王都にて―父親―
登場人物は三話参照
見なくても最後あたりでわかります
アキムは食べすぎでポッコリ突き出た腹を押さえ、一つ息を吐くと軒下の椅子に座って通りに目を走らせた。
右良し、左良し。こちらを窺っている者はいない。飯屋からここまで、堂々と通りを闊歩してきたわけであるが、やはり評判は広まっているようだ。視線は痛いほど感じるのだが、誰も絡んでこようとしなかった。尤も、シドのせいで悪漢共の絶対数が減っているだけなのかもしれないが。
念の為に持ってきた剣を杖がわりに、両手を載せて顔を伏せる。目だけで時折周囲を確認して姉妹が後ろの扉から出てくるのをじっと待った。
店からぼそぼそと話し声が微かに漏れてくる。ミラとサラが魔導士と会話しているのだろう。アキムも砦で手に入れた二つの魔導石を見せてもらったが、小さいのはともかく、大きい方はかなりの値打ち物だとわかった。ただ残念な事に、その石の使い手を見たミラ曰く、刻印されているのはおそらく固有魔法で本人以外では真価を発揮できないらしい。削って一回り小さくし、まっさらな状態に戻したいと云っていたがいくら位かかるのだろうか。
懐の報酬を意識する。ギルドはケチだと思っていたが、予想よりは色がついていた。借金はエルフ達の報酬からのみ差し引かれるので今回だけではなくならないだろうが、伯爵の小言は確実に減る筈である。
そう、とりとめのない事を考えながら、店先に置いてあった椅子で植物のように陽光を浴びていたアキムは、通りの先から如何にも怪しい三人組が歩いてくるのに気づいた。
バレないように注視する。
三人はフード付きのローブを着て顔を隠していた。ローブの後ろが奇妙に盛り上がっている。背は高いが体つきは細い。しかし歩く姿に脆弱さは感じられず、絞っている、といった風だ。通行人は一様にその三人を回避しようとするのだが、三人はわざわざ追いかけて話しかけている。
どうする事も出来ずただ待ったが、三人が向かってくるのを見、腕に力が入る。
「――そこの君、訊ねたい事があるのだが、少しいいかね」
目の前で立ち止まった三人組の、一番前にいた者が云った。
アキムは声で男だと判断する。背格好からして後ろの二人もそうだろう。
「――ああ。別に構わないぜ」
顔を上げたアキムは森の匂いを感じた気がした。青臭い、緑の匂いだ。悪漢共とは別の意味でイヤな予感がする。同時に、ローブの下の盛り上がりは弓だと悟った。
「ここらでエルフを見かけなかったかね? 男が一人、小柄なエルフの女性が二人の三人組なのだが……」
「………」
目をすがめて相手を見る。一体何と答えようか――考え始めたアキムの脳裏に、
(――殺すか)
と、暗い考えがよぎる。
何気ない振りを装い護身用の短剣を左手に持ち、右手の剣と同時に突き出せば二人は殺せるだろう。残る一人は一対一で始末する。相手もまさかいきなり殺しにかかってくるとは考えもしていない筈で、やるなら今が絶好の機会だ。
話しかけられただけで殺すのはさすがにまずいとはわかる。こうも極端な選択肢が出てくるのは間違いなくシドの影響だろう。だが、一度頭に浮かんだその考えは乾いたクソのようにこびりついて離れなかった。
「こちらの方向へ歩いて行ったと聞いてきたのだが」
何も答えないアキムに再度男が話しかけてくる。
アキムの手が病人のようにカタカタと震え始めた。力を込めて押さえつけ、
「……いや。見ていないな」
なんとかそれだけを答える。
「……そうか。どうもありがとう」
確実に怪しんだろうが、男は丁寧に礼を云い、背を向けると後ろの二人と何やら頷き合った。そのまま立ち去ってくれる雰囲気だ。
背を向けた三人に、疲れたような溜め息を吐く。そして勢いよく開け放たれた扉に心臓が跳ね上がった。
「アキム! 使えるお金はどんだけなのよ!?」
顔を出したサラが通りに響くカン高い声で叫ぶ。
三人組は影のように同時に振り返った。
「ちょっと、聞いてんの!?」
「………」
のそりと立ち上がったアキムは目つきを険しくして戻ってきた三人組と向かい合った。
「なによ、こいつら……?」
サラが怪訝そうに訊ねると、三人組はフードを後ろに脱いだ。
アキムは驚く。整った顔に尖った耳――男達はエルフだった。
「やっと見つけたぞ、サラ」
エルフの男の声は、悲喜交々、様々な感情が入り乱れている。だが、この再会がただ嬉しいだけのものではない事は表情が物語っていた。
「……え? ――あ……み、みえろん……」
「生きていたのは純粋に喜ばしい事だが、何故村に帰ってこなかったのだ。それにどうして人間と共に行動している。ナグダムやレントゥスはどこにいるのだ」
エルフの男――ミエロンは続けざまに質問をぶつける。
「あ……その……」
サラの表情も複雑だ。まるで悪戯がバレた後、家に帰る子供のようである。
「ミラもいるのか?」
「え? う、うん……」
「……ここは人目につく。場所を変えるぞ」
「え……」
「何か問題があるのか?」
エルフの男はチラリとアキムを見た。サラもまた、どうしようかとアキムを見る。普段の高飛車な様子はなりを潜め、不安に瞳が揺れている。
アキムはサラを隠す形に一歩前に出た。
「生憎だが、俺達は用事の途中だ。見たところサラの知り合いのようだし話すなとは云わないが、後にしてもらおうか」
「……人間よ、これは俺達エルフの問題なのだ。関係ない者には口を挟んでもらいたくないな」
「関係だと? 関係ならあるさ。サラもミラも同じ傭兵団の仲間なんでな」
そして、アキムは何かを思いついた表情で、
「――ああ、そうだな。どうせなら全員が揃っている場所で話したほうがいいだろう。他のエルフ達も話を聞きたいだろうし、なにより、団長に話を通さないわけにはいかない」
「ちょ、ちょっとアンタ――」
「なんだ? 別にそれでいいだろ? それともお前、まさかシドに黙って抜けるわけじゃないよな?」
サラの言葉に振り返ったアキムは薄らと笑みを浮かべて云う。
その目を見たサラはアキムが何をしようとしているのかを悟った。
アキムはシドにミエロンを説得させようとしている。
「べ、別に抜けたりしないわよ!! ちゃんと話して帰ってもらうから――」
「何だと!? サラ、それはどういう意味だ!? まさかここに残るつもりなのか!?」
寝耳に水、といったミエロン。次いでアキムに、
「それにお前、先程他のエルフと云ったな!? どういう事か説明しろ!?」
「説明も何も、云ったそのままだよ。ウチには他にもエルフの団員がいるが、ここにいるサラも含め全員に借金がある。はいそうですかといなくなってもらっちゃ困るんだよ」
唯一レティシアだけは借金がないが、バレはしまい、とアキムは彼女も含めて云う。
「借金だと!? 何故そんな物がサラ達に――」
自分達を追い払うための嘘だと思ったミエロンはサラに目をやるが、小柄な姿は何も語らなかった。もし嘘だったならサラの性格からして黙っている事などありえない。
「……サラ、借金はいくらだ?」
「……え?」
「何かあった時の為に宝石なら少し多目に持ってきてある。足りなければ村へ戻って皆で出し合えばなんとかなる筈だ」
「………」
チッ――と、アキムは心中舌打ちする。諦めの悪いエルフだ。引き際を見誤る者は長生きできないというのに。
しかしこうなると他に手を考えねばならない。アキムはエルフ達を逃すつもりはなかった。これはシドの思惑も借金も関係ない。アキム自身の考えだ。実際問題エルフ達がどうなろうと知ったことではないが、いなくなった時の事を考えるとそうも云っていられないのだ。
仮にエルフ達が森に帰ってしまったとする。すると団に残されるのはシド、ヴェガス、キリイとアキムになる。つまり、シドとヴェガスの相手を、最近扱いにくくなってきているキリイと二人で行わなければいけないのだ。そのような状況を受け入れることなどできない。アキムはもうオーガの相手だけで一杯一杯なのだ。
「……サラ、まだなの?」
その時、ミラが扉を開けて外に出てきた。
アキムは確信した。これこそまさに天の時。
三人のエルフの注意がミラに向かうのを待ち、背後のサラに小さく、しかし鋭い肘鉄を食らわせる。
「――うっ!? ア、アンタっ……」
顔からサーッと血の気が引き、俯いて腹部を押さえるサラ。残った手で口元を押さえると脇目もふらずに店の中に飛び込んだ。
「……サラ?」
すれ違ったミラが声をかける。
三人のエルフはミラに話しかけようとしたが、サラの行動に呆気に取られ言葉を失っている。
今の俺ならやれる――覚悟を決めたアキムは口を開いた。
「つわりだ」
その言葉は、落雷のように三人のエルフの身体を貫いた。
アキムの言葉が指したのはサラだったが、何故かエルフ達は揃ってミラの腹部を見る。
ミラの腹部はポッコリと膨れていた。明らかに食べ過ぎである。
「………」
膨らんだ腹部を注視されたミラが頬を染める。
「な、なんという事だ……」
人間に囚われたエルフの末路に先入観のあるエルフ達に、アキムの言葉を疑う理由はない。
アキムは勝利を確信した。サラの方はともかく、ミラの腹は通用するか不安があった。アキムには妊娠に対する知識は殆どない。いろいろあったので長く感じるが、最も早いミラとシドの出会いから計算しても明らかな膨らみが見え始めるには少し早すぎる可能性もあった。
しかし、三人のエルフ達の知識不足、食後というタイミング、ミラの言葉少なな性格――全てがアキムの謀り事を後押した。
全体を二つに分け、片方の当事者である姉妹を片方づつ交互に参加させることで与える情報を制限し、アキムが主導権を握る。
俺には軍師の才能があるかもしれん――アキムは思った。
「で、では……レントゥスは……」
「レントゥスか。そいつも団にいるぞ。後を追っかけてきた妹の方もな」
「レ、レティシアもだとっ!? 二人はどこにいる!? 今すぐ教えろ人間!!」
ミエロンが血相を変えてアキムに掴みかかった。
アキムは冷たく相手を凝めた。ミラとサラを渡すことを拒んだのだ。レントゥスとレティシアを渡せるわけがない。この二人こそ団のヒエラルキーの最下層に位置する人材であり、その重要度は他の三人のエルフを凌駕する。
草がなくなればどんな強大な獣も死に絶えるのだ。
「手遅れだよ」
アキムは口を歪めた。ここで自分を組み込むのはまずい。逆上した三人に殺されかねない。使うのはシドがいいだろう。元凶だし、それが妥当だ。
「レントゥスは男だし、妹の方はまだ若いが――」
これがとどめだ――心の中で云い聞かせる。ウチの団長は槍を使う。槍は刺すものだ。団長は槍で刺す。男も女も刺す。刺す刺す刺す。団長は刺すのが好きだ。そして刺すと身体に穴が空く。
「――ウチの団長は穴を空けるのが好きなんだ」
「う、うぅおおおおおおぉーーーーーっ!!」
ミエロンは空に向かって絶叫した。
大の男の慟哭に、通行人が何事かと振り返る。
サラやミラの時と全然違う。予想以上の反応に開いた口が塞がらないアキム。
「……何を云ったの?」
「え? い、いや、俺はただぐえっ――」
ミエロンの様子を不思議に思ったミラの問いに言葉を返そうとしたアキムだったが、件のミエロンが憤怒に赤く染まった顔で掴んだ胸ぐらを強く揺すり、
「き、きき、貴様達の、団長とやらの所へ案内するんだっ!! 今すぐにっ!! しないと殺すぞ!!」
「お、落ち着いて下さいミエロンさん――」
「黙れっ!! これが落ち着いていられるか!!」
ミエロンは止めようとする仲間を振り払った。
「死にたくなければ今すぐ云えっ!!」
「わ、わかった。わかったからひとまず手を離せ。教えるから――」
「早く云えぇっ!!」
いくら云っても聞き入れそうにない。アキムは諦め、掴まれた体勢のままで、
「えーと……確かシドは――」
「――シドだと!? そのクソ野郎の名前はシドというのかっ!?」
「あ、ああ……。ちなみにそれ、本人の前では云わない方がいいぞ。たぶん殺されるから」
「知るか!! 命の心配をするのはそいつの方だ!!」
「……まぁいいけどな。アンタの自由だし」
「はぐらかしてるんじゃない!! 本当に殺されたいのか!?」
ミエロンは短剣をアキムの喉に突きつけた。
アキムがミエロンの背後を見ると、残りのエルフは短弓に矢を番えこちらに向けている。
「……シドは街に出たよ。俺達が屋敷を出る時一緒に出たから間違いない。どこにいるかまでは――」
「……ならば探す! お前も来るんだ!!」
「おいおい。バカ云っちゃいけねえ。俺達には用事が――」
「それは命より大事な用か?」
「……好きにするがいいさ」
アキムがそう云うと、ミエロンはやっと手を離す。そして辛そうにミラを見た。
「……子供は村で育てることになるだろう。あまりいい環境を与える事はできないだろうが、それで納得してもらうしかない」
「……え?」
「済まない。……ナグダム達の事は終わった後に聞く。まずはやるべき事があるのでな」
話についていけないミラはきょとんした顔をした後、アキムに小声で、
「(……何の話?)」
「(……どうやらシドに会いたいらしい)」
「(……危険だと思う。止めないと)」
「(いや……止めようなんてしたら俺が殺されちまうよ。どうせいつかは会わなきゃいけないんだし、放っとこうぜ)」
「(でも……)」
「(そんなことより、このミエロンとかいう奴の反応がお前達の時とレントゥス達の時で全然違うんだがなんでだ?)」
「(……それは当然。彼はレントゥスとレティシアの父親だから)」
「(なんだとっ!?)」
アキムは自分達の内緒話に渋い顔をしているミエロンを呆然と見た。先程このエルフに放った言葉を思い出し、どうやら火に油を注いでしまったらしいと気づく。
印象を新たにミエロンをじろじろと凝める。その顔が、段々と晴れやかなものになっていく。
嬉しくなって目の前のエルフの肩に馴れ馴れしく手を置いた。
「さ、行こうぜ。シドに会いたいんだろ?」
ニヤリと笑う。レントゥスは頼りない男だ。しかし、今ここに成長の時はきたれり。
かつてアキムはシドの助けを借りて父親という存在を乗り越えた。そして今度はレントゥスがそれをやらねばならない。レントゥスの番がきたのだ。シドの助けを借りて父親を乗り越えるのである。その為ならばアキムは先達として助力を惜しまないつもりだ。
「はっはっは!」
ミエロンの肩をバンバンと叩く。
「今日の夜はうまい酒が飲めそうだぜ!」
皆が唖然とする中、アキムはシドを探すために歩き出した。
「こらあっ! アキム、アンタってヤツは――って、どこ行くのよ!? 逃げるつもり!?」
顔の色が戻ったサラが勢いよく飛び出してくる。
ミエロンはやり場のない怒りを抱えたままで、
「……なにがどうなっているのだ。全くわけがわからない」
その問いに答える事のできる唯一の人物には、しかし、答える気は毛ほどもなかった。




