王都にて―包囲―
「おい、いったい何の集まりだ、これは。大道芸でもやってんのか?」
エルフ達を引き連れ、シドを探す旅に出たアキムは、道の先を塞ぐ大勢の人間にぶつかると足をとめ、近くにいた男に訊ねた。
「ん? いや、なんか兵士達が捕物をしているらしいんだが……」
「捕物だとぉ? それだけでこんな集まってるのかよ? 暇人共め」
「それが相手は一人なのに兵士達が負けてるんだよ。ざくざく死んでるらしい」
「ざくざくだと!?」
アキムの脳裏にシドの顔が浮かんだが、頭を振って掻き消す。確かに一人で出かけたが、ちゃんと用事があって出かけたのだ。それなのにこんな騒ぎを起こすということは、一人で外を出歩かせられないという事になる。それでは子供と同じである。シドもいい年齢なのだからそれはないだろう。
「……ちなみにどんな奴だ?」
「大男だ」
「大男だと!?」
「変な仮面をつけてるらしい」
「変な仮面だと!?」
シドに間違いない。アキムは確信した。
「そこをどけ!」
男を押し退けて前へ進む。
不愉快そうに表情を歪めた男がなにか云おうとするが、
「邪魔だ!! どけ!!」
と後から後から押しのけて人が通る。最後に小柄な二人の少女が素通りしていった。
彼等の顔を見た男は驚きで動きを止めた。
「なな、なんでエルフが……」
アキムは野次馬を突破すると外側にいる兵士達に声をかけようとしたが、
「ま、まままままりーでぃあぁっ!?」
と聞き取りづらい叫びを漏らし、だらしなく口が開きっ放しになった。
兵士達の壁の上から頻繁に移動する少女の姿が見える。硬直したアキムの目玉がギロギロとその姿を追尾し、その不気味な姿に口を開こうとしたミエロンは押し黙った。
数秒後、自分を取り戻したアキムは短剣を取り出す。兵士達に近づき、壁の最も外側をペロリと剥いだ。
「動くな。動けば苦しんで死ぬことになるぞ」
兵士の首に腕を回すと自分の方に引き寄せる。同時に鎧の隙間から切っ先を突き入れ、脇腹をそっとつつく。他の兵士は輪の中に夢中で気づいてない。
「貴様――」
「黙れ。なにがあったかだけ話せ」
「自分がなにをしているか――」
「黙れよ」
刃を僅かに進ませる。
「ぐっ――」
「訊かれた事に答えるんだ」
「……男が少女を誘拐したと聞いた。それで我々が呼ばれたのだ」
「誘拐だとぉ!?」
「そ、そうだ。現場は学修所で、報告したのはそこの学長だ」
「………」
兵士の言葉に、アキムは目を細める。
「嘘をつくな。本当のことを云うんだ」
声を殺しそっと囁いた。
シドが少女を誘拐するなどこんな馬鹿げた話はない。アキムはこれまで短くない間共に旅をしてきたのだ。あの男がそのような下卑た欲望に身を任せる男でないことはよくわかっている。金のためならば多少の無茶をするかもしれないが、その場合は貴族の少女などではなく国王を誘拐したと云われた方がまだ納得できるというものだ。
なにより、兵士の言葉が事実だったらシドと戦わないとならなくなる。アキムの灰色の頭脳は、誘拐以外の理由を求め、酸素を求める魚のように喘いだ。
「そ、そういえば、現場に居合わせた者が、学長が生徒を殺そうとして、その生徒が男と手を組んだという話もし――」
「なにぃ!? どういう事だ! 説明しろ!」
「いや、私にも詳しいことは……。捜索中に聞いただけだし、最初からいた兵士はバラバラになって包囲の輪に加わっているから……」
「学長ってのはどいつだ」
「あ、あそこにいる老人だ」
兵士はある方向を指差す。
アキムはそちらに目をやり、
「……なんで武装してるんだ?」
「学長は帝国から亡命してきた竜騎兵の元顧問だ。自身もかなりの戦闘力を保持しているとか……」
「……お前等の目から見て、誘拐の線は濃いか?」
「……いや、我々もおかしいとは思っている。傍から見たら寧ろ守っているように見える」
「ならなんで包囲してやがる!!」
アキムは短剣を肉に深く突き入れた。
兵士が目を見開き、ガヒュッと息を吸い込む。
「ケッ」
唾を吐き、老人を暗い目で見据える。
答えは出た。マリーディアを助ける一番いい方法はシドに味方することだ。もし誘拐が本当だったとしても敵対するのは馬鹿げている。千単位で包囲しているならともかくこの程度の人数では心許ない。それにシドは人を虫でも潰すように殺す。今の時点で妹が生きているという事は、シドには殺す気がないという事を物語っている。殺す気がないのに傍に置いている。かつてのエルフ達を見ていればわかるように、この事実はマリーディアの安全を意味しているのだ。
そしてまた、アキムは妹の事もよく理解していた。正義感が強く、無茶をやるが誰かを傷つけようとはしない。つまりシドに刃を向けている筈がない。そうなるとシドが人の命を屁とも思っていないからこそ取引が可能となる。これがもし感情に任せて人を殺すような男だったら話は変わっていた。人は時に損得よりも感情を優先させるからだ。しかしシドにはそれが希薄で、だからこそ取引の相手としてはこの上なくやり易い。
だが、全ては誘拐が事実だったとした場合だ。兵士の言葉の通り、アキムはその線は薄いと見ていた。おそらくはマリーディアが見てはいけないものを見てしまったのだろう。妹はそういう時、口を閉じてはいられない性格なのだ。
シドを助けることは自分のためであり、妹のためでもある。アキムは覚悟を決めた。
「シドがいたぞ」
後ろで見守っていたエルフ達に声をかける。
アキムの行動を呆気にとられて見ていたミエロンが、
「どいつだっ!?」
と意気込んで訊ね、それに対し静かに腕をあげ、指差した。
「あれがうちの団長だ」
指の先には白い髪をした老人がいる。
アキムは唇をペロリと舐めた。さて、どうやってエルフを云いくるめようか――
「隊長っ!?」
前に出てきた兵士を殺した直後、叫んだ相手をシドは見逃さなかった。まだ動いている臓物を踏みにじり、正面に駆ける。
間合いを見計らい、声を発した兵士の首目掛けて横殴りの一撃を浴びせる。
「全員かか――くっ!?」
標的になった兵士は命令を発しようとし、間に合わないと悟ったか、剣を横に立て防御の構えに入る。
シドの振るう斧槍と兵士の剣が激突した。
「――あえ?」
腕で支えきなかった兵士の首筋に剣がめり込み、顔の一部を切り取る。半ばちぎれた首をぶら下げた身体は大きく飛んでいった。
標的の抵抗を意に介さず斧槍を振り切ったシドは一度停止し、周囲の音に耳を傾ける。
「怯むなぁっ!! 囲んで仕留めろっ!!」
また、方位の一角で声があがった。
張り巡らした糸に反応があった蜘蛛のようにそちらへ向かう。
しかし既に指示は放たれている。周りの兵士達が喚声をあげ、一斉に襲いかかった。
「ま、待て!! ちょっと待つんだ!!」
「お前は口を閉じていろ。舌を噛むぞ」
マリーディアに警告し、間合いに入った兵士の頭を、時には二人、時には三人同時と羽虫同然に叩き潰す。
そして指示を飛ばした兵士を捉え、突きを放つ。
「ぐおおおっ!?」
兵士は剣の横腹を当て、大きく体勢を崩しつつも辛うじて躱す。
シドは僅かに肘部分を曲げ、掌の中で柄を回転させた。達人は型というものを持ち、それを使って逃げ場のない死の中へ敵対者を送り込むが、シドは全てを目で見、それに対して反応する。この流れなら次はこうくるだろう。この一撃の後にはあれがくる筈だ――という予測の仕方ではない。相手の表情や身体の微細な動きを捉え、その後対応を決めるのだ。しかしその迅速さと精確さは常人の非ではなく、生半な人間には反応することさえ許さなかった。
位置を合わせた斧槍を勢いよく戻すと、歪曲した鈎が兵士の後頭部に頭蓋を砕いて食い込んだ。肘を後ろに引き、強制的にこちらへと引き寄せられる兵士の胸に足をかける。柄を握る手を滑らせて短めに持ち、後ろに肘を振り抜くと頭蓋と中身が鈎についてきた。
「――ふ」
口元を歪める。
「この耳かきは強力だ。脳まで掻き出せるぞ」
「なにがふ、だ、このバカ者!! こ、こんなことをしたらもう言い訳できないじゃないか!!」
「できるさ」
死体という障害物に囲まれたシドに、兵士達は一旦距離を取って攻撃の手を休めた。その顔には隠しきれない動揺がある。
シドはそれを確認するとマリーディアに、
「先程の兵士の言葉をお前も聞いた筈だ。こいつらは皆殺しにする。俺は降伏する気がないのだからな。尤も、老人を早期に始末できれば生き残りもでるかもしれん」
「でも、他に手があるかもしれないじゃないか!?」
「勿論あるだろう、探せば、な。それに殺さずに無力化する事も可能だ。全員確実にとは云えないが」
「ならなんでそうしないんだ!!」
「どうしてわざわざ俺がそんな事をしなければいかんのだ。殺す理由があり、生かしておく理由はない。ならば生かしたまま無力化するより殺したほうが手間が省けていいというものだ」
「オマエは人の生命をなんだと思ってる!! 死んだら二度と戻ってこないんだぞ!? 相手にも家族がいるとは考えないのか!?」
「笑わせるな、人間が。己の生活圏の確保のために数多の生物を意識しないままに死に追いやるお前達がそれを云うのか」
シドは顔を上げて周囲に目を走らせた。均された路地に、そびえ立つ城壁と城。人が住む建物が視界一杯に広がっている。
「お前達はここに最初からこのような形で存在していたわけではあるまい。城を造り、城壁を建てるのに何も殺さなかったとでも云うつもりか」
「誰だって生きるために殺すことはある! オマエは無駄な殺しをしようとしているじゃないか!」
「だから許されると? いったい誰が許したのだ? お前達人間か? 笑止。生きるためであろうと遊びであろうと殺された側にとってはただの力による蹂躙に過ぎん。それともお前は、お前達を生かすために他の生物が納得して死んでいったと考えているのか? 何様のつもりだ」
声を上げて嗤う。
「この世界の全ては唯一無二で在るべくして在るのだ。そこには元々価値などない。何故なら、それを決めているのもまたお前達だからだ。他の生物にとってはお前達など何の価値もないのだぞ。そのお前達を生かすために何故彼等が死なねばならない」
「ではワタシ達に死ねというのか!!」
「誰もそんな事は云っておらん。要は俺の行動もお前達の行動も等しく同じだと云っているのだ。誰もが皆己のために他者を踏みにじる」
「オマエの云っていることは極論だ! もしそれが事実なら人間はこうやって暮らしていけない筈だぞ!」
「お前達は国という力の庇護の下にいるではないか。その下で自覚もなしに周りに犠牲を強いるのだ。仕方がない、と云ってな。個でやるか群れでやるかという形の違いに過ぎん」
マリーディアは悟った。この男の頭は石でできているに違いない。人生を間違えた年寄りのように頑固だ。誰かにコテンパンにやられるまでは考えを変えないだろう。そうなると残された方法は――
「……ならば、ここはワタシに譲ってくれないか? なるべく殺さないようにしてくれ。ワタシとは利害関係があるのだし、頼みをきいてくれてもおかしくない。生かすも殺すも容易いのならその程度の余裕は見せてくれ」
な、と頼み込むマリーディアの口元はピクピクと引きつっている。
しかし、シドの返答はにべもなかった。
「……全ての人間が言葉で説得できるとは思わないことだ。それに俺はこういう生き方しかできない。そういう風に造られたのだ」
「………」
「俺とお前は水と油の如く価値観が異なるが、それは別段おかしな事ではない。人間が百人いれば百通りの考え方があり、元々そこに善悪はないからな。だが、異なる価値観を持つ存在がぶつかり合い、勝者と敗者に分かれた瞬間、そこに善と悪が生まれる」
兵士達にも二人の会話は聞こえていた。耳目が集まっている事を知ったシドは矛先をマリーディアから彼等へと変える。
「お前達にも教えてやろう。善も悪も、力の前ではなく後にあるのだと」
死体を蹴飛ばし、兵士の群れに躍りかかる。彼等は、シドにかけた罪状故、マリーディアに被害が及ぶかもしれない飛び道具は使えない。相手の間合いの外から斧槍を叩きつける。背後を囲まれそうになると武器を腰の高さまで下ろし一周させる。単純な攻撃法だが防ぐ術はない。誰の目にも兵士達が手詰まりなのは明らかだった。
「マリーディア」
「な、なに?」
シドは武器を振り回しながら、
「老人を探せ。早く仕留めれば幾ばくかの兵士は助かるかもしれんぞ」
「――!? よ、よしっ! 任せておけ!」
暗い顔をしていたマリーディアは途端に花のような笑顔を浮かべた。目を皿のようにして目当ての人物を探す。しかし、
「も、もうちょっとゆっくり動いてくれ。まともに見えない」
めまぐるしく変わる視点に弱音を漏らす。
「阿呆か、お前は。そんな事が出来るわけなかろう」
「なんて心の狭い男だ! 協力してくれてもいいだろう!?」
「対価を差し出すなら考えてもいい。それにはっきり云うが、俺よりもお前の位置がより探すのに向いているのだぞ。俺が探そうとすれば兵士の塊に突っ込むことになる」
今の時点で転がっている死体は二十近いが、まだ半分の半分も減ってない。おそらく老人は最も安全な輪の外側にいる。つまり兵士と野次馬連中の間に挟まっているだろう。
「下手をすれば関係ない連中も死ぬかもしれんな」
「……オマエは最低な奴だ。ワタシがこれまで出会った者の中で、一番最低だ」
「世の中は広い。もう少し外に目を向けるのだな」
「くそっ! くそくそくそくそ!!」
シドの頭髪を両手で鷲掴みにするマリーディア。揺れる身体に合わせて力がかかるが毛は一本たりとも抜けることはなかった。
「髪の毛まで思い通りにならないとは! なんて憎らしいのだ!!」
毛を離し、頭を抱えなおす。協力してくれないのなら自分で探すしかない。動く視界に耐えて白を目印に探す。
「――あっ! あ、ああああああっ!?」
「どうした。見つけたか?」
「い、いや……。なんか今、知った顔が見えた気がしたんだけど……」
見間違いかな、と呟く。
「どこだ」
「あ、あっちだけど、学長ではないぞ」
云いつつマリーディアは指差す。
シドはその方向に迷わず突進した。わっと進路先の輪が崩れる。
「邪魔だ。退け」
周囲を一掃すると、ぽっかりと空間が出来上がった。そしてそこからある人物が姿を現す。白い頭髪に髭、ローブを捨て鎧姿となっている老人だ。兵士と違って取り乱した様子はない。
「あれ? 見えたのと違う……」
マリーディアは不思議そうな声をあげる。見えた人物はこれではない。
「見つかったのならそれでよかろう」
「そ、そうなんだけど……。おかしいな……」
会話する二人を、老人は冷笑を浮かべて見た。
「大人しく兵共に殺されておけばいいものを」
「………」
「一般の兵士では相手にならないようだが、俺相手に同じことが出来るなどと思わない事だ」
「……いいのか」
「なに?」
「俺の相手をしていていいのかと云っているんだ」
シドは意味ありげに老人の後ろに顔をやる。
「……そんな手は食わんよ。見えすいた手だ」
「まぁ、お前がいいのなら俺に否やはないのだがな。そら。矢が飛んできそうだぞ」
「………」
老人は迷った末に剣を構え、如何にも用心を怠っていないと態度で見せつつも素早く視線を背後に向けた。
「なっ――!?」
その顔が驚愕に歪む。
エルフが数人、こちらに弓を向けているではないか。弓は既に矢が番えてあり、引き絞られている。もういつ矢が発射されてもおかしくない。
何故エルフがここにいるのか。何故己に弓をむけているのか。疑問で頭が一杯になるが、答えを模索している時間はない。急いで射線上から身体を動かす。
気づかれたと悟ったか、エルフ達が矢を放つ。
「むん!」
二本を躱し、一本は手で払う。そして払った手をエルフ達に突きつけた。
「下等人種共が! 【焦熱――」
「死ねやぁ、ジジイ!!」
人混みから飛び出た若い男が叫びながら剣を振り下ろした。
「あ、あああきむっ!?」
マリーディアが叫ぶ。
魔法を放とうとしていた老人は咄嗟に身体を捻り、紙一重で剣を回避した。
「死ぬのはお前だ、この餓鬼が!!」
エルフに向けられていた左手が若い男――アキムの方へと移動する。
「――いや、死ぬのはお前だ」
ぎょっとした老人が気づいた時には、至近にシドが立っていた。
獲物を捨てたシドは左手もマリーディアの腰から離し、両手で老人のそれぞれの腕を掴む。
「さあ、捕まえたぞ」
並んだ歯がギラリと輝いた。




