ミルバニアにて―宣誓―
その日、戸を締め家に閉じこもり、ただ時間が過ぎるのを待っていた町の住民達の耳に、規則正しく響く足音が薄い家の壁を突き抜けて入ってきた。
時が経つにつれ、改善しないどころかますます酷くなる生活に彼等の精神は打ちのめされており、日も高いというのに外出を控え家に引き篭もっていたが、響いてくるその音におそるおそる外を覗き見る。
快晴の空から降り注ぐ光に本能的な安堵を覚えた彼等は外を見た途端真っ青になった。
目の前で、鎧を着たエルフ達が弓を身体の前で立てて持ち、膝をピンと伸ばした脚を高く上げて跳ねるように歩いている。エルフ達の目は何の感情も浮かべておらず、静まり返った通りを闊歩する姿は人形のようであった。
硬化処理が施された革靴で砂地の地面を蹴り、戸や窓の隙間から送られる視線を物ともせずにエルフ達は行進する。赤茶けてた筈の鎧はいつの間にかその色を変えており、薄緑と黄色い斑模様になっていた。
住民達はエルフが何故こんな真似をしているのか理解できなかったが、それでも朧気にわかることがある。
それはこのような行動をさせている者が誰であれ、その意志はエルフ達の頭上を覆い、彼等を強力に縛り付けているということだった。そして今やその誰かの意志は町を侵食し自分達をも縛り付けようとしている。
住民達はやっと自分達が受け入れた存在が不幸しか招かないことを知ったが、徐々に伸ばされた腕は既に住民達の心の臓を鷲掴んでいて血を流さずには逃れることはできない。未来は黒く塗り潰されていて、彼等は心の中で迷子になった子供のように悲鳴をあげた。
壁沿いの道と町を十字に貫く大通りを八の字を描いて行進するエルフ達は町の四方でそれを繰り返した。途中何度も中央の広場を通る。
広場に来た彼等はぐるりと首を回し、一点に視線を集める。
視線の先ではシドが手を後ろで組み、エルフ達と同じように凍てついた表情で彫像のように立っていた。
周囲には一族郎党あまさず処刑された商人達の頭が台の上に罪状と共に並べられており、晒されてから日時が経っているせいか半ば崩れてはいるが男は憤怒と懇願に染まった表情を、女子供は恐怖と絶望に染まった表情を浮かべているのがわかる。
一糸乱れぬ行進で町の中を歩き回ったエルフ達は広場へと集合し、測ったように整然と列を作った。
シドは石畳を積み上げて作った台に載っていて、その下にはアキムやキリイを含め初期から付き従う者達とベリリュースが横一列に並んでいる。それは、やり方を変えるといった言葉通りシドには最早裏に隠れる気がないということを示していた。
「昨日北に派遣していた兵が戻った」
おもむろにシドが口を開く。
「お前達は準備が出来次第出撃することになるだろう。敵の数はおよそ千である」
無表情だったエルフ達の顔に罅が入る。
「恐れるな、エルフ達よ!」
シドは声を大にして云った。
「遥かな昔、ある将は云った! 戦争は人間の最も優れた部分を引き出す、と! ならばお前達も変わるまい! およそあらゆる生物は生死のかかった際にこそその実力を余すことなく発揮するものだ! 俺の下でお前達がそれを実行したならばたかが千の敵を打ち破れないことなどあろうか!」
左手をあげて右から左へと流し、
「この町を見よ! ここにお前達に石を投げて無事で済むものはおらぬ! お前達が石を投げたとて投げ返す者もおらぬ! 俺は約束を守った! 限定的ではあるがお前達を迫害から開放したのだ!」
「………」
「思慮の足りぬ者は平等を謳う! 差別を無くすためと平等を訴える! 俺のやったことを見て差別する側が変わっただけだと主張するだろう! だがそんなものは愚か者の戯言に過ぎない!」
シドは腕をおろし、続ける。
「平等とはそれを唱える種族にのみ適用される都合のいい方便に過ぎぬ! 利益があるから主張するのだ! 産まれたからにはらしく生きる権利があるだと!? ならば食われる者達はどうなるのか! 食われることが彼等のらしさだとでも云うつもりか! 所詮何かを、誰かを食わねば生きていけぬ生物に平等という理念を唱える資格はないのだ!」
シドは胸に手を当て己を指した後、
「俺のやったことを思い返すがいい! お前達には既にわかっている筈だ! 差別や迫害から救うのに必要な物がなんであるのかを!」
拳を作った。
「答えは力である! 力こそが差別や迫害からお前達を救ったのだ! 俺は差別を無くそうなどと云わん! 違うのは誰を、何を差別するかであり、負けた者、劣った者が差別されるのは当然だ! 手に入る物資に限りがあるのなら強い物がそれを独占し、負けた者は飢えて死ぬ! 生物はそうやって生命を繋いできた! もしそれをやめればどうなるか! 皺寄せは必ず来るだろう! 哭くことすらできないものが犠牲になるか、犠牲になったものから目を逸らして平等を謳い続けることになる! そして、だからこそ俺は立った! 犠牲者の怨嗟の声を踏み躙れないものが他者を導いてはならないのだ!」
理解しているのかしていないのか、エルフ達の顔から読み取ることはできなかった。
それでも構わない――とシドは思った。信じていようがいまいが行動が同じなら大した違いはない。楽しみながら殺しても哀しみながら殺しても相手は死ぬのだ。
「ここは始まりの地である! 俺の教えをここから広げていかねばならぬ! お前達がそれをやるのだ! 持てる力を駆使して! お前達はお前達の最高でもって自らが上であると証明する! お前達ならそれが可能であると俺は確信している! 何故なら今ここにいるのは人間達ではなくエルフであるお前達だからである!」
シドは低く腹の底に響くような声を出し、
「この世界で全ての生物を平等に扱う資格があるのは俺のみ。何物の犠牲も出さずに立てる俺だけが平等を謳いながら殺し、平等を標榜して導くことができる。故に、俺の意に従わぬ者等は道理の分からぬ愚物であり、そのような存在が如何に集まろうともそれは烏合の衆に過ぎない。いずれ奴等は知る。世界の意志が愚かな者を、弱き者を滅ぼせと囁いているということを」
最後に再び声を張り上げる。
「お前達はこれから誰であろうと! 何であろうと殺すことになるだろう! その中には躊躇いを覚える相手も混じっているかも知れぬ! 敵は云う! 女子供は見逃せと! 弱者に情けをかけろと! しかしそんなものは一つの社会の中で定められた規則でしかない! それと同じ社会の中でしか利かぬ! 云わせぬ! 使わせぬ! 守れと叫ぶのが許されるのは社会を同じくする者に対してだけであり、俺に従うお前達はむしろ女子供をこそ殺せ! 全ての物事はバランスが取れており、女子供が弱いことにも理由がある! 子を産み落とすのは女であり、兵士に育つのはその子等である! 女子供を見逃せと訴えるのは継戦能力を維持しようとする敵の策略に他ならない! お前達は弱きを狙い、強きを挫け! 敵にあっては情けの代わりに唾をかけ、自身にあっては涙の代わりに血を零せ! 正義は我と共に在り!」
シドが話し終わるとベリリュースが一歩前に出て、指先を真っ直ぐ伸ばした右手を水平に構えた後、斜め上へと突き出した。合わさった踵が硬質な音を奏でる。
「復唱せよ!」
ベリリュースが云うと、エルフ達が一斉に真似をして右手をあげた。喉も裂けよと腹の底から声を出す。
「神は一柱、シドである!」
『神は一柱、シドである!』
エルフ達は後に続けて同じ台詞を叫ぶ。
「世界は一つ、シドのものである!」
『世界は一つ、シドのものである!』
「歩む道は一つ、シドの創った道である!」
『歩む道は一つ、シドの創った道である!』
「一柱の神!」
『一柱の神!』
「一つの世界!」
『一つの世界!』
「一つの在り方!」
『一つの在り方!』
ベリリュースがあげた右足で地面を強く叩くと、エルフ達の真似したそれが広場に木霊した。
「ク――」
軽く右手をあげて答礼したシドは満足そうに宣誓に頷き、
「お前達には今より神衛隊の名を与える! ――さあ、今度はお前達が約束を果たす番だ! 俺のために敵の首を落とし、俺の前に敵の死体を積み上げろ! 一連の戦いが終わった暁には、お前達の寝床を奴等の皮で作ったランプシェードが優しく照らすぞ!」
そして何が気に入ったのか轟くような笑い声をあげる。
エルフ達に対するのと同じ声量で町中に響き渡ったそれは住民達を震えあがらせ、聞いた者全てに悪魔の存在を確信させたのだった。
「アキム、こい」
屋敷に戻ったシドは解散する前にアキムに声をかけた。
穴の空いた壁もそのままの部屋で目の前に立ったアキムに、
「お前とヴェガス、マリーディアとレティシアは残す。女二人を残す理由は云うまでもなかろう」
アキムは力強く頷く。
「俺のためだな」
「収支計算のためだ。ヴェガスを残すのは戦力、お前を残すのは輸送の際に計画を立てる者が必要だからだ」
「………」
「ドリスを連絡に寄越す。それに合わせて指示した位置に運べ」
「どうやって?」
「町の人間を使えばよかろう。俺が町を出る前に騎獣を全て徴発する。馬以外は置いていくからそれも使え」
「わかったよ。もし足りなくなったらどうすればいい?」
「勿論徴発しろ。優先順位を間違えるな。俺達が心置きなく戦うためならばやっていけないことなどない」
「でも兵が少なくなるから暴動が――」
「だからヴェガスも残しておくのだ。それとお前に人間を動かすためのコツを教えておく」
「そんなものがあるのか!?」
「うむ」
シドは過去に想いを馳せた。それは、かつて人間の居住惑星に派遣されるにあたり、些末事に煩わされることなく任務を遂行できるよう与えられた情報であった。同じような社会性を持つこの星の原住民にも使えるだろう。
「いいか、アキム。人間が動くにはいくつかの法則がある」
「ああ」
「まず、人間は周囲の行動に合わせて動く。数が増えれば増えるほど自ら動こうとする者が減るのだ。周囲の行動に合わせていれば問題ないという心理が働き、例え目の前で誰かが苦しんでいても平然と見過ごすようになる。これを社会的証明の原理という」
「でも助ける奴もいるぜ?」
「そうだな。人間には二種類いる。決める人間と決めてもらう人間だ。お前が注意を傾けるべきなのは前者であり、また、傍観せずに助けようとする者を先じて押さえねばならん」
シドは指を二本立てた。
「自信と責任。この二つが本来ならば傍観しているだけの者を行動に駆り立てる。漠然と助けを叫ぶだけでは誰も手を差し伸べないが、もし一人の特徴を事細かに捉え、対象を絞って助けを求めれば人は動く。
己が助けを求められていると明確に認識した時点でその者の中に、自分がやらねばならない、という責任が芽生え、自分がやってもいいのだ、という自信が生まれるのだ」
「ふーむ……」
「誰かを苦しめる時は特定の誰かに助けを求めることを許してはならん。その際は諸共に始末しろ。あらかじめ自ら決めることができる少数の人間を排除していればその場は丸く収まるだろう」
「ホントかよ……。吊るされるのはごめんだぞ……」
「ただし今云ったことはその場凌ぎだ。長く安定させるには権威の原理を知っておかねばならん。これは先程行った示威が役に立つ」
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
アキムは手でかざして待ったをかけた。
「覚えきれねえ。紙に書いておく」
「人間は権威ある者に命令されればどんな非道な行いもやってのける」
シドはアキムが紙とペンを用意するのを待って続けた。
「権威とは権力とは似て非なるものだ。それは外見や能力、それを保証する裏付けと密接に結びついている。見目よく大きな者は能力が高く見え、能力が高いものは実際よりも大きな印象を与える」
「……冗談だよな」
「事実だ。お前はヴェガスを利用して以上の二つの法則を上手く活かせ。何事にも限界は存在し、住民の精神にもそれは存在する。先の一つで目を逸らすだけでは破綻は時間の問題だ。こちらの被害を抑える最も確実な方法は住民達自身に行わせることで、矛先を我等ではなく隣人に向かわせるのだ。使い古された手法だけに効果は保証されている」
「そいつはいい手だな。それでいくことにしよう」
「最初が肝心だぞ。人間は一度決めたことを変えようとはしない性質がある。その方が楽だからだ」
「それは?」
「うん?」
アキムがペンを舐めながら上目遣いで訊ねる。
「それはなんていうんだ?」
「……一貫性の原理だ」
「なるほど」
「………」
アキムは書き終わると指を立てて、
「しかし騎士が千人も出張ってくるとは、張り切りすぎたんじゃないのか? こっちは――」
百、二百と数える。
「ゴブリンやオークは千は越えてないだろう。エルフはどんだけ連れていくんだ?」
「三百五十だ」
「とすると千ちょっとだな。数はだいたい同じくらいだが、質は向こうが上だぞ」
「心配するな。こちらに敵を撃破する衝撃力が備わっているなら後は運用の問題だ」
「もしあんたが負けたら?」
「うん?」
シドは意外なことを云われたと訊き返した。
「もし俺が負けたらか」
「そうだ。その可能性もあるだろ」
「そうだな」
もし負けることがあるなら、その時は自分は存在していないだろう。そう、シドは思った。
「俺が負けたら好きにしろ。お前は自由だ」
「いや、そうじゃなくて……。訊き方が悪かったな」
「………」
「もし負けたして、あんたが俺だったらどうする? 仇討ちとかはなしで」
「逃げる方法か」
「そうそうそれ」
「もし俺がお前で撤退するならば、町から金目の物を全て奪い、略奪で食料を確保しながら安全圏まで離脱する。つまりは森だな。お前が居残るエルフ達に責任を感じないならば妹と二人好きな場所に行け」
「……どっちもあんましいい未来じゃなさそうだな」
「他所に入国できるならエルフ達を率いて傭兵団を続けるという手もあるぞ」
「それこそ無茶だろ。東はいろいろやったからやばいし、南は関所で殺されちまうよ」
「アキムよ」
「……なんだよ、いきなり怖い声を出して」
「負けが許されるのはそれが勝利への布石となる時だけだ。負けた後、ただ生き延びようとすれば難しいのは当然だ。もしお前が本当にそれを望むのなら負けを認めてはならん。精神活動の活力は注意を向けた方に向かうのだからな」
「要約してくれよ」
「俺の死がお前が生き延びることに必須だったと考えろ。俺の死はお前の勝利だったとな」
「………」
「話を戻すが、人を動かす方法は三つある。洗脳、説得、強制だ」
「あんたは強制しか使ってないよな」
「そうかな」
シドはニヤリとした笑みを作った。
「まあ、自分では気づきにくいものだからな」
「ん?」
「独り言だ、気にするな。重要なのは向きであり、感情の根の部分をどうにかしようとするのは時間がかかる。感情は欲望と密接に結びついており、それを変えるには根底となる価値観から手を加えねばならないからだ。だが、空腹であっても食欲を忘れさせることはできる」
「ふんふん」
「外から刺激を与えて逆の方向に別の感情を励起させ、ぶつけてやれば行動を操れるだろう」
「それ、要は脅して云うことをきかせるってことだよな……」
「そうとも云う」
「………」
「この場合の問題は、ぶつかりあったエネルギーはいずれ本人の器を越えて溢れ出すという点だ。誰かを操作する時はいつ壊れるかを見極め、限界がきたら処分するようにしろ」
「ひでえ話だよな。まあ、俺には関係ないけど」
「………」
話が終わり背を向けたアキムに、シドは云った。
「ミラとサラにくるように伝えろ」
「ん? ――ああ、わかったよ」
ふと、アキムは何かに気づいた顔をした。
「最近多いな。二人と密談が」
「お前は暴動を起こした日から屋敷に閉じこもっていた。騎士団との戦闘が終わればわかるだろう」
「勝った後はどうするんだ?」
「都市に攻め込む。国の戦力を正面から打ち破れば支払い次第で傭兵を雇える。そろそろ数を増やしてもいい頃合いだからな」
「金は……?」
「敵の金を使うさ。敵と戦うための資金は敵のものを使う。敵と戦うための兵力は敵国民から集める」
その言葉を聞いたアキムは感心したように口を窄め、
「ゼロから始める征服活動……か」
と云った。




