村にて―出発―
サブタイの後半かぶりはご容赦を
「お母さん!」
キョロキョロと辺りを見回し、しゃがみ込んで鬱々と作業をこなすエルフ達のなかに母親を見つけたレティシアは急いで駆け寄った。
エルフ達が毒のこもった視線を投げつけてくる。
かつてのレティシアならば怯んだかもしれなかったが、色々ありすぎた今ではちょっと煩わしいと感じる程度だ。今のレティシアにあるのは父と兄を殺したシドやアキムに対する怒りと、それと同じくらい強い自己嫌悪だった。
こうなるのは予測できたことだ。シドは出発前から云っていたし、兄も我慢の限界を超えた際の裏切りをほのめかしていた。だがレティシアは何もしなかった。その時がくればなんとかなるだろうと、殺されるとわかっているのに裏切らないだろうと高をくくっていたのだ。その結果がこれである。
怒りと自己嫌悪、この二つの感情の前では村人達の無言の抗議など取るに足りない。
「レティ!?」
母親がレティシアに気づいて手を止める。驚いた顔の中にも安堵の色が見え隠れしている。
「無事だったのね。父さんとレントゥスは一緒じゃなかったの?」
母親が死体の山から夫と息子の姿を見つける前でよかったと、レティシアはほっとした。その反面、いったいどうやって切り出そうかと迷う。
なじりはすまい。逆らってもどうしようもない相手だった。
「どうしたの? 皆一緒だったんでしょ?」
何故一緒だったのかは聞いてこない。母親の中ではそんな事よりも無事に戻ってきたという事実のほうが重要だからだろう。
「うん……」
レティシアはチラリと死体の山に視線を送る。
母親は訝しげにそれを追い、次にははっとなって、
「まさか……」
「………」
レティシアは母親がエルフの死体から父と兄を探しに走るのを黙って見送った。
よく見ると母親だけではなかった。家族の死体を目にして泣いている者はそこかしこにいる。
隣人、家族の死を悲しみながらもまるで家畜を扱うように死体を解体させられ、それに異を唱える者は容赦なく死者の仲間入りをさせられる。
逆にそれを強制する者達は我が物顔で村を闊歩し、云うことをきかない家畜を打つようにエルフを打つ。家族の暮らした家を破壊し、冬に備えて貯めてあった食料を平然と奪い去る。
村での営みの全てを奪われ破壊されているのに、諾々と命令に従うエルフ達は哀れで惨めだった。
レティシアは何故大人達が戦いを忌避し森へ引っ込んだか、何故人間に酷い目に合わされてもまとまって対抗しようとしないのかわかった気がした。
居た堪れなくなって母親から目を逸らす。
何とはなしに揺れる炎を眺めた。
レティシアのいる場所は結構距離が離れているのに、肌に温かさを感じる。
「――っ」
喉元からせり上がってきた嘔吐感を堪える。
肉は肉――だ。
もし焼けているのが猪や狼だったらこんな風にはならない筈。通常なら吐き気を感じるのはおかしなことではないかもしれないが、これからもシドと一緒にいるのならそんなまともな感覚は捨てなければやっていけない。
(でも、本当にこれからも一緒に……?)
レティシアは炎の周りで動き回っている男達やゴブリン、オークを見る。
彼等はまるでゴミでも燃やすように欠損した人間の死体を燃やしている。人と魔物のが入り混じったその光景はこの世のものとは思えなかった。
自分があの中に混じっている姿など想像もできない――いや、したくない。あそこにあるのは強いものが弱いものを食うという、何千年も昔に繰り広げられた救いようのない原始的ななにかであった。
シドは長い年月を費やして相互理解を深めてきた種族の時間を巻き戻したのだ。
胸の内にシドに対する強烈な恐怖が湧き起こる。それは怒りをいとも容易く押し流し、レティシアを荒々しく揺さぶった。
そして恐怖の波が引いた後、残ったのは形を変えた怒りだ。
レティシアも家族を失ったと知ったエルフ達の目は二通りに分かれている。一つは被害者が同じ被害者に向ける共感と憐れみで、もう一つは自業自得だと、死んで当然だと語っている。だが――
シドを連れてきたのはレティシアではない。
シドに従わなかったのもレティシアではない。
シドを止めようとして犠牲になったのはレティシアの家族だ。
レティシアのどこに恨まれる理由があるというのか。
レティシアはシドのやり方を知っている。確かに横暴で自分のやり方を変えない男だが、従順でいれば無闇に殺されることはないのはわかっている。
助かる道はあったのに抵抗することを決めたのはいい。負けたからシドを恨むのもいい。だがそれはレティシアには関係のないことで、自分を恨むのは筋違いというものだ。
寧ろ家族を殺されたエルフ達にこそ仲間を恨む資格はあり、レティシアもまた例外ではない。
武器を捨てて助かる道を選ぶくらいなら何故最初からそうしなかったのか。
抵抗すると決めたのなら何故最後まで戦わなかったのか。
答えは出ていた。村のエルフ達は仲間が死ななければわからなかったのだ。そしてレティシアの父と兄は――殺されたエルフ達は――その犠牲になった。
勿論一番悪いのはシドだろう。アキムだろう。
だが今までは上手くやっていたのだ。ターシャが、ミラが、サラがそうであるように、父と兄もそれなりにシドと付き合っていた。
その全てを村人達がふいにした。
出てきた結論はまるでパズルにピースを当てはめた時のようにすとんと心に落ち着いた。
弓で射止めた獲物を横から獣に掻っ攫われたとしてその獣を敵として延々付けねらう者がいるだろうか。水飲み場で竜と出くわしたとしてその竜を憎むものがいるだろうか。
勿論事情によってはそういう者もいるだろう。しかしそれ以上に、自分の迂闊さを呪い、運のなさを嘆く筈である。何故なら獣が獣であることに罪などなく、竜が竜であることに罪はないからだ。それを悪だと知らないものを何故憎めよう。
レティシアにはシドについてはっきりとわかっていることが一つある。
それは、シドは悪意があってエルフを殺したわけではないということだ。これまでのシドのやり方と王都で云ったことからそれは明らかである。シドはただやる事の邪魔になるから殺し、使えるから殺さないだけだ。出会ってからずっとそうだった。殺したいからエルフを殺したのではなく、殺す理由ができたから殺した。シドはそういう男なのだ。
間近でシドを見ていたら気づく。飲食不要、休息無用、己を省みず、他者を顧みないあの男は異様なくらい生物ばなれしている。見かけこそ人間だが、シドに比べたら魔物の方がよほど人間味がある。
つまり、獣が獣であるように、竜が竜であるように、シドはシドでしかない。どうしようもないほど危険な動物や魔物を退治しようとはせず避けるように、シドもまた避けるべき存在だった。
(ああ……結局私達は――)
――運が悪かったのだ。
レティシアは泣いた。父と兄を殺した男を憎むことの無意味さに気づいて――
獣の目の前に肉を置いたら食らいつくに決まっているではないか。竜の前に姿を晒したら襲われるに決まっているではないか。シドに逆らったら殺されるに決まっているではないか。
獣に怒るのが愚かなことのように、竜を恨むのが愚かなことのように、シドを憎むのも愚かなことなのだ。
今ならわかる。レティシア達家族にとって最も良かったのは王都にいた時に逃げ出すことだったと。危険を覚悟して屋敷を離れ、母親を迎えに行き、森を出てひっそりと暮らすべきだった。そうすれば少なくとも見つかるまでは静かに暮らせただろう。シドが戦いに敗れれば幸せにさえなれたかもしれない。
(でももう……)
手遅れだ。今のシドには大勢の手下がいる。逃げても追っ手がかかる。なにより父と兄は既にこの世にいなかった。
残っているのは母親だけだ。もう二度と四人で食卓を囲む時間は過ごせないし、父に叱責を受けることも、兄に笑われることもないのだ。
「……ごめんね。でもあなただけでも無事でよかったわ」
戻ってきた母親が安心させようと、微笑もうとして失敗した顔で云う。
レティシアも父親と兄の死を悲しんで泣いているのかと思ったのか背中に手を回して抱きしめる。
「ごめんなさい」
と母親は謝った。
「本当ならもっと色々話したいんだけど、云われたことをやらないと……」
そう云って気丈に笑う母親をレティシアはじっと凝めた。そしてその手を取る。
「……レティ?」
「行こう」
「どこへ……?」
「シドさんの所へ」
「え……。で、でも――」
「大丈夫だから」
レティシアは断言した。アキムだって妹を連れ回している。自分が母親を連れ回しても問題ない筈だ。そしてここに置いておくよりはマシだろう。もしかしたら残酷なことをやらされるかもしれないが、それはここにいても同じだ。
間接的に父と兄を死に追いやった村人達。彼等から非難の眼差しを浴びてまで運命を共にする必要などない。
「私が手伝うから」
何を――とは云わなかった。
レティシアは母親の手を引いて歩き出す。
今ならきっと葛藤することなくエルフの処刑もこなせる。そう思いながら――
シドはトト達輸送隊の合流を待って処刑に取り掛かった。
家々が破壊されつくされ、更地となった村であった場所にたくさんのエルフ達、ゴブリン達、オーク達が整列していた。
とっくに日は昇り夏の終わりを認めようとしない太陽が強く自己主張を始めている下で、彼等はむっとする暑さに耐えながら自分達の運命を変えた男に注目している。
「これより儀式を始める」
周り中で鳴り響く虫の音に負けぬ声でシドは云った。
「生贄に選ばれたエルフは前に出よ」
まるでここだけが絵画から切り取られたかのように音が消え、望まぬ死を享受するエルフ達が沈んだ様子で前に出る。
シドの云う生贄は詭弁に過ぎなかったが、彼等は村のエルフにとっては真の意味での生贄だった。
家族のいない者。高齢な者。重い怪我をした者。
ある者は癇癪を起こした子供に罰を与えるように縛られ、ある者は諦めの吐息と共に罪人のように縄についた。
前に出た彼等は膝をつく。
生贄のエルフ達は背中を曲げ、地面の土を一心に凝めた。村人達の間で話し合いがもたれていたせいか意外なほど大人しい。
「配置につけ」
顎で指し示す。
夜中の戦いでエルフを手にかけていない者達が跪いたエルフに一人一人つく。
いるのは昨晩シドの言葉を直接耳にした者だけだ。双子姉妹にレティシア、元囚人の男達、そして――
「――おい」
シドは何故かいるアキムを見咎めて声をかけた。
「アキム、お前は必要ない」
「いや、これは違うんだ」
妹にくっついていたアキムは顔の前で手を振り、にやりと笑いながら、
「俺は介錯人さ」
「必要ない」
「い、いやいや、ちょっと考えてみてくれよ。マリィはたぶん一撃で殺せない。そうするとエルフは長く苦しむことになるだろ? 余計な敵意を買うことになっちまう」
「続けざまに二撃、三撃と入れれば問題あるまい」
「いや、いやいやいや、さらにもうちょっと考えてみてくれ! じっとしてる相手を一撃で仕留められないんだぞ! のた打ち回る相手に上手く命中させられるわけがないだろう! とにかく致命傷を与えればあんたの命令は果たしたことになるんだし、手伝っちゃ駄目って云ってない!」
「………」
「だいたい手伝いが駄目なら全員やり直しになる! 夜のあれは実質あんたが手伝ったといっても過言じゃないんだからな! 俺達だけだったらあんなに上手く殺せなかった筈だ!」
「……なかなか口が回るではないか」
シドは口の端をあげた。
「まあいいだろう。致命傷を与えた後ならば好きにするがいい」
「そうこなくっちゃ」
アキムは目に見えてほっとした顔をした。妹に向かって、
「お兄ちゃんがちゃんと手伝ってやるからな! 何も心配はいらないぞ!」
「………」
当のマリーディアは真っ赤になって俯いた。
そこに夜の間にノルマをこなした男達が磨き抜かれた手斧を一本ずつ手渡していく。
マリーディアが斧を両手で持ち上げ、涙目でそれを眺める。
陽光を反射してぎらりと輝く刃に向かって、
「なんでこんなことに……」
呟きを耳にした者達は全員同じ姿を思い浮かべただろう。
「弱いからさ」
答えたのはシドだった。
「弱いから他者に翻弄されるのだ」
シドは右手をあげ肘を曲げた。
「――構えろ」
一斉に手斧が振りかぶられる。
アキムがマリーディアに小さく囁く。
「よしマリィ、目を瞑るんだ」
「う、うん……」
「もうちょっと右だ、右。――あ、ちょっと行き過ぎた」
「こ、ここか?」
「よーしよし。いいぞいいぞ。次は合図があったら何も考えずに思いっきり振り下ろすんだ。後のことはお兄ちゃんに任せとけ」
「……わかった」
シドは呆れたように首を振った。そして、
「――殺せ」
言葉と共に手を振り下ろした。
肉を打つ生々しい音が次々に聞こえ、周りで傍観していたエルフ達から声にならない悲鳴が漏れる。
一拍おいて調子の違う一撃が加えられ、それが最後の締めとなった。
力が足りなかったのだろう。頭が落ちたものは少なく、大抵は半ばで傷口が途切れてしまっている。
執行した男達は特に何も感じていないようだったが、女達は違うようで放心状態だ。
「………」
誰も何も喋らなかった。
場の空気に敏感な者は感じ取っている。周囲に渦巻く村人達の怒りと憎しみを――
「首を切り落として持ってこい」
「え……?」
誰かが声をあげた。
「頭部を集めるのだ」
執行人達は顔を見合わせた。窺うようにシドを見る。
シドは手刀を作った手をすうっと下ろす。転がっているのはどうせもう死体だ。生きた相手に最初の一撃が振り下ろせて死体に二撃目を加えるのが無理だとは云わせない。
頭が集められると一つ一つ積み上げた。
表情はさまざまだ。静かに眠っているように見えるもの。かっと目を見開いているもの。恨めしげに口元が歪んでいるもの。
シドはぐっと拳を握り締めた後、一番てっぺんに乗せた頭をぽんぽんと叩き、
「お前達の死は必然だった」
と云った。
手を離すとあまりいい雰囲気とはいえない広場に堂々と胸を張って立ち、注視しているエルフ達に、
「お前達は自らの命のために同胞を切り捨てた。だがこれは恥ずべき行為などではない」
「………」
「共同体とは目的のために形造るものであり、それ以上でもそれ以下でもないからだ。お前達は俺が同胞を殺したと思っていよう。俺が生活を破壊したと考えていよう。それは大きな間違いである。確かにお前達の中から犠牲は出た。実行したのもさせたのも俺なのは違えようがない。しかし俺自身にはお前達エルフに含むところがあるわけではない。エルフであろうと人間であろうとゴブリンであろうと、俺は俺の邪魔になるものは力でもって排除する。それは水が上流から下流に流れるが如く当然のことであり、大地が朝日を迎えるが如く自然のことである。世界がそうあるよう定めているのだ」
シドは右から左へと顔をまわした。
「何故世界がお前達にそのような苦行を強いるのか。それは勿論善意からではない。また、悪意からでもない。世界は意思を持たないのだ。意思を持たない何者かに傷つけられる時、その原因の所在がどこにあるかは考えるまでもないことだ」
一拍おいて続ける。
「――答えはお前達である。お前達を傷つけたのは自身であり、死なねばならなかったのも自らにその原因がある。世界とは弱者には耐え難くできているのだ。お前達が俺の言葉を簡単に受け入れることができないのはわかっている。俺の言葉に反感を抱くであろうこともわかっている。それで構わないのだ。世界がお前達の事情を斟酌しないように俺はお前達の事情を斟酌せず、世界が無慈悲に命を奪うように俺もまた命を奪うからだ。世界が誰一人として見過ごさぬように、俺からも誰一人として逃げられない。しかし唯一つ、この世界と俺とでは違うところがある。それは、俺はお前達を導くことが可能だということである。この俺以外にお前達を救える者はいない」
シドは反論するものを探して舐めるようにエルフを観察した。
何か云いたげな顔を見つけると、鷹揚に頷いて行動に出ることを促す。
「――嘘だ!!」
そのエルフは覚悟を決めたように声を大にして云った。
「導くだと? ならなんでエルフを殺した!! 戦って死ぬのはまだわかるさ!! でもお前は首を切った!! これではただの公開処刑じゃないか!!」
「――フ」
シドは哂う。まさに待ち望んでいた言葉だ。準備は万端であった。
「刮目せよ!!」
大気がびりびりと震えた。
全員が驚きに肩を躍らせ、胸に手を当てて動悸を静める。
「お前達の同胞を生贄として望んだという事実こそ俺がエルフを導こうという証左に他ならない! お前達は選ばねばならなかったのだ! この世界と俺、どちらにつくかということを!」
ああっ――と、エルフ達からどよめきがこぼれた。
シドの目の前、積み上げられた死体の頭部の変化に気づいたのだ。
「お前達の同胞は死して後選んだ! 肉を捨て去りあらゆる欲望から解放された生贄は、世界ではなく俺に還ることを! 生者は痛みに恐怖し、滅びに絶望する! 例え頭では理解していようとも、選べえぬ運命がある! 歩けぬ道がある! ――故に、死なねばわからなかったのだ!」
シドが触ると、ぼろぼろに風化した頭蓋の山は脆くも崩れ去る。
通常ならありえない速度で分解されたこれには、勿論シドの手が入っている。
効果は抜群だ。
「これは勿論魔法ではない! そんなことは魔法を使えるお前達なればこそ理解できる筈である! 森においては魔物としのぎを削り、平地においては人に石もて追われる! こそこそと隠れ住むお前達が世界から排除されようとしているのは明白であり、本来ならば誰であろうとそれを救えない! 世界に背を向けられた者を待つのは滅びだけだ! だが、お前達は幸運だった! 振り向いた先に救いの手を差し伸べる別の世界が待っていたのだから!」
シドは両腕を広げエルフ達の視線を一身に浴びた。
「見よ! この世界から見捨てられたものを救えるのはこの世界のもの足りえない! 俺だけが唯一この世界に背を向けられたお前達を救う資格がある! 何故なら俺はこの世界から切り離されているからだ! この世界から何一つ享受せず、この世界に何一つ与えない! 異なる世界から伸ばされた一本の腕であり、零れ落ちた一滴の雫である! そして――」
一切の反論を許さぬよう重く、低い声音で、
「――個の姿を取った世界を神という」
異論を唱えるものはいなかった。先程とは違い反論が許される雰囲気ではなく、もしいたとしてもすぐにいなくなっただろう。
「俺と共に歩き、俺の指し示す敵と戦い、俺のために死ね! 代わりに俺はお前達種族に繁栄をもたらそう! 虐げられる側から虐げる側へ! 殺される側から殺す側へ! 今こそ変わる時である! 俺と敵対した兵士共の末路は記憶に新しかろう! 俺はやらないと云った事でもやる! そんな俺がやると宣言したならばその信憑性は如何ほどのものであろうか! もはやお前達の未来は確定したも同然である!」
シドは確かな手応えを感じ取った。
エルフ達は胡散臭い者を見るようにシドを見ている。これで処刑に携わったエルフが裏切り者から伝道師に騙された哀れな被害者に成り下がったのは確実であった。
「どれだけ言葉を尽くそうと俺を信じない者もいよう! だが、今ここで確実に予見できることが一つある! それは、俺に従わなかった者達は死ぬということだ! ――さあ、俺の言葉を信じない者は前に出よ!」
「………」
シドは猶予を与え、しばらく待つ。
しかし誰も前に出なかった。
「どうやら皆、俺を信じてついてくることに異存はないようだな」
シドはうむ、と頷いた。
云うべきことは云った。残った胴体部分を遅れてきたオーガとゴブリンに与え、それが終わると再び全員を集める。
これまでのようにばらばらに集めるのではない。ヴェガスとトトを左右に、オーガ達はシドの背後、アキムとキリイ及び二人に与えた兵は一番前、エルフ達をその後ろに。ターシャや姉妹、レティシアはエルフ達の前だ。
「これより我が軍はここより北に存在する集落を吸収しつつ最終的に東に進路を取る。村についてはまずエルフに交渉役を任せる。説得に失敗すればこの村と同じ経緯を辿るだろう。同族の命を一人でも多く助けたければ説得に全力を尽くせ」
「あのー、ちょっといいか?」
手を上げて発言したアキム。
「あの傭兵共の武器なんだが――」
「武器がどうした」
「いや、金になりそうな武器だったろ? 数もないしどういう風に分けようかと……」
「石はこちらで管理する。本体部分は扱えるものにまわせ」
「げ。じゃ、じゃあ荷物は貰っていいよな」
「……一旦ここに集めろ」
シドは少し考えて云った。
「碌な物がないな」
アキムが持ってきた袋を漁りながらシド。訳の分からない粉の入った小袋や生活道具をぽいぽい捨てる。
「わわっ! ちゃんと使える物ばっかだぞ! 要らないなら俺が――」
地面に落ちた小物を集めていたアキムはいきなり鼻を摘んだ。
「――うわ!? くっせぇ!!」
臭いの出所を探してシドの手元を見る。
「なんだよそれは!? 早く蓋してくれ!」
「ふぅむ」
シドは手に持った小瓶を覗き込んで、
「臭いということは水ではなさそうだな」
「そんな小さな入れ物で持ち運ぶわけないだろ! 早く閉じてくれよ!」
「………」
シドは雑草の上に一滴垂らしてみた。
何も起こらない。酸でもないようだ。
役に立たないなら持ってこない。それでいて強い臭いがするということは――
「おそらく薬か毒の類だろう。粉ではなく嵩張る液体であるという点がこれの必要性を匂わせている」
「そんなのいいから早く――」
「ちょっと飲んでみろアキム」
「今毒かもしれないっていったじゃないか!」
「冗談だ」
シドは蓋をしてアキムに放った。
「武器以外は好きにしろ」
「そうこなくっちゃ!」
アキムは小瓶を後ろの男達に再度放り投げた。
それ以外の荷物をいそいそと袋に詰めなおし、大事そうに両手で抱える。
「備えあれば憂いなし――ってな」
そう呟いて元の位置に戻る。
シドはターシャや数人のエルフを呼んで他の村の位置を説明させた後、偵察役のエルフを選抜した。
森中行軍は各々の役割を自覚させるのにちょうど良い。
順番は先頭にアキムの隊、シド、輜重役のエルフ、キリイの隊、殿にトトとオーガ達となる。偵察役のエルフを周囲に放ち、
「それでは出発だ」
シドが号令をかけると絡まった縄が解けるように集団が動き出した。
それはとぐろを巻いた蛇が獲物を探しにいくようにも見えて、シドは大層な満足を感じたのだった。
夜の森は昼とは別の世界だ。
昼間、森に生きる者達に恵みをもたらす木々は闇の中では虎視眈々と獲物を付け狙う捕食者達の格好の隠れ家となる。
闇とそれに付随する者達を恐れる動物達は巣穴に縮こまり、明日の朝日を拝める未来を一心に請う。
つい数日前まで灯りの点り、父と母が、兄弟姉妹が笑いあっていた村は、その様相を一変していた。
薄れてはいるが隠せぬ血の臭いに惹かれた獣達が今宵も群れ集い、鼻息を荒げて肉を捜し求める。
興奮した、獲物にありつけぬ捕食者同士がぶつかり合い、その流した血が更なる獣を呼び集めた。
以前そこに集っていた者達のことなど知らぬ彼等はまるで村の住人のように我が物顔で闊歩する。
そんな彼等の耳が申し合わせたようにピクリと動いた。
遠くから響いてくる地響き。空を見上げて異変に耳を澄ます彼等はその音が確実にこちらに近づいてきていることを悟り、次の瞬間には身を翻す。
ざざ――と、下草を掻き分け、樹木の間から巨大な影が飛び出る。
森の中にぽっかりと拓けた空き地に足を踏み入れた影はがふがふと鼻を鳴らした。
四足の影の上には人らしきものが乗っている。
「………」
彼はゆっくりと辺りを見渡した。
誰もいない。
――いや、動くものがあった。
彼が首輪に繋がった皮の手綱を引くと、四足の影は弾かれたように加速する。
視線の先の動くものが立ち上がった。
高さは人の二倍ほど。二本の足で立ち、四本の腕を大きく広げて威嚇する。足元には何かの影が蹲っている。
見る見る距離が詰まった。
威嚇しても逃げないと判断したのか姿勢を前屈させた相手に、彼は同じように背中から剣を抜いて戦闘の準備をする。
すれ違い様、振り下ろされた腕の一本を斬り飛ばした。
「GOA!!」
腕を失ったにも関わらず追撃しようとする相手に手綱を操って間合いを確保する。
彼が出てきた森の中から、同じように騎乗した影が次々と飛び出した。
彼の跨るそれよりも小さい獣と、彼と種を同じくする者達。飛び出してきた彼等は三本腕になった獣の周囲をぐるぐると回った。
今になって逃げ出そうと足元の獲物を諦め突破を図る相手。それに、包囲する者達が背後から次々と斬りかかる。
「シュッぃ!!」
腕を四本とも無くしたところで最後に彼が首を飛ばして終わる。
丸々とした巨体がどうと倒れ、血を飛ばした彼は剣を収めた。
「コ、こレは、チがうナ」
たどたどしく口を開いた。
「ぴぴ、ピぐる。ニおいを」
云われたピグルはある位置まで歩くと地面に鼻を近づけ鳴らす。そして土を前足で掘り起こした。
「べ、べツノ、ニにオイだ」
返ってきた返事はスピスピという鼻息だ。
「シュッ!」
彼は二股に分かれた舌を小さく出し入れし、
「え、エルふ。かゲ、ピぐる」
しかし待ったが入る。
周囲の五十程の同族達。近くにいた数人が彼に云う。
「シュタっく。え、エールふ、ちチ、ちがウニオい」
「にお、イおウ」
「えーるフ。らぬート、おこル」
頭の悪い仲間からの反論に、彼――シュタック――は苛立たしげに尾を振った。
「ら、ヌート。オ、オおこラナい。におイはエ、エールふ」
「ち、チチちチチちがウ。ちーガウ」
「ニオいはにおおイ。エルルふはえ、エールルふ」
「………」
シュタックは物騒な目つきで仲間達を見、云い返す。
「ににおイハ、エルふ。エールふににに、アる」
「ちチガう、らぬートおこル。シシュターック、しヌ。シッシッシ」
「シシ、シュッシッシ」
牙の隙間から風が通り抜けるような音で笑う彼等。
「まツ。まツ。シラせまツ」
「マーッつ」
「ま、ツあイダ、くウ」
「ニ、ニニく」
「まツマで、ニオい」
「………」
シュタックは渋々頷いた。
「ヨ、よ、よシ」
「――! おオ、オれノにく!」
「おれノダ!」
「おレがにくダ!」
一斉に獣から飛び降りて仕留めた獲物に群がる仲間達。
それを目にしたシュタックは細い目をくわっと見開いた。
「シィカッ!」
突き出た口吻からぞろりと生えた牙を剥き出し、剣の柄を掴む。
右腕が盛り上がり、抜き放った剣が勢いよく振り下ろされる。
「ェギ!」
ぬめった頭部が宙を飛んだ。
シュタックは仲間内で最も頭がよく、最も力強い。――そして最も強暴だった。
「にクにスァワるな!」
ぎょっとする仲間に反撃する暇を与えず二人目の首を掻っ切る。
自分よりも大きな獲物の前に立ちはだかって仲間を牽制し、死体の大きさを改めて確認した。
一人では到底腹に入らない大きさだ。これならば――
――数日間、俺は食える。
シュタックはそう思った。




