ミルバニアにて―前門・後門―
「隊長!」
頭頂部は丸く首周りが横に広がっている皿のような兜をつけた兵士が、スリットから覗く目玉をギョロつかせて声を張り上げた。
「背後からなにか大勢きます!」
「あん?」
胡乱げな視線で部下を睨めつけたカイマンは立ち止まると振り返り、輜重隊が通ってきた轍だらけの街道に目をやった。
「……ホントだな」
そう、意外そうに漏らす。
視線の先では大勢の人影が街道をこちらに向かってきていた。道を全部塞ぐ形でずっと先まで連なっており、まるで大きな蛇がうねっているようだ。どうやら走っているようで、徐々に人影が判別できるようになっていく。
それを見た最後尾を歩いている兵士の一人が、
「あれはエルフです!」
「なにぃ!?」
「間違いありません! かなり……多いです!」
「多いのは見りゃわかる!」
カイマンは唇を歪めた。エルフが何故こんな場所にいるか理解できないし、その数の多さも、こちらに走ってくる理由も見当がつない。
――いや、エルフ達の行動の全ては一つの可能性を示唆している。それから目を逸らすわけにはいかなかった。自身が健在である限り誰も代わりをやってはくれないのだ。
「隊長! 奴等、武器を!」
「――しかたねえ! こっちも戦闘準備だ! 馬車の速度を上げさせろ! 一人前に行ってバードヴィック千人長に報告だ!」
「はっ」
「全員盾を構えろ! 走るぞ! 距離が詰まったら突撃する!」
少ない時間を使って考え、指示を出す。エルフ達は弓や魔法といった遠距離戦が主体である。足を止めて待ち構えても相手の土俵で戦うことになる。もしエルフ達にこちらを害する気があるのなら、射程ギリギリで停止して攻撃するだろう。そうなるとカイマン達は最大距離を走って突撃するしかなくなる。だがもしこちらが前に進み続ければ、相手は攻撃しようとした場合、停止して準備する間に離れる距離分を詰めてから動作に入らねばならない。その方が同じ突撃するにしても距離が短くなる。
笛の音が響き渡った。荷馬車の列は長く、いきなり最後尾が速度をあげるわけにはいかない。
カイマンは遅々として変わらない荷馬車の速度にやきもきしながら近づいてくるエルフ達を観察した。
男が多いが女もいる。疾走しているというのにバラけず列をなし、そうしながらも弓を構えようと両手に持っている。統一された武装は軍を思わせ、カイマンはこれが計画されたものであることを確信した。少なくとも食い詰めたエルフ達が身を寄せ合い、盗賊よろしく通りがかった獲物に襲撃をかけたわけではないだろう。
「ええい! 最後尾の馬車から追い抜かせろ! このままでは好きなように射られるぞ!」
カイマンが叫ぶと一列で進んでいた輜重隊の最後尾の馬車が横にずれて速度をあげた。前に並んでいる馬車をグングン追い抜いていく。そして代わりに最後尾になった馬車が今度は横にずれ、同じように速度をあげて追いかける。
カイマン達護衛は短くなっていく荷馬車の列を追いかけるように走り始めた。時折背後を振り返り、いつ矢が飛んでくるのかを確認する。
肉体的な能力だけをみるならエルフの方が身軽だがその分持ち物による影響はエルフの方が人よりも大きいのか、鎧を着たエルフ達は拍子抜けするほど遅く、このままいければ最前部の兵士達と合流し馬車をバードヴィックに任せ、騎士団と共に攻撃を仕掛けることができるとカイマンは思った。
「おいおい……。奴等、走りだしたぞ」
隣で忙しなく息を弾ませるキリイが途切れ途切れに、
「このまま……追っかけるの、か……?」
「そうだ」
エルフ達の後ろを走って追いかけているベリリュースの呼吸も激しい。
「おい! もうちょっと速度落とせ!」
ベリリュースは大声で前方に叫んだ。せっかく相手が距離を取ろうとしてくれているのに、このままでは追いついてしまう。
進む先にはシドや魔物達が待ち構えている筈であり、戦闘になるのはそれからでも遅くなかった。今ここで始めてしまえばほぼ同数の敵と正面からやりあうことになる。それは被害を増やすどころか自身の生命すら危険に晒すことと同義だ。
「距離を、保て! 体力を温存しろ! 敵が停止した時こそが――攻撃の時だ!」
シドの要求は易しいものではなかった。エルフ達はどちらかというと奇の兵であり正の兵ではない。堂々と姿を見せて襲いかかるには向いていないのだ。むしろ戦いに対して愚直な魔物達こそこういう任務には向いていた。後ろから追い立てるエルフ達と待ち構える魔物達は立場が逆ならピタリと嵌っていただろう。それにベリリュースに与えられたエルフの中には戦闘の軸となる使い手が殆どいなかった。一流の腕を持つ彼等は一流の責任感をも持っていたのか、シドに村を制圧された時に死んでしまったらしい。もしその者達がいればまともにぶつかってもきっと勝てただろうとベリリュースは嘆く。
エルフの強さは人間と同じで才能や訓練に依存している部分が大きい。魔物のように体格や力といった生まれながらの強さは持ち合わせておらず、なにもしないという条件下ではオーガであれば育つだけで強力な戦士となるがエルフでは一般人となんら変わりない。しかし寿命が長い分、戦闘経験を積んだ才能ある戦士は非常に強力で生半可なことでは仕留めることができなくなる。人間のように肉体のピークが短いわけでもなく、ほぼ無尽蔵に経験を積めるからだ。
理想は魔物達が戦うのを援護する形にもっていくことだろう。それがベリリュースの判断だった。
「総員横隊を作れ! 敵はオーガだ!」
メイヤースの死体を見送った後すぐにやってきた歓迎せざる者達。彼等を目にしたバードヴィックは即座に指示を出した。
「馬車を反転させろ! 前から順にだ!」
叫ぶ間も兵士達は続々と集まる。馬車と魔物の間に割りこむように横隊を作り、前列は武器を持たずに盾を両手でしっかりと握り、後列の兵士達は剣を抜いて構えた。
敵はオーガ、オーク、ゴブリンだった。脚の長さ故かバラけて向かってくる。
「敵の初撃はそのまま受けるな! 先制して勢いを削ぐ!」
一番前の馬車から順に方向転換し、きた道を戻っていく。それを後ろに見ながらバードヴィックは一人を後方に送った。魔物は多いがカイマン達が加勢すればなんとかなる数だった。
オーガの剥き出しになった牙すら見えるくらいの距離になった時、
「よーし、お前達! 準備はいいな!?」
兵士達は無言で迫り来る敵に視線を注いでいる。バードヴィックは返事を待たずに、
「――三! ――二! ――一! 投げろ!」
後列の兵士達がバードヴィックの掛け声を聞いて一斉に剣を投擲した。逆手に持たれた剣は鋭い切っ先を前方に向けたままに宙を滑るように飛んでいき、もう少しで兵士達とぶつかりそうになるという距離まで迫っていたオーガ達に吸い込まれる。
裸同然のオーガ達は手に持った武器を振り回して胴辺りの幾本かを打ち払うが、それを掻い潜った剣は彫像のような見事な肉体に大小の傷をつけた。
剣の殆どは致命傷を与えられなかったが運の悪いオーガは顔に傷を受けたり股間に命中したりして動きを止め、それ以外のオーガも注意を剣に向けざるを得ず、速度が落ちる。
前列の兵士が怒りの咆哮をあげて再び加速するオーガ相手に覚悟を決めていると、その腰の剣を後ろの兵士達が抜き取った。
「GAAA!」
聞くものの心胆を寒からしむ吠え声を発し振るわれる多種多様な武器。
盾をしっかりと構えた前列の兵士達は自らオーガの前に進み出てその一撃を――ある者は躱し、ある者はいなす。
初撃を凌ぐのに失敗しても成功しても後列の兵士には敵に一撃を加える機会が与えられた。
仲間の影からさっと飛び出した兵士達が隙を見せたオーガに斬りつけさらに血を流させる。オーガの正面にいた兵士だけではない。その周りの兵士達も自分が狙われてはいないと悟るや攻撃に回った。数を頼りに機を窺い、右を向けば左から、前を見れば後ろから、体重をかけて硬い粘土のような筋肉に剣を押し込む。
「いけるぞ!」
血塗れになりながら兵士達の塊に突っ込み武器を振り回していたオーガが全身から剣を生やしながら倒れ、周囲の兵は喝采をあげる。
ほんの数呼吸の間に三体のオーガが地に伏し、さすがにきついと感じたか一回り大きなオーガが叱咤するように吠えた。
「――いかん! 近づけさせるな! 離せ離せ!」
様子を観察していたバードヴィックは大声を出した。
オーガ達は武器を振り回しながら近くの仲間と距離を詰めようとしている。
「あの大きな奴を狙え!」
盾で初撃を防ぐ役目を担った兵士達も投げられた剣を拾い攻撃に参加し、十重二十重にオーガを取り囲む。
しかしバードヴィックが狙えといったオーガは死んだ仲間から武器を奪うと、それをナイフとフォークのように操り、皿の上の肉を切り分けるように兵士達を解体した。その刃の向けられるところ立っていられる者はなく、常に高速で動き続け背後から襲う隙を与えない。
仲間と協力したオーガ達はお互いに死角を補いあい、それができなかったオーガは死を覚悟して突貫し、兵士達に出血を強いる。瞬く間に辺りの地面は両者の血でまだらに染まった。
オーガ達は数が減れば減るほど手強くなっていった。身体能力では人を遥かに凌ぐ彼等は相応の技術を併せ持てば肉弾戦のできる魔法士と大差ない。ただ力が強いだけのオーガから死んでいき、力の強さをどう使えばいいのかを考えられるオーガだけが生き残る。密集しているせいで武器も投擲できず、そのうえ隙を見せなくなったオーガを兵士達は攻めあぐね、その数が十を切った頃には戦闘は膠着状態になった。
バードヴィックは焦りとともに、
「十倍の数でなにをやっている! オークがくるぞ! 一旦距離をとって隊を整えろ!」
しかし引こうとする兵士達と紐で繋がっているかのようにオーガ達も移動した。
やむなく迎撃する兵士達。オーガを囲む円が揃って北に移動する。
「外側の兵はオークを防げ! 内側はオーガ! 他はそれを援護だ!」
バードヴィックは仕方なくこのまま待ち構えることにした。
「外側は倒そうと考えるな! 時間を稼げ! 消耗を避けるんだ!」
外側の兵士達はその指示に盾を不安そうに構え直す。
そこへ何百というオークの群れが氾濫した河川のように流れ込んだ。
「BUMOOOO!」
ちぐはぐに防具をつけたオーク達が狂ったように盾に武器を叩きつけ、小さくまとまった兵士達は盾を密集させて首を竦める。時折剣を盾の間から出して威嚇した。
「こちらにも来ます!」
隣にいた兵士が叫び、バードヴィックの周りにいた兵士達も円陣を作る。
オーガを包囲する兵士達の輪をさらにオークが包囲し、そこから溢れた分がバードヴィックのいる集団にぶつかって岩にあたった水流のように二つに割けた。
「馬車の方にいかせるな!」
そう命令するも、北へ向かう敵を指を咥えて見ているしかなかった。馬車のほうに向かうということはこの場の指揮を放棄するということである。無論カイマンの部下である小隊の指揮官連中はいるが、彼等は小さな集団に分断されており任せるに心許ない。それに指示を出そうにも笛では仔細は知らせることができず口頭では届かなかった。魔物の鳴き声で辺りはうるさいほどであり、盾を親の仇のように殴りつけるオーク達の所業がそれに拍車をかけている。
「千人長! 馬車が停止しました!」
「は?」
北側を守っている兵士の言葉に、バードヴィックは間の抜けた言葉を返した。
見ると反転して北へ戻っていた馬車は途中でつっかえたように止まっており、そのせいで列そのものがその場に留まっている。
「馬鹿な!」
視線で馬車の列を北へ追っていったバードヴィックは信じられないものを目にした。
街道の空いた部分を馬車が北から進んできており、バードヴィックの命令によって反転した馬車とぶつかっているのだ。彼等は街道から外れないことにはどこにも進むことはできず、そうするためには元々の列の馬車を南へ動かすしかない。
――この、戦闘のあっている南へ向かってだ。
「一体何を考えているカイマン!」
ここにはいない知己を思い浮かべた。
オーク達は有効打を与えられないにも関わらず、腕しか動かない人形のように盾を叩き続けており、それがバードヴィックの神経を逆撫でする。
「ゴブリンもきます!」
「わかっている!」
何か手を考えねばならなかった。このままではカイマン達と合流する前に全滅してしまうだろう。相手が人間ならとっくに降伏を視野に入れている戦況であるが、相手が魔物であることがそれを許さない。
既に周囲は魔物だらけで、その中にオーガを中心に据えた兵士の群れが幾つか存在し抵抗を続けている。
「突破して孤立している集団と合流するぞ!」
結局そう云った。まだ勝機はあると思った。馬車を見捨てて逃げることはできない。食料がなくなれば千の人馬が飢えるのだ。それは千という数の兵が消える以上の意味を持っている。
バードヴィックと周りの兵士は最も近くにいる友軍を目指した。間にはオークとゴブリンが嫌という程おり、ぎゃあぎゃあと喚きながら邪魔をしてくる。それを切り崩しながらじわじわと進んだ。
――不意に、
「千人長!」
「今度はなんだ! エルフでも来たか!?」
「いえ! 奴等が静かに――」
兵士の云う通り、急に魔物達が大人しくなった。尖った耳がピクピクと震え、眼球を忙しなく左右に動かしている。
変化は南からやってきて北に抜けた。そしてその後は一旦は動きを止めた魔物達が更なる凶猛さで襲いかかってくる。
「今のは一体……?」
勢いを増した苛烈な攻めを防ぐ兵士達の中央でバードヴィックは眉を顰めた。
「――ああっ!?」
一人の兵士が悲鳴のような声をあげる。
南側の一群で均衡が崩れたのだ。
外側でオークやゴブリンを防いでいた壁が破れ、中心に敵の侵入を許した兵士達は水を得た魚の如く暴れまわるオーガから逃げよう北への突破を試みる。
しかし彼等はあっという間に魔物の波に飲み込まれた。船が沈むように魔物の中に埋没し、二度と浮き上がってはこない。
「あれは――!?」
バードヴィックの目にオーガと並ぶくらい大きな男の姿が入った。その男は崩れた円陣の位置に屹立し、魔物の波はそれを避けているようだった。
男が動くと魔物達は道を開けた。
誰にも邪魔されずに兵士達が支えている防衛線に到達した男は、オーク達が攻撃を止めたおかげで一息ついていた兵士の腹腔を無造作に槍で抉り、怒りの反撃を敢行したその仲間を的確な一撃で次々に始末していく。退がるということを知らないように見える男は歩みの遅さに反比例してきわどいところで保っていた戦況をたちまち塗りかえた。
男の現れるところ防衛線は瓦解し、孤立した兵士達の集団は着実にその数を減らしていく。
その姿はまさに無人の野を行くが如しで、兵士達は赤子も同然の扱いだった。
「こ、これはいかん!」
バードヴィックは今こそ悟った。――メイヤース率いる騎士隊が何故ああもあっさり敗走したかを。
「笛を吹け! 撤退する!」
「しかし!」
「いいから吹け! 俺達で撤退を援護する!」
「わ、わかりました!」
笛の音が響き渡ると戦場にいる全ての者が何事かと視線を向け、その中をバードヴィックの所属する集団は方向を北へ変える。オークやゴブリンを突破して馬車へ近づき、御者に構っている魔物を背後から襲いかかり始末すると、
「馬車を道から外せ! 引き綱を切って馬に乗るんだ!」
時間を稼げるように馬車を街道からずらし馬と切り離す。
「火をつけましょう!」
兵士が云ったが、バードヴィックは首を横に振った。
「それは駄目だ! 本隊が飢える! 食料は後で取り戻せば良い!」
どちらにせよ全てを燃やす時間はない。一日二日で消費できるような量でもない。ならばそっくり残して敵の足枷にしたほうがマシだった。
やるべきことを知った兵士達は敵を防ぎつつ馬の尻を斬りつけ南へ走らせる。
暴走した馬はオークやゴブリンを跳ね飛ばし、間隙を利用して孤立した兵士達は脱出を図った。
バードヴィックは、立ち往生した馬車の間を縫うように走り抜けて北へ向かう兵士の中から馬に乗れるものを選び、西を経由してカドモスに報告するよういいつけると本腰を入れて撤退を始めた。
「邪魔にならないだけ食料を取れ! 馬も使え! とにかく北へ逃げろ!」
馬も食べ物も腐るほどあった。咎める者も今はいない。
自軍の物資を両手に抱えた兵士達は戦うことを止めて逃げ出し、魔物達がそれを追いかける。
自分の脚で走っている兵士達が圧倒的な早さで追いついたオーガに次々と背後から襲われるのを尻目にバードヴィックは跨がった馬を安全圏まで走らせた。
一瞬チラと隊を整えて再度抗戦すべきかと迷ったが、別の要素が絡まない限り同じ結末になるのは目に見えており、まずはカイマンと合流することが先決だと思い直す。
そしてバードヴィックは北から走ってきたカイマンの部下と出会った。
その兵士は喘ぎながら声を絞り出す。
「せ、千人長! 北から――」
「北へ撤退する! 護衛の騎士隊はやられたぞ!」
「北からエルフが――え?」
「――北からエルフだと!?」
バードヴィックと兵士は共に困惑した表情で凝め合った。




