村にて―姉妹―
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夜明け前、ほんのりと大気が輝き、闇が取り払われようとしている森の中にパチパチと木が爆ぜる音が聞こえる。
そこに住む者達を飲み込まんとする自然に抵抗するように赤々と炎が燃え盛り、その周囲では男達やゴブリン、オーク達が汗だくになって働いていた。
「オラオラァ!! 火が弱くなってきてるぞぉ!! 木も死体もじゃんじゃん投げ込めえ!!」
ヴェガスの胴間声が響き渡った。それを受けて魔物達や人間の男達は食い散らされた死体をさらなる勢いで放り込み、エルフの住居を解体し、炎を維持する。
炎から離れたところでは、この後利用予定の死体がうず高く積み上げられており、一部の魔物に監視されたエルフ達が兵士の死体や仲間であった者達の変わり果てた姿を今もって加え続けていた。
シドは右手を地面に突き立てた槍にかけ、左手に持った戦鎚は肩に載せ、自身の身長を遥かに超える炎をじっと眺めている。
それは世界を火にくべようとする男の姿であった。
「使えるものは全て回収させろ」
と、シドは脇に控えるキリイに云った。
「全て剥ぎ取るのだ。武器も、防具も、肉も。剥ぎ取れ燃やせ。何も残すな」
エルフに帰る所を残すつもりはなかった。
「了解」
キリイは神妙そうに頷いた。すぐにエルフ達の元に行き、云われたことを実行させる。
エルフ達は吐き気を堪えながら人間の死体を解体し始めた。
あるエルフが、解体しろと云い渡された死体に仲間のものが混じっていることを知り猛然と反発した。
「いくらなんでも隣人の死体を解体できるわけがなかろう!! 俺達を動物扱いするつもりか!!」
「なにぃ!?」
キリイが剣を抜き、そのエルフを脅しつける。
「云われたことには従え! 死にたいのか貴様!」
「なんと云われようが断る!! 死体とはいえ仲間を切り刻むくらいなら死んだほうマシだ!!」
周囲のエルフ達は手を止め、キリイと反抗した仲間の動向に耳を傾けている。
「いい度胸だ。なら望み通り殺してやるよ」
キリイに迷いはない。逆らう者は全て始末するとのシドの命令であり、記憶には裏切ったレントゥスの末路が今なお焼き付いているからだ。
しかしそれを止めるものがいた。
「待て、キリイ」
シドである。
己が命令したことだ。殺すことについては否やはない。だがエルフの死体を処理させるのに決して多くはない人間の男を割くつもりはなく、また不器用なゴブリンやオーク達を利用するつもりもなかった。そもそも降ったエルフ達は集団における最下層であり、雑務を割り当てられるのは当然だ。
シドが近付くと反抗したエルフは目に見えて怯んだ。
「な、なんと云われようと、なにをされようと仲間の死体を汚すつもりはない!!」
「そうか」
シドは考えた。これは先のレントゥスの時と同じだ。つまりシドが譲らない限り殺すしかない。本当に無理なら再考の余地はあったが、これは単なる我侭の部類だ。
シドは知っていた。かつては元の世界の人類も同族の死体を切り刻んでいたことを。それも食うためではない。事故、病死、殺人、さまざまな死因を特定するためだ。最終的には情報を集め、それで金を稼ぐまでになったが、最初期にそれを行った者達の考えは予測がつく。即ち――
同じような死に方はしたくない――だ。
つまり死にたくないならばできるはずなのだ。知能が高かろうが低かろうが関係がない。やるかやらないかは完全に好みの問題で、降伏したうえで己の好みを主張するエルフはだだを捏ねる子供に等しかった。
命をかけた我侭を云うこのエルフは殺すしかない。シドにも我侭を許容する余地はあったが、このエルフの主張は範囲外だ。そもそも同族だから、仲間だからという理由を認めてしまっては、今後大量に出るであろう人間の死体を処理するのに同じ人間を使えなくなってしまう。エルフだけに認めて人間に認めないのは公平さを欠くからだ。少なくとも何の手柄も立てていない現時点では到底聞き入れることのできない理由だった。
そうなると問題は如何に殺すかである。ただ殺すだけでは同じような主張をする者が出てくる。レントゥスを殺したことによって元々いた配下から甘さを消したように、この男を使って降伏したエルフ達から甘さを消す必要があった。
「ミラ!」
シドはこの村のエルフであるミラを呼んだ。
駆けてきたミラに、
「この男の血縁者は?」
「……え」
シドの一言で目の前のエルフがどのような状況に置かれているか察したか、ミラは口ごもった。
シドは顔の高さを合わせて云った。
「嘘をついたとわかれば殺す」
このエルフに家族がいるかどうか確かめる方法はある。衆人観衆の前で実際にエルフを殺して見せれば慌てて出てくるだろう。
エルフの男は口を開けてミラを凝めた。目が喋らないでくれと訴えている。
「………」
ミラはしばらく葛藤していたが、意を決したようにある方向を指差す。
「キリイ、連れてこい」
キリイが連れてきたのは女の子を連れたエルフの女だった。兵士の解体に参加していたのだろう、手を赤く染めた女には皺がなく、娘はレティシアより小さいくらいだ。女は震えており、娘は泣いていた。
反抗したエルフはシドとミラを怒りを込めて睨んでいる。
シドはミラの肩を叩き下がらせ、キリイから短剣を借りる。そして喚く女から娘を引き剥がした。
娘を取り戻そうとする母親をキリイが取り押さえる。
「お前の父親は命令を拒否した。だが割り当てられた仕事はこなさねばならん」
泣く娘に短剣を無理矢理握らせる。
「そこでお前の出番だ。父親の代わりに死んだエルフを解体するのだ」
娘は精神後退を起こしたかのようにあうあうと口を動かした。恐怖と混乱で思考が麻痺しているようで、棒のように立っている。
「父親と同じように俺の命令を無視すれば、その末路もまた父親と同じになるだろう」
「カーリーッ!!」
女が叫んだ。
「ま、待ってください!! わ、私が代わりにやります!!」
「ほう」
シドはさも感心したように、
「お前が代わりにやるというのか」
「そ、そうです!! だから娘を離してください!!」
「貴様ぁ!!」
父親である反抗したエルフがシドに掴みかかろうとする。
シドはそれを左腕一本で軽く捻り、地に転がすと足で押さえつけた。
「くそおおおお!! 離せええええ!!」
「やる気のある奴は歓迎するぞ」
シドは吠えるエルフを無視して女に話した。
「肉体面では男に劣ろうとも、精神面ではそうでないところを見せてみろ」
女は持っていた短剣で夫が拒否したエルフの死体の側にいき、しゃがみ込む。
「止せっ!! 止めるんだ!!」
しかし女は夫の言葉を無視して思い切ったように刃を突き立てた。
シドはそれを確認して、
「お前はひどい奴だな、エルフよ」
と足元のエルフに声をかける。
「殺されるとわかっていて命令を無視させようとするとは。妻に何の恨みがあるのかはわからんが、道連れを作ろうというのは感心せん」
「だ、黙れ!! 黙れ黙れっ!!」
女は感情がなくした機械のように作業を続けた。顔を血に染め、一度もこちらを振り向こうとはしない。
シドはしばらく待って女を呼び戻した。まだ完了していないが、最早今後の作業を拒否することはないと判断してのことだ。
「よくやった」
シドは呆然と立ち尽くす娘の背中を押し、女に返す。
母娘は抱きしめあった。
「エルフの解体をお前達が嫌がるのは仕方がないことだ。だがやりたくない仕事だからといって放棄していては組織は成り立たない。誰かがやらねばならんのだ。お前は誰もが嫌がる仕事に自ら志願した。よって褒美を取らせよう」
女は理解できないものを見るかのようにシドを見ている。
「お前の娘には解体する種族を選ぶ権利を与えてやる。そしてまた、お前達の父親の死体を利用するのは止めておく」
「………」
「これが不服なら他に考えるが、現状で与えられるものしか無理だぞ。どうするか選べ」
「……それでいいです」
「では決まりだ」
シドは頷いて、
「では仕事に戻れ」
云われた女は戸惑ったように動きを止めた。その視線が地面にうつ伏せに押さえつけられている夫に注がれる。
「どうした、戻れ」
「……はい」
女は目を伏せて背中を見せた。
去り際に娘が、
「お父さんは?」
と小声で訊ね、それに、
「……いいのよ」
と返す。
シドとの話し合いは戦いと同じだ。引き際を見誤れば死ぬ。女はそれを弁えていた。
「お、おい――」
足元のエルフが去っていく妻と娘に手を伸ばす。
「待ってくれ! ハンナ! カーリー!」
しかし女は振り返らず、娘も振り返りはしたものの戻ろうとはしなかった。
その光景に言葉もない父親。
シドは背から足を外し、エルフの手を踏み潰した。
「ぐっ!? あ、ぁああああああっ!!」
カン高い笛のような合図を出し、監視組みのオークを数体呼ぶ。
「ヴヴッ!!」
ドタドタと整列したオークの前に呻くエルフを蹴り飛ばし、燃え盛る炎を指差す。
「捨てて来い」
「ヴィ!!」
「よ、止せ!! 離せこの獣どもめ!!」
「ブラッ!!」
どうせ死ぬから構わないと思ったのか、それとも単に気性の問題か。オーク達は容赦なくエルフを痛めつけ、抵抗がなくなってから火のほうへ引き摺っていく。
キリイはそれをなんともいえない表情で見送っている。
「お前が何を考えているのかわかるぞ、キリイよ」
「――え?」
「いずれ己もああなるのではないかと思ったのだろう?」
「………」
「俺も別に家族愛や仲間との絆というものが理解できないわけではないのだ。お前達がそれを重要に感じていることくらいよくわかっているとも。そしてそれをなるべくなら守ってやりたいとも思っている」
「………」
キリイは胡乱げな瞳でシドを見ている。
「ただ俺の命令はそれに優先する。俺が命令したらお前達は親の肉でも食わねばならぬし、子の血でも啜らねばならん。何故なら俺がそうすることを望んでいるからだ」
「………」
「しかしキリイ、俺の下で俺の意見を翻す方法はある」
「……本当に?」
キリイの目に光が戻りかけた。
「うむ。俺が何らかの理由でお前の家族を殺そうとした時、それに反対するお前が俺に対し影響力を持っているならばお前の家族を殺して得られる利益とお前がいることで得られる利益を秤にかける。つまり全てはお前次第だ」
「影響力というと?」
「お前でなければこなせない何か、お前が誰よりも迅速にこなせる何か。――これに尽きる。俺の下では物事は単純だ」
「……出世しろってことか?」
それきり黙ってしまったキリイ。
キリイの心配は尤もだが、これはおそらく杞憂に終わるだろう。そうシドは思っている。戦場に出てこない人間をわざわざ指定して殺す理由など現時点では思いつかないし、それよりも寧ろ怒りに我を忘れた民衆に家族が狙われることを心配すべきだ。可能性としてそちらの方がよほど高い。
シドはキリイとの会話を中断し、その後何故か集まってきているエルフに、
「何の用だ」
と訊いた。
「え、エルフの解体……についてなんですが……」
一人のエルフが云い難そうに答える。
「その、俺も志願するので、家族の分は……」
「いいだろう」
予想していたシドは即座に、
「やる気のある奴は前に出ろ」
多数のエルフが前に出た。殆どが男だ。反抗的な目をした者もいるが、多くは諦観と共に顔を伏せている。
数を見て許可を出した。エルフの死者ははっきりいって多くない。死者の大部分は人間の兵士なのだ。やる気を出した者だけで終わるならそれに越したことはない。
「キリイ」
シドが呼ぶと考え事に没頭していたキリイははっと顔を上げる。
「アキムと話し、牢獄から連れ出した男達とゴブリン、オークで隊を編成しろ」
「エルフは?」
「エルフ達には基本荷物を運ばせる。戦闘時には弓、魔法での援護だ」
「構成はどうするんだ?」
「お前とアキム、それぞれが率いる隊を二つでいい。男達をすぐ下につけ、その者等の下にオーク、ゴブリンの混成軍を作れ。そこにエルフの中から選別した少数を組み込む」
「了解」
キリイがアキムの元へ行くとドリスが、
『ヴェガスやオーガはどうするんです?』
「(組ませて騎兵代わりに使う。森を出て馬を手に入れるまではな)」
森の中を移動すればするほど戦力は増える。この村ではなまじ拮抗していたが故に抵抗を許したが、次の村では抗弁すら許さぬ圧倒的な展開が望めるだろう。
森の浅い地域――北方面――を根こそぎにしたらとりあえず一旦平地に出、王都を制圧する。森の奥地までを全て管理下に治めるのはその後になる。
『一気に攻め込むのですか?』
「(馬鹿を云うな。こちらに有利になるように敵を分散させる)」
『どうやって?』
「(戦争になれば国は傭兵も全て動員するだろう。わざわざ数の増えた敵を相手にする必要はない。周辺の町や村を襲い、傭兵共が動くのを待つ)」
『そんな都合よく一部だけ動くでしょうか?』
「(動くさ。魔物に襲われたからといっていきなり全軍を仕向ける馬鹿はいるまい。国軍の一部か、もしくは傭兵にお鉢が回る筈だ。こちらは相手が気づくまで順次派遣された敵を殲滅すればいい)」
勿論襲わせる時にはシドは姿を見せるつもりはない。人間やエルフがいなければ相手はそれが一過性の魔物の襲撃か組織だった軍の動きなのか判断がつかない。
『勝てますかね?』
「(負ける要素がない。仮に俺の予想を超える規模の数が敵側にあったとしても、農地、農作物を全て焼き払えばいい。こちらは生きたものならなんだろうが食料にできるのだ。奪い合いになれば数が少なく人間を食える我が軍の勝利は確実だ)」
それに支配した後はどうせ他所に攻め入る。明日の食料がないというのは攻める口実としてはもってこいである。
世の中というものは何のしがらみもなければ大体のことはどうにかなるものだ。
『その前にエルフに私のことも訊いてくださいよぅ』
「(わかっているとも)」
シドは再び炎を眺める。作業が終われば生贄に選ばれたエルフの処刑をせねばならない。行うのはエルフの姉妹やレティシア、数が足りずあぶれた男達だが生贄と称してやるのだから形として結果が出たほうがいいに決まっている。
だがシドには物理的に死者から何かを吸収することは逆立ちしてもできない。
「(ドリス、処刑を使ったプロパガンダについて策を出せ)」
『ええええええっ!?』
シドから距離を取ったミラは素早く建物の影に身を移した。
ドクドクと脈打つ胸に手を当て、深く息を吐く。
しばらくすると動悸が治める。そうやって待つことしばし――
「お待たせ、お姉ちゃん」
こそこそとサラがやってくる。
「……お帰り。首尾は?」
訊かれたサラはイヒヒと下品な笑みを浮かべて手に持った袋を掲げた。
「見てよこれ。貧乏そうな生活してたくせに皆結構貯め込んでたのよ」
「……そう」
「でもどうするの、これ。ばれたらただじゃ済まないと思うけど」
「……大丈夫。早い者勝ちだから」
ミラの考えではバレてもシドは怒らない。シド自身が金に執着したことはないからだ。怒るとすればアキムやキリイ、そして村のエルフ達だが、シドさえ何も云わなければどうとでもなる。
サラから受け取った袋の中を覗くと現金や宝石などが入っているのが見えた。
「村の皆にバレたら――」
「どうにもならない」
「え?」
「バレても何もできない。私達に手を出すということはシドに逆らうということだから」
「でも――」
「……もう、村のエルフと仲良くやろうというのは諦めたほうがいい」
ミラは先程のエルフとのやり取りを思い出しながら云った。あのエルフは勿論顔見知りだった。
ミラとても何故自分達だけが村の仲間を手にかけねばならないか思わないでもない。村のエルフ達は仲間を殺せと命令されていないのに――
だが逆に考えることもできる。これはチャンスなのだ。シドはミラ達を特別扱いする気があるからこそ試していると考えるのだ。少なくとも前から行動を共にしていた面々はシドのやり方を熟知している。それを知っているのといないのとでは、同じ言葉で命令されてもどのように実行するかは大きく違ってくる。
つまり上に行こうとするならばシドの期待を裏切ってはいけない。ミラ達が持っているアドバンテージを維持するためにはどんな非道な命令だろうと実行しなければいけないのだ。
「サラ、たぶんこの後村のエルフを殺せと云われる。あなたも覚悟を決めて」
「うう……それはわかってるけど……」
「どう思われても問題ないからこれを頼んだ」
ミラは袋を差した。
「でもお金なんてどうするの?」
「……忘れたの?」
姉は妹にため息をつく。
「私達には借金がある」
「……そういえばそうだったわね」
サラはあっとなって、その後眉を寄せる。
「でも誰も覚えてないんじゃない? どうせシドは適当だし、返さなくても――」
「それは駄目」
ミラは顔を振った。
「もし戦争になればたぶん私達は長生きできない」
ミラにはわかっていた。エルフで魔法が得意ということは大抵の人間になら勝てる。でもそれは個人でのことだ。戦場で使われる魔法は個人が使う魔法とは別物で、制御よりも速度や範囲、威力を重要視される。周りを巻き込んでも構わない使用方法なのだ。
それに世界は広い。ミラは自分よりも魔法に優れた人間がいないなんて自惚れてはいなかったし、例え魔法で同程度の強さだったとしても肉体面では劣るのでそれだと負けるのだ。
「それとお金と何の関係があるの?」
「生き残るには選べるようになるしかない。私達に有利な状況を。その為には上に行く必要がある」
もしミラの命令を聞く兵士が与えられれば確実に後ろで援護に徹することができる。負けたときも一番に逃げられるのだ。
「……いい? これは私達に限らない。アキムも、キリイも、家族を守るためには手柄を立てるしかない。競争なの。だから借金を返しておかないと、必ず横槍が入る。命をかけて手柄を立てても帳消しになって立場が向上しない」
今なら間接的にだが、金で手柄が買える図式が成り立つ。借金を返した後では金を積んでも地位は向上しないだろう。シドは賄賂を認める存在とは思えない。
「なるほど」
サラも合点がいったようだ。
「でもこれで二人分足りるかな……?」
「……うーん」
ミラは一直線に切り揃えられた前髪の下で小さな眉を顰めた。腕組みをしてうんうん唸る。
「……とりあえずそれとアキムから取ったお金を足して返そう」
「足りなかったら?」
「私が話す」
シドの性格を考慮に入れて話せば、上手くいけば足りてようが足りていまいがその場で借金は消せる。
「ま、そういうのはお姉ちゃんに任せるわ」
サラはニッと笑みを浮かべた。
それを見てミラも口元を綻ばせる。
「……行こう」
「うんっ」
まだ平和だった時、村でよくしていたように姉妹は手を繋いで走り出す。
理知的だがずれた姉と我侭な妹。ほんの少し前までは、鳥が歌い、村人が呆れつつも優しく見守っていた光景だった。
しかし今はもう違う。
「――シド!」
姉妹は駆け込む。
――死者に囲まれ、世界を燃やす原始の炎の袂へと。
そこに待つのは一人の男である。
神を名乗る男。
全ての種族を己が意のままに利用しようとする男だ。
かつて姉妹を見守っていた村人達は血に塗れて同胞を切り裂いている。彼等が姉妹に向ける目に以前のような温かみはない。
「どうした」
男は振り向く。その顔はいつもとなんら変わりない。周囲を取り巻く人々の喜びが男に幸せをもたらさないように、周囲で地を這う者達の怨嗟の声が男を苦しめることもないのだ。
「借金をかっ――」
サラが躓いた。手を繋いでいたミラも一緒に転んでしまう。
「いっつぅ……」
「……痛い」
袋を手放さなかったせいでまともに顔を擦った。
「何をしているのだ、お前達は」
見上げるとそこにはシドの姿が。
「………」
ミラは差し出された手を凝視した。この手は他者を顧みない手だ。壊すことでしか物事を進めようとしない男の手。
優しく頭を撫でていても理由さえあれば次の瞬間には首に回されている。そんな手だ。
「……しょうがない」
ミラは小さく口を動かした。
この手がどんな凶悪な力を秘めていようと、どれだけ無辜の民の血に染まっていようと、今は自分達を助けるための手であることには違いないのだ。
今はそれでよしとしよう。
ミラは差し出された手を握り返した。




