55 学院、安息の時の中
僕等が魔王軍を編成してから、およそ60年程が経った。
人族と魔族の停戦も随分と前に成立し、此の世界は今、安息の時の中にある。
現在、魔王軍の中で最も規模が大きいのは、実はアニス率いる風王軍だ。
元々魔王軍全体の兵站を担う役割を持っていた風王軍は、戦争終結後にアニスの手で此の世界の物流を担う存在へと変化した。
具体的に言えば、元の輜重師団はベラの所から引き取った混成師団を護衛とした商隊として世界中を巡り、遊撃に活躍していた飛空師団は高速便として各都市の連絡を担当している。
勿論当初は人族側の拒否感は激しかったが、最初に風王軍の手を握ったのは人族側の商人達。
利に聡い彼等は、強靭な体力で何処へでも物を運んで行ける商隊や、空を飛んで各都市を行き来できる高速便の有用性をいち早く見抜いたのだ。
拒絶して戦うよりも、手を握って利権に食い込んだ方が儲けは遥かに大きい。
商人達はこぞって風王軍と取引し、人族と魔族の融和に協力を申し出た。
商人達の中には、
『魔族は力は強いが商売には疎い。良い様に言いくるめて使い倒してやろう』
なんて考えの者も居たようだけど、残念ながら風王軍の長であるアニスは、彼等よりも遥かにキャリアの長い辣腕商人でもあるのだ。
充分な飴は与えながらも、主導権は握るアニスに、人族の商人達は手の平で転がされている。
多分アニスは、今この世界で一番の金持なんじゃないだろうか。
魔族側の通貨も、人族側の通貨も大量に所持し、そして其れを留める事無く回し続けていた。
此の世界を退去する前には、統一通貨を造るんだそうだ。
いやまあ僕等にこの世界のお金なんて然して大きな意味は無いけど、一緒に外食に行くとアニスが当たり前の様に払ってくれるのが、ちょっと此れで良いのかなって思ってしまう。
面白いのは、人族の駆け出し商人の中に、風王軍に所属して経験を積みたいと願う者が出て来た事だった。
アニスは彼等を受け入れたいと考えているが、風王軍は魔王軍の一軍だ。
人族を魔王軍に所属させる事は、有事の際の問題となりかねないので、今現在アニスはヴィラと相談し、風王軍と風王商会の二つの組織に分裂させる予定らしい。
風王軍は本来の役割通りに魔王軍の兵站を担い、風王商会は独立した組織として活動する。
そうする事で人族も雇え、尚且つ魔王軍にこの世界の富が集中し過ぎる事を防ぐ。
何てそんな、難しい話をアニスとヴィラの二人はしていた。
さて風王軍の変化の影響は他の軍にも及ぶ。
例えばベラが率いる魔獣王軍は脳筋揃いで変わりようが無いと思っていたが、魔獣師団が資材を運び、巨人師団が建築を担当する等、各々が戦争以外の役割を見付け始めている。
広がった魔界はあちこちで新しい村や町、拠点が必要とされているし、実は壊れたままにしていた魔王城の修復も彼等が始めたそうだ。
勿論其の指示をしたのはベラでは無い。
彼女にそんな難しい事を考える心算はサラサラ無いが、ベラは他の軍が活躍しているのに、魔獣王軍に動きが無いと地獄の強化訓練を始めてしまう。
そして其の訓練があまりに辛い為に、魔獣王軍の幹部達は知恵を出し合い、時にヴィラに懇願して相談相手になって貰い、戦争以外の活躍の場を己達で見出した。
此れは本当に凄い事である。
何せ脳筋が脳筋で無くなったのだ。
当然そんな変化に付いて行けなかった者達も一部は居るが、その者達はベラの地獄の訓練に耐え抜いて、練度の高い精鋭と化す。
役割分担が成されたと言えるだろう。
影王軍もその役割にこそ変化は無いが、共に活動していた風王軍の拡大に伴って影王軍も人員を増やし、活動範囲を拡大した。
風王軍の商隊に混じって情報収集を行ったり、各都市に拠点を持って潜んだりなどだ。
だから当然僕も自分の軍を変化……、否、僕の場合は自分の魔術王軍を完全に解体してしまう。
黒騎士団は其のまま魔王直属の親衛隊に、魔術師団は宮廷魔術師団と学院の二つに分割である。
宮廷魔術師団は親衛隊と同じく魔王直属の戦闘部隊だが、学院はもうその名の通りに軍からは独立した存在だ。
僕は当初、魔術学院として魔術の研究機関、魔術師の養成機関を創設する心算だったのだが、其処でヴィラから待ったが入った。
ヴィラ曰く、
「My Lord. 教育機関を設立されるお考えなら、是非文官も養成して下さい。魔族には文官が足りなさ過ぎるのです」
と熱烈に訴えられてしまったのだ。
……確かにヴィラが抜けたら途端に魔族の行政が崩壊しました、では話にならないので、僕はその意見を受け入れた。
しかしそこまで手を広げるなら、もっと大きな箱を用意して、他の分野の人材育成も担った方が見栄えがグッと良くなる。
どうせ僕の後ろには、巨大な財布を持ったアニスが居るのだ。
僕は小額を奢って貰うのは微妙な気分になって躊躇うが、大金をたかる時には遠慮はしない。
大資本の援助を受けて、僕は好待遇で教師となれる人材を色んな場所から引き抜き、基礎教育から分野に分かれての専門教育まで行う巨大学院を作り上げた。
今の僕の役職は、四天王の魔術王改め、学院長である。
いや有事には四天王の魔術王になるけれど、僕個人が率いる軍はもう存在しないのだ。
そして多分、もう僕等が居る間には有事なんて無いだろう。
キーンコーンカーンコーン。
講義の終わりを告げるチャイムの音。
僕にとって学校の象徴と言えるのがこのチャイムの音だったので、態々魔術を付与した道具で再現したのだ。
「レプトぉぉぉぉぉぉっ!」
僕がのんびりと中庭の、ふかふかの芝生に寝転がっていると、講義を受け終えた一人の生徒が、校舎の3階から風を使った飛行魔術を用いて突撃して来る。
仮に僕が避ければ地面に衝突待ったなしの無謀な行為に、……僕は溜息を吐いて覚悟を決めた。
ドスンと僕の腹の上に乗っかったのは、魔王でありながらも此の学院の生徒もしているミューレーン。
「ぐえっ」
悪魔である僕に単なる体当たりではダメージは無いが、其れでも体内の空気が絞り出されて、カエルの潰れた様な声が漏れる。
僕の上でケタケタと笑うミューレーンは、出会った頃より随分と大きく、そして何より明るくなった。
多分、そう、積み上がっていた心配事は一つ残らず消え去って、ミューレーンの未来は明るくなったから、彼女もきっと明るくなったのだ。
そう考えれば頑張った甲斐はあっただろう。
「……危ないから上から飛ぶのはやめなさい? あと学院では学院長と呼ぶ様に。ちゃんとしないとヴィラに言い付けるよ」
ヴィラの名を出せば、ミューレーンはヒッと蒼褪める。
成長し、見た目は十歳を越えた今でも、ヴィラの厳しい教えは彼女の中に息づいているらしい。
「そ、それより聞いてたも。わらわの書いた報告書が、魔術研究機関の研究題材になっての!」
大慌てで誤魔化しに走るミューレーンだが、僕はその誤魔化しに乗って彼女の頭を撫でた。
まぁ魔術を僕に学び、それ以外の知識をヴィラに詰め込まれたミューレーンは、非常に優秀である。
元魔術師団のメンバーからなる研究機関が、ミューレーンの報告書に目を付けるのは寧ろ当然なのだ。
でも其れは彼女が此れまで頑張ったからこそ身に付いた実力なので、褒められて然るべきだと僕は思う。
僕がそうやってミューレーンを褒めていると、多分講義を終えてすぐに教室を飛び出したのだろう彼女を追いかけて、二人の学友がやって来た。
「あー、また学院長が姫様を甘やかしてる」
「……学院長は今日も中庭でサボリですか」
そしてミューレーンと戯れる僕の姿を見るや否や、二人は何故か僕を非難する。
おかしいな。
僕はこの学院を創設した敬われるべき存在の筈なんだけど……。
「ミディ、ダニル、違うのじゃ。レプト……、学院長はの、わらわの護衛の為に、感知範囲に居てくれただけじゃ」
ミューレーンの言葉に、彼女が其れを察していた事に少し驚く。
学院内は関係者以外は立ち入り禁止なので、護衛のベラも入れない。
だから学院の中心にある中庭から、学院全体の人の動きを感知して、万一が無い様に備えていた。
しかし其れを態々ミューレーンに伝えた事は無いので、自力で其れに気付いた彼女に、僕は驚きを覚えたのだ。
けれどもそんなミューレーンの言葉に、彼女の学友達、双子の姉弟で姉がミディ、弟がダニルと言う二人は、首を横に振る。
「姫様、騙されてはいけません」
「学院長はミューレーン様が学院に来て無い時も、良く中庭で寝ています」
いやいや、騙してないよ。
外の仕事が無い時は、そうやって普段から学院全体を感知して、外部から侵入者が入って無いかを確認しているだけなのだ。
まあ確かに、中庭の芝生は寝心地に拘って手入れしているのも事実なのだが。
ミューレーンは何とか僕を擁護しようと、中々信じない二人に対して感知魔術の理論の説明から始めてしまった。
でも擁護しようとしてくれてるミューレーンには申し訳ないが、ミディとダニルにサボってると思われるのは、僕は別に嫌じゃない。
だってそんな風に見たままの姿を素直に信じられるのが、平和って事なのだと思うから。
此の学院は、此の魔界は、此の世界は、今、安息の時の中にある。




