ミルバニアにて―足止め―
夜明けとともにカドモスは騎士団長に軽騎兵五百を与え出発させた。百騎ずつを左右に配し大きく距離をとって南下する。カドモス自身は重騎兵四百を率いる。近衛を引き連れて出発する前にバードヴィックに声をかけた。
「念の為に百を残しておく。万が一左右に魔物が回りこんでいた場合は伝令を送り時間を稼げ」
「わかりました」
バードヴィックは答え、
「どの隊を?」
「メイヤースの隊だ」
一応頷きはしたが聞いたところでどうなるものでもなかった。ろくに話をしたことがないし、どうせ飯の催促以外では話しかけてこないだろう。
小型の弩を馬に括りつけ、剣を佩いて槍を手にした騎士達とは様相を異にしている近衛は自分の得意な武器を持っている。関節に棘の生えた黒い鎧を着用し、剣と盾は皆同じだがそれ以外に一つ統一性のない武器を所持している。彼等は揃いも揃って大柄で冷たい目をしており、この五十人だけで勝てるんじゃないかとバードヴィックは思った。
「ご武運を」
バードヴィックが頭を下げて云った言葉に適当に手を振り、カドモスは背を向ける。
「殿下はなんと?」
後ろで待っていたカイマンが話しかけてくる。
「百残していくそうだ」
「うん? 何故だ?」
「魔物が左右に回りこんでいた場合を警戒して、さ」
「……あると思うか?」
「普通に考えたらないだろうが――」
「………」
「どちらにせよ、仮にあったとしてももう遅い」
「どういう意味だ?」
「考えてもみろ。こちらの動きに朝気づいて走っても間に合わない。本当に迂回してたのならそれはこちらの動きを予想しているということだ。それは状況に合わせて動くのではなく状況を作っている。そんなことは戦術の天才でもなければできないだろう」
「オーガに天才が産まれたんだろ」
カイマンはからかうように云った。
「昨日云ってたじゃないか」
「仮にそうだとして、そこまでの頭を持っている奴が彼我の戦力差を理解できないと思うか? 動きを読めるのに戦力を読めないなどと何故思う?」
「何をしたって絶対に負けるとでも云うつもりか? 馬鹿馬鹿しい。あんたは自分を自分を低く見積もり過ぎだぜ。だから出世できないしハゲるんだ」
「………」
「いや……すまん」
「……まあいい」
バードヴィックは気を取り直して続ける。
「敵が本当に迂回しているのか。迂回しているのならどこに迂回したのか。このまま南へ進み続けても問題ないのか。何が正解なのかは終わってみないとわからないんだ。騎兵を分散させて各個撃破するのが敵の狙いなのかもしれないのだからな」
「もっと上手いやり方はなかったのか? 騎士団をちょうど半分に分けるとか」
「敵がこちらの動きを読んでいる可能性を忘れるな。半分に分けて南で敵全部とまともにぶつかりあったらどうする。こちらの軽重は足並みが揃ってないのだ。ただでさえ受ければ脆い軽騎兵を少ない数でぶつけるのは単なる消耗戦だ。負けない戦いではなく勝てる戦いをせねば勝てないのは道理だぞ」
「じゃあ詰んでるじゃないかよ」
「だからもう遅いといったんだ。情報戦で負けているという前提の上で云うが、こちらが今回用意した戦力では賭けに出ざるをえない」
「もし初めからわかってたらどうする?」
「簡単なことだ。出没地域の北と東西に歩兵を集めて押し包み、騎士団で始末する。南はウェスタベリだ。魔物が逃げ込んでも心は痛まない」
「うーむ……」
カイマンは眉を寄せて唸る。まだ何かあるようだった。
「なあ、ふと思ったんだが――」
「うん?」
「どうにもならないんなら進退を考えて配置すべきじゃなかったか?」
「進退?」
「そうさ。どっちが襲われるかわからないんだ。ならこっちに騎士を多く残しておけば襲われても俺達は問題ない。逆に前に敵がいて、騎士の半分がやられても撤退できるぞ」
「馬鹿。騎士達が半分を魔物にやられて大人しく撤退などするものか。残りで突撃しようとするに決まってるだろう」
「……ああ。云われてみりゃそうだな。こりゃますます貧乏クジを引いた感が強くなってきたぞ。さっさと家に帰りてえ」
「頼むから逃げたりしないでくれよ」
「あんたを置いては逃げないさ。逃げる時は一緒だ」
「………」
「真面目な話、もし敵にこちらが襲われたらまずいか?」
「……そうだな。普通なら騎兵が百と歩兵が三百あればなんとかなるが」
「最悪の場合も覚悟しておいてくれ。俺は死ぬまで頑張るのは御免だ」
「わかった」
バードヴィックは頷いた。だがこれは命欲しさに逃げることを了承した訳ではない。カイマンが普段は命を惜しんだ戦いをする男ではないのは知っており、今回のこれは違う。命をかけても勝てない時は勝てないのだ。そういう意味に受け取った。
「そろそろ動くぞ。話していると残った奴がうるさく云ってきそうだ」
「たしかに。手柄を立てられないって喚きそうな風ではある」
二人は遠目にメイヤースという隊長を眺め、
「カイマン。前方は騎士に任せようと思う。お前は――」
「後ろだな。しかし騎士はべったりくっついて進むわけじゃないだろう? いくらか前に出そう」
輜重隊で現在残っているのは三百台の馬車と三百の歩兵だった。残りは補給のために北へ引き返している。騎士団は倉庫を引きずって歩いているわけではないので、物資を載せる馬車はどうしても置いておかねばならない。カイマンはその中から、
「百人を前に、残りは後ろでいいか?」
「それでいい。お前は――」
「俺は後ろで指揮を執る。前はあんたが頼む」
「了解した」
カイマンが配下の兵に大声で怒鳴る傍ら、バードヴィックも副官に指示を出した。後片付けが終わり次第井戸から水を汲み、本隊の後を追うように云う。
居残りの騎士達は一足早く動き出したようだった。数騎を扇形に先発させ、のろのろと馬を進ませ始める。
バードヴィックはため息をついた。敵が左右に回りこんでいたら迎撃しろと命令されているだけなのでこちらとは関係がないとでも考えているのか。何故迂回されていたらまずいのかに思い至ればこちらを無視はできない筈である。それとも、輜重隊を軸に動くことを誇りとやらが許さないのだろうか。
(………)
バードヴィックはどうするか迷った。もしもの際どう動くかなどの打ち合わせをしておいたほうが無難だろうが、話しかける気になれない。
(……まあ、どっちにしろ無意味かな)
メイヤースとやらはどうせこちらの云うことなど聞かないだろうと思う。そしてバードヴィック自身も騎兵の動きに輜重隊を合わせることをするつもりはなかった。――いや、合わせようと思っても無理なのだ。重い荷物を積んだ馬車や歩きの兵士が騎兵について行けるわけがない。そうなると理想は輜重隊の行動を騎士が補佐することになるが、それは向こうが了承しないだろう。
バードヴィックには聞かなくてもわかる。きっとメイヤースはこう云うに違いない。
(のろまなお前達に合わせていたら俺達の持ち味が殺されてしまう! どうせ敵を攻撃するのは俺達なのだ! お前達は尻を見せて逃げればいい――ってな)
最悪の場合は本当にそうなるだろう。日を追うごとに弱々しくなる太陽を見上げ、バードヴィックは周辺の地理を頭に思い浮かべた。命をかけて騎士のために尽くすか、それとも自身と配下の兵の身を優先させるか。その時バードヴィックは選ばなければならないのだ。
メイヤースは苦虫を噛み潰したような顔で部下の騎士達が黄色くなり始めた下草を踏み躙って散っていくのを眺めていた。
収穫の終わった農地の間を湿って黒くなった農業用水路が走り、点在するなだらかな丘陵には小さな林が居座っている。視線を遥か先へと伸ばしても似たような光景しか目に入ってこなかった。
メイヤースはやるべきことを黙々と命令した。輜重隊は襲われても前に逃げるか狭い街道で反転して後ろに逃げるしかない。騎兵はともかく重い積み荷を背負った馬車は踏み固められた街道を外れてはまともに進めはしないのだ。メイヤースは命令を正しく認識しており、カドモスの危惧するところを正確に見抜いている。つまりは先敵発見であり、輜重隊に敵を近づけないことが第一とされる。輜重隊の指揮官であるバードヴィックと会話することに意味はなく、馬車が戦闘に巻き込まれれば騎兵にできることはなにもないのだ。そうなった時戦うのは護衛の兵士達であり、メイヤース達には馬車に肉迫した敵ではなくそれ以外のまだ距離のある敵を攻撃することが求められる。それにもまして、敵を見つけ殲滅することはメイヤースにとって溜飲を下げる唯一の方法であった。
そもそもメイヤースは輜重隊と肩を並べて行動することに忸怩たる思いを抱いている。かつて騎士は今の何倍もおり、その内実は貴族やそれに仕える騎士家系、または一定以上の土地所有者から成っていた。彼等は武具や馬、食料すらも持参し、略奪は重要な稼ぎで、戦争は生きるための必要行為であった。
しかし今、騎士と呼ばれる者達は宮中に留まる騎兵に限られている。その数は近衛や審問官などを全てを合わせても千五百程で、給金を貰って戦う職業軍人に過ぎない。王がそうしてしまった。
騎士に命令を下すのは王族であり、命令がなくば勝手に略奪することもできない。稼ぐには手柄を立てる必要があるのだ。なので今回居残りを命じられたことはメイヤースの望むところではなく、むしろ迂回した敵が襲ってくることを待ち望んでいるふしすらあった。
馬体には弩、腰には斬るための軽い剣と突くための重く短い剣、手には軽槍を持った騎士を茂みや林に派遣して進む先にある待ち伏せできそうな場所を調べながら騎士達は進む。後ろをついてくる輜重隊と徐々に距離が離れ始めるがメイヤースは気にしなかった。敵は湧いて出るわけではない。きちんと可能性の芽を潰せば行動の幅が拡がるのは自明の理であった。
側対歩で進んでいた馬の足を、ある程度の差がついたところで並足に変えた。障害物がなければ辛うじて視認できる距離だ。
メイヤースの思いとは裏腹に道程は順調で、人っ子一人通りがかることがなかった。真上辺りに登った日が気温を押し上げ、行軍を快適なものにするよう頑張っている。
夏には卵が焼けるほど熱く、冬には皮膚が剥がれるほど冷たくなる鎧を着た兵士達にとってこの時期の行軍は一年を通して二番目に良かった。小さな子供と同じくらいの重さがある鎖帷子がずしりと肩にのしかかるが、重装備の騎兵とは違いその上に板金鎧を装着しているわけではないメイヤースの隊は疲れを見せずに距離を稼ぐ。
これはいよいよハズレを引いたか――と本格的に思い始めた時、状況に変化があった。
その男を見つけたのは偵察に先行させていた騎士の一人であった。
「――隊長。前方に男が立っております」
戻ってきた騎士は開口一番そう云ったのだった。
メイヤースは目を凝らすが男の姿は微塵も見えなかった。
「先に進んだ私が視認できる距離です」
と騎士は報告する。
「旅人ではないな」
メイヤースはそう答えた。旅人は珍しいことではない。いくつもの村が廃村になっているとはいえ、それまではたくさんの住民が生活していた。しかしその男は違うだろうと思う。魔物がいる南からやってくるわけがない。騎士団は順次南へ進んでいる。つまりここら辺りは数日前まで魔物の群れが活動していたのだ。
「大柄で槍のようなものを持っておりますが――」
「……どこかの領主が雇った傭兵かもしれんな」
「………」
「とりあえず進むぞ。邪魔にならないよう脇に避けろと伝えろ」
「はっ」
部下が馬を走らせて戻っていく。
しばらく進むとメイヤースの目にも件の男が見えるようになってきた。
「――隊長!」
背後の騎士が叫び、メイヤースは手綱を引いて馬を停止させる。部下が何故叫んだかはわかっていた。 遠目に見ても男は大きかった。人の形をしたオーガが服を着て歩いているようなものだ。足元に馬が倒れていて、乗っていた騎手は投げ捨てられたゴミのようだった。
背後から前に出てきた騎士がメイヤースの周りを固めた後、進みを再開させた。
近づくにつれて詳細が明らかになる。
男は右手に持った大きな槍を首の後に廻す形で担いでおり、地面に転がっている騎士はピクとも動かない。頭を上げた馬が哀れを誘う嘶きを上げる中、メイヤースのあげた手を合図に騎士達が街道を外れて男の周囲を広く取り囲む。
メイヤースは軽槍を握り締め、声が届く距離までさらに近づいた。同時に後ろに残っている麾下から数騎を念の為に周囲の警戒に走らせる。この男の目的が騎士達の注意を引きつけることなら十二分にその役割を果たしている。
「おい」
と、部下の騎士に云うと、その者が前に進み出て声を張り上げる。
「武器を捨て、身分と目的を答えよ!」
男は動かなかった。くすんだ色の裾の長い上衣とズボン、長靴を履いており、見たこともない服装である。目を隠していることもあいまってのどかともいえる光景から明らかに浮いていた。
「質問に答えんか貴様ぁ!」
「………」
男は悠然と立っており、そこからは緊張感も悲壮感も微塵も感じられない。まっとうに考えれば倒れている騎士をやったのはこの男になるが、その姿がもしかして――と思わせた。
「弩を」
メイヤースが命令すると騎士が一人馬上でハンドルをぐるぐると回した。歯車と歯竿によってぎりぎりと引き絞られた弦が触れれば切れそうなほど張り詰めると矢を装填し、男にその切っ先を向ける。
「次に質問に答えなければ射て」
メイヤースの声は確実に男にも届いただろう。しかし男は、
「倒れている者はどうした!? お前の仕業か!?」
という騎士の質問を再三に渡って無視した。
メイヤースが小さく顎をしゃくると弩を構えた騎士は躊躇なく引き金を引き、発射された短く重い矢が大気を切り裂いて男の身体の中心に向かって飛んだ。
誰もが男がもんどりうって倒れる姿を想像した。しかし男はヒョイと左腕を動かし投げ渡された果実を受け取るように矢を掴みとる。そしてあろうことか手の中でくるりと回し先端を下に向けたそれを足元の騎士に突き立てた。
その光景に周りを取り囲む騎士達が一気に殺気立つ。
「殺せ」
短く口にすると三人が槍を構えて飛び出した。
三人は道の中央に立つ男に対し横一列となる。左側の騎士は槍を右手に持ったまま、右側の騎士は左手に持ち替え、真ん中の騎士は逆手に。
中央の騎士は途中で速度を落とし、槍を大きく後ろに振りかぶった。両側の騎士が男に到達する直前に投げ放ち、合計三本の槍が男に殺到する。
「―――」
頑として開かれなかった男の口がようやっと開き、輝くような歯が剥き出しになるのがメイヤースの眼に強烈に焼きついた。




