113 舞台の上で消える星2
私の願いを聞いたレプトと言う悪魔は、微笑みを浮かべながら二度、三度頷き、口を開く。
「何と言うか悩むけど、実に悪趣味な願いだよね」
そんな私の全てを否定するかの様な物言いに、私は怒るよりも先に、開いた口が塞がらなかった。
それでも何とか文句を捻り出そうと私が頭を働かせていると、彼の笑みは少し深くなり、
「あぁ、うん。泣き顔よりはマシな感じになったね。じゃあ契約の話に戻るけれど、君の願いは叶えよう。勿論対価は貰うけれども」
先に言葉を繋がれてしまう。
そこからは、或いは悪魔のレプトの登場に驚いてからずっとかも知れないが、終始彼のペースだった。
もしかすると、それこそが悪魔の交渉術だったのかも知れないけれど、不思議と悪い風にはされていない。
例えば願いを叶える為の対価に関してだが、どうせ死ぬなら魂くらいは差し出してやろうとそんな心算で居たのに、
「いや、魂を貰う程の願いじゃないよ。悪趣味だしね」
また私の願いを悪趣味だなんて風に言う。
ただ良く話を聞いてみれば、レプトは私の願いが悪趣味だからと、何故か対価を軽くしようとしているらしかった。
仮に芸術家気質の悪魔なら、喜んで私の魂を受け取り、コレクションに加えただろうとの事らしい。
「その方が嬉しいなら趣味の合いそうな悪魔を紹介しても良いけれど。でも最期の瞬間を迎えた魂を絵具にして絵画にされたりするから、多分人間にはキツイと思うよ。何でその感情を抱いたのかも忘れてるのに、同じ感情を持ち続けて狂えもしないから」
その言葉の意味はいまいちわからなかったけれども、レプトの言葉に込められた感情には、思わず寒気が走る。
でも魂を受け取らずにレプトが何を欲するのかと私が悩めば、彼は部屋の隅を指で示した。
「君が良いなら、君の持ってるアレを全部欲しい」
私はその指先を視線で追って、思わず首を傾げてしまう。
だってそこに在ったのは、私がファンから貰った手紙の束だったから。
確かにファンからの手紙は、私にとっては大事な物だ。
嬉しい時に読み返して、辛い時にも読み返して、それは私を支えてくれた。
けれども私の貰った手紙は、送ってくれたファンと私にとっては意味があっても、その他の人にとっては単なる紙だろう。
なのに何故悪魔がそれを欲しがるのか。
あまりに不思議で思わず問う私に、レプトは真面目な顔でこう言った。
「だってソレは、君が集めた信仰だ。僕は歌劇に然して興味はないけれど、それでもコレを見れば君の凄さは理解出来るよ」
……ちょっとその言い方は、ズルいと思う。
そんな風にレプトにペースを握られながらも交渉は進み、私は彼と契約を交わした。
レプトの物言いは時折非常に腹立たしいが、でも何故か不快さを感じないし、怒りが後を引かない。
ファンからの手紙を対価に使うのは、少しばかりの躊躇いはあったが、私が死ねばそれを読み返す事も出来なくなる。
残して邪魔に思われて燃やされる位なら、せめても価値があると認めてくれたレプトに渡そうと考えたのだ。
そして契約を交わした瞬間、私の身体から痛みは消えた。
重たい泥の様な気怠さも一緒に。
そうなる事を望んでの契約だったが、それでも余りの効果にやっぱり私は驚いてしまう。
私の、驚きの後に襲ってきた歓喜を抑えるかの様にこちらに掌を向けたレプトは、
「これで痛みは消えたし、病に由る身体の衰えも消えた。でも勘違いしないで欲しいのは、治った訳じゃない。今の君は例え銃で穴だらけに撃たれても問題なく動けるだろうけれど、それは本懐を果たすまでだよ。最終的な定めは変わってないから、それを理解して」
少しだけ痛ましそうに、そう言う。
充分だった。
これで良い。
寧ろ、これが良い。
例え身体を治して貰った所で、何時かは、数十年先には舞台を離れて死ぬのだ。
だったら私は、矢張り最高の瞬間に舞台で死にたい。
そんな私に、レプトは矢張り悪趣味だと言い、
「急に復帰した君を調べたり、邪魔するだろう人と話を付けて来るよ。ついでに君に召喚の仕方を教えた相手とも。呼べばすぐに飛んで来るから、何かあったら名前を呼んで」
ふいっと姿を消してしまった。
後で聞いた話だが、この皇国には悪魔の様な神秘的存在に抗する組織があるそうで、レプトの助けを借りた私はその組織に手出しされる可能性があったのだとか。
また私にレプトを呼ぶ御呪いを教えてくれた後援者は、その御呪いに仕掛けをしていて、レプト以外の悪魔を呼んでいれば、私の命と引き換えに後援者の願いが叶って居たかも知れないそうだ。
どうやらあの後援者は私の妄執に火を付け、それを利用しようとしていたのだろう。
やっぱりアレは、悪魔の囁きだったらしい。
尤も本物の悪魔が手助けしてくれた今となっては、実にどうでも良い事だけれども。
稽古に復帰した私に、劇団の人々は喜び六割、憎しみ四割の視線を向けた。
劇団では一つ空いたスタアの席を巡って争っていた筈だから、そんな目を向けられるのは当然だ。
驚きは十割だったけれど、私だって何度も驚いているのだからそれも当然だろうと思う。
無論これもどうでも良い話だ。
今の私にとって大事なのは、この場所に帰って来れた事のみ。
どうせ半年後には改めてこの席を譲るのだから、それまでは我慢して欲しい。
私の邪魔さえしなければ、私をどんな目で見ようが、私は何も言わないから。
レプトは時折帰って来ては、私の稽古を眺めたり、私に別世界で覚えたと言う料理を振る舞ったりしてくれた。
彼が何を考えているのかは読めないが、私の為に動いてくれてる事だけはわかる。
ただやっぱり、趣味は合わない。
食や音楽の好みは結構似ているのだけれど、レプトは私の歌劇に興味を示さないから。
そして公演が始まれば、私は注目を浴び続けた。
主演である事は勿論だが、病に倒れて引退と言われていた私の復活に、注目度はどうしても高かったのだ。
別に構わない。
どんな理由であれ、私を見るのなら、声で、演技で、私に夢中にさせて見せる。
公演中は体力を酷使するスケジュールだが、私の身体に一切の問題は出なかった。
不可解な出来事も幾つか起きたが、決して私の邪魔になる事はなかった。
そう、全てはレプトとの契約通りに。
だから私は、今この瞬間に居る。
「レプト、見ている?」
目を閉じたままに問えば、間近に気配が現れた。
身体から力が抜けて行くのがわかる。
契約は果たされ、私の最期の時が来たのだ。
「見てたよ。おめでとう、夏梅。素晴らしい舞台だった。皆が君を称えて居るよ」
そう、レプトは言った。
拍子抜けだ。
てっきり悪趣味だの何だのと、もう一度言うと思ったのに。
しかしだからこそ、私はより強く最期を意識する。
「当然よ。だって私は大和田夏梅だもの。でも貴方の手助けがあったからこそよ。少しだけ、感謝してるわ。……満足よ」
嘘だ。
本当は沢山、これ以上ない位に感謝してる。
でもそんな事は言わなくてもどうせ彼は見抜いているし、そろそろ眠りたい。
「なら良かった。そろそろだね。後の事は心配しないで。……おやすみ、夏梅」
どうやらレプトは、騒ぎになるだろう後始末もしてくれる心算らしい。
全く本当に、彼はお人好しだと、そう思う。
私は囁く様な声に安堵して、満足感だけを抱えて、意識を優しい闇の中に落とす。




