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永遠の戦士  作者: ブラック無党
神の国
87/125

ミルバニアにて―盗人―

 ルオスの町を沈鬱な空気が覆っている。

 先日の大火で出た何十人もの死者に町の人々の心は悼んだが、同時にあれだけの火勢であったにも関わらずそれだけで済んでよかったと胸を撫で下ろしもした。

 しかし一昼夜経ち、火事による衝撃から落ち着いた人々が目にしたのは何百人という難民と化したも同然の隣人達だった。

 家は勿論のこと、仕事道具も、明日の食料も着替えもない。本来ならば町の責任者である町長が何らかの対応策を取るが、彼は既にこの世の者ではない。傭兵団の長は町長がこれからのことを明記していたと発表したが、今回のような突発的な事態に対する対応まで明記していたとは考えられず町の人間達は何の期待も持てずにいた。

 そのせいで焼け出された人々は明日の生活に不安を抱いており、陰鬱とした彼等に身近に接する他の者達にもそれが伝播している。

 そんな中、ある噂が真しやかに囁かれ始めた。

 初めは場末の酒場で男達が――


「おい、知ってるかおまいら。商人連中が火事の前に食料を集めてたらしいぞ」

「おう、俺も聞いたぜ。なんでも倉庫にはうなるほど食いもんが積まれてるそうじゃねえか」

「……もしかしたら、火をつけたのはあいつらじゃないのか? あまりにもタイミングが良すぎる」

「あいつらって――どっちのことだ?」

「――シッ。聞こえるぞ」


 次には家々で女達が――


「ねえ、あなた。大通りにある商店に食べ物が余ってるって本当かしら?」

「なに? おまえ、そんな話どこで聞いたんだ?」

「隣の奥さんが教えてくれたのよ。こんな状況だから予備の食料を持ってたほうがいいって。農家の人達は火事の前にお金に変えちゃってたみたいだし、最近は行商人の数も少なくなってるから……」

「うーむ……」

「売ってくれるように頼めないかしら?」

「……そうだな。町中の雰囲気も悪くなってきてるし、少しの間町を離れて弟の家にやっかいになることも考えておくか」


 そして路地裏で焼け出された者達が――


「くそっ! あいつら、町の人間が生活に困ってるっていうのに!」

「愚痴ってもしょうがない。俺等にゃ金がねーんだからな」

「道具があれば仕事はできる! だがその前にまず生きる必要があるだろうが! 飯も食わないで金が稼げるか!」

「なら誰かに金を貸してくれるよう頼んでみるこった」

「なんでそんな冷静でいられる!? お前だって俺と同じだろ!?」

「違うさ。俺はもう決めてるからな」

「決めてる? 何を?」

「………」

「おい! 答えろよ!」

「…………」

「おい!」

「……悪いが、自分の生活は自分でなんとかするしかねえぜ。俺も人の世話までは見きれねえよ」

「なんだよくそっ!」


 誰も救済の手を打たないまま時間だけが過ぎていった。

 ――いや、焼け出された人々に手を差し伸べる者はいた。しかしそんな人の良い者達が切り詰めて行った施しも焼け石に水であり、町の住民達は弦を張った弓のように張り詰めた表情をするようになる。

 通りには物乞い同然のかつての隣人達が溢れ返り、日がな一日座り込んでいる。そして食い物をくれと、宿を貸してくれと呟くのだ。

 道行く人々は顔を顰め、ある者はそんな余裕はないと縋る腕を振りほどき、ある者は俺は既に恵んだ、これ以上まだ奪る気か――と足蹴にした。 

 全ての者が望んでいるのは組織だった措置であり、刹那的ではない、先々を約束してくれる施策だった。

 住民達の中に渦巻く怒りと不安は日毎に膨れ上がり、熟れた果実のように何かのきっかけがあれば破裂して中身をぶちまけることは想像に難くなく、それらに対する潜在的な怯えが他者を攻撃する衝動を生み出す。火事の被害に遭わなかった住民達の目は今や単なる荷物となった者達に向けられた。

 元凶であるエルフ達は綺麗に磨かれた制服を着込み、無駄口も叩かず巡回している。触れれば切れる刃のように、彼等に立ち向かうのは自身を切り刻むのと同義だと思われた。大雨の後の河川が増水するように押し寄せた同情や哀れみは彼方へと流れ去り、他人の心配ではなく自分達の心配をする必要に駆られるようになった時、その矛先は弱い者に向かったのだ。

 同情から困惑、そして怒りへと。火事で全てを失った者達は自分達に向けられる感情の変化を敏感に感じ取る。そして助けを待つという姿勢から自分達でどうにかするしかないという能動的な姿勢へ。

 路地では常に誰かがひそひそと陰口を叩き、不穏な空気に自衛のための武器を携帯するものが現れ始めた。

 








「――というのが今の状況です」


 黒いエプロンドレスに身を包んだターシャが、手に持った報告書をペラペラと捲りながら書いてあることを要約する。

 商人達に出させた布の具合を確かめていたシドは報告が終わったのを見計らい、その中から選んだ一枚を差し出し、


「これにせよ」


 とターシャに云った。

 それを受け取ったターシャは、この布は誰が持ってきた物だったかしらと小首を傾げつつ、


「わかりました。量はどのくらい用意させますか?」

「全てだ。それと用意ができ次第女子供の中から裁縫が得意な者を選び、訓練から除外せよ」

「はい」

「ゴブリン達の装備はどうなっている」

「そちらは時間がかかるようです。サイズが小さいので不思議に思っていたようですが」

「子供用とでも云っておけ」

「伝えておきます」


 金が無いのはわかっているだろうに、ターシャは支払いについては言及しなかった。代わりに念を押すように、


「今は商人に矛先が向いてますが、風向きが変わるのも遠くないでしょう」


 云っているのは住民達のことだ。食料を商人に集めさせているのはベリリュースということになっているのだから、それを知った者達が屋敷に押し寄せる可能性は十二分にあった。


「わかっている。その前に手を打つ」


 シドは本を積み重ねそれに敷物を被せた椅子から立ち上がる。


「アキムとキリイ、ベリリュースを呼べ」


 そういって窓辺へ行き、外を見る。背中でターシャが出て行くのを見送った。

 住民達と商人が接触を持つ前にこちらの影響下に置かねばならなかった。商人達をここへ呼び、その隙に仕上げにかかるつもりだ。

 窓の外では闇の中、少ない灯りがチラチラと瞬いている。それを眺めていると背後で扉が開いた。


「連れてきました」


 ターシャに続き、アキム、キリイ、ベリリュースが室内に入ってくる。


「よお、どうしたんだ、こんな夜更けに」


 白いシャツの上に上着を羽織ったアキムが気楽そうに声をかける。


「明日からまた仕事をやってもらう」

「お、やっとか。訓練より楽なので頼むぜ」


 三人が卓を囲んで椅子に座り、シドもまた椅子代わりの分厚い本の上に尻を載せた。


「まず各々のやるべきことを云う」

「まず……?」


 アキムが怪訝そうな顔をするが無視して、


「ベリリュース、お前は依頼した商人達を呼び集め進捗状況を聞け」

「了解。それだけでいいのか?」

「そうだ。おそらく商人達は受け渡しを急ごうとするだろう。それをのみ、その日に残りの金を支払うと云っておけ」

「支払う金が無い――っていうのは、野暮なんだろうな……」

「わかっているではないか」


 シドはにこりともせずに答え、


「アキムとキリイは住民達の中に紛れ込み、商人が不在の時を狙って扇動、暴徒化させよ」

「暴動かぁ」

「今の町の様子じゃ難しい話じゃないな」


 キリイは何も考えてなさそうなアキムに目をやりながら、


「注意事項は?」


 と、シドに訊く。


「食料を奪えるよう住民達を影から手助けしてやれ。商人達の留守を守る使用人は要らぬことを口走る前に先に始末するんだ。お前達はそれが終わったらしばらく外出禁止だ」

「ヴェガスと同じに?」 

「そうだ」

「ホントかよ……」


 嫌そうに渋面を作るアキム。


「云っとくけど、俺は話し相手はいらないからな」

「俺も必要ない」 

「俺にゃキリイがいるからな」

「俺は必要ない」

「んなバカな!」


 真面目な顔を向けてくるアキムをキリイも同じように見返す。そして同時にプッと吹き出した。

 仲の良さそうな二人のやり取りを見たターシャが、


「ヴェガスも入れてやったらどうですか?」


 と勧める。

 アキムはそれに手を振って、


「止せやい。あいつが今どんな状態か知らないのか?」

「どういう意味ですか?」

「シドが話し相手を用意したのは知ってるよな?」


 ターシャは頷く。この前の話し合いの時に云ったことだ。ターシャも勿論その場にいた。


「そいつに一度も会ってないだろ?」

「……云われてみればそうですね。同じ屋敷に住んでいるのに不思議なことです」

「不思議でもなんでもねえよ。――ヴェガスの部屋、入ったか?」

「……いえ。入る理由がありませんので」

「………」

「なにか?」

「……なんでもない。――とにかく、あいつの部屋には近寄らないようにしとくんだ。絡まれると厄介だからな。意地になってやがんだ」


 訳の分からないターシャは顔に疑問を浮かべるばかりだ。

 そんな二人に、


「そんなことはどうでもいい。いい加減無駄話は止めておけ」


 と、シドは苦言を呈し、


「それよりやることは覚えたな」

「あ、ああ。それで他には?」

「事が成れば当面の食料は手に入る。しかし多少強引な手であることも確かだ。よって今後の安定のために示威を行う」

「示威?」

「完全武装したエルフ達に町中を行進させる。巡回のような小規模なものではなく大々的に行うのだ」

「それで威嚇できるのかよ。女はともかく子供も混じってるぞ?」 

「選別しろ。装備を統一し、体格の大きな者から選べ。人選はターシャに任す」

「わかりました。何時頃に?」

「商人達の件が終わってからだ。それを区切りにやり方を変える。無理を通す以上住民の反抗心が高まるのはどうしようもないからな。それに合わせて圧力も強めねばならん。そしてその圧力が国にとっての害になりうると気づく者が必ず出る。それまでに戦端を開けていればよい」

「食料が足りないんじゃないのか? エルフの分はともかく外の連中を養う分まであるとは思えない」


 キリイが手を小さくあげて指摘する。


「もうちょっと派手にやらないと」

「わかっている。実を云うとアテはあるのだ。ただそれを任意のタイミングで送り込むには課題が残っている」

「なんで? エルフ達にやらせればいいんじゃないのか?」

「運び手はこれに関しては必要がないのだよ」


 外の連中に食わせる分がない?

 ――いや、実はあるのだ。視野を広げて見ればこの町は食材で溢れかえっている。しかもそれは自走式である。


「町中に職もなく、飢えた連中がいるだろう」

「ああ。いるな」

「そいつらを輸送の仕事で雇いたい」

「輸送? 食料を?」

「そうとも云えるし、そうでないとも云える」

「意味がわからないな。さっきからいったい何を云ってるんだ?」

「まだわからぬか? 町にいる反抗心旺盛な連中を金で雇い、理由をでっちあげて移動させるのだ。そしてその目的地がトト達のいる場所であったならどうなる」

「……あ」


 気づいたキリイは口をあんぐりと開けた。


「つまりそれが補給となる。問題を起こす輩を減らせるうえ、住民の評価も良くなる。一粒で三度美味しいというわけだ」


 この方法に不安要素があるとすれば、もし戦闘場所がなにもない平野だった場合そこに向かわせる理由が作りにくいという点と、指示を出す者が町に残らねばならないという点の二つだ。連絡を密にして敵に合わせて動く味方の進路を予想し、その地点に理想とするタイミングで住民を移動させねばならない。


「これは急がずともよい。まずは今町にある食料と支払った金を回収する」

「金って商人に払ったやつ?」

「そうだ。今から手順を云う」


 シドは男三人の顔を眺め、


「最初に動くのは誰だ?」


 ベリリュースが少し考え、自分を指差す。


「……俺?」

「うむ。何をやる?」

「商人を呼んで受け取りの話し合い」

「商人を呼んだ後動くのは?」

「俺とキリイだ。通りでクサってる奴等を連れてサクっと護衛を殺し、食いもんを奪えばいいんだろ?」

「その通りだ。そしてそこまで済んだら金と食料を一気に回収する」


 シドはベリリュースを指さした。


「お前が食料を受け取りに向かったら商人達は手ぶらだった。――どうするべきだ?」

「……金を返してもらう」

「当然だな。違約金はまけておくと恩に着せてやれ」


 シドの指はまだベリリュースから動かないままだ。


「他には?」

「えーと、食料も回収するんだから――」

「鎮圧だ!」


 アキムが叫ぶ。


「暴動を鎮圧して食料を奪う!」

「正解だ」


 シドは指を下ろし、膝の上で手を組んだ。それに顎を乗せてベリリュースを促すように、


「真実を悟った商人はお前の元にくる。――わかっているな?」

「ああ。わかってる。食料は自前で用意した。商人からは買ってない」

「それでいい」


 キリイが呆れたように首を振った。


「よく飽きないよな」

「心外だな、キリイ。やるかやらないかと飽きることとを混同するのはいい大人のやることではない」

「………」


 シドはもう終わりだと云わんばかりに手を振った。


「明日に備えて休め」


 三人が出て行くのを待たずにターシャに話しかける。


「先の件の支払いだが――」

「ベリリュースの回収したお金を使います」

「そっちはきちんと支払ってやれ。それと準備が終わったら姉妹にくるよう伝えるのだ」

「はい」

「………」


 全員が退出すると、独りになったシドは虚空を見上げた。


「――飽きるだと?」


 キリイの台詞を反芻する。

 とんでもない――と思った。誰もいない椅子に向かって言葉を紡ぐ。


「お前達が食べることに疑問を持たないように、俺もまた敵を殺すことに疑問を持たず、お前達が眠ることを止められないように、俺もまた殺さずにはいられない」


 だが結局、シドのやりようはシド自身のものであった。そしてシドと彼等の間には決して埋まることはない溝が横たわっている。彼等の行き着く先がなんであるかは子供にすら想像がつく。

 

「お前達の不幸はまだ始まったばかりだ」


 吐いた言葉は宙に溶けて消えた。



 



    







 闇の中、まるで求愛する夜光虫のように灯りがふらふらと揺れ動いている。不規則に移動する灯りに合わせゴソゴソと荷を弄っていた男はある程度満足いく成果を眺めると近くにいる仲間に声をかけた。


「早くしろ」

「わかってる。急かすなよ」


 低い声で囁き合う男達。

 皆、手にした荷袋にぎゅうぎゅうになるまで何かを詰めている。


「それくらいにしとけ。持ちすぎると何かあった時逃げれねえ」

「で、でもよ。あって困るもんじゃねえし、こんな機会は――」

「馬鹿野郎! 見つかったら元も子もねえんだぞ!」


 小さな声で怒鳴るという器用な真似をした男は周りにいる三人の仲間に、


「そろそろ行くぞ」


 決意を秘めた顔で云う。

 大きな倉庫の中央に集まった彼等はそれぞれ荷を肩に担いだ。高い食材や金目の物は入っていない。腹持ちがよく、主食にできるような食べ物だけが入っている。それでも切り詰めれば十日やそこらは持つだろう。


「いいか? 誰かがとっ捕まっても助けようとするなよ。自分のことだけ考えろ」


 一人が云うと三人は揃って頷いた。

 覚悟を決めた四人は静かに移動する。目指すは出口である。

 この倉庫は防犯のために窓がない。出入口はたった一つであり、嫌でもそこから出入りするしかなかった。

 大きな扉の前で立ち止まり、小さく二度叩く。

 外からも同じように二度、合図があった。


「……よさそうだ」


 取っ手に手をかけ、じわじわと引く。

 人一人が通れるより少し広く開いて顔を出し安全を確認すると荷袋をまず外に出し、その後に身体を滑り込ませた。

 外に出た男達を待っていたのは槍を持った男だった。


「時間がない。早くしろ」

 

 槍を持った男は早口に云うと四人がくぐった扉に素早く鍵をかける。


「外の警備はどうにもできない。見つかったら走れ」

「わかってる」

「分け前を忘れるなよ。ちゃんと金に変えてからだぞ」

「勿論だ。でもあんたは大丈夫なのか?」

「気にするな。ここの食いもんは少しくらい取ったってバチは当たらねえよ。量が減っても単価をあげればいいんだからな」

「そんなんで――」

「いいからさっさと行け。やることがあるんだ」

「すまねえ」


 槍を持った男と別れ、四人は影の濃い敷地の奥へとビクつきながら向かった。

 植木に身を隠し、微かな音も聞き逃さないよう耳をそばだてる。

 広いとはいっても貴族の屋敷ほどではない。所詮は田舎にある、土地の安さに頼って造られた家にすぎず、塀の高さ、警戒の具合、何もかもが中途半端だった。


(ロープ)を寄越せ」


 音頭をとっていた男が予め用意しておいた紐を塀の天辺の尖った部分に引っ掛ける。

 仲間の一人が身を屈め、男は彼の肩に足を載せて紐に体重をかけて倒れないようバランスをとった。

 獲物の巣穴に首を突っ込む蛇のように首を伸ばし塀の向こう側に目を凝らす。

 そのまましばしの時が流れた。


「……おい。まだか? 行くなら行く、無理な無理でさっさと降りろよ。てめーは楽だろうがこっちは重いんだよ」


 肩の上に男を載せている仲間が文句を云う。

   

「静かにしろ。巡回を確認してるんだ」


 そして肩から降りた男は仲間に、


「奴等が反対側を歩いてる時に一気にいくぞ」


 四人は袋の口がしっかりと縛られているかを確認し、準備をして再度塀の外を観察する。


「――今だ」


 肩に載った男は塀に身体を預け、下の物が渡す袋を両手で向こう側に落とす。

 荷物の後は人間だ。まず肩を使って三人が塀を乗り越え、最後の一人は紐を使って登る。

 最後の男は袋が転がる地面へ飛び降りると急いで拾い上げ、その重さに口元を綻ばせた。


「上手くいったな」


 四人は人通りのない真っ暗な通りを全力で走る。エルフ達が来てからというもの夜中に外を出歩いているものはいなくなった。警備兵に見つかればどうなるか想像もつかないので、とりあえず最近空き家となった家で夜を明かすつもりである。

 最後まで気を抜かず、町中を練り歩くエルフ達を躱しながら家に辿り着いた男達はやっと安堵の息を吐いた。

 犠牲が出るどころか見つかりさえもしなかった。食料がいつまであそこにあるかはわからないが、足りなくなったらまた盗むことができるかもしれない。そんな淡い期待を抱く。

 入口の引き戸を開けた男は灯りがない中を器用に進んでいく。


「こっちだ」


 短い廊下と垂れ幕で仕切っただけの、部屋が三つの家だ。ここの住人は町の警備をやっていたがもうこの世にはいない。働き手を失った残された家族はひっそりといなくなる。傭兵団長の言葉はまさに口だけで、今の町にはこんな家がたくさん存在していた。

 火事で家を失った者がそういう家を見つけると戦いが始まる。たいていは先客がいるからだ。勝った者が寝泊まりし、負けた者は再び路上生活に戻る。

 ここはそんな家だった。


「暗いな。灯りはないのか?」

「おめーが薪代出すのかよ。でもまあ少し待っとけ。燃えるもんならあるからな」


 云ったそばから灯りがついた。


「――へ?」


 一番前を歩いていた男が変な声をあげた。

 覆いを外された洋燈の灯りに、若い男が浮かび上がっている。男の口元にはニヤついた笑みを浮かんでおり、それとは逆に瞳は冷たい色をしていた。


「てめえ、どっから入りやがった!?」


 家主の男が声を荒げる。


「どこって、入り口から入ったに決まってるじゃないか」


 茶色の髪をした青年は男の怒りなどどこ吹く風だ。それが男の怒りを増幅させた。


「今すぐ出て行け」

「嫌だね」

「なんだとぉ! ぶっ殺されてえか!」

「面白え。やってもらおうじゃないの」


 青年は寄りかかっていた壁から身を離し、灯りに剣をギラつかせる。

 着ているのは普通に暮らしている者と同じような服だが、武器はそうではなかった。簡素な作りだがしっかりと手入れされており、持つ姿はしっくりと馴染んでいる。

 青年がただの労働者でないことを男は知った。


「こ、ここは俺の家だぞ! 今なら見逃してやるからさっさと出て行くんだ!」

「そいつは俺の聞いた話と違うな。持ち主は死んだって聞いてるが」

「今は俺が持ち主だ!」

「俺が来るまでな。今は俺が持ち主に変わった」

「ふざけるな! 出て行かないと叩きのめすぞ!」

「やってみろよ」


 部屋の隅に陣取った青年はてこでも動きそうにない。

 顔を真っ赤にして今にも飛びかかろうとしている男の肩に手が置かれる。


「止せよ。状況を考えろ。家はまたあとで探せばいいだろ」

「だが――」

「お前が残るのは自由だが、俺は行かせてもらうぜ」


 男が振り向くと他の二人も同意見のようだった。


「くそっ!」


 男は唾を吐き、青年に、


「てめーの顔は覚えたからな。後で謝っても無駄だぜ」


 と捨て台詞を吐く。

 外に出ようとする男の背中に青年が云う。


「――待ちな」

「今更後悔してもおせー! 出て行くと云ってもぶっ飛ばす!」

「まあまあ、そんな怒るなよ。とりあえずこれ見ろって」


 青年はそう云って洋燈を掲げた。


「後ろの奴等もよーく見てみな」


 四人の視線が集中する中、蓋を開けるとふっと吹き消す。

 室内は再び闇に包まれた。


「……何の真似だ、てめー」


 いきなり灯りがなくなり周囲が見えなくなった男は耳を済ましながら訊ねる。

 チャリ、と金属同士が擦れる音が聞こえた。


「――んぐ!?」


 ドサリと誰かが倒れる。


「なんだぁ!?」

「誰かいるぞ!」

「ひぐぅ!」


 また誰かが倒れた。

 男は青年に味方がいると知り、すぐさま叫ぶ。


「逃げろぉ!」

「ひいいいいいっ!」 

  

 叫びながら身を翻す。青年は無視して部屋の外を目指した。


「ぎゃあああああ」


 三人目の悲鳴に背を向け出口に走る男に誰かが飛びかかった。


「くそっ! 離しやがれ!」

「誰が離すかよ!」

「な――」


 聞き覚えのある声だった。


「てめーは!」

「悪いなぁ! 俺もあんたの世話までは見きれねえ!」

「この裏切り者が!」


 暗がりで揉み合う二人。

 廊下の壁に狂ったような動きをする二つの影がぱっと浮かび上がった。


「よくやった」


 洋燈を引っさげた青年がやってくる。

 そして出口を別の男が黒く濡れた剣でもって塞ぐ。


「うおおおおおお!」


 破れかぶれになって暴れる男。


「もういいぞ。離れろ」


 青年が云うと片方が身を離し、自由になった男は鬼気迫る表情で剣を持った二人を交互に睨みつけた。


「てめーら……」


 二人は剣を構えてじわりじわりと距離を詰めてくる。

 さすがに男は勝ち目がないことを悟り、


「さ、三人の食いもんはやる。見逃してくれ」

「………」

「ちょうど全員分あるじゃねえか! 皆共犯だ! なっ?」

「………」

「なんでだよくそが! 見逃せクソどもがぁ!」


 男は出口に突進した。荷袋を前面に押し出して盾にする。

 出口に待ち構えていた男の剣が袋を突き破り、脇をすり抜けようと荷を捨てた男は差し出された足に面白いように引っかかった。

 自分の身体の状態などまるで気にせず外に向かうことだけを考える男の背中に冷たい刃が侵入し、


「くそぅ」


 男は絶息した。














「終わったな」


 そう云ってキリイが剣を鞘に収める。


「食料を集めるんだ」


 アキムは町で出会った今回の襲撃を企画した男に告げた。


「ははっ」


 まるで兵士のように答えた男は散らばった荷をひと所に集め、窺うように訊ねる。


「その、報酬の件ですが……」

「わかってる。約束だからな。勿論山分けだ」

「へへへ。これだけあればしばらくは持ちますね」


 男は袋の中を覗き込んで、


「芋一個で一食になるから、四人だと――」


 ぶつぶつと口の中で呟く。


「家族がいるのか?」

「はい。親父と妻と子供が」

「そうか。そりゃ残念だ」

「え――?」


 アキムはきょとんとした顔で振り向いた男を後ろから袈裟斬りにした。


「え……?」


 一拍置いて斬った部分から血が吹き出す。

 袋を押し倒した男は理解できないものを見る視線をアキムに送った。


「な、なんで……」

「黙れよ。この犯罪者が」

「そんな……」


 男が転がった芋に震える手を伸ばす。


「お、俺の芋……」


 アキムは黙って芋を蹴飛ばした。


「ああ……」

「血をつけるなよ。汚いだろ」


 死に体の男は放っておき、キリイに、


「エルフを呼んで食いもんを回収させよう」

「そうだな」


 剣を収め、瀕死の男の足と袋をそれぞれ持つ。


「それは?」

「こいつは使おう」

「何に?」

「何にって……忘れたのかよ。俺達が何をしに来たか」

「そりゃ覚えてるが。どう使うんだよ?」

「こいつは良い奴だった」


 アキムは荷物を引き摺りながら誰とはなしに話した。


「生活に困って食いもんを盗みに入ったが、見つかって殺されちまった」

「……なるほど」

「確かに盗みは良くないことだ。だがだからって殺すことぁねえ。困ってる時はお互い様なんだから少しくらい分けてやっても良かった筈だ。――そうだろう?」

「まったくだな。自分のことしか考えない商人達には罰が当たるに違いない」

「――その罰を与えるのがお前達だとしても何もおかしくない!」


 唐突に、アキムは中空に視線を固定し、


「さあ、皆今すぐ武器を探せ! 食いもんが欲しけりゃ自分達の力で手に入れるんだ!」


 と叫んだ。

 キリイもそれに付き合って声を出す。


「エルフも食いもんには困ってる! 分ければ共犯だ!」

「誰も傷つけたくない? いいだろう! ならば参加しろ! 数が多ければ多いほど説得力は増す! 犯罪者になりたくなければ参加しろ! 死体になりたくなければ参加しろ!」

「そして参加して犯罪者として死体になれ!」

「ハーッハッハッハ!」


 かつてそうでったかもしれないように、家の中に子供のような無邪気な笑いが満ちた。

    

 

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