ミルバニアにて―ある夜―
予定通り集団を二つに分け、片方を防御しやすい村に食料と共に送り出した後、もう片方を率いてシド達は西へ出発した。戦闘で減った馬車はさらに半分まで減っており、南から騎士達が使用していた鞍や装備を回収してキリイとベリリュースに使わせている。荷馬車の空いた場所にはエルフ達が載っており、徒歩行軍をする者を皆無にすることで速度と疲労を抑えている。
日が沈むと同時に近くの廃村を目指したシド達は御者を代えて交互に休息を取りながら進んだ。ある程度距離を稼いだ後、馬を休ませるために野営をし、夜明けを待って再び歩みを再開する。そして日が中天に差しかかる頃に目的地へと辿り着いた。
井戸から水を飲ませ馬を休ませると、回収した矢を綺麗に洗い、折れた矢からは矢羽根を取り外す。家々を解体させ、燃えやすいよう馬車の空いた場所に積み込んだ。
それが終わると早い夕食だ。馬車には食料の他にもヤカンや鍋、天幕などが積まれており、だいぶ向上した生活レベルにこれからのことを考えたエルフ達の顔は明るい。元々持ってきていた物資と合わせ、しばらくは食料に頭を悩ます必要はなくなった。積み荷は人の食材よりも馬の飼料の方が多いが、その馬は食料にできるので、手に余る数の馬は殺すことで食材、飼料共に長く持たせられるようになる。
積まれていたのは行軍の常として新鮮な食材ではなく殆ど乾物だが、香辛料できちんと味付けされた肉に魚、野菜、黒パンに葡萄酒があった。エルフ達は薪で火を熾し、鍋が煮立ったら干し肉と干し野菜を入れて煮込んだ。
スープが出来上がると器に注ぎ、水の入った杯と共に両手で持ち、めいめい好きな場所に陣取ってスープにパンを浸しながら食べる。
「こりゃ美味い! ここ最近で一番美味い飯だぜこれは!」
一口食べたキリイが口から汁を飛ばしながら云った。他の者達は欠食児童のように無言でかき込んでいる。
「さもありなん」
シドはがっつく部下達を眺めながら答えた。
「この世で最も美味い食事は敵から奪った食材で作られたものと相場が決まっている」
空腹は最高の調味料というが、今回のこれにはその上に蜜の味が載っているのだ。他人の不幸という蜜の味が――
明確な言葉にはできなくとも、命をかけた彼等には心の奥でそれがわかっているのだろう。誰もが皆満足そうな顔で舌鼓をうっている。
いつ食べるのかすら己が意のままにできない彼等。自分がいなければ生きていくのに必要な飯を食うこともできない彼等。
愛玩動物の世話で最もやり甲斐を感じるのは、飼っている生体が餌にがっつく時だという。食事を腹に詰め込む麾下を見たシドは大いなる充足感に満たされた。そしてまた、己が自らに付き従う兵達の世話をしているという証しを目の当たりにし、なるほどこれが指揮官の醍醐味かと思うのだ。勿論知恵を駆使して敵を撃破するのもその一つではあるが、戦争が外交や経済の一形態であり、その根源に生存競争が存在するのならば、敵から奪った食料で部下の腹を満たすのは最も讃えられる行いであろうことは疑う余地がない。
エルフ達はこれまでの倹約をなかったことにするかのように二杯目、三杯目を食べ、シドもまたそれを止めなかった。
パンとスープで腹を満たした後は、干し果を別腹に収める。塩辛い食事の後は甘い果実だ。
食事が終わるとエルフ達は井戸で食器を洗い、手持ちぶたさになる。
夜明け後に偵察に出したドリスが戻ってきたが報告は芳しいものではなかった。
「敵は馬を放って北へ進んでいますよ!」
シドはキリイに目を向けた。
キリイは云い訳するように、
「……どうもアテが外れたみたいだな」
「気にするな。俺はお前に予知を求めた覚えはない」
自身も追いかけてくると考えていたし、決めたのはシドだった。キリイは補足をしたに過ぎない。
「こういった想定もしていた。北へ逃げるなら追撃する」
シドが求めたものは敵の疲弊であり、経緯が違えども最終的に同じ場所に辿り着くなら否やはなかった。
シドの応えにキリイは頷く。徒歩になった敵と違ってこちらは馬車がある。食料もある。考えようによっては追いかけてくる敵を迎え討つよりも楽な戦いになるかもしれない。
「馬車に積める荷を積んでおけ」
シドが命令を下すとエルフ達は重い腹を抱えて動き出す。
「ドリス。トトのところへ行って動くよう伝えろ。方角は北だ。そこで休息を取り、戻ってくる際に敵の位置を」
「わかりました」
ドリスが再び空に舞い上がった。
本来であればこれまで通りエルフ達には夜間行軍を強いていたが、荷馬車を手に入れたことで昼夜逆転しているリズムを無理せずに戻すことが可能になる。馬に不慣れなエルフ達では見えない夜間は事故が起きる可能性が高かった。それに騎士達は明るいうちに動いて夜は休んでいた。馬もまたそのやり方に慣れている筈だ。
「夜明けと共に出発する。交代で見張りを立て、休め」
エルフ達は荷物を積み終わると村の空いた場所に杭を打ってその中心に支柱を立てた。縄を通した大きな布を被せて固定して、地面に接する下端を折り込むと水が入らないようその上に敷物を広げる。そして履物を脱ぐと支給された毛布にくるまって寝転んだ。
国が騎士のためにお金をかけて作った天幕は下手に隙間風が入る村の家々より暖かく、身を寄せ合って眠る彼等は住んでいた故郷の森を出て以来、もっとも満ち足りた時を過ごす。ここでは街のように敵対的な住民のことを頭の片隅に置いておく必要はなく、また敵影も今ははるか彼方である。いつ戦闘になるかわからないという状況より、それが例え二日後、三日後に迫っているとしても、時期が明言されていればそれまでは安心して過ごせるのが人というものだ。嫌なことがくるとわかっているだけに、むしろそれまでをより大切に過ごそうと思う。それに、なにより外にはシドがいた。味方にしても恐ろしいが敵に回すともっと恐ろしい彼は、例え部下が三日三晩寝ていなくても必要とあらば叩き起こす男だ。その男が休んでいいと云ったのなら、それは休める環境、休んでいい環境なのだと素直に信じられた。休息を必要としない抜け目ない男が外で待機しているという状況は休む兵にとってはこの上ない安心感を与えるもので、エルフ達は泥のように眠った。
村の中央で焚かれている火の側に腰を下ろしているシドの隣に、キリイがやってきて云う。
「俺は今日ほど月日の変遷を感じたことはない」
キリイはシドと同じく腰を下ろすと、年寄りのような台詞を吐いて手に持った葡萄酒をゴクリと飲んだ。目を細めながらそれを味わい、
「いいモン飲んでやがる」
「お前も昔はそれを当たり前のように飲んでいた筈だが」
シドは薄く笑い、
「幸せは失ってから初めて気づく。幸福とは結局のところ対比に過ぎん」
「なら最低を経験した俺達は後は幸せになるだけってことか」
「違うな。幸福がそうであるように不幸もまた対比だ。人の欲望に終わりはなく、絶望にもまた終わりはない。――いや、終わりがあるとしたら死んだ時か」
「………」
キリイは返さなかったが、代わりに炎の中の薪が反論するかのようにはぜる。
飛んできた欠片をシドは掴み取った。黒く煤けたそれを指ですり潰し、足元にパラパラと落とす。
「今度はもう正面からになりそうだなぁ」
シドはキリイが云うのが騎士団との戦いのことだとすぐに気づいた。
「さて、それはどうかな。状況は完全にこちらが有利だ。逃げる敵に追う味方。こちらは二隊に敵は一隊。敵はこちらがどこにいるのか知らず、こちらは敵がどこにいてどう動くかを知っている」
「持久戦をしかけるのはどうだ? 騎士団が持ってるのは保存食が三日分。馬の肉が腐る前に我慢して食ったとしても、数日分だろう」
「俺も考えていたのだが、それを実行に移すには北からの補給を確実に断つ必要がある。併せて敵の動きを止める必要もな」
「北にオーガ達をやるのはどうだ?」
「それだけでは足りん」
動きを止めるには突破するのが難しいと思わせなければならない。防衛戦を築けない相手に対し、そう思わせるには数にかなりの開きがなければならないが、現状では無理だろう。エルフ達が北へ回り込めれば何も問題ないのだが、あいにくこちらは荷馬車がいるせいで街道を外れて先回りできない。そして荷馬車を捨てれば敵と同じ条件になってしまう。
「このまま北へ進軍するか」
シドはポツリと云った。トト達を街道沿いの村を襲わせながら、ひたすら北へ向かわせる。同方向へ逃げる騎士は補給できずに飢える。この後の目的地へと近くもなるし、援軍がいつくるかわかっていればぎりぎりまで敵を弱体化させることができるだろう。
「騎士団を挟んだままでか?」
キリイがえっという顔になる。失敗すれば四つの隊が交互に並ぶ羽目になり、間の二隊は腹背に敵を抱え込む。
「援軍や補給がくると相手よりも早く察知できれば問題ない。行軍の疲労がピークに達した夕方から夜にかけて襲えば被害を少なくできる」
騎士団は夜間は村で野営するだろう。本来なら攻めにくい形になるが、シドが突破口を開くことを前提にすれば野戦と変わらなくなる。それに明かりのない夜は人間よりも魔物に有利だ。そこにキリイも思い至ったか、
「敵の動きが完全に把握でき、離れたところにいる別働隊と自由に連絡が取れるってのは凄い有利なんだな」
と、しみじみと云う。
「帝国の領土が拡がるわけだぜ」
「こんなところで何の相談だ」
二人の声を聞きつけたか、話しているところにベリリュースがやってくる。何故か後ろに鋭い目つきをしたエルフの女連中を連れていた。
ベリリュースはシドとキリイに見られると居心地悪そうに身動ぎし、
「俺にも一杯くれ」
キリイは駄目だと首を振った。
「欲しいなら自分で注いでこいよ」
ベリリュースは回れ右をして荷馬車へ向かい、後ろにいたターシャとミラ、サラは火を囲む。
「何を話していたんですか?」
ターシャが怖い顔をしてキリイに訊ねた。
サラがその後に続けて、
「まさか昨日の戦いの反省会じゃ――いっつ!?」
「黙る」
ミラが妹の足を踏みつける。
キリイはとんでもない、といった感じで、
「違う違う。だいぶ出世したなと思ったんでそのことを話してたんだ」
「出世? 別に地位は大して向上していないと思いますが……」
ターシャは首を捻った。
「確かに下は増えましたが、私達が上に上がったから増えたのではなく、下を掘り進んで増えた感じですよ」
「身分のことをいってるんじゃない。俺が云ってるのは生活のことだ。最初に比べてだいぶよくなっただろ?」
「は? 頭に虫でも湧いてるんじゃないの? これのどこがいい生活なのよ」
サラはそう云って辺りを見渡した。
「家もなければ寝台もない。やることといえば歩く、殺す、奪うの三つだけ。今日に至ってはとうとう食べ物だけじゃなく寝具まで敵のものになったわ」
「………」
「サラ。キリイの気持ちも考えてあげてください」
嫌そうに顔を顰めたキリイを見て、ターシャが宥めるように、
「キリイとアキムは水のために命を失うところだったのですから。彼等の物差しは水なんです」
「そんなわけあるか! 俺はただ水に困っていた時もあったのに、今はだいぶ違うと思っただけだ!」
「どうでしょうか。心の底では水に困ればいいと考えているのではありませんか?」
「馬鹿なことを云うなよ。なんで俺がそんなことを思わなきゃならん」
「水の価値が上がればあなたの命の価値も上がるからですよ。水が使い放題になれば、あなたはきっと自分を卑下する筈です。俺はこんなもののために殺されそうになったのか――と」
「俺を下に追いやろうとしてもそうはいかんぞ」
ベリリュースがいないせいで矛先がこちらに向いてしまった。キリイはまずい、と思った。こいつらの遣り口はベリリュースの時でわかっている。このままでは女達に使い潰される立ち位置になってしまう。反撃しなければ。
「物の価値は状況で変わるもんだ。あの時は非常に水が大事な場面だったんだろう。だからこそ俺達の命よりも水を重視した。これは決して俺の価値が水よりも低いということにはならない。むしろ今では俺の重要度はここにいる誰よりも高い」
「どうしてそうなるんです。せいぜいが一般兵に毛が生えた程度でしょう」
「俺はちょっと前までは騎士団にいたんだぞ。国の内実についても、少なくともお前達エルフよりは詳しい。これは今後役に立つ筈だ」
「………」
何も云い返せなかったターシャ。ミラがそれを見て口を開く。
「……それはよかった。あなたの価値が上がると私達の価値も上がるから」
「え?」
「あなたは何故あの時水が必要だったか知らない。シドは水を必要としないのに」
「………」
「あれは実は私達のためだった。つまり、シドは私達を生かすためにあなたとアキムを殺そうとした。これが何を意味するか」
「い、いや、だから状況によって――」
「そうね。状況によって使えるか使えないかは変わる。それで、シドはこの国と永遠に戦い続けるのかしら」
「勿論違いますね。戦いはあっという間に終わるでしょう」
ターシャがキリイに代わって答えた。
ミラはそうだと頷いて、
「……一過性の状況だけを取り上げて立場が上だと考える人間は、大抵自分が役に立たなくなった時味方の足を引っ張る」
「お姉ちゃんがいいこと云った! 情報を持ってるからって上に取り入ろうとするなんて最低だわ!」
「そういった考えの者は上に立つべきではありませんね」
「………」
キリイは口を閉じた。一対三では勝ち目は薄い。一言云えば三倍になって返ってくる。
「特定の状況でしか役に立たない者は、いつがその時であるか判断できる者の下につくべきです」
「……そしてそれは国家という枠組みに囚われた視野の狭い人間よりも、広大な大地を住処とするエルフにこそ相応しい」
「つまりあんたは私達の下ってことよ」
ターシャ、ミラ、サラは見事な連携でキリイに止めを刺しにくる。何も反論が返ってこないことで、白旗を上げたと判断したか、
「そういえばベリリュースもそうでしたね」
と、ターシャが思い出したように口にした。
「自分が役に立つ状況だけをみて権力を振りかざしていました」
「……あれはひどかった」
「私達がいなかったら死んでたくせにね」
「まるで自分だけの力で戦ったかのような物云いでした」
「私達に護衛をさせて手柄を立てられなくなるようにした」
「さすがお姉ちゃん! あいつのやったことはまさにそれだったわ!」
キリイは三人の会話を聞き流しながら、ここにはいないアキムとヴェガスを想った。あの二人がいれば対抗できる筈だ。合流したら事情を説明しよう。
三人は反応がないのをいいことに、ぺちゃくちゃと話を続け、そこにベリリュースが杯を持って戻ってきた。何も知らない彼はまさか自分が貶められているとは露にも思わず、
「楽しそうじゃないか。何を話してるんだ?」
と、空いた場所に腰を下ろした。
キリイはそれに憐れみのこもった視線を投げかける。目が合ったので首を振ったが、ベリリュースは怪訝そうな顔をするだけだ。
「あなたが如何に活躍したかを話していたのですよ」
ターシャが温く微笑みながら云った。
「昨日の戦闘で」
「そ、そうか!」
ベリリュースは目を輝かせ、
「自分でいうのもなんだが、及第点は取れていると思ってたんだ!」
「そうですね。あなたは大活躍でした」
「……あなたがいなかったら皆死んでいたかもしれない」
「あんたはシドがいる時と全然違ってたわ」
三人は口々にベリリュースを褒めそやした。しかし言葉の内容とは裏腹に瞳は冷たい色をしている。
傍で見ていたキリイはベリリュースに同情した。一連の会話を聞いた後だ。どれだけ持ち上げられても額面通りに受け取るものなどいないだろう。それだけではない。シドが信じてしまえばこのことは今後も尾を引くことになりかねなかった。
しかしそれに気づかぬベリリュースは上機嫌だ。
「あんた達も次からはサボらないでしっかり動くことだ。シドがいないからといって怠けるのはよくない」
「……そう……ですね」
キリイは予知能力に芽生えた。ベリリュースは背中に矢を受けて死ぬ。間違いない。
今にも爆発しそうな緊迫した雰囲気の中、ずっと黙っていたシドが口を開く。
「お前達、用がないなら寝ろ」
「……はい」
ターシャが神妙そうに返事をし、それを合図に五人は立ち上がる。
シドは座ったまま、
「ベリリュース」
「……うん?」
「明日の予定についてキリイから聞いておけ」
「あ、ああ」
五人が去ってからも、シドは独りで座っていた。明日の朝のことと、見張りがすぐにここの位置を確認できるよう薪を定期的に投げ込んで消えないようにする。
しばらくすると背後から足音が聞こえ、シドは後ろを振り向いた。
「どうした」
そこにいたのはターシャだった。二枚の毛布を持ち、闇を透かして見るようにじろじろと辺りを探っている。
「い、いえ。ここで寝ようかなー、なんて……」
「……好きにしろ」
「そ、それでは失礼して」
ターシャは適当な場所にいそいそと毛布を敷き、その上で横になった。もう一枚を体にかけ、顔だけを出してシドを見上げる。
「昨日のことを話しましょうか……?」
「必要ない」
シドは面白そうに口の端を歪め、答えた。
「結果が出ている限りは――な」




