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永遠の戦士  作者: ブラック無党
神の国
82/125

ミルバニアにて―父と母―

 水汲みを終わらせたミロクは、遅い朝食をもそもそと食べていた。

 食卓に登っているのは湯がいた芋と豆のスープだ。スープの中には豆だけ、湯がいた芋に至っては何もかけていない。ただ口の中がパサつくだけのいつもの朝食だった。

 一昨日の豪華さは一昨日だけのものであり、しばらくは楽しみのない食事が続く。

 父は既に畑にでかけ、母も家事を行うために家の外に出ている。一人で食べる環境がただでさえ味気ない食事に拍車をかけていた。

 一人でいる時頭に浮かぶのは一昨日に食堂で出会った傭兵だ。これまでも傭兵と話をしたことはあったが、彼ほど珍しい話を聞かせてくれた傭兵はいなかった。

 朝にはいなくなっていたし、隊商の傭兵達や村の大人達が騒がしくしていたので浸る暇がなかったが、それからというもの、こうやって一人の時間を過ごすたびに蘇ってくる。

 自分も、彼のようになれるだろうか――

 エルフと一緒に旅をして、ゴブリンやオークと戦い――

 旅先の町で、悪い領主を懲らしめ――

 立ち寄った村で、子供達の目を輝かせる――


(このままじゃ、無理だ……)


 成人したら街に出て傭兵になる。それは可能だ。しかしそれだけじゃ駄目だということくらいはわかる。出会った傭兵の殆どは普通の傭兵だった。普通の傭兵ではエルフの知り合いは出来ないのだ。

 早い者は村にいる時から剣を振る練習をしているという。


(僕ももう練習をしてたほうがいいかな……)


 強ければ周りに頼られる。知り合いが増えればその中にエルフが混じることだってあるだろう。

 しかし現実は過酷だ。村には剣を教えてくれる人はいないし、親の手伝いでミロク自身時間がとれそうにない。親も反対するだろう。

 ミロクはスープを飲み干すと木の器を砂で擦り洗い、水で濯ぐ。器を片付けると外に飛び出した。

 とりあえずは今日の分の仕事を終わらせないと始まらない。薪を取りに小屋に向かった。


「おはよう、ミロク」


 村の中を歩いていると友達が声をかけてくる。茶色の髪を伸ばした活発そうな少女だ。


「おはよう、カリン」


 少女も小屋に行くのだろうか。隣に並んできた。


「薪を取りに行くの?」

「うん。ミロクもそうでしょ?」

「そうだね」


 ミロクはそれきり口を閉じ、黙って歩く。

 それにカリンがチラチラと目をやり、


「ね、ねえミロク。いいこと教えてあげよっか」

「いいこと?」

「うん。お父さんとお母さんが昨日話してたのを聞いたんだけど」


 しかしカリンはそう云って顔を他所に向けた。


「うーん。どうしようかなぁ。この話が広まったら私がお父さん達に怒られるし……」

「なんだよ。本当は大した事じゃないんだろ。カリンはいつも大げさなんだから」

「なによ! この話はほんとにすごいんだから! バレたらほんとに怒られるんだから!」

「なら云わなきゃいいじゃん。ずっと黙ってろよ」

「そんなこと云っていいのかなー。ミロクの好きな傭兵の話なんだけどなー」

「ふん。いつもそう云うけど大したことない話ばかりじゃないか。今度もそうなんだろ」

「違うわよ! 今日のはほんとにすごいんだから! 商人の人達が連れてた傭兵の話なんだから!」

「なんだ、そっちの方か」


 ミロクはつまらなそうに云う。食堂で会った傭兵の話ならともかく普通の傭兵の話は以前のように興味をそそらなくなっていた。


「あんたの好きな傭兵の話よ? 聞きたくなったでしょ?」

「別にいいよ。無理して云わなくても。親にバレたら困るんだろ」

「な、なによ! なによなによ!」


 と、カリンはその場で足を踏み鳴らした。


「せっかくわたしが教えてあげようって云ってるのに!」

「ならさっさと云えばいい。無理なら別に云わなくてもいい」

「聞かないと後悔するんだからね!」

「……はあ」


 ミロクため息をついて、


「もういいよ。時間がもったいない」


 先を急ごうと歩みを早める。


「あっ、待ってよ!」

「………」

「話を聞きなさいよ! ミロクのばか! けちんぼ!」

「………」

「ははーん。さてはわたしの話を聞くのがこわいのね? 意気地なしなんだから。そんなことじゃあ傭兵になるのはやめといたほうがいいわね」

「……なんだって」


 聞き捨てならない言葉に眉が釣り上がる。後ろを振り向き、


「僕のどこが意気地なしだっていうんだ?」

「……なによ、そんなに怒ることないじゃない」

「………」

「だいたい傭兵になるなんて子供だわ。ああいうのは学のない大人か世間知らずの子供くらいしかなりたがらないのよ」


 カリンは腰に手を当てて諭すように云う。


「世間知らずはそっちだろう。傭兵だっていろいろいるんだ。本に出てくるような冒険をする人だっている」

「いないわよ! あんたはお父さんの後を継いでこの村で暮らすの! みんなそうなんだから!」

「僕は違う! 大きくなったら村を出るんだ!」

「――ばか! 傭兵になったら死ぬのよ!? 知らない場所で、知らない人に殺されるんだから!」

「死ぬのは腕が悪い傭兵だからさ! 僕はそうならないように鍛えるつもりだ!」

「……あんた」


 カリンは不意に声の調子を落とした。


「いい加減大人になりなさいよ。鍛えてない傭兵なんているわけないじゃない。鍛えてたって死ぬの。傭兵は殺し合いをするの。どう考えたってあんたには無理」

「うるさい!」


 ミロクは我慢できずにとうとう怒鳴りつける。


「何になろうが僕の自由だ! おまえにそんなことを云われる筋合いは――」


 言葉を切って耳を澄ました。遠くから鐘の音が聞こえてくる。


「あれは……」


 危険を知らせる鐘の音だ。魔物や盗賊など、村に危険が迫っている時に鳴らされる。

 カリンに目をやると、彼女も気づいたか蒼白になっている。


「行くぞ、カリン」

「あ――」


 ミロクはひと声かけて走りだす。


「ま、待ってよ! 置いてかないで!」


 カリンも後ろからついてきた。

 村の中では大人達が大慌てで家に駆け込んでいる。その殆どが女性だ。

 家から出てきた女達の手には簡素な槍が握られていた。細い丸太の先を尖らせただけのものや、切れ込みを入れて刃物を押し込み、紐で縛って固定させたものもある。

 大人も子供も向かう先は広場だった。

 広場では村長が声を張り上げている。


「魔物がくるぞ! 数が多い! 子供と赤子のいる母親は北から避難しろ! 逃げる者は渡す武器を持って行くことを忘れるな!」


 ということは、魔物は南から向かっているのだろう。数はどれくらいだろうか――ミロクはそんなことを思った。

 魔物でも盗賊でも数が多い時は村に立て篭もらない。戦えない者は逃がし、残りで時間を稼ぐのだ。門が閉まるまでに帰ってこれなかった大人はそのまま逃げた者達を守りながら村から離れる。残った者達も柵が破られた時点で脱出する。そういう取り決めだ。

 親は子供の名を叫び、子供は親の名を叫ぶ。

 何をやるべきかを弁えている子供は武器を持って北へ向かい、村の近場にいた男達が鐘の音に気づき村に駆け込んでくる。

 出て行く者と入ってくる者で広場は大混乱になった。


「私達も逃げよ、ミロク!」


 カリンが手を伸ばしてくる。

 ミロクはそれを乱暴に振り払った。


「――ミロク!?」

「逃げたいなら一人で逃げろ」

「こんな時まで何云ってるのよ! 魔物がくるのよ!?」

「わかってる。だからカリンは早く逃げるといい」

「あんたはどうするのよ!?」

「僕は残る」

「――なんでよ!? 残ったって何もできないじゃない!」

「できるさ。――いや、できなければいけないんだ」

「いきなりどうしちゃったのよ!? さっきのことまだ怒ってるの!?」

「……いや」


 ミロクは何かに気づいたように、


「さっきは怒ってごめん。カリンの云ったことは正しい。誰だって死にたくない。だから皆鍛えてる。でも、それでも死ぬ。生き残る傭兵にはそれ以外の何かが必要なんだ」

「訳がわからないわよ!」

「村の大人だって鍛えてないんだ。僕と同じだ。村を守るために戦って生き残れれば、それは特別だってことだ。なら、将来特別な傭兵にだってなれる」

「もう、うるさい!」


 カリンは強引にミロクの手を取った。


「あんたは全然特別なんかじゃないの! 普通の子供なの! 私が一番良く知ってるんだから!」

「お前に何がわかる」


 ミロクは再度手を振り払った。


「早く行けよ。門が閉まるぞ」

「お願いだから一緒に逃げてよ!」

「僕は逃げないって云ってるだろ!」


 声を荒げるミロクの視界に母親の姿が入る。

 捕まったら終わりだ。無理矢理にでも村の外に出されてしまうだろう。


「どこ行くのよ!?」


 ミロクはカリンに背を向けて駆け出した。向かうは家だ。


「止まって! 止まりなさいよ!」


 カリンはついてこない。

 ミロクは彼女が上手く生き延びることを願いながら家に飛び込む。

 両親の寝室にある寝台の下に腕を突っ込み、長い木の棒を取り出した。

 父の畑は遠い。おそらく門が閉まる前に戻ってくることは不可能だ。

 なら、自分が使っても問題ない――そう思いながら研がれた穂先を眺める。

 使い方は簡単だ。体重をかけて柵の向こうにいる魔物を突くだけ。子供の力でもいける筈だ。

 槍を持って家から出ようとしたらばったりと母に出くわす。母の後ろには半泣きのカリンがいた。

 告げ口したのだ――ミロクの頭にカッと血が登った。


「ミロク!」


 いきなり頬を叩かれる。普段は滅多に気づかない皺が、眉の間にたくさん見える。母は見たことがないほど恐ろしい顔をしていた。


「この馬鹿! 今すぐカリンちゃんと逃げなさい!」

「で、でも――」

「でもじゃない!」


 また叩かれる。ミロクの身体は右に左に傾いた。同時に心も揺れ動く。ついさっき自分の心に強固に根付いたと思えた考えがぐらぐらと揺さぶられ、一瞬自分が何をしたいのかわからなくなる。


「口答えしないで逃げなさい! 話は後でお父さんにたっぷりしてもらうから!」

「………」

「行こう、ミロク!」


 ミロクは動かなかった。これで母の云う通りに逃げたら我儘を捏ねただけの子供になってしまう。やっとどうすればいいのかわかったのだ。ただの子供に戻ってしまうのは御免だった。


「僕だって戦える!」


 云い放った瞬間また叩かれる。

 ミロクは倒れ、床に手をついた。

 母は襟を掴んで顔を上げさせると右に左に頬を張った。

 鐘の音に合わせてバチンバチンと音がする。


「この! この!」

「――うっ、――ぐっ」


 ミロクは手を上げて防ごうとするが、母の掌はそれを掻い潜って頬に到達する。

 悲しくなんかないのに瞳から涙がこぼれた。止めようとしても身体はいうことをきいてくれない。


「この! この!」

「い、いた――、もう、止めて……母さ――」

「おばさん! もうそれくらいで!」


 カリンに云われてやっと手が止まる。


「それ持ってっていいからすぐに逃げるんだよ!」


 と、母は脅しつけるように云う。

 ミロクは涙を流しながら頷いた。


「早く行こう!」


 カリンに手を引かれ、俯いたまま外にでる。こんなところを見られた自分が情けなく、恥ずかしかった。

 外に出たミロクは立ち止まったカリンの背に頭をぶつける。

 何事かと顔を上げると、カリンもまた同じように顔を上げていた。


「お、おばさん……」


 遅れて出てきた母が厳しい声で、


「鐘が止まってる! 間に合わなかった!」


 今まさに門は閉められているだろう。


「この馬鹿!」


 母は今度は拳骨でミロクの頭を叩いた。


「カリンちゃんまで巻き込んで! 何かあったらどう責任とるんだい!」

「………」

「なんとかお云いよ!」

「おばさん! そんなこといいから!」


 カリンに云われはっとなった母はミロクとカリン二人の腕を掴み、急いで家に戻る。

 奥の部屋に行くと大きな収納棚の下から生活雑貨や服を取り出し、そこから出したとわからないように散りばめて家の各所に設置した後、


「この中に入って!」


 空いた隙間にぐいぐいと子供二人を押し込んだ。

 ミロクから取り上げた槍を持ち、


「いいかい? 何があっても絶対にここから出るんじゃないよ?」

「か、母さんは?」

「私は仕事がある。終わったら迎えに来るから、それまでは絶対に出ないように! カリンちゃんもわかったね?」

「はい」


 このまま隠れて母を一人いかせていいのか――ミロクの中でそんな声が聞こえた。

 しかし、武器を取り上げられ、手ひどく叱られたミロクの身体は動いてくれなかった。このままここで待っていれば助かると、今までそうしてきたように親に任せてしまえと訴えている。


「もし私が戻ってこなくても、夜までは絶対に出るんじゃないよ? 音が少しでもした場合もね。出る時は用心して少しだけ開けて外を見るんだよ? 家の中にいなくても外にいるかもしれないから、窓からちゃんと確認するんだよ?」


 母はミロクの頬に手を当てて囁く。

 ミロクは冷たいその手をそっと掴んだ。


「カリンちゃんをちゃんと守るんだよ? そして村の外まで逃げたら父さんを探すんだ。戻ってきたりしちゃ駄目だからね? それがあんたの仕事だ」

「わ、わかったよ」


 母は最後にミロクの顔をじっと凝めた後、立ち上がった。


「なーに。初めてじゃないんだ。いつもみたいにすぐに逃げてくよ」


 気丈に笑うと両開きの戸を閉める。

 真っ暗な棚の中で、ミロクは母の出て行く足音を聞いた。

 隣にいるであろう少女がミロクを求めて手を伸ばす。

 ミロクはその手をそっと握り返した。






 


 ちぐはぐな鎧を身につけたゴブリンやオーク達が小さな門を中心に左右に広がっている。

 色の濃い集団は、ちっぽけな村の南側にまるで破れた袋のようにひしゃげた形で柵に纏わりついていた。

 最初、強引に門を突破しようとした彼等だったが、小さくても門は門。破る手段を持っていない彼等が取ったただ殴りつけるという方法を、門は当然のように弾き返した。

 時間と命を浪費してやっと門は無理だということに気づくと、今度は左右に広がって柵を乗り越えようと試みる。

 柵を掴んで登ろうと、もしくは手前に引き剥がそうとする彼等を、柵の隙間から飛び出してくる鋭く尖った穂先が出迎える。

 鋭い金属の穂先はやすやすと皮膚を貫通し、ささくれだった木の穂先は傷口を押し広げながら肉に食い込む。渾身の力を込めて突き出される槍は、柵の手前で押し合いへし合いする彼等の命をあっさりと奪っていった。


「――チッ」


 大きな木を中程まで登り、遠目にその光景を観察していたヴェガスは不機嫌そうに舌打ちする。


「何やってんだあいつらは。あんな村に手こずりやがって」


 巨体に似合わぬ器用さを発揮してするすると木を降りると、下で待っていたキリイが話しかけてくる。


「どんな様子だ?」

「全く駄目だ」


 ヴェガスは太い眉をハの字に寄せ、


「追加で送る必要があるな」

「護衛でもいたのか?」

「そこまではわからねえ。村に入れてねえんだ」

「ふーむ」


 キリイは顎に手を当てて、


「それなら追加で送っても一緒だろう。門を破れるオーガを送ったほうがいい」

「あんまり大事にはするなと云われてるぞ」

「しかしこのままでは数だけ無駄に減るぞ? 一体だけなら問題ないだろう」

「……なるほど。門を破るだけか」


 頷いたヴェガスは隣にいるトトに、


「一体だけ頼む」


 頼まれたトトは無言で首肯すると同族の元へ行く。


「それと一緒にあと五十ばかし送っとくか」

「そうだな。それくらいなら」


 シドからはゴブリンとオークが合わせて五百程、オーガ全てが与えられている。最初に送ったのは混成で百だ。

 キリイと二人でゴブリンとオークを呼んでオーガについていく者を選ぶ。

 トトが選んだオーガと追加の五十が出発すると、ヴェガスは再び木に登った。

 ずっと先に小さく村が見え、そこから伸びる草原に囲まれた道を大きな人影が土煙を上げて疾駆していく姿が見える。その後ろを追従する小さな人影の集団はゴブリンとオーク達だ。遅れないように必死に足を動かしている。

 五十一体の姿はみるみる小さくなり、豆粒のようになった。

 ヴェガスは優れた視力を発揮してそれを追いかける。

 村に着く頃にはだいぶ差がついてしまっていた。後ろを気にしないオーガはヴェガスのところにも聞こえるような雄叫びをあげると、速度を緩めないままに味方集団に突っ込んだ。

 さっと別れた集団の中を突っ切って門にぶつかり、そのまま姿が見えなくなる。


「おお!」


 ヴェガスはニヤニヤ笑いながら喝采をあげた。最高の見世物だ。

 薄く広がろうとしていた集団が今度は収束し始めた。穴から水が落ちるように中心部分に向かって吸い込まれていく。門が破れたのは明白だった。

 遅れて到着した五十体が村に取り付いても、色の濃い部分は広がったりしない。乾いた土に水が染み込むように村に吸い込まれていった。

 ヴェガスは木を降りると、


「門が破れたぞ。こうなりゃ後は時間の問題だ」

「そろそろこっちも動くか」

「だな。――トト!」


 呼ぶとそれだけで了解したのか、オーガの頭はさっさと出発する。

 彼等の役割は村の周辺で様子を窺っている者達の捜索と始末だ。知らせに走った者や逃げる者は放っておいても構わないが、村を襲った魔物の数がどれくらいでこの後どこへ向かうのか調べようという気概を持った奴がいないとも限らない。共に行動しているキリイやヴェガスの存在を知られないためには消しておいたほうがいい。肉体的にあらゆる面で人間より優れているオーガなら、単独で捜索と始末をこなせるだろう。

 後は残りのゴブリンとオークで村を包囲し、中にいる生き残りを虱潰しにすれば終わりだ。


「んじゃ行くか」


 一番いいのはこのまま村を放置することだったが、村の襲撃は水や食料を調達する絶好の機会でもあるし、魔物達では知恵を絞って隠れている村人を見過ごす事があるかも知れない。

 ヴェガスとキリイは残りを引き連れ移動を開始した。







 村は二日前とは様相を異にしていた。

 折れた閂と傾いだ門。柵に寄りかかるように息絶えているゴブリンやオークの死体。散乱する村人の死体に、血を吸った土。

 なにより違和感を感じたのは人間が作り人間が住んでいた村で動いているのが魔物だけという事実だ。


「この馬鹿ったれが!」


 門をくぐるなり、ヴェガスが近くで死体にかじりついていたゴブリンを蹴りあげた。


「食事の前に家探ししろや! ぶっ殺すぞ!」


 キリイはきょろきょろと辺りに目を向けながら、


「先に始めてるぞ」


 と、ヴェガスに云って適当な家に入る。

 開けっ放しの戸口をくぐり、騒がしい外の音を背中で聞きながら、隠れ場所になりそうな場所を探す。

 ないとは思っていたが、地下の有無や天井、甕の中、寝台の下。貧乏だったのだろうか隠れることができそうな場所は多くない。

 家主を殺害した後悠然と家捜しする強盗のように、キリイは家中を探しまわった。

 生きた人間どころか金目の物もないのを確認すると出口に向かう。

 途中、食卓の上に染みを見つけたキリイは足を止めた。


「………」


 誰かが遅い朝飯でも食べたのだろうか。それとも拭いても取れなかったのか。

 ほんの寸前まで、ここには家族が住んでいたのだ。キリイも持っている家族が――

 この村を襲った出来事はキリイが最も恐れる出来事でもあった。

 例えこの家の住人が上手く生き延びていたとしても前のような暮らしには戻れないであろう。

 この出来事にはキリイ自身も関わってはいるが、キリイがいなければ起こらなかった出来事というわけでもない。キリイがどうしようが起こっていたであろう出来事だ。

 この家の住人はきっと真面目に生きていただろう。それでも悲劇は起こるのだ。真面目に生きていれば不幸にならないのなら誰だってそうするに決まっている。

 幸せになるか不幸になるかは普段の行いとは全く関係がないのだ。この光景を見ると強くそう感じた。

 俺は運が良かった――キリイは改めてそう思う。この村の住人達には選択の余地すら与えられなかった。シドによって敗北を強要されたのだ。しかし自分は違った。シドがやることを決めていなかった頃に出会えたのは幸運以外の何物でもない。そしてこの運を手放すかどうかはこれからの行動にかかっているのだ。

 ならばキリイのやることは一つだ。

 父とは、子供のために泥を被ることを厭わないものだ。

 夫とは、妻のために身を投げ出すことを厭わないものだ。

 非情な決意を身に纏い、家から出たキリイは二軒目、三軒目と仕事をこなす。

 四軒目が終わり、食堂の隣の五軒目で眉を顰めた。

 ――鍵がかかっている。

 キリイは迷うことなく木の扉を蹴りつける。

 壊れた扉を外に捨て、戸口に立って室内を睥睨した。


「誰かいないのか? 助けにきたぞ」


 がらんとした部屋に感情を感じさせない声が響く。


「今外の魔物達は始末しているところだ。だから安心して出てきていい」


 ――しかし物音一つしない。

 キリイは静かに剣を抜いた。

 前に突き出して慎重に行動する。あらゆる場所を剣で開け、覗きこむ前に剣を入れる。

 ある戸棚を調べようとした時、奥の部屋で物音がした。

 キリイは手近にあった椅子を持って奥に向かう。

 入り口で立ち止まり、持っていた椅子を部屋の中に放り投げた。

 宙を飛ぶ椅子が部屋の境界線をくぐった瞬間、横から棒のようなものが突き出される。

 ――槍だ。

 自分を殺そうとする行動にキリイの目つきが険しくなる。

 奇襲に失敗した相手は部屋の隅に後退し、手にした槍をキリイに向けた。

 女だった。


「いきなり殺そうとするとはここの村人はタチが悪い。きっと天罰が当たったんだな、うん」


 そう呟くキリイに女が問う。


「あ、あんた! 何しにきたのさ!」

「勿論助けにきたんだ。さ、その武器を寄越すんだ。戦いは俺に任せておけ」

「外の魔物はどうなったんだい!?」

「今片付けてるところさ」


 嘯くキリイに女は、


「嘘をお云い! こんなに早く助けがくるもんか! それに戦いの音だってしやしない!」


 中々賢い女だ――キリイは騙すことを諦め、


「いいからさっさとその武器を捨てな。そうすれば命だけは助けてやる」

「……あんた! 人間の癖に魔物と!」

「止せよ。俺が魔物と一緒に行動してるんじゃない。魔物が俺と一緒に行動してるんだ」

「同じじゃないか! 恥を知りな!」

「恥なら知ってるとも」


 キリイは剣を突きつけた。


「知ってようが知るまいが変わらないんだよ。俺はやらなければやられる世界に生きてんだ。こういうとこで呑気に暮らしてただけのお前にそんなことを云われる筋合いはない」


 槍を警戒しながら女に躙り寄る。


「それ以上近づいたら刺すよ!」

「やれるもんならやってみな」

「馬鹿にして!」


 女が槍を突き出す。訓練されてない、フェイントもなにもない一撃だ。

 キリイは難なく躱し、槍を切り払った。


「あっ!?」


 女は悔しそうに唇を噛む。


「生憎だが、俺は他人の妻には優しくねえぞ」

「他人の妻には? 村を襲うような奴が誰かに優しくできるもんかね!」

「……ふん」


 キリイは無造作に距離を詰めると女の胴を一閃した。


「あぐぅっ――!」


 女はどさりと床に崩れ落ちる。身体の下から血溜まりが広がっていく。

 それを見下ろしていたキリイは女の手に光る何かを発見した。

 女の腕に足を載せてしゃがみ込み、手から指輪を抜き取る。


「……安物だな。だがまあ、金にはなるだろう。こいつは俺が有効に活用してやるから安心してくたばりなよ」

「こ……の……げ……」


 胴を跨いで止めを刺そうとしたキリイは、女の瞳を覗き込み、ピタリと動きを止めた。

 恐怖、懇願。女の目の中にはそられの感情が見え隠れしているが、それが向けられた対象が自分ではないような感じを受けたのだ。

 恐怖してはいるがそれは殺されることにではなく、懇願してはいるがそれは生き延びるためではない。


「――なんだ」


 この女は馬鹿ではない。つい先程そう思ったばかりだ。ならばこそこの状態にも意味がある筈。

 考えてみれば最初から変であった。

 何故この女は村から逃げ出さなかったのか――

 魔物達は隠れて近づかなかった。逃げる時間はあったし、仮に戦いに参加していたとしても門が破られてから逃げることもできた。村の中に留まるよりはそちらのほうが余程賢い。

 何故隠れるにしても鍵を閉めるなどと愚かな行動を取ったのか――

 そんなことをすれば中に誰かいると云っているも同然だ。

 何故隠れないで襲いかかってきたのか――

 村の中は敵だらけだ。キリイが助けではないと思っていたのなら身を晒して自分の存在を主張することは自殺行為に等しい。例え殺せてもキリイが戻ってこないことを不審がられ、捜索が始まるのは容易に予測できることである。

 この女は助かる道を自らフイにしている。


「何を企んでやがる」


 キリイはじっと女を観察した。

 年はキリイと同じか、少し上くらいだろう。死相の浮かんだ顔にはキリイに対する感情は一切ない。

 女が自らの命を度外視して願う何か――

 女が自らの進退よりも優先する何か――


「――子供か」


 閃いたキリイが口にすると女は表情を歪めた。

 キリイは答えを知った。

 子供がいるから外に逃げなかったのだ。子供が隠れているから自分は隠れなかったのだ。

 もし女が姿を見せなければキリイは家中を探していただろう。それどころか女を見つけ、殺したことに安心しそこで捜索を終わりにしていた可能性だってある。

 この女は一縷の望みにかけたのだ。そのために死地に身を晒した。


「どうやら、お前の家族愛より俺の家族愛が上だったらしい」


 この戦いの本質を理解したキリイは云った。

 つまるところこの戦いは、家族のために生き延びようとする父親と、家族のために死のうとする母親の戦いだった。

 キリイはそれに勝利したのだ。

 しかし勝利の報酬は嬉しいものではなかった。些細な出来事とはいえ、後々の禍根となる可能性を捨て置くことはできないからだ。気づいたからにはやらねばならない。

 女が腕を伸ばしてキリイの足を掴む。

 キリイはそれを蹴って目星をつけた棚の前に陣取った。最も捜索を失念しやすい場所は女がいた場所に他ならない。そしてここが一番隠れやすそうだ。

 出てこい――そう云おうとしてやめる。さすがに子供を殺すのはキリイにも思うところがある。見ないままで殺せるならそれに越したことはない。

 思考を停止して血に濡れた剣を突き刺す。

 いるかもしれない――とは思っていたが、いるとわかっていたわけではない。

 雷に打たれたようにキリイの身体が震えた。


「………」


 突き刺した刀身を伝って赤いものが滴ってくる。

 突き刺すまでは誰もいなかった。だからいとも簡単に行動に移せた。

 しかし今は違う。流れてくる血が、自分のしたことを明確に告げている。

 収納棚の下部から血が流れ始めてやっと、キリイは剣を引き抜いた。一緒に扉が動き、中が垣間見える。


「あ……」


 子供が二人、重なって死んでいた。少年と少女だ。

 少年の顔を見たキリイは、


「ぼ、坊主――」


 と、呻く。

 子供のうち一人はキリイに隊商の話をしてくれた少年であった。

 それに覆いかぶさるように少女が死んでいる。

 キリイは後ろを振り向いた。

 こちらに這いずろうとした格好で女が動かなくなっている。

 少年は、傭兵になるのだと云っていた。有名になり、王都に親を呼ぶと云っていた。

 傭兵になるのだと云っていた少年を殺したのはキリイで、その親を殺したのはキリイだった。

 不意に――

 少年が自分の子供に重なって見え、女が妻に重なって見えた。

 キリイは左手を前に出し、右手で剣をぶら下げたまま一歩さがった。

 二歩目を踏む前に誰かが背中を押した気がした。


『なーに、気にするなよ、キリイ。他人の餓鬼より自分の餓鬼だぜ』


 肩に手を置いたアキムが囁き、


『守ってくれる親が死んだ仔は、死ぬが摂理よ』


 背後に立ったシドが囁く。

 キリイは自分が一人ではないことを悟った。例えこの場に姿はなくとも、心で繋がっている。

 さがろうとしていた足を力強く前に踏み出す。

 自分には、一人で前に進めなくなったら背中を押してくれる仲間がいるのだ――と。


「危うく負けるところだった」


 殺した家族の最後の反撃を凌いだキリイは懐に手を入れた。

 出てきた手には、安物の指輪が握られている。

 キリイはしゃがむとそれを少年の手に握らせた。


「こいつは俺からの選別だ、坊主。お前の話は役に立ったぜ」


 清々しい顔で立ち上がる。

 戻ろうと踵を返したキリイは、部屋の入口に立つヴェガスに気づいた。一体いつから見ていたのだろうか。

 すれ違いざま、笑みを浮かべたヴェガスが肩を叩く。


「優しいところ、あるじゃねえの」

「まぁな」


 キリイは恥ずかしいところを見られたと、それだけをぶっきらぼうに云った。









「ふーむ」


 キリイと別れたヴェガスは顎の毛を撫でながら室内を見回した。

 床に女の死体があり、大きな棚からは血が流れている。

 棚を覗くと、子供の死体が二つあった。

 キリイは上手くやったようだ。だが――

 ヴェガスは少年の手を開くと、握られていた指輪を奪い、後ろに投げ捨てた。


「優しいのは結構だがキリイよ、こんなもん食わせたってゴブリン共の腹の足しにはならんぜ」


 今日のことは始まりに過ぎない。いちいち気にしていたら誰も殺せなくなってしまう。


「どいつもこいつも殺すんだ。それが一番簡単でいい」


 ヴェガスは笑いながら死体を肩に担いだ。

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