ミルバニアにて―回収―
町に縦横に線を引き、上端と左端の線で挟まれた部分に右と下に向かって番号を付ける。
そんな地図を脳裏に思い浮かべながら、町の中央にある広場でシドは上空に顔を向けている。
側にはベリリュース、ターシャがおり、少し離れた場所でエルフ達が整列していた。
町の北側一帯からは、深夜だというのにざわついた雰囲気が漂ってくる。離れたここからでも感じられることから、現場では相当の騒ぎになっているであろうことが窺い知れた。
星のチラつく大空から降りてきたドリスが開口一番、
「九の二から南へ小規模! 十五の二から東へ大規模! 二十の五から東へ小規模! 北端一、西端七、東端三四、南端一七です!」
シドはいつ考えたのかと思うような早さで反応した。
「縦の五より以西を封鎖しろ。同じく縦の二五以東を封鎖だ」
移動の時間を考慮して指示を出す。
ベリリュースが手元の地図を睨めつけながら即座に怒鳴り、それを受けて細かい集団に分かれたエルフ達が駆け出した。
しばらくして再びドリスが降りてくる。
「二十二の五、南へ転身! 十の三散開拡大してます!」
「横の二十五以南を封鎖しろ」
「はっ」
ベリリュースがエルフに命令を出す。
「大通りを東西に走り交路を封鎖しろ! 壁を作った後は待機だ!」
かなしいかな、社会生活を営む生物は数え切れないほど存在する選択肢からわざわざ周りと同じ道を選ぶという習性がある。
今の状況はそれを利用して作られていた。
「残りは?」
シドはベリリュースに訊いた。
「十隊です」
ベリリュースは固い言葉遣いで答える。
「五十か」
「魔法を使える隊は三隊です」
「十分だ。その三隊を残し、広場に戦闘配備しろ」
「はっ」
ベリリュースが辺りを見回し、屋根を一つ一つ指差して登るよう命令する。
「マスター!」
三度戻ったドリスが慌てて捲し立てる。
「縦二十五の封鎖線で小競り合いが発生してます! 十五から東進した集団です!」
「援軍を一隊送れ。南と東から攻撃して西に押し戻せ」
「了解!」
五十に分けた小隊で小路一本に至るまで虱潰しに塞ぎ暴徒達を誘導した。彼等は面白いように犯行現場からただ離れようとしており、極一部を除き大小の群れを作ってシド達の待つ広場へとやってくる。
彼等は一見無秩序のようにも見えるが、その実奪った物を安全圏に運ぶという目的において意志が統一されており、逃げ道を作ってやれば吸い込まれるようにそこに入った。
「包囲が完了しました!」
「鐘を打て」
ドリスの報告をもって一段回の終了とした。町の中央広場に立っている危急を知らせるための鐘楼にエルフが登り、鐘を打つ。
暴徒達は町の北部中央のそれなりに広い範囲に収まっている。この作戦は治安を悪化させる者達の一掃と食料の回収という二つの目標が設定されており、本来であれば二つの目標を同時に攻略することは褒められたことではない。しかし今回に限っていえば、回収するためには食料を一旦奪われた物にしなければならず、その役を担うのは暴徒達なのでこのような形になっていた。
それでも優先順位はあり、重要なのは暴動の収束ではなく食料だった。故に、町を南北に分けて実入りの多いと判断した北部をまず包囲した。時間を置いて対処する南部では回収率は落ちるだろう。
時期というのは非情に重要で、暴動を広範囲にわたるものにするためには時間を置く必要があるが、ある線を境に暴動の拡散は食料の拡散を意味するようになる。
シドの脳裏には、まず数カ所を図ったように一斉に目指し、その後バラバラに散ろうとして抑えこまれた暴徒達の絵が描かれていた。
「包囲を狭めますか?」
残りのエルフに指示を出した後、ベリリュースが訊ねた。
「相手は袋の鼠です」
「徐々に行え。敵を集中させるな。食い詰めて略奪に走った者達だ。死が避けられぬと知れば全てを捨てて向かってくるぞ」
「では――」
「ターシャ、残り二隊を率いてここから北へ向かい、殺しながら降伏勧告を出せ。南へ向かうものは放置して構わない」
「わかりました」
二度目の鐘の音が響き渡る中、ターシャが十人を率いて北上していった。
「南というとここになるが……?」
緊張が抜けたのか、素に戻った風にベリリュース。
「ここに集めるのか?」
「そうだ。もし俺が暴徒の側なら火を放つ。そうすれば包囲は解けるからな。だが奴等がそれをやるには自身の死を覚悟せねばならん。それは逆に云うと、死を覚悟するまで追い詰めなければ火の手は上がらないということだ。食料が焼けるのはこちらにとっては失敗と同義、奴等を追い詰めるのは時と場所を選んで行わなければならない」
「でもここに集めてどうするんだ?」
「この広場で始末するのだよ。包囲が狭まるにつれて生じる南の余剰戦力を集めろ。一気に潰す」
「……わかった」
シドとベリリュースは無言で待った。広場は静かで、遠くから響いてくる喚声はまるで別の世界から聞こえてくるようだった。
やがて、ポツリポツリと人影が現れ始める。
男達は初めて巣穴から出る獣のようにおっかなびっくりな様子で広場に足を踏み入れる。シド達に気づくと渋々ながら近づいてきた。
「………」
シドは黙して話さない。
男達も無言だった。これからどうなるかと不安そうな表情で目の前の二人を見ている。
暴徒達は次から次にやってくる。数が増えてだんだん強気になってきたのか、
「なあ、あんた。ここにくれば見逃してもらえるって云われたんだが」
と、一人が話しかけてきた。
「………」
シドが腕を組んで何も答えずにいると、仕方なくベリリュースが相手をする。
「そうだ。もう少し待て」
「そ、そうか。へへへ」
笑みを浮かべた男は手に持った袋を掲げて、
「こ、これは貰っていってもいいんだよな?」
ベリリュースがなにを云ってるんだこいつは、という顔をした。だが口に出しては、
「ま、まあ、いいだろう。その代わり大人しくしているんだぞ」
「おお、ホントかよ! 云ってみるもんだな!」
ベリリュースの答えを聞いた周りの男達も歓声をあげる。
「話がわかるじゃねえか!」
「まあな」
「どうせ商人連中のもんだしよ! なんだったらあんたらにもお裾分けしてやろうか?」
「いや、遠慮しておこう。一応警備役なんでな」
「ま、そうだよな」
大口を開けて笑う男はしかし、シドが腕組みを解くと警戒したように口を閉じた。
「そろそろいいだろう」
「はっ」
ベリリュースがさっと手を振ると、不思議そうな顔をしている男の額に矢が突き刺さった。
扉が軽く叩かれる音にベリリュースはハッと顔を上げた。
今いるのは数日前に会議が行われた部屋で、機密保持の名のもとに全部シドが処分してしまったのでもうその名残は残っていない。
このような辺鄙な町の一室で国家転覆を謀る話し合いに参加しようなどとは少し前のベリリュースには思いもしなかった。今振り返ってみても夢の中の出来事のように思えるが、生憎隣で黙りこんでいるシドの存在があの日のことは真実だったと告げていた。
扉を静かに開けてターシャが入ってくる。
「商人達が揃いました」
「――だ、そうだぞベリリュース」
「あ、ああ……」
自分でも嫌そうな表情になっているのがわかった。
「やっぱり俺が話さなきゃ駄目か……」
「当然だ。お前が団長という話になっているのだからな」
「でもどうせ殺すなら――」
「まだ決まったわけではない。大人しく前金を返して退散するかもしれない」
シドはどうでもよさそうに云った。自分でも全くそう思っていないようだ。
「まさか……。集めるのに資金を使ってるだろうし、前金を返したら大損するんだから」
「そんなことはこちらの知ったことではない。契約不履行で金を返してもらえればあとは向こうの問題だ」
「……商人達の様子は?」
ベリリュースが訊くと、ターシャは何故そんなことを訊くのかと顔を向けた。
「穏やかな感じですよ。護衛は連れてますが」
「穏やか? 怒ってないのか?」
「そうですね。まあ、諦めていようが怒っていようがやることは同じだし結果も同じですよ」
「俺のストレスが違ってくるんだ」
「………」
ターシャはじっとベリリュースを凝めた。そんなものには何の価値もないと視線が雄弁に物語っており、ベリリュースはいつもの感覚を味わう。ターシャは他の者に比べたら理知的で物静かであり最も話が通じる相手であるのは確かだが、見られる度に脇に嫌な汗が流れるのだ。
この女は俺がいつ殺されるのか待っているに違いない――ふと、そう思う時がある。顔をあわせる度に、何故生きているのか、何故ここにいるのかときょとんとした顔になった後、値踏みするように眺めるのだ。
ベリリュースはターシャが苦手だった。
「……ここに連れてきてくれ」
疲れたように云う。
「ここに、ですか」
「え……駄目なの?」
思わず子供のように訊ね返してしまった。
「こういうのは別の部屋で行ったほうがいいと思います」
「でもここ、応接室だよな……?」
「前はそうでしたね」
「………」
ベリリュースは憮然とした。そもそも二階のヘリオメースの部屋に行かずここに入り浸っているシドが悪いのだ。シドがここにいるとベリリュースもここに居ざるをえないし、皆が集まるのもここになる。
「ここに呼べ」
「わかりました」
シドの一声でターシャは外に出て行った。
「………」
「泰然としていろ、ベリリュース」
「ああ……」
納得しかねる顔でシドが進めた椅子に移動する。
「云うことはわかっているな?」
「勿論だ。金を返さないと答えたら処刑すると云ったが、すぐに?」
「わざわざ兵を使うこともない」
「……まあ、たぶんそうなると思う、俺は」
シドがベリリュースの横に護衛よろしく立ち、しばらくすると扉が叩かれる。
「連れてきました」
ターシャに続き五人の、一見して荒事には向いてないとわかる男達が、続いて武器を帯びた護衛が二人入ってくる。
「おいおい、武器を持ったままじゃないか」
「全員入れると狭いので、玄関口で他の護衛の方三人には待ってもらっています」
「いや、その前に武器を――」
云いかけたベリリュースだったが、シドが微かに頷いたのに気づき、続く言葉を飲み込む。
「こ、細かいことはなしにしようじゃないか。さあ、皆かけて楽にしてくれ」
「………」
商人五人が椅子につき、護衛はベリリュース側の二人の後ろに少し離れて立った。
何故かターシャも部屋の扉の横に立ち、出て行かない。
「さて、今日は俺に話があるとの事だったが、こちらにもちょうど用があったので幸いだ」
「………」
「先日の騒ぎは災難だったな。あなた達に被害がでていなければいいのだが」
「………」
「………」
商人達が何も答えないので仕方なくベリリュースも黙った。嫌な沈黙が流れる。
「………」
「……こうしていても埒が明かない。まずはこちらの用から済ませてしまうとするか」
「いや、それには及ばない」
そう切り出すと、奥の方に座ってきた商人が口を開く。
「こちらから話そう」
見覚えのある顔だ。つい先日呼び出した中にいた。腹が突き出ており、光沢のある地味だが艶やかな上着を身につけている。
ベリリュースは記憶を探りながら、
「構わないとも」
「実は今日参ったのは先の契約の件でしてな」
「おお。それは奇遇だな。実はこちらの話もそれだったのだ」
「そうかね。なら単刀直入に云うが――」
商人達の表情は穏やかだ。穏やかだが目は笑っていなかった。
「代金の残りを支払ってもらいたい」
「なに?」
「半金ですよ、半金。契約通りちゃんと食料はそちらの手に渡っているのだから残りを支払ってもらいたいんです」
「馬鹿なことを! 食料は受け取ってないぞ!」
「それはおかしいですな。ちゃんと渡した筈ですが。試しにそちらの食料を計算しなおしてはいかがですかな? それで増えてないならこちらとしても納得できるのですが」
「え? い、いや、食料は毎日増えたり減ったりしてるからな。計算しても毎回違う数字が出る」
「それでも出所はわかるでしょう。大量の食料が増えた日がある筈です。どこから手に入れたか調べればいいだけです」
「……そうだな。しかし調べるまでもない。ちゃんと全部把握してるとも」
「ならば――」
「確かにあった。大量の食料を仕入れた日が。出所もはっきりとわかっている。犯罪者達から取り上げた物だ」
「つまりそれは盗品でしょう。盗品は本来の持ち主の手に返すべきでは?」
「そ、そうなのかな……?」
ベリリュースは自信なさげに呟く。
「当たり前でしょう。治安を与る身ならばその辺はしっかりしていただきたい」
「かかか、確証がない! 盗品かどうかじっくり調べねば!」
これはいい手だ。ベリリュースは心中でニヤリとした。調べてるうちに減るだろうがそれはベリリュースの知ったことではない。
「ふーむ。実は先日の暴動で大量の品物が私の倉庫から消えましてな。もしかしたらそれかもしれません」
「私もだな」
「こっちもだ」
他の商人達が声を揃えて云う。
太った男がまとめるように、
「では他に持ち主がいないようでしたら私達に返却してもらうということでいいですかね? 勿論そのまま貰って代わりに代金を支払っていただいても結構ですよ。最後にはそちらの手に渡る品でしたから」
「………」
これは駄目だ――ベリリュースは結論を出した。予定通り殺すしかない。だからこそシドも初めからそれを視野に入れていたのだろう。
そして殺すと決まれば向こうの云い分はどうでもよくなった。いつやるのかとシドを見るが、黙ったまま何も云わないので、
「今日あなた方を呼んだのは他でもない。契約のことだ」
最初から仕切り直してこちらの要求だけ云うことにする。云ってることが正しいかどうかはさておき、やり込められたままなのは悔しいので相手を犯罪者にしてしまおう。話し合いは今から始まるのだ。
「うん?」
「確か先日呼んだ時に後日食料を受け渡すという話になっていたが、さっそく今日受け取りたい」
「いえ、ですから――」
「きちんと揃えて俺の前に持ってこい。金はそれからだ」
「いや、だから盗品を返してくれと――」
「それは後で調べてから返す。ただ時間がかかるうえ、契約とは関係がないのでその前に受け渡しを終わらせたい。こちらにも予定がある。食べ物がなければ飢えてしまうのでね。時間をくれと云われてもはいそうですかとは頷けないのだ」
「そ、それはわかりますが……」
「ならば食料をすぐに運んできてくれ」
「そそ、それがですね……さっきも云いました通り先日の暴動で……」
「約束と違うではないか!」
ベリリュースは卓を強く殴りつけた。驚いた商人達の肩が跳ねる。
「しかし俺は優しい男だ。前金を返してくれればなかったことにしてやろう。良かったな、お前達」
「それは……す、少し待ってもらえないでしょうか」
「なんだとぉ! 約束の品を渡さないうえに前金も返さないとは! この俺を誰だと思っている!」
何度も卓を叩く。
最高の気分だと思いながら、
「しかもお前はさっき食料は渡した筈だと云ったな? 俺はお前から受け取った覚えはないぞ! お前のやっていることはまるっきり詐欺の手口だ! 治安を与る俺の前でよくぞ云った!」
「盗まれたといっているだろうが!」
とうとう商人は声を荒らげた。椅子から立ち上がり、
「まずは盗品を返せ! 話はそれからだ!」
「ふざけるな!」
ベリリュースも負けじと立ち上がる。
「盗まれただ? 知った事か! 受け渡し前の保守義務はお前達にあるだろうが! 契約不履行なのは事実だ!」
「暴動はお前達のせいだ! 何が治安を与るだ! 暴動が起きた責任を取れ!」
「責任を取れだと!?」
ベリリュースは頭に血が上るのを感じた。
「俺ははっきり覚えているぞ! 初めてこの町に来た日、広場で町の住民に警備の数を減らせと云われたことをな! この町の治安が悪化することは俺にはわかっていた! それ故のあの数だったのだ! 最後に俺は云った! 何が起きても知らないからな、と! 三分の一に減った兵で俺達は頑張った! だから素早く暴動を鎮圧できたのだ! 責任を求めるなら住民に求めろ! ――いや、お前もこの町の住民だ! つまり暴動の責任はお前にある!」
「き、ききき貴様、云うにことかいて――」
「黙れ卑しい豚めが!」
「も、もう我慢ならん!」
「へ――?」
太った商人がそう云うと残りの四人が一斉に立ち上がり、二人の護衛は剣に手をかけた。
「お前達が来てから町は滅茶苦茶だ! この疫病神共めが!」
ガチャ、という音が唐突に響いた。
ベリリュースが部屋の入口に目を向けるとターシャの姿はなく、さらに外から鍵がかかる。
「お、おい――」
「やってしまえ!」
商人の号令の下、剣を抜いた護衛の一人がベリリュースに襲いかかる。もう一人はシドの方にいった。
「待て! 話せばわかる!」
「問答無用!」
「くそっ!」
無手のベリリュースは椅子を持って振り回した。
「これは犯罪だぞ! 死刑は免れない!」
「黙れ食料泥棒めが! お前を死刑にしてやる!」
時間を稼いでいると、ベリリュースが相手をしている護衛の後ろに忍び寄ったシドがその肩にポンと手を載せた。
「なに!?」
振り向いた護衛の顔が一周回って再びベリリュースの方を向く。
もう一人の護衛はとっくに首を折られて死んでいた。
「さて」
首の捻れた死体を捨ててシドがゆっくりと商人達へ振り返る。
ベリリュースは急いで護衛の剣を拾い、シドと二人で商人達の方へ躙り寄った。
「相手は二人だ! 五人で同時にかかれ!」
商人は全員が懐から短剣を出して構えている。それを腰だめに突撃してくる風だ。
ベリリュースが盾になるものを探しているとシドが卓を持った。
大きな卓を軽々と扱い横向きにするとそれを前に押し出して腰を曲げる。
何をする気か悟り青くなった商人達が、
「待て! 前金は返そう!」
「時間切れだ」
シドは突進した。端の二人はなんとか逃れるが、三人が壁との間に挟まれる。卓は壊れ、シド自身はそのまま壁をぶち抜いて廊下に出た。
慌てて飛び退いたらしきターシャが目を丸くして見ている。
「止めを刺しておけ」
シドは云い残すと風のように走っていった。おそらくは他の護衛を始末しに行ったのだろう。
ベリリュースは卓から逃れた二人のうち一人を体勢を立て直す前に素早く始末し、最後の一人と向かい合う。
「待ってくれ! 金は返すし食料もやる! あんたは優しい男だ! なかったことにしてくれ!」
「わかっているさ」
訓練もしていない商人など相手にならない。ベリリュースの振り下ろした剣が肩から袈裟懸けに走る。
商人は血を撒き散らしながら倒れた。
「これでお前達とのやり取りは全部なかったことになったな」




