砦にて―巨人戦・上―
ちょっと時間かかってしまいました。
巨体に見合ったしつこさを発揮して丸太を投げ続けていた巨人が砦との距離を詰め始めたのは、防壁よりも高い位置にある指揮所の外観がボロボロになってからだった。
門のすぐ内側に立ったシドは、格子を隔ててそれを見ていた。
巨人は真っ直ぐ向かってくる。このまま進んでくれば配置した兵士と弩は最大限に威力を発揮するだろう。
巨人と最も距離の近くなる方角には弩を設置していない。多少距離をとった場所に移動式の台座に載せる中型の物を置いてあるだけだ。肝心の射手の姿もまだない。
中、大型の弩は設置試験に使用する僅かばかりの数しか砦に運ばれていなかった。これで遠距離からの撃ち合いを始めるのは心許ない。固定砲台が移動する戦艦や機甲部隊に対し劣勢を強いられるのは誘導兵器が登場する以前の歴史が証明している。
巨人は堂々と近づいてくる。一見するとまるで放棄された砦に向かっているようだが、その実内部では数人の兵士達が心臓を躍らせながら巨人を注視していた。
シドが巨人の頭部に人影を見つけるのと、観測手の一人が合図を出すのはほぼ同時だった。
防壁の裏側で待ち構えていた多数の兵士達がわっとばかりに階段を駆け上る。彼等は防衛時を考慮して幅広く取られた防壁の上で二列になると一斉に弓を引き、若しくは巻き上げていた弩の狙いをつけた。
「射てぇっ!!」
元指揮官の号令が響き渡る。
最も危険な防壁の上に出ることに本人は難色を示していたが、いざ現場に置かれると腹を据えた。腐っても兵士といったところか。
一斉射が標的に降り注ぐ。巨人は腕を上げて頭部を庇う仕草をした。
全身に矢が降り注ぐ姿を見たシドは、
「ふむ。――おい、お前」
と、後ろに控えている伝令役に云う。
「上に行って狙いを脚に変えるように伝えろ」
「――はいっ!」
『いいのですか? 明らかに頭部が弱点のようですが……』
「(構わん。それにまだ頭部と決め付けるのは早い。)」
止めを刺すには引きつける必要がある。嫌がる手を打てば距離を取られかねなかった。それにあれだけの巨体だ。脚は狙い目だろう。即効性はないが最終的な局面で必ず効いてくる筈である。
頭部を庇っているのは誰の目にも明らかなので、シドの命令を無視し、自己采配で狙い続ける可能性もあったが杞憂だったようだ。しばらくすると矢が下方向に落ちるようになった。
巨人はここぞとばかりに進撃してきた。シドは後退し、今度は巨人の上半身を防壁越しに覗く。
手前まで来た巨人は、手元に残しておいた一際大きな丸太を振りかぶる。対面する場所にいた兵士達が蜘蛛の子を散らすように逃げた。
乾いた音を立てて丸太が折れ飛ぶ。巨人は戸惑ったように動きを止めた。
「(阿呆か、アイツは)」
どう考えてもあそこは薙ぎ払うべき場面だ。線上に展開する敵に点で攻撃するとは。
『戦い慣れていないのではないでしょうか。なんか動きがぎこちないような……』
「(さて、それはどうだろうな。動かし慣れ、の線もある。有人型と云ったのもあながち的外れではなかったかもしれんぞ)」
『乗っていた人間のことですか?』
「(そうだ)」
操作する武器がいつもと全く違った場合、とっさの判断でミスを犯すのはよくあることだ。それをなくすための完熟訓練なのだが、あの図体では目立つことこの上ない。皆の驚きようからして普段から見られる存在ではないようだし、操作訓練をしていたか怪しいものだ。――無論、乗っている人間が操っていると決まったわけではないので油断は禁物だが。
巨人の周囲から兵士達の姿が消えた。皆安全圏と思われる位置まで防壁上を後退しながら矢を射続けている。
巨人は短くなった丸太をようよう横振りし出すが、その頃には届く範囲には誰もいない。
話にならなかった。己の動作が相手よりも常に一挙動遅れる場合、一歩先を読まなければ有効打を与えることは出来ないという見本のような戦い方だ。
巨人の肉体には針山の如く矢が突き刺さっている。しかし――
『倒れませんね……』
ドリスの云う通りだった。ダメージを受けるどころか、痛みを感じている素振りすらない。
「(耐久だけは一級だという事か……)」
『まるで誰かのようです』
「(………)」
『………』
後退しつつ、まだ完成していない箇所に到達した兵はその手前の階段で下に降りる。
「よし。左右の兵に攻撃を開始しろと伝えろ」
「――はっ!!」
別の伝令役が台車付きの弩に向かって走る。
おそらく大した効果は望めないだろう。巨人の耐久も然ることながら、どう考えても矢数が少なすぎる。試射用に数本ずつあるだけなのだ。
シドは中央の空き地へ戻る。そこでは極めて大型の弩に取り付いたヴェガスが、末端のハンドルを回していた。
「うおりゃァァァッ!!」
ヴェガスがごいごいと回すにつれ、板バネが大きくたわむ。人の頭部を果実のように砕ける大きさのバネだ。
上には槍に矢羽をつけたような矢が装填されている。尻の部分には穴を開け、円環と紐を幾重にも捻った物を通してあった。先端は四枚に分かれており、かえしもしっかりとついている。
巨人は防壁から先に身を乗り出して腕を振り回している。暴れると身体から矢の刺さった丸っこい虫のような生き物が落ちた。時折逃げ遅れた兵が口元に運ばれている。
誰もが言葉もなく、ハンドルを回すヴェガスを急かす目で凝めた。
シドは傍に居るように命じてあった姉妹に、
「配置に付け。奴の動きが止まったら云われたように魔法を使え」
「ホントに大丈夫なんでしょうね」
そんな事はやってみなければわからない。詮無き事を云うサラは無視し、ミラに行けと促す。
二人が消えると矢に繋いだ紐を身体に数回巻き、最後に右腕で螺旋を描くように巻き取る。それが終わると周囲の労働者達に命じ、四方から伸びる紐を自身に巻かせた。
「しくじるなよ、ヴェガス」
「おう、任せときな!! ど真ん中にぶち当ててやるぜ!!」
ヴェガスは発射準備の終わった弩砲をグイグイと旋回させる。
防壁の上に固定して使う兵器なので俯角はともかく仰角は足りないと思っていたのだが、この世界には航空機もないのに上空を狙う必要性があるらしく、かなり上の方まで狙いを付けることができたのは幸運だった。かえしといい構造といい、この弩砲には首を捻らされる。
準備が完了したので労働者達は後方に退避させる。
「射ち終わったらお前も下がっていろ」
ヴェガスに云う。エルフ連中にもやる事をやったら下がるように云ってあった。
「あん? いいのかよ。アンタのことだから死ぬまで戦わせるのかと思ってたんだが……」
「まさかな。ここがどうなろうが俺の知ったことではない。砦を守るために生命をかけるのは兵どもの仕事であって、団の仕事ではないぞ」
今戦っているのは成り行きに過ぎない。もし砦の防衛が依頼で、傭兵団としてその仕事を受けていたのならヴェガスの云うようにしていただろうが、この戦いは違う。仮にシド自身でもどうにもならないような存在が相手だったら、その敵に気づいた時点で何がなんでもここを去っていただろう。
確かに今も死の危険はある。戦争では兵士は時と場所、そして相手を選べない。それをするのは指揮官の仕事だからだ。故に、指揮官には兵士の生命を有効に使う義務が生じる。任務と全く関係のない戦闘で部下を死なせるのは愚か者の所業だが、金のために傭兵をしているのなら死と報酬を秤にかけるのはおかしな事ではない。団を統率する者としてメリットとデメリットを吟味して答えを出すのはシドの仕事だ。
「まぁ、いいや。死なない程度に頑張ってくれよ」
「わかっている」
巨人は鬱陶しげに組み上げる予定だった資材を投げつけながら、防壁に沿って移動した。完成している箇所を乗り越えるのはきつそうだ。
「ヴェガス、あの位置に来たら射て」
シドはある箇所を指差す。
云われたヴェガスはすぐに察した。巨人の進んだ先に、まだ未完成の防壁がある。
ヴェガスは慎重に狙いを定める。
兵士達は既に大半が防壁から降りており、上から見える範囲に散発的に矢を放っているだけだ。
巨人が地響きを立てて移動しながら身体に突き立った矢を引き抜くと、見る見るうちに傷が塞がっていった。
「おいおい、すげー治り早いな。崩れかけてるけど」
「………」
高い再生力を持つ、というのなら理解できるが、ならば何故身体が朽ちかけているのだろう。
「(……どう思う)」
『う~ん……。魔法的な何かでしょうか……。答えを出すには情報が足りません』
「(無限に再生すると思うか)」
『それはないかと。魔法も何やら消費するようですし、例え魔法でなかったとしても何らかのエネルギーは消費している筈です。それにこの世界に無限機関が存在する可能性は限りなく低いです』
ならば倒す手は二つだ。一つは再生を上回るペースで破壊する。もう一つは元となるエネルギー元を断つ。
手っ取り早いのは後者だ。見つけるまでが肝だが、判明しさえすればすぐに終わる。前者は先行きが見えないこともありなるべく避けたい選択肢だが、とりあえずはそちらでやるしかないだろう。
ヴェガスに再度声をかける。
「射ち終えたらエルフ達に俺の声が届く位置にいるよう伝えろ。やはり動いてもらわねばならんかもしれん」
「了解だ。やっぱ一人でやるより全員で戦った方が面白いぜ」
「……そろそろだぞ」
巨人が大きく開けた防壁の境目に手をかけた。どうやらあそこから乗り込む腹積もりらしい。好都合である。
防壁にぽっかり開いた穴に巨人の中心が入る。
「喰らえやぁっ!!」
安全装置を外したヴェガスが叫び、レバーを押し込んだ。
板バネが奏でる強烈な発射音がして、装填された矢が飛んでいく。垂れ下がっていた紐がどんどんなくなっていくのを、シドは黙って見ていた。
ほぼ風の影響を受けないで直進した矢は巨人の胴体に鈍い音と共に命中した。
ビクリと反応した巨人は、一瞬の後には何事もなかったかのように動き出す。
シドは余った紐を素早く巻き取った。弩砲の設置場所はなるべく中心よりになるようにしてある。防壁までの距離は把握してあるので、そう大した時間はかからない。
ピンと張り詰めた紐を右手で握り込むと、一気に引く。
いきなり加わった力に前につんのめる巨人。片足を前に踏ん張り、なんとか倒れるのを防ぐ。頭の後ろの人影が慌ただしく動くのが見えた。
巨人、若しくは乗っている者がシドに気づいたか、引っ張るシドと同じように片手で紐を握り締める。
どうやらのってきたようだ。シドは心中でほくそ笑んだ。相手にはシドが周囲から伸びる紐にしっかりと固定されているのが見える筈だが、こうなる事は予想できた。
おそらくはこちらを馬鹿にしているに違いない。シドには相手の薄ら笑う顔が目に見えるようだった。 巨人が力を込めるとシドの体躯が持っていかれそうになる。さすがに体重では勝てない。しかしその為に準備をしてあった。
弩砲を固定したのと同じアンカーを石畳の部分に打ち込み、しかもそれを複数本配してある。
どんなに巨人の牽引力が強くても、この構図では巨人の発揮できる力は重量と足場との摩擦で決まってしまう。
だがシドは違う。紐が切れるかアンカーが抜けない限り、シドの発揮できる力は純粋に己自身の性能による。
「愚か者めが。現在ここは俺の支配下にあるのだ」
シドは唇を歪め、地を這うような声で呟いた。シドの支配下にあるという事はそれすなわち宇宙軍の支配下にあるという事だ。軍法に則ると、味方との連絡が取れない現状、シドはこの宙域で唯一の宇宙軍兵士であり、また最高指揮官でもある。
「我が軍に対し敵対行動を取るとは」
『………』
シドは左手で握り絞めた紐を思いっきり引きつける。
「科学の力を思い知るがいい!!」
機械仕掛けの体躯が唸りを上げた。




