森にて―狼藉―
静まり返った森の中、人間の男が二本の短い槍を交差させ、振り下ろした戦斧を受け止める姿を見たトトは相手が頭の中身を派手にぶちまける光景を想像した。
その光景を現実のものとするため、更なる力を腕に込める。
しかし――
「――よっとぉ!」
両手で持った戦斧から抵抗が消え、相手の武器と共に落ちる。その下に男の身体はなかった。
相手が戦斧の力を横に逃がし、それを利用して逆側に身体を泳がせた事に気づいたトトは戦斧が地を叩く前に反応した。
放った蹴りを、男は肘を曲げた腕を身体に密着させて受ける。不自然なくらい軽々と飛んでいった。
「何をやっている!! 馬鹿モンが!!」
大柄な毛のない頭部を持つ人間が飛ばされた男を受け止めた。
「わりぃわりぃ」
短槍を持った男は大した怪我をしているようには見えない。
「『火炎纏』」
男が唱えると、持ち手から伸びた二筋の炎が短槍を螺旋状に駆け上がる。穂先を越えた炎は中空で蛇のようにのたくった。
不機嫌そうに武器を構え直したトトの横に四体のオーガが並び、目の前で態勢を整えた四人の人間と相対する。
だが、それも僅かな時間だった。人間は魔法を使う。そして魔法を使うものに考える時間を与えるのは拙策である。瞬き程の停滞の後にトトを含むオーガ達は各自個別に標的を定め、襲いかかった。
トトは人間の女を狙った。先程の攻防で簡単には殺せないとわかっている。数を減らすために最も脆弱な部分を狙う。
しかし女との間に盾の男が強引に割り込み、言葉を紡いだ。
「『強甲!』」
男の武器防具が淡い燐光のようなものに包まれる。
仕方なく標的を変えたトトが右手に持った戦斧で突くと、男は盾を斜めにし、受け流そうという動きを見せた。
トトの持つ戦斧は柄は短く、頭部は大きめの両刃である。盾に当たる直前、左手で柄の末端を押し下げると戦斧は握りを中心に回転した。回転する柄に合わせて持ち直し、そのまま下からのすくい上げるような一撃に変える。
上に消え、下から現れたように見えた戦斧に男は的確に反応した。体重の乗せにくい態勢からの一撃だ。危なげなく受け止める。右手がブレたように動き、寝かせた刃が煌きとなってトトの首に向かってきた。
上体を逸らしながら蹴ると、盾で身を守った男は力に逆らわずに後方に跳ぶ。
仕切り直したトトは険しい目つきをした男と睨み合う。周囲で他のオーガ達が戦っているのが見ずともわかった。
「ジェイリン――」
何か云おうとした男に、戦斧の中心を持って柄でいつでも相手の剣を防御できるようにし、地を蹴って肉薄した。
最も攻撃力の高い自分を、最も耐久力の低いだろう相手にぶつける事には失敗したが、数ではこちらが多い。一番殺しにくそうなこの男を自分が引き受け、女の混ざった残りに四体でかかる。それで殺せなければこの戦いは無理だと決めた。
回避されるのを想定して身体を揺らすトトに、躱すのは無理だと判断したのか、男は体当たりを盾で受けた。
前面に構えた戦斧と薄く光る盾が激突して金切り声をあげた。
「ぐおっ!?」
吹き飛んだが転ばなかった男に武器を振るう。仲間を気にかける暇を与えないよう、攻撃を小さくまとめた。右手に持った戦斧を相手にぶつけ、受け止められた反動を利用して握り手を回し、別角度から攻撃する。
時折、思い出したように突いてくる剣をいなしながら、武器の遠心力を利用して五度、六度と繰り出した。木材なら削れ、金属ならへこむ威力だが、魔法の効果か盾に変化はない。
相手の男は完全に持久の構えで防御を疎かにしてまで攻撃しようとはしないが、そんな事には一顧だにせず、トトは一心不乱に次の一撃を加えた。
差し込む日射しが地面に影を作り、トトは自分に追従する影と競わんばかりに腕を振るう。
――戦いの場に変化が訪れるのにそう時間はかからなかった。
「この野郎っ!!」
「ゲアッ!?」
横から聞こえた叫び。
そちらを見たトトの動きは早かった。
普通のオーガならまだ同じ数だと思ったかもしれない。もしくは仲間がやられた事に怒りを覚えたかもしれない。
だが、トトはこう考えた。
――数で勝り、正面からぶつかった状況で味方にだけ被害が出た、と。目の前の、自分が相手にしている男が向こうに混ざっているならともかく、盾を持たない攻撃重視や回避というリスキーな戦い方をする筈の三人を誰も殺せなかった時点で詰みだ。
勝てないと判断したトトは、
「グルジュ!!」
と仲間に叫ぶと目の前の盾を持った男に土を蹴りかぶせた。背を見せて一目散に逃走する。
盾の男は予想だにしていなかったのか反応が遅れた。男が腕で目をかばった隙をつき、トトは危なげなく安全圏に達する。
こういう場合は順番が早ければ早いほど逃げおおせる確率は上がるもので、
「――逃がさん!!」
一体が背を向けた直後、戦鎚で頭を割られた。
来た時から二体減ったトト達は死んだ仲間には目もくれず、脚力に物を云わせて先に帰ったオーガの後を辿った。
「追うぜ、マリオ!!」
「……やむを得ん、か。あまり時間はとれんぞ」
「わかってるって!!」
盛大に痕跡を残しながらの逃走に人間達がそう会話するのが聞こえ、トトは意外に思う。さっき回収した女二人は元々トト達の群れに属しており、命を賭けてまで執着するとは予想していなかった。
だがこれは好都合だ。執着の度合いによっては群れの本隊まで誘導出来る。
トトは気づかれないよう微妙に速度を調整した。見えない背後からの魔法を警戒し、木の幹を盾にしながら食らいついてくる人間とつかず離れずの距離を保つ。
追ってくる人間達は、罠だと警戒するだろうか――
トトは自分が他のオーガとは違うと認識している。トトが生まれつき持っていたのは大柄な身体ではなく頭脳だった。この優れた頭脳で周りを出し抜き、明日に備えた。小さい時からの充実した食生活は、トトに他のオーガよりも強靭な肉体を与えたのだ。
オーガはあまり複雑な事を好まない。これはオーガであるトトには勿論わかっている。そしてあの人間達にもわかっている筈である。
――だから答えは否、だ。人間達は産まれたばかりの雛のようにトトの後をついてくるに違いなかった。
トトの事をオーガだと侮っていた敵が今際の際に見せる驚愕の表情、その後に漏らす絶望の声は一度味わうと癖になる。
小賢しい人間しか住んでいない街と違い、森にいるのは弱肉強食の掟を忘れていない生き物ばかりで、住む者達が全てそうなら森に入った者もまたそうなる。
人間達が馴れ合うのは街で暮らしているからで、この森は奴等の勢力圏ではない。ここでは誰もが平等に、備わった能力に見合う位置に置かれるのだ。
シドと肩を並べて戦えば、自分は勝者の側に立てる――トトはそう信じている。オーガが肉体的に劣る人間達に負けるのは決して魔法のせいなどではない。オーガは常に魔力で肉体を強化されているようなものなのに敗北を魔法のせいにするのは、それこそ頭で劣っていると云っているようなものだ。
重要なのは使いどころで、考えて戦えば殺せる要素は揃っている。シドのように武器を当てても効果がないわけではない。要は如何にして当てるか、であり、当たりさえすれば人間の身体など鎧袖一触、挽き肉に出来るだろう。
トトは脳裏で計画を立てた。本隊までは遠く、念には念を入れる。疑う余地をなくす理由が欲しかった。
必要なのは餌だ。目の前にぶら下げれば完璧で、速度が落ちる事への理由にもなる。
「ゴァアアアアッ!!」
トトは仲間を呼ぶため、大声で吠えた。
『マスタぁ』
森を順調に進んでいると、唐突にドリスが声をかけてきた。
『ねぇ、マスター』
「(気色の悪い声を出すな)」
『な、なんですかそれ!? 話しかけただけじゃないですか!!』
「(それが問題だった)」
『なぁにが、問題だった、ですか! もういいです! 教えてあげません!!』
へそを曲げたドリスが黙り、一体何の事だったかと自身の裡の情報を浚ったシドは殆ど間を置かずに気づいた。
前方が騒がしい。木々で集団の端は見えないし、常に周囲がゲーゲー喧しい旅路だったが、それとは些か雰囲気が異なる。
近くを歩くオーガやオーク達も気がついたようで、首を傾げている。
どちらにせよ前に進まない事には始まらない。シドはとりあえずこのまま進む事にしたが、そのうちに集団の形が歪に崩れていき、変化の仕方から正面に抵抗があると推測した。
左右が突出し正面は全く進んでいない。騒いでいる集団とどんどん距離が詰まっている事からそれは明らかだった。
滞りなく流れる左右と違い、段々身の回りの空間が狭くなってきた正面のオーク達が立ち止まったゴブリン達を小突き始め、それまで乗車待ちよろしく前の仲間が切り開いた道に整列していたゴブリン達は堪らず木々の隙間に姿を消した。
そんな、ゴブリンには強いオーク達も、シドやオーガ達が後ろから迫ると泡を食って同じように姿を消す。
どうやら誰かが戦っているらしい――と、シドは気づいた。聞き慣れた雄叫びや、悲鳴混じりのゴブリンの声が耳に入る。
これまでも小規模な戦いはあったが、弱い生物が徒党を組んでいるだけで、圧倒的な数の混成軍の前になすすべもなく食料となった。
だが今回は余程大物がかかったようで、前方は蜂の巣をつついたかの如き騒ぎである。
「お前達、左右に回り込め」
シドは後ろのオーガ達を動かすことにした。二体殺してトトが五体連れて行ったが、まだ二十以上残っている。
「きちんと同程度の数に分かれるんだぞ」
理解できるか不安があるのでそこまで指示を出したが、オーガ達は顔を見合わせて人数を数え始めた。銘銘が指を立てて目玉をぎょろつかせる。
オーガ達の顔の間に背筋が寒くなる音と共に槍が差し込まれた。
「ここから右側のお前達は――」
シドは槍でオーガの頭を右に押しやり、集団前方の左側を顎で示しながら、
「向こう側に回り込め。残りは反対側だ。――行け」
オークとゴブリンは放っておく。今現在片付いていない時点で戦力外なのは明白で、送り込んでも無駄死にが増えるだけである。
『でも前から来るっておかしくないですか? トト達が向かった先ですよ』
「(遭遇しなかったか、手に負えなくて引っ張って来たのだろう)」
『ふーん。……ちょっと試しに撃ってみましょうよ』
「(断る)」
シドは即答した。
『また! 別にいいじゃありませんか! 一発くらい!!』
「(ここは銃のありふれた世界ではない。こういった世界では、銃の価値は玉の価値以上で、存在そのものにある。よって大きな影響を与える事が出来る時期を待つ。それ以外での使用は全て無駄玉だ)」
『人は極限状態になると隠れた本性があらわになると云いますが……。マスターがまさかの吝嗇家だったなんて……』
「(お前がこういう状況に備えて多目に積み込まないからだ)」
『ちゃんと規定量ですよ!? 大体普段からこういう状況に備えてたらどう見ても変人です!』
「(それで自分が変人ではないと主張してるつもりか?)」
『な、なんという云いがかり! どこからどう見てもマスターの方が変人でしょうに!!』
「(俺はどこからどう見ても人間にしか見えない。だがお前はどこからどう見ても人間に見えない)」
『ぐぐぐ……』
云い返せないドリスは悔しそうな呻きを漏らした。
『……その減らず口で世界征服でもすればいいんです』
「(戯れは終わりだ)」
喧しい前方集団が見えたシドは会話を打ち切った。
そこにいたのは見知った顔――トトやターシャ、マリーディア――と見知らぬ四人の人間だった。
剣と盾を持った男。禿頭の大柄な男。短槍を両手に持った男。メイスを持った女の四人だ。
四人とも武器や防具が淡い光を帯びており、魔法を使用しているとわかる。辺りにはゴブリンの死体が散乱していた。
シドが姿を見せた事でゴブリン達が固まったのか戦闘は一時中断しており、何対もの瞳がシドを注視した。中でも印象に残ったのはゴブリン達の瞳で、雨に濡れた仔犬とはこういう時に使うのだろう。
この光景にはさすがのシドも状況を読み取る事が出来ず、しばし黙す。
暮れ始めた森に温い風が吹き抜け、ターシャとマリーディアが居心地悪そうに身動ぎした。
それを見たシドは、状況は不明だが云うべき事は明確だと気を持ち直し、まるで目の前に敵の喉元が存在するかのように左手の槍を突きつける。
「お前達――」
全員の視線を浴びながら四人の見知らぬ男女に向けて云った。
「俺の土地で何をしている」




