90 虚勢の理由と契約
「な、何で」
僕が助けた少女、葉月を腕に抱えた少年、遊馬は、絞り出す様にその言葉を口にする。
でも其処で言葉は痞えてしまって、彼は三度、大きく深呼吸を繰り返してから、
「何で助けてくれたんだ?」
今度は痞えずに、僕に向かって問うた。
さて、どうしてだろう?
最初から遊馬の魂を奪う心算なんて勿論なかったのだけれども、
「問い:目の前に困っておろおろとしているお婆さんが居ます。どうすれば気分良くその一日を過ごせますか? 但し君に急ぎの用事は無いとします」
でも此の子は意外と面白い子だと思うので、もう少し問答で遊んでみよう。
遊馬は僅かに目を見開く。
どうやら意味を理解した様だ。やっぱりこの子は結構賢い。
「そりゃあ、助けるよ。助けるけどさ、でもお前は悪魔なんだろ?」
遊馬はそんな風に言うが、当然そうだ。
僕は悪魔。悪魔王レプト。
僕を知る悪魔は誰しもが言う。
「僕は悪魔としては変わり者らしいからね。でもそのスキルとやらはもう使っちゃダメだよ。奇跡は二度も起きない」
此の子、遊馬は恐らく、葉月って子を巻き込まない為に一人で僕を呼び出した。
自分だけじゃ、彼女を守り切れないと理解したから、リスクを承知でスキルに頼ったのだろう。
そう考えれば会った時の遊馬の虚勢も、犬が主人を守る姿を連想して可愛らしいと思えなくもない。
後は単純にこの状況に、こんな事をする黒幕に、興味が湧いたってのもある。
「でもまあ、僕は悪魔だからね。願いはハッキリさせて置こう。召喚者、中野遊馬、君は此の悪魔王レプトに何を望む?」
そして遊馬は、僕に願いを口にした。
自分と幼馴染である葉月を、生きて一緒に日常に返して欲しいと。
既に起きてしまった事は僕にも戻せない。
はぐれた家族は生きているなら勿論見つけて助けたいし、他にも助けれる人が居るなら助けたいとも彼は言う。
成る程、中々に欲張りな願いだけれども、其れ位の方がやりがいはある。
要するに、彼等や見かけた人々を守りながら、此の状況を打破すれば良いのだ。
「了解したよ。じゃあ僕がその願いを叶える対価は、遊馬は高校生だから少し加減して、君とその子も含めて、僕が直接助けた人数が一人に付き千円。日常に戻った『君がキチンと働いて得たお金で』支払う事」
僕の言葉に、遊馬は一瞬頭の中で計算機を叩いたのだろう。
百人助ければ十万円、千人助ければ百万円だ。
高校生が働いて得るには、とても厳しい金額だった。
「あ、悪魔が金を欲しがるのかよ」
なんて少し怯んだ表情になるけれど、それでも遊馬は確りと頷く。
勿論別に僕はお金自体が欲しい訳じゃ無い。
僕が求めるのは、其れを用意する為に必要な、遊馬の努力と想いなのだ。
日常に戻る事を望んだのだから、日常に帰った後に努力して対価を用意して貰おう。
尤も事態を解決しても此れだけ崩壊が進んでいては、直ぐには仕事をしてお金を稼ぐなんて難しいだろうけれど、其処は其れ、僕は悪魔なのでゆっくりと待てる。
さて成すべき事も決まったならば、先ずはもっと詳しい状況の確認を行って、その後に安全の確保だ。
全体状況が掴めないままでは、何をすれば安全かの判断も行い難い。
僕と遊馬は、取り敢えずビルの屋上を目指して歩き出す。
当然葉月は遊馬が背負う。
二人の関係がただの幼馴染なのか、其れとももう一歩踏み込んだ関係なのかは知らないけれど、取り敢えず頑張れ男の子って感じだった。
「今一番多い化け物は、化け物に殺された人の死体が起き上がった、ゾンビみたいな奴なんだ」
屋上までの道中、遊馬は追加の情報を話してくれるが、当たり前だが事態の解決に繋がりそうな情報は彼も持っていないらしい。
このビルの上層、九階以上は関係者以外立ち入り禁止になっていたが、この状況でそんな物を律儀に守る心算は当然無いので、僕は念動の魔法で鍵を開けて先に進む。
遊馬は其の行為に多少の躊躇いを覚えた様だが、僕が進めばちょっとバツの悪そうな顔をしながらも付いて来る。
幸いと言うべきか、このビル内に居る化け物の数は然して多くなく、時折出くわす小鬼やゾンビの類は、僕が魔法で消去した。
もしかしたら遊馬や、まだ気を失ったままの葉月のレベルアップとやらに使った方が良いのかも知れないけれど、実際の所其れが安全だと言う保証は未だ無い。
僕が居れば大体の事態は何とか出来る筈だけれども、どうにもならない事だって少しはあるのだ。
例えば、このレベルアップやスキルの付与が、特殊な形で行われた悪魔との契約の結果として付与されている場合、魂を持って行かれるのを防ぐ手段は数少なかった。
まあ一応話を聞く限り、レベルアップやスキル付与の際に遊馬が何かに同意したって事は無いらしいので、多分悪魔に与えられた力では無いだろうけれども、一応は念の為である。
屋上へは十五階から出る事が出来た。
しかし屋上へ出た僕は、見えてきた光景に眉を顰める。
空に大きく口を開けるのは、その向こうを見通せぬ真っ黒な穴だ。
更に遥か遠くに、まるでこの地域を隔離するかの様にグルリと囲んで虹色の壁がそびえ立つ。
そして何よりも不可解なのは、その穴と、虹色の壁の双方から感じる力の質が完全に異なる事だった。
つまり今回の件には、二種類以上の、しかも結構な力を持つであろう超常の存在が関わっている。
あの穴も、壁も、悪魔でなら少なくとも高位より上の存在でなければ、生み出す事は出来ないだろう。
今回の件が一筋縄ではいかぬであろう嫌な予感に、僕の身体はぶるりと震えた。




