74 アスターテの戦い
アスターテが保養地を出、父であるサーレイム公爵と話し合いをしてから二ヶ月後、遂に公爵は貴族を纏め上げて軍を起こし、王位の譲渡を求めて王都を包囲する。
其の軍の中には、父と意見をぶつけ合わせ、その見識を認められたアスターテも従軍していた。
女性貴族の従軍は此の国では異例の事で、けれどもアストリア王子に幾度と無く傷つけられながらも、怯まないで立ち上がったアスターテの存在は、貴族軍の士気を大いに向上させているらしい。
王家の失策と横暴に辟易していた王都の民は此れを歓迎したが、王妃とその息子であるアストリア王子は、降伏しようとする現国王を牢に閉じ込めての籠城を選ぶ。
今の王家にはもう此の国を統治する力が無い事や、揺れる情勢に隣国の脅威が増してるが故の、速やかな国王の降伏だったのだが、其れを王妃と王子は理解しなかったのだ。
此処で降伏していれば、王族では無くなっても貴族として生き残る道はあったのだが、彼等には状況を読み取るだけの力は無かった。
しかし此れはサーレイム公爵等にとっても予想外の出来事であり、国王の降伏の言葉を信じて王都に攻め入らなかった為に、貴族軍は王妃と王子に防備を固める時間を与えてしまう。
この辺りは実にお人好しと言うか、甘いミスだと思うのだけれども、其れでも王都の民の感情や、貴族軍の規模を考えても王都の陥落は時間の問題である。
そう、時間が、問題なのだ。
王都の陥落が遅れた事により、隣国の軍が動く時間を与えてしまった。
故に僕は、今、隣国との国境に居る。
あの日、アスターテがサーレイム公爵と話し合いを持つと決めた時、
「私はこの地に生きる人間の一人で、サーレイム公爵家の一員です。私の幸せはこの地の民と、我が家があってこそ成り立ちますわ。だから私は、私の意思で、父を説き伏せて戦いましょう」
僕に向かってそう言った。
成る程、僕とアスターテの契約は、彼女を幸せにする事だ。
其の幸せの為に此の地が必要で、アスターテ自身が其れを守る為に戦うと言うのなら、僕が手伝わない訳には行かないだろう。
隣国軍の今回の目標は攻め込み、いずれ此の国を完全に滅ぼす為の拠点を築く事と、此の国が所有する港を焼き払う事の二つである。
何方か一方でも達成されてしまえば、此の国は大きく滅びに近づく。
でも其れをさせない為に、今僕は此処に居た。
隣国軍が動いた事による貴族軍の動揺は、アスターテが抑えるだろう。
今の彼女なら、僅かな時間なら稼げる筈だ。
其の間に僕が、隣国軍を止めれば良い。
勿論悪魔が関与したってわかるような形じゃ無くて、国を憂う乙女の願いが奇跡を起こしたって形にするけれど。
「まあ、うん、割と楽しい一年だったしね。サービスサービス」
実際、アスターテが自分で戦う事を決めたのなら、僕の役割なんてもう終わったも同然である。
幸せなんて、例えどんなに素晴らしい環境を与えられても、自分がそう感じられなければ得られない物なのだから。
もう彼女は自分自身で幸せを掴むだろう。
今回の召喚は割と楽しい物だった。
幸せと言う主観を与えるって内容は、力押しではどうやっても叶えられない。
僕は一人で呟いて、掌を空へと向ける。
グルグルと、空が一点を中心に回転を始めた。
風は渦巻き雲を呼び、雲の中では雷光が輝く。
今から呼ぶのは大嵐。全てを飲み込んで引き裂く天の怒りだ。
此の大嵐は今から雷雨や竜巻を発生させながら、隣国軍が集結する地点を通り、隣国首都を目指す。
途中に氾濫しそうな大きな川や、農地が無い事は既に確認済みだった。
直接的な人的被害は然程は出ないだろうが、けれども主要街道はズタズタになり、彼の国は大きな混乱に見舞われる。
不幸になる人も大勢出るだろうが、残念ながら僕が今回召喚されたのは其方では無い。
自国を富ませる為に他国を侵略する事を否定はしないが、今回は運が無かったと思って貰おう。
予兆も無く、僅か数分で出現した大嵐に隣国軍が慌てふためいているのが、悪魔である僕の目には見える。
僕が掌を其方に向けると、大嵐はゆっくり隣国軍の集結地点を、そのずっと向こうにある隣国首都を目指して動き始めた。
其れを見届ければもう、僕は隣国軍や、隣国その物への興味を失う。
悪魔王である僕にとって、力押し程つまらない事は無い。
今回は大嵐を選んだが、地を掴んで揺らしても良かったし、其れこそ彼の地の山を噴火させても良かった。
単に嵐が一番、被害を限定し易かったから選んだだけで、何かを壊す行為は、僕にとってあまりにも容易すぎる。
だからこそ今回のアスターテの様に、学び、成長、変化して行く人間を手助けするのはとても楽しいのだ。
さあ早く帰って、彼女が導き出した成果を見に行こう。
僕の仕事、或いは娯楽は、今は此の国の王都にこそある。




