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永遠の戦士  作者: ブラック無党
神の国
80/125

ミルバニアにて―狂宴―

 ヘテロを始めとする商人達は躊躇せず荷馬車の物資を放出した。酒樽を全部下ろし、肉だけはあるとの言葉からそれ以外の穀物と干し野菜、調味料の類も用意する。計画通りに事が進めば値が知れている作物など載せる余裕はない。


「ヘテロ! 帰りはどうするのだ? あれだけの数のエルフを連れて旅をするのは無理があるぞ!」

「うるさいぞ、ベリリュース。ちゃんと考えてある!」


 ヘテロはうるさそうな視線をベリリュースに向けた。


「しかし拘束具など持ち歩いてはいるまい。反乱など起こされては水の泡だ」

「拘束具ならある」


 ヘテロはそういって覆いの下から黒い首輪のようなものをチラリと見せる。

 ――奴隷用の拘束具だった。一旦起動させると着用者の魔力を強制的に吸い上げて制御を乱す。欠点は使い捨てで高価、そして制御能力次第では長期間の着用は惑乱の癖を掴まれるということか。


「そんなものまで……。お前は何を考えて行商をしているのだ」

「利益のことを考えてしているに決まっているだろう。エルフを偶然手に入れる時がいつくるかもわからない旅だ。だが、さすがに数は用意できなんだ。これ一個しかない」

「ならばどうする」

「酒を飲ませ、寝静まったところで不意をつく。とりあえず殴って気絶させ、二十人ばかし人質に取ればいいだろう。首に短剣でも突きつけておけばそうそう馬鹿な真似はするまい」

「その二十人は――」

「お前の部下に決まっている」

「……規模の大きい盗賊団に襲われたら対応できんぞ。出会ったら絶対見過ごしてもらえない。こちらが何人だろうと」

「その時はエルフを盾にしろ。何しろいっぱいいるんだ。少しばかり死んでも問題ない」


 背に腹は代えられない――とヘテロ。

 ベリリュースは開いた口が塞がらなかった。これほど邪悪な人間がすぐ側にいたとは……。


「……俺はやばくなったら逃げさせてもらう」

「部下はどうするのだ」

「命をかけて守るような存在ではなくなった。お前も、団員達も」

「ふん。真面目ぶりおって。後になってエルフをくれとか云っても聞かんからな」


 ヘテロは白い頑丈そうな袋に手を伸ばす。

 それを見たベリリュースは、


「塩まで使うのか……」

「肴が美味ければ酒も進もう。成功に導くための投資だよ、ベリリュース」


 塩は貴重品だった。国の南と西にある比較的大きな都市に国外からしか入らない。それも、いくつもの人出を経由しているせいで値が張る。

 商人と使用人達は広場に荷物を運んだ。

 広場では中央に大きな火が焚かれ、それを囲むように席が設けられていた。そのうえ幾つかの席につき一つ、小さな焚き火も熾されている。

 村の男達が次から次に肉を捌き、エルフ達がそれを串に刺して火にくべる。

 ベリリュースはその光景に違和感を抱き、


「妙だとは思わんか?」


 とヘテロに訊いた。


「何がだ」

「女がいない」

「いるではないか。エルフの女が。他にどんな女が必要だ」

「人間の女がいないだろう。子供もいたのにありえない」

「馬鹿な奴だな、お前は。女は大方逃げ出したのよ」

「逃げ出しただと? ……何故だ?」

「よく考えてみろ。人間の女とエルフの女、すぐ横にいたらどちらに目が行く? 自分よりも遥かに美しいエルフの女が大量にいるのだ。人間の女が居た堪れなくなって逃げ出したとしても不思議ではあるまい。子供はきっとエルフの子供だろう」

「………」

「それに再建を始めたばかりの危険と隣合わせの村だ。戦えない女は後から呼ぶつもりなのかもしれない。村長に訊ねてもきっと似たような答えが返ってくる筈だ。そんなことよりお前は部下にちゃんと云い聞かせておけ。飲み過ぎて仕事に支障がでないよう釘を刺しておくんだ」

「云われなくとも」


 準備が終わると中央の大きな篝火を囲み、皆が思い思いの場所に腰をおろした。

 エルフ達が甲斐甲斐しく給仕をしている。

 ベリリュースは念のため村長の横に座る。

 ヘテロも村長を挟んだ反対側に腰を落ち着けた。

 ざわついていた広場が徐々に静かになり、やがて薪が燃える音を残すだけになると、


「揃ったようだな」


 と村長が云った。

 手を上げてぱんぱんと叩く。

 すると、建物の中や見えない村の奥から、たくさんのエルフ達が姿を見せた。

 全て女だ。


「おおおっ」


 ヘテロが嬉しい悲鳴をあげる。

 エルフの女達は傭兵一人ずつに付いた。

 傭兵達は生まれて初めての体験にやに下がった笑みを浮かべ、腕をエルフの腰に回す。

 エルフ達は嫌がっていない。


(……まずいな)


 ベリリュースは唇を噛んだ。この調子では勧められるままに杯を干してしまいかねない。


「そ、村長。あれは――」

「ちょっとした趣向だ。それとも何か問題でもあったかな? そうなら下がらせるが」

「そ、それは……」


 ベリリュースがどうやって断ろうかと言葉を探していると、村長の言を聞きつけた周囲の傭兵達から声があがった。


「いやいや村長! 全然問題ないぜ! あんたはよくわかってる!」

「そうだそうだ! 女が隣にいたほうが酒が美味い!」

「というか、女がいないとこんな村で酒盛りなんて無理だ!」


(――あの馬鹿共がっ)


 人の神経を逆撫でする笑い声をあげる団員達を睨むが、効果はない。

 そうこうするうちに、金髪のエルフ女がやってきて村長に器を手渡した。

 ヘテロが興味深そうに中を覗き込み、


「それは?」

「生憎だが、まだ傷が治っていないものでな。酒は飲めんのだ」

「それはそれは……。しかし一杯くらいはいいのではありませんかな?」


 邪悪な笑みを浮かべたヘテロが村長に酒を勧めるのを見て乾いた笑いが漏れる。ベリリュースにはとてもじゃないが真似できない。


「ささ、一杯だけでも」

「――くどい」


 勧めること二回目で、村長が前を向いたままそう返した。

 村長は切れやすい男だ。ベリリュースはそう感じた。


「俺は飲まないと云っている」

「まあまあ、いいではありませんか。村長が飲まねば始まらない」

「そこまで云うならお前が代わりに飲め」

「――へ?」     


 村長は腕を伸ばしてヘテロの首に回し、ガッチリと固定した。

 杯を取り上げ、彼の顎を押さえて流し込む。


「ぶふぅっ!?」


 ヘテロの鼻から酒が吹き出した。


「さあ、飲め」


 村長はぐいぐいと杯を傾ける。


「お、おい。それくらいに――」

「――む。もう空か」

「げほおっ! げはっ!」


 解放されたヘテロは鼻と口から酒と涎をだらだらと流しながら地面に手をつく。 


「な、なんどいうばねを……」

「人に何かをさせる時は、リスクを背負わねばならん」


 村長は杯をことりと置いた。


「どうだ、ヘテロとやら。人に酒を勧めるという行為が恐ろしいものだということがよくわかっただろう」

「よ、よよよよぐも……」


 ベリリュースは必死に目と手で合図を送った。今ここで事を起こせば被害が大きくなってしまう。なにより村長の手の届く範囲にいるというのがまずかった。


「ぐ。ぐぐぎ……」

「それでは始めるとしようか。長々と話すのも無粋だ。簡潔にいこう」


 村長は歯ぎしりをするヘテロを気にした風もなく手にした器を掲げて云った。


「――我等の出会いに」

「我等の出会いに!」

「うおおおおおおお!」

「飲むぞおおおおお!」


 傭兵達と村の男達が絶叫をもってそれに応える。 

 ベリリュースが見ている前で、エルフの女達が言葉巧みに酒を勧め、傭兵達はまるでそうすることがいい男の条件であるかのようにどんどん飲み干していった。


「こりゃうめえ!」

「いったい何の肉だこりゃ!」


 美味い美味いと口々に叫ぶ。


(猿の肉だと云っていたが……)


 興味を引かれたベリリュースも一口食べてみた。 

 ぐっと噛み締めると血と肉汁が湧き出てくる。一見硬そうに見えるが、力を入れると歯がずぶりと沈み込む。塩辛い調味料が肉の臭みを打ち消し、酒の肴にはもってこいだった。まさに肉といった感じだ。

 こんなに美味しいのに村の男達はあまり肉に手を伸ばしていないようで、もっぱら酒ばかり飲んでいるようだ。食べ飽きているのだろうと思われる。

 村長に至っては全然食べていないようだったが、ベリリュースもヘテロも勧めようとは思わなかった。

 皆が肉に満足した頃になると、大きな鍋が複数持ち込まれる。これは商人達の持ち物だった。

 鍋の中に、水と少しの酒と、干した野菜と穀物が入れられる。

 周辺に立ち込める脂の焼ける匂いに、胃袋を刺激する素朴な匂いが混じった。

 ぐつぐつと煮えたぎる音を聞きつけたか、村長が、


「肉だ。肉を食うのだ」


 鶴の一声で鍋に大量の肉が投下された。


「そういえば内臓が余っていたな」


 村長が金髪のエルフに云う。


「ターシャ、内臓を持ってこい」

「はい」


 ベリリュースは嫌な予感がした。肉の量から換算すると、途轍もない量の内臓が出た筈である。

 ターシャというエルフはすぐに数人の手伝いとともに戻ってきた。たくさんの桶も一緒だ。中は想像したくない。


「入れろ」

「はい」


 やめろ――と、ベリリュースは叫びたかった。さっぱりした料理が食べたい。


「切らなくてもいいのでしょうか?」

「うむ。問題ないだろう」


 桶を持っているエルフ達もさすがに顔を顰めている。そして汚物のように扱っているのにそれを鍋の中に入れるのだ。

 腸だろうか。鍋があふれて縁から細長い物が垂れる。

 ヘテロを見ると青い顔をしていた。しかし何を思ったか、不意に笑みを作り、


「村長。傷を治りを良くするためにはたくさん栄養をつけねば」 

「……そうだな」

「でしょうとも。やはりここは村で一番立場が上の村長が最初に箸をつけるべきです」

「そうかな」

「そうですとも!」


 ヘテロは立ち上がって力説する。


「あの鍋の中身は私達からの贈り物ですよ。ぜひ村長に最初に食べてもらいたいものですな」

「ふーむ。そうしたいのは山々なのだが、傷に触るのでな」

「……そ、そんなわけがある筈ないでしょう! 食事をして傷の治りが遅くなるなど聞いたことありません!」

「お前にとってはそうなんだろう。お前にとっては、な」

「誰にとっても同じですよ!」

「しかし俺は当てはまらない」

「う、嘘をつくな!」


 とうとうヘテロは我慢できなくなったようだった。


「怪我を理由にすればなんでも叶うと思ったら大間違いだ! さあ! 諦めて鍋の中身を食べるんだ!」

「………」


 いつしか広場は静まり返っていた。誰も、何も、喋らない。  


「――ターシャ」


 村長がポツリと云った。


「鍋を持ってこい」

「――え?」

「鍋を持ってくるんだ」

「まだ入れたばかりですが……」

「構わん」

「は、はい」


 ヘテロは勝ち誇った笑みを浮かべていた。


「持ってきました」


 エルフが鍋の中身を注いだ器を手にやってくる。


「誰が器を持って来いといった。鍋を持ってくるんだ」

「ええっ!?」

「早くしろ」

「そうだ! 早くせんか!」


 狼狽えるエルフにヘテロが云う。


「しかしさすがは村長。身体と同じで食べる量も一番上ですな」

「………」


 ベリリュースは二人のやり取りを黙って見ていた。ヘテロはもしかして酔っているのだろうか。最前の酒での出来事からするに、村長が大人しく食べるとは思えなかった。

 そしてそれは、取っ手に木の棒を通した鍋をエルフが数人がかりで運んできた時確信に変わった。


(人間の食べ物じゃない……)


 生煮えの内臓が具材に絡み、得も云われぬ色に染まっている。

 それはさながら抽象画のようであり――

 温められた内臓が強烈な悪臭を放ち、胃がひどく痙攣する。

 それはさながら排泄物のようであった。


「さ、さあ、村長。男らしくググッといくんだ」

「任せておけ」


 村長は鍋の縁を素手で掴んだ。そしてググッと持ち上げる。

 その所業にベリリュースは鍋のことも忘れて魅入ってしまった。


「す、すごいぞ村長! さすがは村長!」

「うむ」


 片手で鍋を持ち上げた村長はもう片方でヘテロを捕まえた。


「へ?」


 顎を掴んで地面に押さえつける。


「村長!」


 ヘテロは驚愕して叫んだ。


「止せ! こんなことをしてただで済むと――」

「誰かに何かをさせる時は力尽くが一番だ」

「ベリリュース! 助けてくれ!」

「食事は黙ってするものだぞ」


 鍋の縁が唇に触れるとヘテロは目を剥いた。


「あづいぃ! やめで――ぐうえぇっ」


 ヘテロは足掻き、村長の身体を殴る。

 どろりとした鍋の中身が口からこぼれ出すのも意に介さず村長は流し込んだ。終わりがないかのように落ちてくるそれは吹き出すことさえ許さない。

 ベリリュースは助けようとして思い止まった。この村を襲うことを強要された時から、商人達は守るべき雇い主ではなく共犯者となっている。

 真っ赤に充血したヘテロの目から涙が流れ、すぐに鍋の中身で洗い流される。

 村長は自分の手が汚れるのも構わない。

 その姿は、暴れ、吐き出す患者になんとかして薬を飲ませようとする薬師のように見えた。

 崇高ささえ漂ってくるから不思議だ。


「………」

「団長っ!」

「――っ!?」


 団員の声で我に帰るベリリュース。首を振って呑まれそうになる自分を取り戻す。

 改めて村長を見る。

 先程とはまるで違っていた。

 村長は、病床に臥せる王に薬と称して毒を飲ませる王妃のようであり、口減らしのために愛する我が子を毒殺しようとする母親のようでもあった。

 そこにあるのはなにがなんでも飲ませようとする確固たる意志である。

 ヘテロはもう暴れていない。投げ出された四肢が時折痙攣するだけだ。じきに死ぬだろう。


「………」


 ベリリュースは手をあげた。村長がヘテロを殺すなら、こちらはそれを利用するまでだ。大義名分を持って戦闘を開始することができる。

 しかし――


「な――」


 振り返ったベリリュースは愕然とする。

 何故なら、団員達の隣にいるエルフ達が瞳をらんらんと輝かせ、村長を注視しているのだ。腰を浮かせて身構える姿はなにかの合図を待っているようにも見える。


(まさか……)


 恐ろしい想像が脳裏をよぎる。

 ベリリュース達一行は邪な企みを持って村にやってきた。自分達は狩人で、村人達は獲物だった。

 

 ――だが、本当にそうなのだろうか。


 実は獲物なのは自分達で、村人達の罠に自ら嵌まり込んだのではないか――

 仮にその想像が事実なら、号令をかけた瞬間団員の大半は死ぬだろう。何人かはエルフの不審な様子に気づき目つきを険しくしているが、殆どは団長であるベリリュースに視線を固定している。殊勝な心がけではあるが、いざ戦闘が始まれば彼等は真っ先にあの世行きだ。

 団員達が狙うのは隣にいるエルフではないのだ。村に来た目的がエルフの女を生け捕りにすることなのに真っ先に殺しに向かう筈がない。

 既に、殺してはいけない、殺す予定にない敵が真横に張り付いている状況だ。

 数でも策略でも向こうが上手であった。

 ベリリュースは悩んだ末、手を下ろす。

 決断はなされた。


「――村長」


 死体に鍋を食わせている男に話しかける。


「なんだ」

「済まないが少し気分が優れない。風に当たりに席を外しても構わないだろうか?」

「村から離れると危険だぞ?」

「わかっている。そう遠くへ行くつもりはない」

「……まあ、いいだろう」

「ありがとう」


 ベリリュースはゆっくりと、だが大股に広場を後にする。決して後ろは振り向かなかった。

 村との距離を測り、ある程度離れたところでさっと姿勢を低くする。草むらに紛れて静かに移動を開始した。

 どの方角だろうが構わない。夜の森は危険だが、村はさらに危険な場所だった。


「ゲフッ」


 と、前方の草むらから音がした。

 ベリリュースはピタリと動きを止める。これまで培ってきた経験が激しく警鐘を鳴らしていた。

 村に入る前には無視した――いや、無視せざるを得なかった。だから今度は従うことにする。

 前方に目を凝らしながらじりじりと立ち上がる。

 草から頭が少し出た辺りでそれが見えた。


(……くそ)


 かなり先の方に黒々とした影が大量に並んでいる。詳細はわからないが草葉でないことだけは確かだ。

 迂闊だった。村を丸ごと使用して罠をはるような連中だ。逃げ出した相手に対する備えをしていないわけがない。

 立ち上がった時と同じようにゆっくりとしゃがんだ。向こうからはこちらも影になっている筈だ。動きを悟られなければ大丈夫だろう。

 静かに、しかし素早く長靴を脱ぎ、鎧を外す。剣も剣帯ごと捨てた。

 こんな状況では武装などあってなきが如し。殺すときは躊躇わず、逃げるときは徹底して逃げる。それが生き残るコツだ。それにここに置いておけば外に逃げ出したと思わせることができる。

 革鎧の下に着ていた帷子すらも脱ぐ。邪魔にならず、多目的に使える短剣だけを手に来た道を引き返した。広場に戻るのではなく、途中で進路を変える。

 村の外周を迂回し、家屋を挟んで広場とは反対側へ。

 家屋の裏側に来ると一息ついた。

 生き延びる方法は一つだった。全てが終わり、村人が寝静まってから逃げ出すのだ。事が終われば包囲も解ける筈である。

 耳を澄ますと、まだ騒ぎにはなっていない。

 急いで隠れ場所を探す。

 子供の頃よくやった遊びのようだが、今回のこれには命がかかっていた。

 朽ち果てた廃屋のような建物と軒下に置かれた大きな樽。荷車。薪を保管しておくであろう小屋。

 碌な物がない。


(慌てるな。落ち着け。まだ大丈夫だ)


 深呼吸をして冷静さを保つ。焦って安易な場所を選んではいけない。

 そっと樽に近づき、蓋を開ける。中を覗きこんでみた。


(――うおっ!?)


 目に入ったのは大量の人骨だった。血でどす黒く染まっており、虚ろな眼科が恨めしげにベリリュースを見上げている。

 凄まじい悪臭と共に大量の虫が解き放たれ、胃が裏返ったように痙攣した。


(――おぅっげええええええ)


 樽と廃屋の隙間に首を突っ込んで嘔吐する。

 食べたばかりの胃の中身がビチャビチャと音を立てる。


(おうぅえっ、おげぇっ)

 

 酸っぱい唾を吐き、脂汗に塗れた顔を上げた。


(ま、まさかあの肉は……)


 今こそベリリュースはこの村の真の恐ろしさを知ったのだ。


(ななな、なんてこった――)


 震える指を廃屋の窓枠にかけ、中を確認する。

 寝台と棚、樽。大きな(かめ)しかなかった。

 出来れば外に隠れたかった。包囲が解かれた後、村から出るのはそっちが楽だ。

 薪小屋に向かう。

 入り口からそっと顔を出すと、薪の代わりに死体が入っていた。


(……駄目だ)


 これから積まれる可能性が高い死体に埋まらないためには端の方で死体の振りをするしかない。しかしそれをやると真っ先に加工されかねなかった。

 ベリリュースは闇に慣れた目で一番大きな家屋を探した。そこが村長の寝泊まりする場所の筈だ。隠れるならそこがいい。

 広い分家具も多いだろうし、なにより村長は目が見えない。狩人なら耳はいいだろうがそれはエルフも変わらない。ついこの間目が不自由になったばかりなのでそれほど聴覚は発達していないだろう。

 ベリリュースは姿勢を低くして薪小屋を離れた。


(――ん?)


 途中、ふと空を見上げる。

 何かが上を横切った気がしたのだ。


(………)


 気のせいだろうか。

 どちらにせよ、暗くて探すのは無理だった。

 頭を振って移動を再開する。割れた窓から中を確認し、目星をつけた家屋へ侵入を果たした。

 室内はかびの臭いがした。

 埃の積もった寝台と棚、燭台がある。奥に扉があり、他にも部屋があるようだ。

 扉を静かに開ける。

 開けた先にはもう一つ部屋があった。作業台と卓、甕が置いてある。

 視線を上に動かすと、この建物には天井があると知れた。


(――しめた)


 ベリリュースは器用に作業台に飛び乗った。 

 天井に目を凝らし、入口を探す。

 扉を見つけると卓の下に収まっている台座を動かし、着ていたシャツを脱いだ。短剣で細く割いて結んでいく。

 恐怖、緊張、寒さで震える指先と格闘していると、外から怒号と悲鳴が聞こえてきた。

 とうとう始まったのだ。


(今こそ日頃鍛えた訓練の成果を見せる時だぞ、お前達)


 心の中で団員達を応援する。彼等には時間を稼いで貰わなければ。

 台座に立つと天井を押し、浮き上がった板を横にずらす。

 

(――よし)


 台座に紐を結び、短剣と一緒に口に咥える。

 指をかけ、腕の力だけで身体を持ち上げた。

 団員達は外で頑張っている。ベリリュースは中で頑張るのだ。


(――ふっ)


 じりじりと上がっていく。


「ふぐおおおおお」


 肩を入れると残りは楽だった。肘をついて下半身を持ち上げる。

 完全に上がってしまうと紐を使って台座を回収した。

 あとは村が寝静まった後、同じようにして下に降りてこっそりと逃げ出せばよかった。

 埃っぽい天井に横たわり、荒い息をつく。

 目を瞑ってじっとしていると呼吸が落ち着いてきた。


(とんでもないところに来てしまった……)


 古い記憶にひっかかるものがある。

 幼い頃母親に読み聞かせてもらった昔語り。たまに恐ろしい話が混じっていた。

 その話に出てくるような村だった。

 大抵、善良な人々を餌食にする邪悪な存在が出てくる。

 そういう話を聞くたびに、小さかったベリリュースは怯え、母親に泣きついたものだ。

 怖いけれどもせがんだ。

 どんなに悪くても、どんなに恐ろしくても、最後には人間の英雄が出てきて邪悪な者達を打ち破るからだった。

 しかし現実は過酷だ。ここには英雄など来ないし、ベリリュースは英雄じゃない。

 英雄じゃないベリリュースは怯えた鼠のように縮こまり、息を潜めてやり過ごすのだ。必要なのは華々しい活躍ではなく泥を啜ってでも生き延びようとする執着であった。

 家屋の外から聞こえてくる音はいまだ止むことがない。

 団員達はまだ抵抗を続けているようだった。


(………)


 天井裏にうつ伏せになっていたベリリュースは、扉が荒々しく蹴破られる音で目を覚ます。

 その時になって、極度の緊張による疲労から短い時間だが眠ってしまっていたらしいと知った。


「ひいいいいいいいい!」


 扉の開く音に続いて情けない悲鳴を上げながら男が飛び込んできたのがわかった。

 ベリリュースは耳を澄ました。


「ひ、ひひい。ひ、ひ――」


 入ってきた男は引き攣った声を出しながら室内のものを手当たり次第に倒しているようだ。

 ドカドカと足音が響いて複数の気配が家に入ってくる。


「くく、くるなぁっ!」


 何かが壁に突き立つような音がし、


「よせっ! やめてくれ!!」


 こもったような鈍い音。そしてドサリと何かが倒れた。

 床を叩く音と掠れた呼気、重い物を引き摺る音を最後に静かになる。

 ベリリュースは口の中に拳を入れ、ガクガクと震えた。

 混乱が手を伸ばそうとしている。

 短剣を手に外に出て、手当たり次第に襲いたいという気持ちと、喉を突いたら楽になれるという気持ちが誘惑する。


『いーいベル。悪いことをしたらいつか必ず罰を受けるのよ。逆に良いことをしていたら危なくなっても誰かが助けてくれるわ』


 本を読み終わった後の母親の言葉が鮮明に蘇った。

 ベリリュースは心の中で叫んだ。俺は悪いことをしようとしただけで最悪の罰を受けようとしている! それもいつかじゃない! すぐにだ!

 床板が酷く軋んだ。

 ベリリュースは身体を硬くした。また誰かが来た!


「いるのはわかっているぞ、ベリリュースよ」


 ――村長だ! ベリリュースは目を剥いた。


「魔物達が村に襲撃をかけてきたのだ、ベリリュース。傭兵達は皆お前の力を必要としている」


 村長の声音は親しい者にかけるそれであった。

 ベリリュースはお守りのように短剣を握り締める。

 床板が凄まじい軋みをあげた。


「――っ!?」


 第六感に従い、とっさに横に転がった。

 直後、天井板を破壊して巨大な穂先が飛び出す。


「――む」


 ベリリュースは蜘蛛の巣を顔で払い、梁に額を打ちつけながら寝室に向かって天井裏を這った。


「どこへ行こうというのかね」


 背後から、ゆっくりと軋む音が近づいてくる。

 家の端まで行くと足の裏で壁板を蹴りつけた。


(――開けっ! 開けっ!)


 素足に血が滲むが、焦燥感と高まった恐怖が痛覚を麻痺させていた。足首を捻ろうが木くずが突き刺さろうが何も感じない。

 板が折れ、穴が広がると外も見ずに身体を押し込んだ。


「ぐあっ!?」


 背中から落下するが、思うように動かない身体に鞭を打って起き上がる。

 視線を上げると自由が広がっていた。透き通るような夜空と草原。どこまでも行けそうだった。

 

(脚を動かせ)


 云い聞かせると、身体に活力が戻ってくる。この村ではないどこかへ、命の続く限り走るのだ。

 

(動け! 走れ!)


 ――馬のように

 ――心臓が破れるまで

 後ろで大きな破砕音がした。

 一歩を踏み出そうとしていたベリリュースの両脇から腕が回され、進もうとした身体に待ったがかけられる。


「あああああああっ!」


 ベリリュースは絶叫し、自分が二度と出られぬ強固な檻に囚われたことを悟った。

 顔だけで振り返ると、至近に村長の顔がある。

 目が合ったベリリュースは子供のような悲鳴をあげた。  


 

 

ミルバニアファミリー

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