ミルバニアにて―決断―
「殿下! 村を見てまいりました!」
夕暮れが迫る頃、前方を歩いていた、元々軽騎兵だった騎士の報告を伝令が持ってやってきた。
刈入れの終わった畑と水の枯れた水路に挟まれた道を、長い列を作って北に進んでいた一行。列の中央に位置しているカドモスや騎士団長の前で停止した騎士は荒くなった息を落ち着ける。
「……駄目だったか?」
カドモスは先じて訊ねた。
伝令の騎士は顔を伏せて答える。
「は。昨日の村と同じでした]
云っているのは行く先々で利用する予定だった村のことだ。廃村は最早見慣れた光景ではあるのだが、あくまでそれはある一定の範囲内でのことである。初め、北から南へと下ってきた騎士団だが、その範囲に収まるまでは立ち寄った村では普通に生活が営まれていた。
しかし現在、それら支援を期待して立ち寄った村には文字通り人っ子一人いない。人間だけでなく家畜も姿が見えず、貯蔵庫は空だ。村を取り巻く柵が破壊されていることから何があったかは想像がついた。そのうえ隠しようもない血の跡がそこかしこに残っている。
「……先回りをされたか」
村に入ったカドモスは天を仰いだ。敵が荷馬車を奪ったのは間違いない。轍の跡から東に進路を変えたのもわかっている。
「いったいどうやった……?」
「先回りしたのは荷を奪ったのとは別の敵でしょう。確かに別の場所で街道は繋がってはいますが、こんな短期間に迂回できる距離ではありませんし、我々は追い抜かれてもいません」
騎士団長が考えながら答える。
「おそらく魔物かと。敵にはエルフや人間も混ざっています。荷馬車はそちらで、魔物の隊が自由に動いているのでしょう。ゴブリンが馬車を駆っているとは考えにくいですから。それに奴等なら今の我々より速度が出せます」
「しかしこれでは干上がってしまうぞ。今日明日に着くわけではないのに」
頭の中で距離を計算したカドモスはやるせない顔をする。
重い荷物を背負って進む行程は行きとは全然違っていた。南下していた時は、騎士達は馬に乗っていたし、荷馬車を護衛していた兵士達も身につけた軽装のみで訓練とさほど変わらぬ速度だったが、北上している今は馬上で使用することを前提とした装備で地上を歩いている。一部の本当に重い物は捨てはしたが、それでも重騎用の防具は堪える重さだった。
今はまだ大丈夫だが、数日後にはどうなっているかわからない。大きな戦など久しくなく、かつて経験したことのない苦行に騎士達の顔も暗い。肉体的なきつさだけでなく、自分達の命を狙っている敵が近くにいるという精神的な圧迫感が気力を削ぎ続けていた。
まるで敗残兵のような面持ちで村に辿り着いた一行は、もはや見慣れてしまった地面の黒い染みを平然と無視して中央に足を進める。井戸で水を汲み、村が冬に備えて蓄えておいた薪を拝借した。
騎士達は、動くのに最低限必要だと考えられる、分けられた食料を沸騰した鍋に入れ、野草と一緒に煮込んだ。
「このままでは三日とせずに戦闘力が維持できなくなります」
部下の食事の様子を見た騎士団長がカドモスにそう報告する。処理できなかった肉は僅か二日目にして腐り始め、三日目に黒くなるまで焼いて食べた後廃棄した。今は元々持っていた保存食を節約してしのいでいる状況だ。
周りにいる隊長連中が口々に云う。
「さすがに奴等も都市の近くまでは出没しないでしょう。あと十日かかりません。逃げ帰った者達が辿り着けていればもっと早い段階で合流できます」
「バードヴィック卿の死体はありませんでした。おそらく彼は逃げ延びているでしょう」
「援軍が馬を飛ばせば我々と同じ速度でも日数は半分。実際にはそれ以上の速度が出ますから、長くても三、四日です」
数字に代えてみればぎりぎりなんとかなりそうな期間に思えてくる。口を開いた隊長達は少し気が楽になったかのように肩から力を抜いた。
しかしカドモスは頭を振って否定する。
「報告までの時間を入れ忘れているぞ」
「あ……」
「そう上手い話があるわけもないのだが、万が一、馬を潰す覚悟で出しうる限りの速度で北に向かい、村に着いてからは人も馬も随時変えながら向かわせたとしてもだ。絶対に一日はかかる。それと都市の司令官が賢明で、即座に防衛の兵士を駆り出して馬に載せて発たせたと仮定してもそれなりの時間は必要だ。つまり、味方が驚くほど優秀でもおよそ二日は食事に困ることになる。もし村に使える馬がなければもっとだ」
「………」
沈黙した隊長達に代わり、騎士団長が話す。
「ここはやはり当初の予定通り戦闘有りきの動きをすべきかと思います」
「具体的には?」
「食料が切れたと思わせましょう。こちらの動きが筒抜けなのを利用するのです」
「そんなことができるのか?」
「はい。まず相手がどうやって我々の動きを知っているかですが、おそらくこれは何らかの魔法による遠距離からの監視である線が高いです。敵には魔物がおりますし、こちらは騎士ですから。裏切り者がいるとは思えません。つまり相手は夜間の我々を詳細に観察することはできないと考えます」
「うむ」
「村に立てこもり、食事を一日一食、日が沈み暗くなってからにします。明るいうちは食料を探すなりなんなりしてそれらしく見せかければ、業を煮やして襲い掛かってくるかもしれません」
「……かも、か」
敵がじっとこちらが飢え死にするのを待つという可能性もある。そうなったらどうするのか。そう思ったがカドモスだが、口にはしなかった。今更云ってもどうにもできないことはわかっているし、なにより決断したのは自身である。しかし馬を放ったことは失策であると認めないわけにはいかなかった。幾ばくかの距離と引き換えに得た軍馬の命。それがもたらす影響を過小評価していたのだ。カドモス達は貴重な速度を失っていた。もし馬を潰れるまで酷使していれば、魔物を遥か後方に置き去りにできていただろう。
「敵が失策を犯すのを待つしかないのか……」
結局食料を奪われた時点で大勢は決まっていたのだろう。カドモスはようやっとそれを認めることができた。失策を犯したにも関わらず何も失わずに事を進めようとしたのが間違いだったのだ。そして失うことを覚悟して初めて見えてきた光明があった。
カドモスは周囲の騎士達、及び村の配置をじっと凝める。彼等にとっては過酷な命令だろう。しかし国のために戦場に出てきているのだから否やは云うまい。それにこの村は立ち位置は理想的だ。村は街道から外れておらず、悟られずに迂回することはできない。
「後で俺のところへ来てくれ」
騎士団長に小さく云った。
「……わかりました」
村では一夜を明かすために見張りを立て、中央に大きな火を焚いた。
騎士達は何もやることがなく、少しでも空腹を忘れるために早々に床につく。入れる分は家屋に入り、そうでないものは小さな焚き火を囲ってマントにくるまり、板を敷いて地べたに寝転がった。
夜半、カドモスのいる大きな家屋に騎士団長がやってくる。彼は忠実な犬のような近衛に道を開けてもらうと戸をくぐった。
室内は暖かかった。居間の奥では暖炉が煌々と明かりを放ち、生活の色が濃く滲み出ている卓に肘をついたカドモスが杯を傾けている。
「待っていたぞ。座れ」
カドモスは向かいの椅子を指し示して云った。自身は暖炉で温めてあった鍋から杯に白湯を注ぎ、それを向かいの席に置く。
「これは――畏れ入ります」
「気にするな」
普通なら決してやらないことをやったカドモス。しかしこれから云うことを考えればこんなものでは到底足りない。
騎士団長が云われた通り椅子につき、木で出来た卓の模様を眺めながら続く言葉を待つ。
「隊を二つに分ける」
「え……?」
座り直したカドモスからいきなり切り出された本題。しかしそれは騎士団長の想定になかったもので、彼は戸惑ったような声を上げる。
「明日、隊を二つに分ける。北上する隊とここに残る隊だ」
「………」
「北上する隊には俺と近衛、そして魔法が得意な騎士を連れて行く。数は百前後を予定している」
「………」
騎士団長は木石になったかのようだった。唇を引き結んで一言も発さない。
「最小限度で換算し、その上で時間的な余裕を持って三日分の食料を持っていく。居残る騎士は残りの食料で食いつなぐんだ」
「………」
「訊きたいことがあれば答えるぞ」
カドモスは鷹揚に云った。なにしろ統率のために騎士団長は残らせるつもりなのだ。自らに課せられた役割を知っておくのは責任感が生じるという意味でも悪いことではない。
「……何故、今になって?」
「今しかないからだよ」
打てば響くように答えが返る。カドモスは既に何度も考えた。次はないからだ。
「俺達はミスを犯した。お前もそれは認める筈だ」
「……まだ我々は負けておりません。戦力を維持したまま現にあります。戦えば必ずや勝てるでしょう」
「愚か者め!」
カドモスは拳を卓に叩きつけた。
「戦えば勝てるだと!? それはいったいいつになるのだ!? 敵が今更そのような失敗をしでかすと本当に思っているのか!?」
怒鳴りつけた後、怒りを押さえて静かに続ける。
「俺達は距離のことだけを考え速度をおざなりにした。そこを突かれたんだ。もう二度と失策は犯せない。次は全員揃って土に還る羽目になるんだぞ」
「戦って死ねというのならともかく、飢えるとわかっている状況で部下を置き去りにするわけには――」
「だから揃って死ぬと云うわけか? 全員で残ればそうなる可能性は極めて高い。最も戦力が落ちた頃を見計らって襲ってくるだろう」
村での補給ができなくなった今、飢えることは不可避である。また自分達より北に敵が進出していることから、援軍が何事も無く合流する望みも薄かった。
「少数の精鋭を北へやればその者達は生き残る。万が一魔物と戦闘になった時のことを考え、突破できることが条件だ」
「しかしそれならば残すものを可能な限り少なくするよう出来る筈です! 何故たった百名なのですか!」
「それはここに残る者達にも仕事があるからだよ」
「え?」
「残す数を最低限にすれば食料全てをもう一つの隊に分け与えねば足りなくなる。残った騎士達はあっという間に殲滅されるだろう。そうなるとどうなる?」
「それは……」
「敵の方が足が速い。数の減った我々は前後で挟撃される。それに先程お前が云った通りだ。飢えて死ねとは云えない」
騎士団長は訳が分からないという顔をした。云っていることが矛盾しているように思えたのだ。
カドモスは辛抱強く説明する。
「いいか。残る者達がやるべき仕事は後方の敵を出来る限り引きつけておくことだ。そのためにそれなりの戦力、そして食料を残しておく必要がある。俺の試算によれば、もし敵が飢えて死ぬまで攻めてこないのなら生き延びる芽がある。人は食べ物がなくなってもすぐに死ぬわけではない。命を食いつなぐ最小限の食料と水があり、体力の消耗を押さえるために動かなければ援軍が着くまで持つ」
「……もし、敵が攻めてきたらどうするのです?」
「その時は敵が痺れを切らしたということだ。前々からの望み通り正面切って戦えばいい」
「その時もまだ自由に動けるとは――」
「わかっているとも。だがそれほどまでに敵が時間を置けば、それはいつ援軍がきてもおかしくはない時期となる。さすがに敵も援軍の到着までは予測できないだろう。これは敵にしてみれば、ぎりぎりまで待って弱らせたいが、それをすると援軍が来てしまうかもしれない。援軍がこないうちに片付けてしまおうとすれば、こちらは飢えていない――という状況になるわけだ」
「援軍が来る前に弱り、敵がそれを正確に読み取るかもしれません」
「……そうだな」
カドモスは神妙そうに頷く。
「それは最悪のパターンだ。しかし手を打った場合の――であり、このまま何もせずに北上するよりはマシだ。認めるんだ。今となっては敵を殲滅するのは不可能で、我々の最善は戦闘力の高いものを出来るだけ多く、逃すことだ。そしてそれすらも犠牲なくしては不可能なのだ」
「………」
「俺の作戦に何か問題があれば聞こう。もしくは他にもっといい方策があるのなら」
「……いえ、云っていることは理解できます。ただ――」
「ただ?」
「せめてもう少し数を増やせないでしょうか? 三百――いや、二百名では?」
「二百名の三日分だと六百人分の食料となる。ただでさえ節約しているうえに、七百を超える人数を三百人分の食料で持たせるつもりか? いったい何日持つ?」
「それは……」
「挟撃された時、普通の騎士百名で後方の敵を抑えられるなら問題ないが、それができなければ敵を引きつける時間を長くする方向に持っていったほうが得策だ」
「しかし敵が残った隊を無視して北上する可能性も――」
「それはこちらにとって理想の展開だぞ? その時は相手の横っ腹を急襲できる」
カドモスの作戦は穴がないように見えた。それも当然で、犠牲が出ることを前提として組んでいるのだ。騎士団長は反論したかったが、かといって代案がある訳でもなく、
「……わかりました。部下を犠牲にするのは胸が痛みますが、仲間のためにと納得させましょう」
「………」
「出発は明日でしょうか?」
「あ、ああ。その予定だ。一刻も無駄にできない」
「ならば明日の朝一番で戦闘力の高いものを選別しましょう。隊長達の中で魔法を使えない者に残る騎士達の指揮を執らせるということで」
カドモスはヘンな物でも口にしたような顔になった。騎士団長は自分も北に向かう気に満ち溢れているようだが、カドモスの計画では彼は残ることになっている。
「……どうしたのですか?」
カドモスの様子に訝しげな表情をした騎士団長。
カドモスは云い難そうに切り出す。
「……お前は残って騎士達を纏めあげるのだよな?」
「えっ?」
騎士団長が目を見開く。思ってもみなかったことを云われたと顔に書いてあった。
「……自分で云うのはなんですが、私は位階に見合う戦闘力を保持していると自負しております」
「それはわかるのだが……」
カドモスは譲る気はなかった。居残る騎士達の忠誠を疑うつもりはないが、彼等は極限状態に置かれるのだ。統率する指揮層を厚くしておくに越したことはない。
「残る隊はどのような状況になっても、決して諦めず、最後の最後まで敵に抗しようとする気概を持っていなければならない。わかるな?」
「……はい」
「少ない食料で敵を引きつけておかなければならないんだ。隊を分けて食料を探しに行こう、などという甘えは許されない。例え背中と腹が張り付こうとも武器を持って戦う意志を示すのだ。それなのに上が逃げては士気を保てない」
「………」
さすがに俺に残れとは云わないか――カドモスは安堵した。この策に必要なのは残る側の忠誠心だ。こればかりは信じるしかない。
「もし王族にしかできないことがあれば、俺は喜んで残っただろう。だが俺が残れば近衛も残る。彼等は俺の命令より王である父の命令を優先するからだ。それに馬を降りた少数の騎士団だけでは心許ない。下手をすれば両部隊とも各個撃破される。そして――もしそれをやった場合、例え助かったとしても、生き残りは王族を盾に逃げ出したとの非難を免れない。二度と表を歩けなくなるだろう」
「そんなことは考えてもいません。ただ私は、切り捨てるなら切り捨てるで徹底するべきだと――」
「合理的ではないか。純粋に戦闘力だけを考慮して選んだならどうなる。下手をすれば指揮官がいなくなるぞ。それとも一人だけ例外を出すのか?」
そんなことはできない、と首を振るカドモス。
「その例外はきっと俺達を恨むだろう。裏切られたと感じるに違いない。そしてそう思った者が命をかけてここを死守するわけがない。残る者達の士気を維持する最も確実な方法は俺かお前が残ることなのだ。そうやって初めて下の者はこう思う。自分達と一緒に絶望的な状況に残った指揮官の云うことになら従おう――と。そして俺とお前、どちらが残るかは考えるまでもなく結論が出ている」
「………」
騎士団長はまだ納得していない様子だが、それは感情的なものだと自分でもわかっているようだった。だからだろう、抗弁を止め、黙って俯く。それはまるで親に叱られた子供のようだった。
「絶対に死ぬと決まったわけではない」
カドモスは諭すように囁いた。
「敵の出方、やり方次第では助けが来るまで保つどころか、勝利すらその手に掴み取れるやもしれない。夕に云っていただろう? 食料が尽きたふりをすると。それをもっと大掛かりに行うと考えるんだ。見捨てられ、飢え死にを待つばかりだと」
騎士団長はぐうの音も出なかった。それは自身が立てた作戦だ。今更そのやり方は望みが薄いなどと主張できる筈もない。
「……わかりました」
結局、絞りだすように受容した。
「よく云った。伝達は明日の朝俺がやろう」
本来ならば王族であるカドモスに恨みの矛先を向けるのは褒められたやり方ではない。しかし今回ばかりは例外だ。残る騎士団長に恨みを買わせるわけにはいかない。最悪内部分裂のきっかけになる恐れがあった。
「もしこの作戦がうまくいけば、お前の名は歴史に刻まれるだろう。次期継承者である俺が約束する」
「……は」
返る言葉は力がない。今の騎士団長にはどんな名誉も慰めにはならないようだった。
カドモスは嘆息して退出を促す。
「明日に備えて休め」
「……失礼します」
席を立って一礼した騎士団長はおぼつかない足取りで出口に向かう。
その背中は、今まで見たどんな背中より小さく見えた。




