砦にて―掌握―
シドが下に戻ると、門の格子に囚人のように張り付いたアキムがいた。恨めしそうにこちらを見てくる。
「……ここを開けてくれ」
アキムは地の底から響いてくるような声音でそう云った。充血した目と疲労で表情が抜けきった顔は病人を思わせる。
アキムの背後には武装した男達がすぐそこまで迫っていた。
「そのままそこにいると後ろの奴等に囲まれるぞ。内と外、両方の安全の為にここは封鎖した。どうしても入りたければ反対側の門まで走ることだ」
「くっ……」
アキムは呻くと後ろを振り返る。そして声をかける間もなく脱兎の如く駆け出した。
その姿に感心するシド。いい行動力だ。今は悠長に考えている時ではない。
襲撃者達は門が閉まっているのを目にすると速度を落とさずアキムに追従した。その後ろからオーガが追いかける。さらに後に続く集団は二つに分かれた。片方は流れのままに防壁に沿って走り去り、もう片方は門の前に押しかける。
「おい、アンタ! ここを開けてくれ!!」
「俺達を中に入れるんだ!!」
口々に似たような事を喚く。
「残念だが、門を上げるための鎖が切れてしまったのでな。砦に入りたくば反対側に回るしかないぞ」
「ふざけるな!! 早く開けろ!!」
「今さっき閉めるのを見たんだぞ!! お前達だけ助かるつもりか!?」
「………」
シドはなおも喚く男達を無視し、男達の間でじっと佇む子供に、
「助かりたくば防壁に沿って反対側に行け」
それだけ云うと興味を無くしたように背を向ける。
門を閉めたのはシドだ。故に助かる道は示す。状況を見極めそれを受け入れるかは本人達次第である。有事の際に状況を見極め切れない生物は死ぬ。年経ていようが若かろうがそれは平等に降りかかる。
子供とその母親らしき人間が移動し始めると、釣られたようにそれに加わる者達がいる。居残って罵声を浴びせるのは男が多かった。
「い、いいのか? あいつら……」
「構わん」
キリイに短く答え、ここまでついてきてしまっている労働者の男達に云う。
「お前達、家族を砦の中に入れたくないのならすぐに反対側の門へ行き、俺がやったように封鎖しろ。中に入れては戦闘の巻き添えを食うぞ」
云われた男達は戸惑ったように顔を見合わせた。
「しかし……こ、ここまで来ちまったんだから、入れてしまったほうが安全なんじゃないのか……」
一人の男が意を決したようにシドに云った。
「位置を考えろ。逆側で足止め出来ればあの集団は巨人との間に砦を挟む事になるのだ。そうすれば、少なくとも砦が落ちる迄は安全が保証されるのだぞ」
巨人にまともな思考があるのなら、まず砦を無力化しに来るだろうとシドは考えている。わざわざ距離をとって砦をぐるぐると周るとは思えないし、そんな事をしても相手に合わせて移動すれば同じ位置関係を維持するのは容易だ。破綻するとしたら防壁の目の前まで来られた時だが、そんなことをすればいい的になる。
云わんとする事を察した数人が走り去る。砦の中を突っ切れば間に合うだろう。
「シド、アキムはどうするんだよ……。わざわざ走らせて門を閉じるのか?」
キリイが反対側の門の方角を見、気の毒そうに訊ねてくる。
「アキムとオーガ達には向こうで男達の相手をしてもらう。役割分担だ」
「……じゃあ、俺達は?」
「あのでかいのを始末する」
「ホントかよ……」
「所詮生物だ。物理的に破壊するのは難しい事ではない」
出来れば巻き込まれる前にここを去りたかったが、戦うしかないなら戦うまでだ。だが、その前にこちらの駒を整理する必要がある。
シドは居残っている労働者に顔を向け無言で訊ねると、一人がおずおずと口を開いた。
「あ……その、俺たちゃ家族がいないもんで……」
シドはどうするか迷う。彼等には戦闘力がないが、ここで切り捨てるのも早計だ。ここは、兵士達がとことん抵抗し指揮権を掌握するのに失敗した場合の予備として残しておくべきだろう。それに使い方によっては兵士より役に立つかもしれない。
「あの巨人と戦うのに協力する覚悟はあるか?」
問われた男達はしばし迷った。兵士がいるのに何故わざわざ自分達が危険を冒して戦わなくてはならないのだろうか、と。
「云っておくが、もし俺達や兵士が負けた場合、お前達だけでは勝つ見込みはまずない」
「………」
「尤も、狙い次第では見逃してくれる事もあるかもしれん。あくまで可能性の話だがな」
「お、俺達でも出来る事はあるのか……?」
「勿論ある」
主に運搬や囮だが――シドは心中で思った。
「そうか……。よし! 俺は手伝うぜ!!」
一人がそう宣言すると、それを皮切りに次々と参加表明をし出す。
次は砦の兵士達だ。味方か敵かわからないまま側に存在する事を許すわけにはいかない。
「兵士達の指揮官はどこだ」
シドやキリイよりも長い期間滞在している労働者達に訊く。
「あそこにいる羽飾りのついた兜を被っているのが指揮官だ」
一人が砦中央を指差して答える。
そこには、云われた通り兜に羽根を模した飾りをつけた兵士が、少数の兵に囲まれ大声で指示を飛ばしていた。
一体どういう指示を出しているのか興味が湧かないこともない。――が、残念だがその指示が遂行されることはないだろう。
シドの移動に合わせ団員と労働者達も動く。膨れ上がった集団は、中央に集まった兵士達を数で凌駕している。
「なんだぁ、貴様達は!? 平民は邪魔にならない場所に引っ込んでいろ!!」
指揮官が怒鳴る。
シドは槍を地に突き立てると、抵抗する間も与えず左手で首を掴んだ。
「――ぐっ!? ぎ、ぎざまっ……」
いきなりの凶行に慌てて手を引き剥がそうとする指揮官。
シドは右手で兜を毟り取り、指揮官を助け出そうと飛びかからんばかりの兵士達にもよく見えるように掲げ持った。
メキメキと音を立て握り潰す。
「これより砦の指揮は俺が執る」
そう宣言すると共に、兜を捨てて指揮官の頭を握る。
巌のような手の感触を頭に感じた指揮官は青くなった。口をパクパクさせるが言葉が出てこない。
シドは頭を強制的に兵士達の方に向かせると、腰をかがめ、顔を近づけて囁く。
「ここに全ての兵士を呼び集めろ」
「………」
「――ふむ。……どうやら、頭を兜の形に合わせて欲しいようだな」
「わわ、わかった!! すぐに集める!!」
少し力を入れてやると、指揮官はあっさり折れた。
「おおお、お前!! すぐに召集の笛を鳴らせ!! 全部の兵士を集めるんだ!!」
指揮官は前列にいた兵にそう命令する。
「――し、しかし隊長っ! この男を……!!」
「いいからやるんだ!! 俺が殺されてもいいというのか!?」
「ぐっ……」
しかし兵士は動かない。その様子を確認したシドは、
「ヴェガス!」
「――お、おう!?」
いきなり大きな声で呼ばれたヴェガスは目をパチクリさせる。
「命令不服従だ。この兵士に鉄拳制裁を加えろ」
「え……。い、いいのか……?」
「いいとも。現指揮官である俺が許可する」
「……そうか。そういう事なら俺に任しておけ。得意分野だ」
嬉しそうな笑顔を浮かべたヴェガスが件の兵士の前に立つ。
子供のごっこ遊びのような気楽さで物事を推し進める二人を、周りの全員が何とも云えない表情で見た。
毛むくじゃらの大男に殴られる未来を想像した兵士は驚き恐怖し、
「貴様それ以上近づくな!! たたっ斬るぞ!?」
そう云って剣に手をかける。
ヴェガスと兵士は睨み合った。
異変に気づいた他の兵士達が徐々に集まりだし、シドを含む傭兵団の面々を野次馬のように取り囲む。最初からいなかった彼等は何が起こっているか理解できず困惑顔だ。
ヴェガスはジリジリと距離を詰め、柄に伸びている兵士の手を凝視した。
剣を抜き放つ機会を窺っていた兵士が痺れを切らして動こうとした瞬間、野獣のような勘の良さで初動を捉えて跳ねる。
その見かけからは想像もできない速度で肉迫したヴェガスの拳が、腕をあげようとしている兵士の顔面に正面からぶつかった。
背筋が寒くなる音と共に飛んでいった兵士が立ち上がることはなかった。誰もが言葉を失う。
シドは注意深く兵士達を観察した。もしここで誰かが音頭を取れば兵士全員との戦闘に突入してしまうだろう。
死んだ仲間を凝めていた兵士の一人が勢いよく振り返る。
「よ、よくも仲――」
「――ヴェガス!!」
切っ掛けになろうとした兵士に最後まで云わせず、再度ヴェガスを使う。
「おう!! 次は何――」
「その兵士もだ」
指差された兵士はギョッとして左右の仲間を交互に見た。
「ち、違う。俺はまだ何も――」
「反乱教唆だ。制裁を加えろ」
「あいよ」
ヴェガスが近付くと蜘蛛の子を散らすように周りの兵士達が距離を取る。
「俺の鉄拳を喰らって考えを改めるんだな」
そう云われ、一人ポツンと残された兵士が泣きそうな顔で剣を構えた。
「このキチガイ共め……。例え俺を殺してもお前等の思い通りにはならないぞ……」
「ごちゃごちゃうるせえ!!」
ヴェガスは地面の土を掴むと兵士の顔に思いっきり投げつけ、そのまま突撃した。
「――ぐぁっ!? ひ、卑怯だぞ貴様っ!!」
「死ねや、オラ!!」
組んだ両手を大きく振り上げ、丸い兜の頭頂に叩きつける。
首がありえない角度に曲がった兵士は前のめりに倒れた。
二人の兵士を、共に一撃で殺したヴェガスはシドに顔を向け、
「どうだ。俺も結構役に立つだろう」
と云って子供のようにニカッと笑う。
「ああ、そうだな」
シドはそれに気のない返事を返し、兵士の観察に戻る。
皆、面を伏せて目を合わせないようにしている。胸中はともかく、行動に移そうとする者はいないようだ。
「意見の一致を見たところで先程の続きに戻るが――」
掴んだままだった前指揮官に云う。
「兵士を呼び集めろ」
今度は従わない者はいなかった。前任者を経由した命令で防壁の上にいた兵士まで残らずこの場に集まる。
集まり終わるまでの時間を使ってシドは上を見上げた。
丸太が大きく狙いを逸れ、防壁の向こうに消えていく。どうやら高所を狙っているようだが、巨人にはまともな思考力が残っていないのだろうか。当たれば問題なく殺傷できる重量なのだから砦の中に適当に投げ込むだけで戦力を削れる筈だ。理解に苦しむ。
三百程の全兵士が整列するとシドは声を大にして云う。
「よく聞け、お前達。これより巨人との戦闘に備え、各員に命令を下す。尚、砦の指揮は俺が執る」
云い終わると掴んだ手の出力を軽く上げる。
「こ、これより巨人との戦闘に備え、人員を配置する!! 砦の指揮は、か、彼が執る!!」
震える声で前任者が復唱する。
「まず、弓と弩の数、及びそれを扱う者は前に出ろ」
「こ、この砦に配置された兵は全て弓を扱う訓練を受けてる」
シドは文字通り掌中に収めた男を見る。
「では数は」
「弓は全員が、弩は五十だ」
「なるほど――」
好都合だ。こうなると労働者達が有効に使える。
「弩を装備した者は前に出よ」
「弩を装備した者は前に出ろ!!」
少々ぎこちない動きだったが、云われた通り五十人が前に出る。
「お前達は防壁の真下で待機だ。射程距離に入り次第上に駆け上がり、命と矢が尽きるまで射続けろ」
「防壁の真下で待機!! 射程距離に入り次第、別命あるまで攻撃せよ!!」
残る兵士は全員が一応は弓を持っている。シドはそれを二つに分けた。三十名程を除き、同じ命令を出して配置する。
残した三十名には弓を供出させた。
「お前達、この中から程度の良い弓を選べ。予備も確保しておくんだ」
ターシャ、レントゥス、レティシアに云う。
三人は兵士達の視線を浴びながら、気まずそうに弓を選んだ。
残りの弓は先程配置についた連中の予備とする。
「お前達は後ろの男達と協力して倉庫の弩を運び出せ」
「し、しかしあれは固定する台座が――」
「誰がお前に運用法を訊いた。四の五の云わずに持ってこさせろ」
「――お、お前達!! 倉庫から弩を持ってくるんだ!!」
その命令で、最後の兵士達と労働者の男達がいなくなった。
「さて、ところでお前は――」
シドは隣にいる臨時の副官となった男に訊く。
「援軍を求める伝令を送ったか?」
「あ、ああ……。そういう決まりだったから……」
「どれくらいの規模で、到達までにかかる時間は」
「砦が完成したら駐屯する予定の本隊が、馬を駆けさせて一日かからない都市にいる。数は四千だが……」
「全部はくるまい。先行する部隊の規模はわかるか?」
「き、騎兵全部なら八百。後は指揮官の考え次第だ」
「八百か……」
捕捉される前にここを離脱したい。日が落ちる前に巨人を片付ける事が出来れば問題はないだろう。
シドは前任者をようやっと解放した。
「弩の材料が揃ったらここで組み立てる。お前が指示を出せ」
「俺が……!? し、しかしこんな場所で組み立てても……。それに丸太が……」」
「狙いは背の高い建築物だ。そうそうは当たらん。死んだら運が悪かったと諦めろ」
「そんな……」
後は団員達である。
弓を扱う者は兵士達と同じく防壁側に遣り、ヴェガスは組み立てを手伝わせる。
「――ミラ、サラ」
二人を呼ぶと神妙な顔をしてこちらを見る。
「お前達は俺の傍で待機だ。魔法の射程に入ったら云え」
「……了解した」
「シド、俺は何をすりゃいいんだ?」
最後になったキリイが訊いてくる。
「キリイか……。お前は……」
「俺は?」
シドは迷った。もう大した仕事が残ってない。とりあえず力仕事でもやらせておくべきだろうか。
「そうだな」
頷くと懐から紙を取り出す。
「お前はこれに砦の状況でも書いておけ。報告書だ」
「……それが、俺の仕事?」
「そうだ。最悪戦闘直後に離脱する可能性がある。なるべく詳細に記入しろ」
「………」
「お、お前達!! 諜報員だったのかっ!?」
シドとキリイのやり取りを見ていた前任の指揮官が目を剥いてくってかかった。
「諜報員だと。巫山戯た事を云うな。見当違いも甚だしい。この砦は既に俺の物だ。自分の物を調べて何が悪い」
「それはこっちの台詞だ!! ここはタイタスが造っている砦だぞ!! 国、ひいては国王の物だ!!」
「わからん奴だ。造ったのはお前の国でも現在所持しているのは俺なのだ。欲しければ俺から奪い取ってみろ」
「馬鹿な事を!! 国に喧嘩を売る気か!?」
「そう心配するな。巨人を始末したらお前等に返してやる。砦の所持に興味はない」
「当たり前だ!!」
荒い息を吐く前任者。
シドはこっそりキリイに合図を送り、紙を仕舞わせる。
今云ったことは嘘ではない。シドは砦を返すつもりだ。だが、調査を百パーセントに近づけるためには砦の構造は単純であれば単純な程良い。極端な話、更地にして地下に通じる道を埋めてしまえば報酬額は満額を引き出せる。
つまるところ、この戦いは巨人との戦いであり、砦との戦いでもあるのだ。厳しい戦いになるだろうが最善を尽くすつもりである。
シドは突き立てていた槍を持つと、そう決意を新たにした。




