と一緒に寝てくれて、人の暖かさを思い出させてくれたから。
魔王なんて欠片も怖く無くて、魔物への憎しみも何時しか忘れてしまって、私はただ、この旅が終わる事だけを恐れた。
「成る程、そして君は今此処に居る訳だね。うん、シャンナ、君の事は歓迎するよ。僕が君の聞いた悪魔の王様、悪魔王レプトだ。でもね、他の三人はちょっと反省しなさい」
悪魔の王様、悪魔王レプトの言葉に、紗英、岳哉、仁之が石の床に、足を曲げる奇妙な座り方で座ったので、私も真似をしようとする。
とても難しい。上手く座れずに苦戦する私を見かねたのか、悪魔の王様が指をパチンと鳴らすと、椅子が一脚現れた。
戸惑う私に、
「シャンナはそっちに座って。君は『未だ』お客様だからね。其れにその座り方は、慣れてないと辛いよ」
悪魔の王様は着席を勧めてくれる。
結局魔王を倒した後、直ぐに紗英、岳哉、仁之の三人は光に包まれ始めた。
用が済めば異物である三人を、此の世界に留め置く理由は無い。
此の世界の神がどんな存在かを聞いて、仁之が予測した通りの処置である。
だから彼は、予め皆で決めてた通りに、私を石化して収納鞄に詰め込み、悪魔の支配する世界へと持ち帰ったのだ。
「そうしたかった気持ちには共感するけどね、君達があの世界の神に対してしてやったり! ってするとさ、其の後始末をするのは僕なんだ」
その言葉に、三人が俯く。
やっぱり来てしまっては駄目だったのだろうか。
もしも私の存在が、三人に迷惑をかけるなら……。
そう思い、立ち上がって口を開きかけた瞬間、悪魔の王様は此方に向かって手を向けて制した。
「だからね、次からそうしたいって思ってる時はあらかじめ相談する事。何かを願うなら、必ず対価は必要なんだ。騙す形で何かを得ようとすれば、しっぺ返しはいつか必ず来るよ」
そして悪魔の王様は椅子を三人にも出した後、私に向かって話し出す。
神が、基本的に人間の細かな事情に気が回らないのは仕方がないと言う。
神にはどうしようもない神の事情があり、私が居た世界の神は、寧ろ応援を頼もうとした分、本当に私を心配していたとも。
人間である私に神の事情を考慮して恨みを忘れろとは言わないが、其れだけは理解して欲しいそうだ。
「だからね、僕はシャンナ、君がこの魔界に住むにあたって一つだけ対価を求める。其れは君の世界の神性に、君自身の言葉で別れを告げる事だ。勿論恨み言を言っても良いよ。人間への理解の足りなさは、あの世界の神性の罪だから」
でなければ、神や悪魔の基準から言えば、紗英、岳哉、仁之のした事は、単なる誘拐になってしまうらしい。
私は、一度三人を振り返ってから、頷く。
三人と一緒に居たい。其れもコソコソとするのじゃなく、悪魔の王様にも認められて堂々と。
「ん、そうしてくれるなら助かるよ。じゃあ其れが終わったら歓迎会でも開こうか」
そう言って悪魔の王様は笑い、私は新しい居場所を得たのだ。




