ミルバニアにて―騎士団―
一週間ほど前から家のリフォームが始まっておりまして、もうじき部屋の荷物を一時撤去しなければなりません
その間、更新が遅くなります
陽光を反射して凶暴に光る鏡面のように磨きぬかれた穂先は、常人ならば回避することがかなわないタイミングでシドに迫った。
シドは後ろに大きく飛び退り、突出した中央の槍を左手ではっしと掴むや両の手に持った槍で襲い来る二騎を迎撃する。
右手は云うに及ばず、左手の槍すらもシドの手にあってはアウトレンジからの一撃を可能たらしむ。背丈に見合う腕の長さを備えるシドが敵と同じ武器を繰り出せばどうなるか。それは例え相手が馬上であっても変わらなかった。
シドの突き出した槍は狙い違わず騎士の胸に吸い込まれ、右手の敵は見えない壁にぶつかったかのように宙に停止し、左手の敵は衝撃を吸収できずに半ばから折れた槍をそのままに地面と接吻をする。
二人の乗っていた、押し潰さんと迫る馬体を肘で左右に押しやったシドは剣に持ち替えてなおも諦めぬ三人目に下から槍を繰り出した。
相手は槍を防がんと馬の首に身を伏せる。
歪な柄と違い単純で堅い穂先が首の皮膚を突き破り、耐え切れなかった肉は冷たい金属の侵入を許す。馬体を停止させた衝撃にシドの足元が線を描いた。
咄嗟に身体を捻っていたのか、無傷の敵は馬から飛び降りるや斬りかかる。
シドの右腕に命中したそれに男は喝采をあげた。
「やった!」
「………」
シドは黙って崩折れた馬に足をかけて槍を引き抜く。
「……あれ?」
きょとんとする男の尖頭アーチ型の兜を叩き潰した。
瞬く間に三人を屠ったシドに、指揮官らしき敵が、
「下馬して取り囲め! 背後から襲うんだ!」
シドは苦笑を禁じえない。判を押したようにこれまで殺してきた相手と同じだった。
馬を降りて槍を前に突き出しながら躙り寄ってくる敵集団を静かに待つ。
「かかれぇっ!」
ぎりぎり、シドの間合いの外と思われる地点に来た瞬間敵の指揮官が叫び、命令を受けた男達は一斉に槍を構えて跳びかかった。
三本どころではない数の穂先が胴体のあらゆる箇所に命中し、恐怖と怒りに歪んでいた男達の顔にほっとした色が見えたが、次には驚愕と恐怖に色を変えた。
男達がいる場所はシドの手の中だった。末端を持って振り回されたシドの槍が綺麗に並んでいる兜を楽器のようにガンガンと打ち鳴らし、男達はドミノさながらにバタバタと倒れる。
「怯むな! 数で押せぇ! 武器が効かないならしがみついて押し倒すんだ!」
わっと周りの敵が集まった。槍と剣をシドに向かって投げつけ、当たる当たらないに関わらず素手で掴みかかる。
それに対しシドはただ槍を振るった。その場から動くこともせず、移動する手間も惜しんで殺すためだけに行動する。
腰にしがみついた男の頭を肘で叩き割り、背中にのしかかった男の顔を握り潰した。
右腕に取り付いた男の眼窩に指を突き入れ、懐に入り込んだ男の頭を齧り取った。
地中深くに根を下ろした大樹が雨にも負けず、風にも負けないように、シドもまた剣にも負けず、槍にも負けない。出力とバランスは別のものであるが、同時に十人が腕や体躯にしがみつくことなどできやしないのだ。数人程度の重さでは仔犬にじゃれつかれてるようなものだった。
「こ、こんな馬鹿な……」
いつしか周りは死体で埋まり、足をつく場すら探さねばならないほどになる。これぞまさしく死屍累々といった風で、最初喚いていた指揮官は殺した数が二十を超えた辺りで口を閉じ、三十を超えたところで表情に罅が入る。四十を超えて青くなり、五十を超えた今では如何にも怪しげに視線を泳がせていた。
最早生き残りの敵は襲いかかろうとするのを止めており、さっさと退却を命令しろと急かすような眼差しで指揮官を見ている。
「馬を降りた騎士を倒したくらいで調子に乗るなよ、貴様!」
と、指揮官が絶叫のような声で云った。
「こちらにはまだ今の十倍の騎士が残っているんだ! 死にたくなければ武器を捨てて投降しろ!」
「………」
シドは勿論のこと、仲間である筈の男達すらも押し黙る。
「どうした!? 何故答えない!? さては恐怖のあまり口が利けなくなったか!?」
「………」
周りの男達はまさか――という顔で自らの上司を凝めている。心配そうな表情を浮かべている者もおり、疑惑の目が指揮官の言葉ではなく指揮官そのものに向けられているのがシドにはわかった。
「――た、隊長! あれを!」
唐突に指揮官の隣にいた男が南西を指差して云った。
シドも含め、その場にいた全員がそちらを見る。
指の先には、一騎の騎馬が土を蹴立てて草原を駆けてくる姿があった。
「――おお! 援軍か!?」
指揮官の間抜けな台詞が響く。
「違います! その後ろです!」
駆けてくる騎馬のずっと背後にはもうもうと土煙が立ち込めていて、その前では豆粒のような人影が沢山蠢いていた。
シド以外の者達の顔が安堵に緩んだ。その顔は自分達の指揮官は気が触れていた訳ではなかった、こうなることを知っていたのだろう――と考えているのが丸わかりであった。
しかし――
「あ、あれは――」
視力の良いらしい一人の騎士が真っ先に人影が何であるかを悟り、
「あれは魔物です! 魔物の群れがやってきます!」
「なんと! 魔物の群れがやって来たか!」
騎士の表情は悲痛だったが、指揮官の方は何故か喜色を浮かべている。
「隊を整えろ! 魔物を迎撃するぞ!」
指揮官は颯爽と隣の男に命令した。
「は? い、いや……しかしですね――」
「今こそ我等騎士の力を見せる時!」
「あの男はどうするのです?」
「馬鹿者!」
指揮官は目を剥いて怒鳴りつける。
「殿下の命令を忘れたか! 魔物を迎え討つことこそ我等が使命! 旅の傭兵など放っておけ!」
「………」
麾下が半数以下に減ったにも関わらず敵に背を向けず戦おうとする指揮官は状況が状況なら賞賛の目を向けられて然るべきだろう。彼の瞳には魔物に対する恐怖など微塵もない。そこにあるのは決意と怒り、そしてほんの少しの狂気だった。
「いざ行かん、騎士達よ! 例え自軍に数倍する敵であろうとも日頃の訓練の成果を発揮できれば如何ほどのことがあろうか! 大義と武勇の前に敵はなし!」
「………」
「どうした! さっさと部下を整列させろ!」
その時口うるさく怒鳴りつけられる男の胸に去来したのはどのような思いであったろう。
俯いた顔をそのままに、ぼそぼそと男は答えた。
「そ、そうですな。どう考えてみても男一人より魔物の群れのほうが危険であります。ここは騎士である我等がより危険な方を引き受け、男は輜重隊に任せるのが筋というもの」
「その通りだ!」
指揮官は大声で断定し、剣を高々と掲げつつ、、
「さあ行くぞ!」
「はっ! 皆馬にまたが――ほうぅっ!?」
シドが投げた軽槍が指示を出そうとする男の腹を突き破った。
男は大きく後ろに吹き飛び、その様に他の騎士達の感情がとうとう決壊した。
「う――わあああああっ!」
「退却だぁ! 退却しろぉ!」
口々に喚きながら手頃な馬に跳び乗るや北に向かって遁走する。
「ま、待てお前達! どこへ行く! 魔物はすぐそこまで来ているのだぞ!」
指揮官が声を張り上げるも既に緊張の糸は切れており、制御できない激情に飲み込まれた騎士達には届かない。
部下の敵前逃亡を指を咥えて眺めるしかなかった指揮官はシドと二人きりになったのに気づくとハッとした顔になった。慌てた様子で、
「くそう! なんたるざまか!」
と、悔しげに何度も鞍を叩く。
「兵がこれでは勝てる戦も勝てぬわ!」
「………」
指揮官は頑なにシドの方を見ようとはしなかった。視線は常にあらぬ方、言葉は宙に溶けて、一人芝居にますます熱が入る。
その態度は一周回って清々しく、さすがはあのアキムやキリイを輩出した騎士団だとシドに思わせた。
「これはいかん!」
――不意に、指揮官は空を仰ぎ見て云った。
「急いで魔物の襲来を知らせねば!」
手綱を引いて馬の向きを北に変え、拍車をかける。
「ハイヨーッ! シルバーッ!」
呼び声に甲高い嘶きで馬が応え、人馬一体となった指揮官は北への逃避行を開始する。
それに対しシドは再度槍を拾い、どんどん小さくなる背中に向かってそれを投げつけた。
「――ぶふぅ!?」
轟と飛んだ槍は遥か先で騎馬と重なり合い、馬上の人影は馬の首にしなだれかかる。乗り手の変化を知ってか知らずか馬はそのまま駆けていった。
顔を横に向ければ、離れたところをオーガを先頭にだいぶ遅れてオーク、そしてゴブリン達が北に走っており、足を止めることも、近づくこともせずに敵が逃げた北へ向かって走る彼等を横目に、シドもまた槍を担ぎ直すと大股に歩き始めるのだった。
「バードヴィック隊長。なにやら前方が騒がしいようですが……」
隣を歩いている護衛の兵士の言葉に、バードヴィックはわかっていると首を振った。
静かな田舎道を歩くバードヴィックの耳にも、少し前から喚声のようなものが微かに聞こえていた。
「本当に魔物が出たのかもしれんな」
そう独りごち、不安そうな兵士に向かって、
「心配するな。騎士団が見つけていない筈がない。騒がしいということは彼等が仕事をしているということだ。だが念の為戦闘準備だけはしておけ」
「はっ」
兵士達は後ろの仲間に声をかけながら背中に括りつけた小さな円盾を下ろす。
護衛は荷馬車の前後を挟むように行軍している。バードヴィックは一人を報告にカイマンの元に走らせた。
前方だけでなく左右にも目を配りながら進んでいると、さっきまで聞こえていた喚声がはたと鳴り止んだ。
「……終わったようだな」
目で問いかけてくる兵士達に云う。
「勝ったのでしょうか……?」
「さてな。あいつらの気性からいって、報告にきたら勝ってるだろうさ」
「……負けていた場合は?」
「殿下のところに逃げるか、散り散りに逃げるか。どちらにせよ俺達にわざわざ知らせにはこないだろうよ」
「なら、勝ったみたいですね」
「うん?」
兵士の視線を追うと、南の方から騎士が駆けてくるのが見えた。
しかも一騎や二騎ではない。何十もいる。
「そんなに自慢したくなるほどの数を相手にしたんでしょうか……?」
「そんなわけがあるか」
バードヴィックは表情を固くして、
「なにか起こったに違いない。隊を停止させろ」
「はっ」
輜重隊を止めてやってくる騎士達を待つ。
距離が詰まると、彼等が武器を持っていないのに気づいた。
焦燥と危機感に唇を引き結んだ彼等は尋常じゃない速度で馬を走らせており、
「おいお前達! いったいこれは何事だ!?」
と訊ねるバードヴィックを見えぬ者のように無視して通り過ぎる。
「お、おい――」
あげかけた手をそのままに唖然とするバードヴィック。
背後を顧みぬ疾走を見せる騎士達が去った後、少し遅れて一頭の馬がやってきた。
馬の首には騎士が抱きついており、頭頂部を向けるその兜の飾りを見たバードヴィックは彼がメイヤースだと知った。
馬は速度を緩めることなく近づいてくる。
「――止まれ! メイヤース!」
これはさすがに看過できないと、バードヴィックはすれ違いざまに手綱に手を伸ばす。
その手がピタリと動きを止めた。
「おお……」
バードヴィックは見た。
――馬の背に乗るメイヤースの、背中から生える一本の槍を。
永遠に活動を停止した百人隊長を乗せ、騎手の血で腹を黒く染めた馬はザッパザッパと駆け抜けていく。
「おお、メイヤースよ。死んでしまうとは情けない」
バードヴィックはとりあえず罵っておいた。




