王都にて―脱獄・上―
あまりにも暑いと頭がぼーっとなって眠くなりますね。
今話はなんかいつもと違う感じがするのですが、出来が悪かったらそのせいだと思います。
申し訳ない。
「ここが今日からお前の家だ。尤も、そう長い間は住めないだろうがな」
シドを先導した男がそう云い、後ろに回っているもう一人の男が警棒のようなもので背中を小突いた。建物の入口で騎士と交代した実用性のない鋭角的なデザインの鎧を着た男達だ。
手足を鎖で結ばれたシドは、小さく背をかがめると目の前の扉をくぐる。
扉をくぐるとすぐに壁があった。
「横だ。もう一つの扉の中に入れ」
云われて顔を横に向けると、数歩先に同じような扉がもう一枚ある。
人が交差できない幅の、ごく短い通路もどきを進み中に入ると、後ろからついてきていた男が扉を閉め、錠に鍵をかけた。男が腰から下げていたランタンの灯りが遮られ、牢内が闇に包まれる。
「逃げようなんて思わない事だ。どうせ徒労に終わるからな」
男は覗き窓から顔を覗かせ、ニヤリと笑う。
「この錠は見掛け倒しじゃないし、魔法も使えん」
シドは狭い牢の中を見渡しながら、
「エルフ達も同じように牢に入れられたのか?」
「……さぁな。エルフがいようといまいとお前には関係ない。それより、今日の飯の配給は終わっている。水もだ。喉が渇いたら小便でも飲め」
男が顎を突き出した先には、丸い容器がポツンと置かれている。それ以外は何もない。
「今が寒い時期じゃなくてよかったな」
それだけ云うと姿を消す。一番目の扉が閉まる音、そして鍵のかかる音が響いた。
シドはここに来るまでに幾つもの扉を目にした。しかし物音一つしない。
不思議に思い感度を上げると、扉の格子を通してやっと微かな呼吸音らしきものが聞こえてきた。肺でも病んでいるのか、絶息する寸前のような呼吸だ。
『レントゥス達の父親だったりして……』
「(息があれば問題なかろう)」
『……まぁ、マスターのせいではないですしね』
「(それより、これは魔法的な何かだろうな)」
闇に沈んだ牢の内部を調べるまでもなく、一面に文字が刻まれているのが見て取れた。天井も床も全てだ。ご丁寧に扉の内側まで――覗き窓の格子にすら――彫ってある。
『ご苦労な事です。意味ないのに』
しばらく待って男達が完全にいなくなったと思える頃に鎖をちぎり、扉に歩み寄るとトントンと叩く。音が重い。中に芯が入っているようだ。
『しかし珍しい構造の牢ですね。扉を二重にするだけならわかるのですが、あの短い通路はなんなんでしょう』
「(俺達にとって理解できないものはこの世界固有の特性に関係している可能性が高い)」
『つまり、魔法に関係していると?』
「(……仮に、この世界の人間がここに入れられた場合、それが人間、もしくは魔法だよりの者なら打つ手はない。魔法は不可だと云っていたし、ただの人間ではこの扉は壊せまい。錠も無理だろうな)」
自首した時点で持ち物は全て調べられた。口内は武装解除した騎士が顔を近づけるのを嫌がったが、それ以外は針一本すら持ち込めないであろう調べ方だ。さらにその後、服や靴も取り上げられ、シドは今、人でいうところの全裸である。
『マスターの擬似排泄口に手を入れようとしていた男の顔見ました?』
ドリスが笑いを含んだ声で云う。
ドリスに見えたのなら、勿論シドも目にしたに決まっている。
『真っ赤になって手を入れようとしてましたね』
最後には諦めたが、あの男の執念はただごとではなかった。エルフの貞操は風前の灯火だ。しかし、
「(貞操に関しては約束に入っていない。それより話がズレたぞ。……魔法が関係していないとなると、残るは亜人や魔物と呼ばれる生物の類だ。種によってはヴェガスのように力が強い)」
シドは説明しながら考えていく。
『ふむふむ』
「(内側の扉をぶち破っても音でバレる。そして外側の扉は構造上、助走をつけることも、拳を後ろに振りかぶる事もできない。破るのに時間がかかるわけだ)」
『なるほど。モタモタしているうちに牢番が呼んだ兵がやってくるというわけですね』
「(おそらくはな)」
『きっとそれですよ! さすがマスター、頭がいいです! マスターの知能の高さはサポートをするAIによるとの噂ですから、まぁ当然といえば当然なのですが!』
「(………)」
扉を破壊するより錠を破壊した方が早い。錠は構造自体は極めて単純そうだ。複雑にするのではなく、内部を動き難くする事で開錠の難度を上げている。もし上手く出し抜いて針金などを持ち込めてもロックを動かす前に曲がっては意味がない。そして曲がらないツールを持ち込もうにも、普通の素材で造れば重く、太くなり、より持ち込みづらくなる。
魔法で造った小さくても強度のある針金などを持ち込めれば開錠は可能かもしれない。しかしシドは魔法を武器に帯びさせる行為は目にした事があるが、元々魔力を帯びた武器は見たことがない。
生体にしか魔力が宿らないとしたら、武器に対するあれは魔力をそのまま流しているのではなく、何らかの魔法による結果ということになる。つまり、地下道でのミラの魔法行使と合わせて考えると、シドには生体にかける魔法は効かないが、武器にかける魔法は効くかもしれないという事だ。
「………」
『どうしました、マスター?』
シドはむっつりと黙り込んだ。ある可能性に思い至ったのだ。
つまり、魔法で金属を強化できるのなら、その逆に弱化も可能なのではないか――と。
強化の過程によっては十分に有り得る話だ。もしそんな魔法を使われたら、受けた瞬間自重で崩壊しかねない。
シドの弱体はこの世界に与える影響力が小さくなる事を意味する。シドが帰還した後、こちらの世界の軍が向こうの世界に攻め込む可能性は、こちらの世界で保持していたシドの支配力に反比例する形で高くなるのだ。
こちらの世界が向こうの世界を魔法技術で攻めた場合は、侵入した軍は簡単に撃破されるだろう。向こうには魔力がないからだ。その代わり宇宙軍はこちらに渡る技術を再現できないので、新たにそれを開発する迄、延々と攻められるだけになってしまう。逆にこちらの世界が既知の技術で攻めれば、宇宙軍もこちらの技術を利用し攻め込む事ができる代わりに戦闘は一気に総力戦となる。そして最も分が悪くなるのが、こちらの世界が両方の技術を使い分ける文明に発展した場合だ。魔法技術を使い、無人兵器や帰還を考えない部隊をリスクなしで送り込み続ける事ができる。そうなれば、さしもの宇宙軍も対応に頭を悩ます事になる。
これだけを見れば魔法を抑圧しようとするシドの選択は正しかったように見える。しかし忘れてはならないのは、元々このような事はシドが考えることではない――という事だ。シドは与えられた戦場で敵を殲滅するのが役目であり、二正面作戦の是非や技術差に頭を悩ます者は他にいるのだ。副次的効果を重視するあまり帰還を疎かにするような事があってはならず、この事には常に留意しておかねばならない。
シドは扉の前でかがみ込むと、錠のU字型の部分を口に含む。咬んで薄く延びた所で反対側も同じように延ばし、その部分を繰り返し曲げると静かに折れた。
外側の錠も同じように壊し、そっと通路に出る。
真っ直ぐ伸びた通路の先は行き止まりと階段になっている。途中何箇所かにT字路があり、壁の両側にはズラリと扉が並んでいる。
とりあえず順に声をかけていくしかない。シドは格子窓に顔を寄せると、
「父さん。僕だ。ここにいるのかい?」
と、レントゥスの声音を真似して声を送り込む。
返事がない、もしくは声の主が誰だかわからない者は無視し、地道に作業を続けると二十回程繰り返した所で当たりを引いた。
「レ、レントゥス!? レントゥスなのか!? 何故こんな所に!?」
「声が大きい。静かにしろ」
「………」
元に戻した声音で云うと、相手は黙った。
さっきと同じように錠を壊し、二枚目の扉を開けて中に入ると、気配を察したエルフは身構えたが、全く見えないので焦点があっていない。
「レントゥスとレティシアからお前を助け出すよう頼まれた。名前を云え」
「……ミエロンだ。あんたは?」
「俺はシドだ。レントゥス達の属する傭兵団の団長をやっている」
「なあああっ!? し、ししし――むぐ!?」
叫ぼうとするミエロンと距離を詰め、口を塞ぐ。
「静かにしろ。気づかれるぞ」
シドがそう云っても、ミエロンは必死で手を引き剥がそうと足掻く。
「誰に何を云われたかは知らんが、お前の息子と娘は五体満足で生存している」
「………」
「寧ろ俺が助けなければお前の娘は酷い目にあっていただろう。今はそれで納得しておけ」
ミエロンが静かになったのを見計らい、手を離すと、
「……あ、あの男の話では、お前が私の子供達を手篭めにしたという事だった」
「手篭めだと?」
「そうだ。俺達を、あの白髪の老人の元に案内した奴が……」
「………」
レントゥスとアキムの会話で、シドはエルフ達が己を殺そうとした事は知っている。アキムの咄嗟の嘘で標的が老人にすり替わった事も。だが、何故殺そうとしているのかまでは知らなかった。
「それは嘘だ。真偽の程は本人達に確認するがいい。それよりも今はここを抜け出すのが優先だ。黙って指示に従え」
「……そうか。まぁ、既に一度騙された相手だからな」
ミエロンは老人に矢を射るきっかけとなった男を思い出しながら、
「ここを無事に出ることができたら本人に訊く事にする。それまでは保留にしておこう」
この状況で信用できないなどと口にするほど馬鹿ではない。ここは牢獄で、この場所に忍び込んだという事実が言葉に真実味を与えている。
「ではまず鎖を切る。その後、俺に手を触れて後ろからついてこい」
シドはそう云い、鎖を順次切っていく。
「いいぞ」
準備ができるとミエロンはおそるおそる手を伸ばし、安定を求めてシドの体躯をまさぐる。そして触った物をギュッと握り締めた。
「……なんだこれは」
柔らかい棒のようななにかだ。弾力があってズシリと重い。
「そこは俺の股間だ」
「うおおおおおおおっ!?」
火傷したかのように手を引っ込めるミエロン。
「愚か者め。静かにしろと云った筈だ」
「なな、なんで裸なんだっ!?」
「服を取られたからだ。握る必要はない。触れるだけにしろ」
シドは背中を向けて外に変化がないか窺う。
「どうやら気づかれなかったようだな」
「あ、ああ。たまに叫んだりしてた奴もいたから、そのせいだろう」
ミエロンが背中に手を置き、
「いいぞ。ゆっくり頼む」
その声を合図に、二人はそろりそろりと通路に出る。
「仲間も助けたい。頼めるか?」
「……いいだろう」
少し考えてシドは云った。脱獄がバレるまではここで何をしようと大差ない。こちらには灯りがないのだ。牢番が下りてきたら相手の持つ灯りでこちらが先に察知できる。角に隠れて急襲すれば騒がれずに排除可能だ。
シドの案内で順に扉を回り、格子窓を手で確認したミエロンがそっと中に向かって声を送る。それを繰り返し、残る二人のエルフを牢から出す。
四人は一列になり、後ろの者は前の者の背中に手を置き、ゆっくりと歩いた。
「俺の持ち物を回収したいが、心当たりはあるか?」
「……それなら、牢番共の待機所にあるかもしれん。高く売れそうな品物なら放っておく筈がないからな。俺達は服こそ取られなかったが金目の物は取られたし、あんたが服も取られたのは高く売れそうだったからだろう。そこになかったら保管する場所がちゃんとある……と思う」
「待機所か」
おそらくは階段の上、服を脱がされた部屋だ。シドは迷わず向かう。
向かい始めてすぐに、
「おい。おい、あんたら。ここから逃げるなら俺も出してくれ」
通過しようとした扉から声が漏れてきた。
エルフの回収に成功したシドは、それまでは無視していたその声に足を止める。
「ここで少し待て」
エルフ達にそう云って中の男を牢から出す。
「す……まねえ。まさか助けが来るとは……」
「前の者の背中に手を触れ、音を立てずに移動しろ」
「わかった」
薄汚いボロ切れをまとった無精髭だらけの男は、頭を下げるとヨロヨロとした足取りで必死についてくる。荒い呼吸を繰り返すその顔は信じられないといった表情だ。
階段に向かっていたシドは進む方向を変えると、ついでとばかりに次々と扉を開け放った。扉に錠のかかってない牢には誰もおらず、かかっている牢には動ける者と動けない者がいた。動けない者、返事をしない者は放置する。
錠を壊し、鎖を壊す。なるべく音を立てないよう気をつけながら地道に作業を続ける。
牢から出てきた男達は、全くの闇と不安に喜ぶ余裕もない。手で繋がった男達に触れながら最後尾に回り、同じようにする。牢から出した最後の男はその列の長さにあんぐりと口を開けた。
数が多過ぎて前にしか進めないので、方向を変える時は通路の構造を利用して迂回することになる。全てが終わるとシドはそうやって再び階段を目指した。
階段の手前で男達を留め置いたシドは一人で上がる。角からそっと覗き込むと少し先に格子状の仕切りがあり、その一部が扉になっていた。その向こうで男が一人椅子に座っている。そして扉の少し先の壁に扉が一つ。
一旦戻り、前列にいるエルフ達に声をかける。大きな声は出せず後ろの男達までは届かないので、残りには各々の判断で動いてもらうことにする。どうせこの狭さだ。戦いになっても参加できるのは限られている。
男達が上手く街に逃げ込めれば、シドやエルフ達は勿論の事、脱出しようとしている筈の団員達への援護にもなるだろう。
「ここからは姿を見せずに行動するのは不可能だ。全てを迅速に行う。見張りは俺が排除する。お前達は俺のすぐ後を追い、扉の中を制圧しろ」
エルフと、男達の中で声が聞こえた者が頷く。
再度階段を上がり、曲がり角で後ろが揃うのを待つ。
「では行くぞ」
そう云うと、返事も待たずにシドは疾走した。
数歩走った時点で、
「――なっ!?」
見張りは走ってくる全裸の男に気づく。椅子を蹴立てて飛び上がり、首筋から下げた笛に手が伸びた。
見張りの手が口元まで上がり、持った笛を唇が挟む。大きく息を吸った。
シドはそれを見ながら格子に手をかけた。足を止めずにそのまま前進する。棒がちぎれそうなくらい曲がるが、その前に壁に埋め込まれた先端が抜け落ち、それ自体が壁から剥がれた。
殆ど減速せずに見張りにぶつけると、
「あぐっ!?」
兵士の呻きと共に微かに笛の音が鳴り、唇から笛が落ちた。
ぶつかっても停止せず、見張りを格子と一緒にぐいぐい押す。
見張りは押し返そうとするが、抵抗虚しく通路の末端まで押しやられた。
「ま、待――げえっ」
シドは見張りを押し潰す。そしてすぐさま取って返した。
既に扉は開け放たれ、中から男達の列が続いている。シドが向かう間にも、十人を超える男達が次々と部屋の中に入っていき、飛び交っていた怒号と悲鳴が徐々に小さくなっていった。
入りきれなかった男達が外に溢れ返っている。シドが部屋に入ると、眩しさに目を庇いながら水と食物を奪い合っていた男達はざっと道を開けるが、狭すぎて意味がなかった。
「少し外に出ろ」
男達の数が減ると、机と椅子、三体の死体が見えた。
シドは机の上にある己の私物を急いで着込む。長靴が片方ないので探すと、何故か死体が履いている。
死体から靴を回収、仮面を装着したシドは室内を見渡し、
「建物を出たら全員で城門に走れ。俺が先行し開けておく」
そして男達の中から適当に数人見繕い、机の上にあるランタンを持たせる。
「武器を回収し、予備のランタンに火を入れておけ。死体の腰に下がっているやつもだ。逃げながら燃えそうなものに投げつけろ」
男達は灯りを直視しないよう目を眇め、云われた事をやると黙って自分達に救いの手を差し伸べた男を見た。そして次の言葉を待つ。
「食料を水に浸し全員で分けろ。量が足りないのは当然で、文句は受け付けん。どうしても食いたいなら死体を食え」
シドは目を抉られ、喉を引き裂かれた死体を見、次いで裸同然の男達に顔を向ける。
男達の脂ぎった頭髪と髭は伸び放題で、身体はガリガリに痩せている。歯は黒く、皮膚には垢と汚物がこびりついていた。だが、細められた瞳は濁っていながらも生きようとする意志と強烈な飢えを主張している。そしてその奥に潜む怒り。
生き延びる為には手段を選ばず、他者から奪うことを良しとする捕食者達の姿がここにあった。
「良い眼だ、お前達」
シドが口元を赤く染めた男を視界に入れながらそう云うと、男達は驚いたように目を開き、その後、照れたように笑った。




