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永遠の戦士  作者: ブラック無党
美女と野獣
36/125

砦に至る道―足場―

 森を切り拓いた土地に、数え切れない数の天幕が並んでいる。

 砦の建設が進む以前はただの森であった場所で、簡易な住居でたくましくも日常を送る人間の姿に、乗り気ではなかったアキムがうんざりとした声で、


「すげー人が多いじゃないか。これ絶対無理だって……。なぁ、やっぱ考え直そうぜ」

「人が多いのは寧ろうってつけだろう。これならば紛れ込むことができる」

「そりゃ普通の格好してた場合だろ。めっちゃ見られてるよ」


 天幕の軒先に商品を並べている者も、それを物色していた者も、皆等しく突如として現れた一行を注視している。

 買い物をしている子供を連れた女性は建設に従事している労働者の家族だろうか。大きなシドとヴェガスに驚いたように動きを止め、その後エルフ達に視線が釘付けになり、最後にオーガの姿に慌てて子供を引き寄せた。

 一行の構成に渋い顔をする大人達とは対照的に、子供達は目を輝かせている。


「ここらでいいだろう」


 シドは天幕群から少し離れた広い空き地のような場所で足を止めそう云うと、後ろを振り向き、


「ここをとりあえずの拠点とする。荷を下ろせ」


 その言葉に一同は顔を見合わせた。


「あのぅ」

「なんだ」

「ここに荷物を下ろしてどうするので……」

「決まっているだろう。情報を集める間、ここに住む」


 ターシャが微妙そうな表情をした。


「ですが、ここには何もないのですが……」


 道中は基本野宿で、雨が降ればしのげる場所を探せばよかった。だが、ここには上を遮る物は何もない。それに森の中ならともかく人目がある場所で寝るのはさすがに堪えるのか、女性陣はターシャに同調してうんうん頷いている。


「では天幕を買うとしよう。あって困る物ではないからな」

「それが、お金がありません……」

「………」


 また金か。シドは頭を振った。元の世界では一切が支給されていた。金銭面で悩んだことなど一度もない。それが未知の世界に来た途端、借金取りにでも追われているかのように資金調達に奔走せねばならないとは。


「金がなくても手に入れる方法がある筈だ。誰か策を出せ」


 ここは相場や暗黙の了解などに詳しい現地人に任せる選択がベストだろうと考え、云う。


「金を払わないで品物を手に入れる……か。まるで強盗みたいだな」


 アキムがそう云うと、皆シドを見た。


「騒ぎになるのはまずい。穏便な手法を考えるんだ」

「こっそり盗むのはどうかしら?」


 サラの提案もアキムのそれと殆ど変わらない。


「露呈しても云い逃れが出来るか?」

「無理に決まってるでしょ。犯罪だし」


 話にならない。どうにも頭の固い人間ばかりが集まってしまったようだ。


「給金が日払いなら後々買うこともできよう。それまでは野宿でいくしかないか」


 ないものはしょうがない。シドが諦めようとした時、


「――ちょっと待ちな」


 思いもしなかった人物が名乗りを上げた。ヴェガスである。


「俺に任せてくれれば手に入れてきてやる。後で訴えられてもシラを切り通せるやり方でな」

「……そういえばお前は裏社会の人間だったな」


 見た目からは想像もつかないが、口八丁手八丁で丸め込めるやり方に精通していてもおかしくない。

 シドは他の面々を見渡すが、誰も他にいい案を出せないようだ。


「ならばお前に任せる。必要な物はあるか」

「……そうだな。馬車と馬、それとエルフ連中を使いたい」

「それだけでいいのか?」

「ああ。つうか、他に用意出来るモンなんかねえだろ。金がないからこうなってるんだしよ」

「全くだな」


 二人で苦笑する。


「では少し計画を変更する。俺とキリイはこれから明日からの仕事を受け付けてくれるか調べ、可能ならばそのまま登録だ」


 アキムが頭の回転は早く融通は利きそうだが、今回は調べ物だ。生真面目なキリイが適任だろう。


「ヴェガス達は天幕。アキムとオーガ達はここで荷物を見張れ」

「えええ!? 俺、こいつらと留守番すんの!? ここで!?」

「そうだ。オーガ達だけでは何かあった時そのまま戦闘になりかねん。お前が手綱を握れ」

「……絶っ対無理くせぇ」

「これからは日中は別行動となるが、危急の際はここに戻る事に固執せず、各々の裁量で離脱して構わん。ここと、ここへ来る途中に登った丘の上、それと王都のミアータの屋敷が合流場所だ。優先順位は今云った順で、危険度に応じて選択しろ」


 シドはオーガ達に顔を向けた。


「ここでアキムと帰りを待て。何か問題が起こったらアキムの指示に従うんだ」

「ワカッタ」

「よし。キリイ、行くぞ」


 一応、重い自分の荷物だけ馬車からおろしておき、返事を待たずに歩き出す。


「おい、ちょと待ってくれよ。――じゃ、ちょっくら行ってくるぜ。晩飯楽しみにしてるからな」


 キリイは残った団員達にそう云うとシドを追いかける。


「ちょ、歩くの早いし! もうちょっとゆっくり頼むぜ団長!」


 二人の姿はすぐに小さくなり、あっという間に天幕の陰に隠れて見えなくなった。


「では俺達も行くか。早く済ませて天幕を建てなきゃならねえしよ」


 ヴェガスがエルフ達に声をかける。


「アンタ、ホントに大丈夫なんでしょうね」

「心配するなって。伊達に裏の世界の顔役をやってたわけじゃねえんだぜ」

「……馬車とエルフ。逃げるには絶好の機会」

「おいおい……」


 ヴェガスが傷ついた顔をする。


「そんな情けねえ真似はしねえよ。俺は卑怯な手は使うが卑劣な手は使わねえ主義だ」

「(……どう違うんでしょうか)」


 レティシアがミラに耳打ちする。


「(……云ってみたかっただけだと思う)」

「(なるほど……。覚えたての言葉を使いたくなるアレと一緒ですか)」

「さぁ、行こうぜ。久しぶりに楽しくなってきた。シドが帰って来たら腰を抜かすくらいでかい天幕を手に入れてやるからな」


 ヴェガスはそう云うとポンポンと荷をおろし、ウズベキの手綱を握った。


「とりあえず全員これに乗りな。どうすればいいかは道中話すからよ」

「へ~。私達を馬車に乗せて自分は馬を引くなんて、アンタもだいぶわかってきたじゃない」

「あぁ。んだとコラ」

「……バカ。さっさと乗る」


 ミラがサラの頭を小突く。

 

「では、すみませんが留守番を頼みます」

 

 ターシャが居残るアキム達にお辞儀をする。


「ほ、ほんとに俺をおいてくつもりなのか……?」

「シドさんの云いつけですから……」

「………」


 呆然とするアキムの肩に手が置かれた。

 驚いたアキムが振り返ると、そこにはにこやかな笑顔を浮かべたレントゥスが――


「諦めるんだ。君が諦めれば全てが上手くいく」

「――っ! テメェ!!」

「おおっとぉ!」


 レントゥスは掴みかかるアキムを軽やかにすり抜け、馬車のもとへ。


「ハハッ、じゃあ僕達も行ってくるよ」

「後で絶対泣かしてやるからな!!」


 手をフリフリと振るエルフを乗せた馬車が遠ざかっていく。

 

「くっそう! 俺だけのけものにしやがって!」


 後に残されたのはアキムは悪態をつくが、こうなってしまったら待つほかない。ふてくされたように地面に尻をついた。

 その頭に影が指す。アキムは怪訝そうに上を見た。


「グフフフ」

「げえぇっ!?」


 オーガがアキムを見下ろしながら笑を浮かべている。腕を上げ、後ろを指す。

 後ろでは今まさに二体のオーガが激突しようとしていた。


「GURAAAA!!」


 筋肉を盛り上がらせ、武器を振り回す。ガンガンと得物がぶつかり合い、盛大に火花が散った。


「ひええええええっ」


 たまげたアキムは情けない悲鳴をあげた。それを残ったオーガが立たせようとする。戦斧を持ったひとまわり大柄なオーガだ。


「待て! 俺には無理だ! ヴェガスみたいに自主錬してくれよ!!」

「タツ」

「お願いだから待ってくれ!!」

「GAAAAA!!」


 問答無用で大上段から巨大な戦斧が降ってきた。


「うはっお!!」


 アキムはそれを間一髪で回避する。地面にめり込んだ戦斧が土を跳ね飛ばし、顔にピシピシと当たった。

 当たったら死ぬ。アキムは去った団員達が残していった剣を拾い上げた。

 牙を剥き出しにしたオーガがさらに襲いかかる。


「ちきしょうめが! こうなったら人間の力を思い知らせてやるぜ!!」


 剣を片手に持ち、戦斧に怯まず前に出る。


「うらあああああ!!」


 アキムの戦いは今始まったばかりだ。











「あそこが良さそうだな」


 ヴェガスはそう云うと馬車を止めた。


「いいか、さっき俺が云ったように絶対何も喋るんじゃねえぞ。特に妹の方」

「えっ!? 私ですか!?」

「違う! 藍色のうるさい方だ!」

「誰がうるさいってのよ! アンタの胴間声がよっぽどうるさいじゃない!!」

「テメェ、云ってるそばから――」

「……サラ、大人しくしてよう」

「でもお姉ちゃん――」

「姉貴はそいつをしっかり押さえとけ。気に食わない事を云うが、絶対口を挟ませるな」

「……わかった」

「よし。じゃあ行くぞ」


 ヴェガスは少し進んだ先にある織物や敷物を大量に並べている天幕を目指し、再度馬車を進ませた。どれだけ周囲に人がいてもエルフの姿は目立つようで、軒先にいた向こうの店主は既にこちらを視認している。人間の男だ。 

 小太りの男は距離が詰まると商人らしい笑顔を顔に貼り付けた。口は弧を描いているが、亜人であるヴェガスを見る目は笑っていない。奥に冷たい光があった。


「よぉ、オヤジ。繁盛してるかい」

 

 不快な感情を隠し、声をかける。


「いらっしゃいませ。まぁ、ぼちぼちといったところですな。ところで、本日は何用で……?」

「天幕を探してるんだが、ここに置いてあるかね?」


 ヴェガスは凶悪な面に目一杯の愛想を浮かべた。


「それならありますよ。ご予算は如何程で?」

「それがよ、俺はついさっきここに来たばかりなんだが少し困っていてな」

「?」

「実は金の入った袋をスリとられたみたいでな。無一文なんだ」

「ふむ……。それは大変気の毒ですが、それが私と何か関係があるのですかね」


 客ではないと知った店主の目が興味を失う。


「うむ――」


 ヴェガスは近付くと声を潜めて、


「俺の後ろが見えるか」

「……エルフですな。大変に珍しい。しかも見たところかなり若そうです」

アレ(・・)を手に入れるのは大変だった」

「そうでしょうなぁ。数も多いし、貴族に売ればひと財産築けます。羨ましい」

「ところがそうもいかんのよ……」


 深刻そうに溜め息をつく。


「正直に話すが、俺はあまりおおっぴらに出歩けない素性なもんでな。表に出て貴族に渡りをつけようものならあっという間に獄に繋がれ、所持品は全て没収されるだろう」

「それは……」


 商人が警戒の顔つきになる。ヴェガスとエルフ達を交互に見た。


「誤解しないでくれ。もうとっくに足は洗ってるんだ。ただ貴族ってのは執念深いもんでよ。いつまでたっても忘れちゃくれないのよ。しかも国境を越えてまでちょっかいを出してくる」

「……確かに云えてますな。彼等はちょっとした恨みをいつまでも引っ張り続けますからね」

「だろ。俺としちゃアレ(・・)で一発稼ぎたいんだが、そういうわけで地道にやっていくしかないわけだ」

「ふぅむ、地道に稼ぐというのは……」

「皆まで云わせるな。オヤジもわかってるんだろ」


 商人はニタリと笑みを浮かべた。


「……しかし、それとここへ来た理由がまだわかりませんな。やはり私とは関係ないようだ」

「いやいや、それがあるんだよ。やっぱいい商品にはそれなりの飾り付けをしなくてはなぁ。よ~く考えてみてくれ。小汚い所で出された美味い料理と、綺麗で清潔な店で出された美味い料理があったとするだろ。オヤジならどっちに行くかね」

「勿論綺麗な店ですな。まぁ金があればですが……」

「そうだろそうだろ。そしてアレ(・・)に乗れるなら金に糸目を付けない連中は大勢いる。違うか?」

「……その通りですね。金を持ってる連中しかこないでしょう」

「つまり、だ。いい飾り付けをしても十分回収出来る見込みはあるってわけだ」

「……それで?」

「単刀直入に云おう。天幕を貸して欲しい。その代わり売上の一部をそっちに回してもいい」

「………」

「俺の事がそう簡単に信用できないのはわかってる。――そこでだ。アンタが最初の客になってもいい。一晩貸切でな。金は別に取らねぇからよ」


 ゴクリと喉を鳴らす商人に、ヴェガスは心の中で勝利を確信した。


「……話が上手過ぎますなぁ」


 云いつつも、商人の視線はエルフ達から逸れる事はない。


「別におかしな話じゃない。アンタは天幕を貸し、売上の一部を貰うんだから謂わば共同経営者だ。商品を確認するのは当たり前の話だろ」

「……まぁ、そう云えない事もないでしょう」

「なんならこのままついてきて、そのまま朝までいたっていいんだぜ。上に乗っかってな」

「上に乗ったまま朝まで、ですか」


 何を想像したのか、商人の顔がだらしなく緩んだ。


「そうさ。天幕を張るまで多少待つことになるけど、それさえ我慢してくれりゃ、後は、ね」

「私を見損なってもらっては困りますな。こう見えても我慢は出来る男と自負しております」

「さすがだ! ここでその時間すらも惜しい、と云われたらもうお手上げだったよ」

「その条件なら逃げられる心配もなさそうですし、商品の確認までしてよいとなると……。ここまでされて断れば男が廃るというもの。よろしい。商品に見合った最高の天幕をご用意致しましょう」

「おお。やってくれるか。有難い」


 ヴェガスと商人は見かけは同じだが、中身の全く違う笑顔で頷き合った。









「まさかここまで時間がかかるとは」


 どっぷりと日が暮れた中を、シドはキリイと共に家路を急いだ。


「アンタが調子に乗っていろいろやらかすからだろ……」


 キリイの視線が冷たい。キリイ自身は早々に受付を済ませ、シドを待っていたので無理もなかった。


「しかし、出来る事が多いほうが就ける場所も増える。情報を集めるには適しているだろう」


 シドが遅くなったのは、受付の際何が出来るかを聞かれ、金工木工と主張したせいだった。キリイの場合は荷運びなどの誰にでも出来る単純な力仕事だったので時間はかからなかったが、シドにはそれぞれの適正を調べる為の試験があり、そのせいでこんな時間になってしまった。欲を云えば石工も可と告げたかったのだが、材料の混ぜ合わせや焼成炉での錬成は全く経験がなく、諦めた次第である。

 


「しっかし、さすが団長と云うべきなんだろうな。あんな器用だったなんてその姿からは想像もつかなかったよ。試験をした奴等は全員おったまげてたし」


 機械の精確さを持つシドにとって細工など造作もない。木材は殆ど種類が決まっており、主な仕事は加工であったし、金属に至っては名前など知らなくとも船の情報を使えばある程度のアタリ(・・・)はつけることが可能だ。おかげでかなりの自由を得ることができた。


「ところで明日からの仕事だが、何を調べりゃいいんだ?」

「そうだな。まずは内部の施設の種類と建設状況。城壁の厚さと石材の数、質。地下の有無に構造。梁の数と井戸の数。防御施設の状況だ」

「――はぁ!? いくらなんでも無理があるだろ!? 丸裸にするつもりか!?」

『マスター、何もそこまで調べる必要はないと思うのですが。必要なのは進捗状況で、砦の構造は蛇足なのではないでしょうか……』

「(この際だ、全て調べ上げる。ここの技術レベルを把握するまたとない機会でもあるしな)」


 戦争とは、その時代(トキ)その時代(トキ)で最も優れた技術が惜しみなく投与されるものだ。勝利の為に人材と資材を惜しむ陣営には敗北しか待っていない。つまり、軍事技術を調べ上げれば帰還可能かどうか凡そわかる。

 


『でも、無関係の者を巻き込んでやるのは如何なものかと……』

「(見返りは用意するつもりだ)」

「――シド、聞いてるのか?」

「聞こえている。どうせ内部に入るのだ。手間はさして変わるまい。それだけで報酬が跳ね上がるのだぞ。行きがけの駄賃というやつだな」

「でもそんなに覚えきれないぞ、俺」

「お前は自分に出来る範囲でやれ。基本俺が調べる。お前の情報はそれの補填だ」

「……云い切られるとそれはそれで傷つくんだが」

「――キリイ」


 シドはションボリとするキリイを制した。


「うん?」

「あれはなんだ」


 シドはじっと前方を凝めて云う。


「あれ? あれってなんの……こ……と……」


 シドの云いたい事に気付いたキリイは絶句した。

 目の前に途轍もなく大きな天幕がそびえ立っている。


「なんだ……あれ……?」

「わからないから訊いたのだ」

「俺だってわからないよ。出発する前はあんなんなかったし……」


 視線の先の天幕は、背後に置き去りにしてきた天幕の五~六倍はあろうかという巨大さだ。ここで一番よく見かける天幕が三~四人が生活できる規模なので、目の前のあれは単純計算で二十人前後を収容出来るという事になる。


「ヴェガスが手に入れてきたか」

「金持ってないのにあれをか!? ……冗談きついぜ」


 だが、入口の傍に馬車が見える。馬はいないようだが団の馬車だ。間違いないだろう。


『案外優良物件だったのかもしれませんね、あの男』

「(そうだな。人は見掛けによらないものだ)」


 キリイの足が早くなる。


「今日はゆっくり寝れそうだな。大した奴だぜ、ヴェガスは」


 天幕の入口に着くと、嬉しそうに笑いながら垂れ下がっている扉代わりの布を捲り上げた。


「今帰ったぜ――と、うおおおおっ!?」


 火傷したかのように跳び退く。

 続いて入口をくぐったシドも仮面の下で目を見張った。

 何故か天幕の中に馬がいる。そしてその上には―― 


「誰だ、オッサン……? というか、何やってるんだ……?」


 ウズベキの上に小太りの男が跨っている。跨っているだけで何かをしているわけではない。ただ跨っているだけだ。


「誰だ、お前は?」


 シドが問うと、小太りの男は唇を噛み締め、目玉をぎょろつかせて、


「き、貴様等も、ここの住人か」

「あ、ああ……。たぶんな。ところでオッサン誰だよ」


 キリイが答える。


「ゆ、許さん。許さんぞ……」

「おいおい……。頭大丈夫か、アンタ」


 男が充血した目でブツブツと呟くと、キリイはぞっとして距離を取った。これほど憎しみのこもった瞳で見られるのはアトキンス以来だ。


「おい、質問に答えろ。お前は誰でここで何をしている」


 シドが重ねて問う。

 赤かった男の顔がさらに赤くなった。


「貴様等! このままで済むと思うなよ!!」

「……お前、それは俺に向かって云っているのか」

「フン! いきがっても無駄だ!! 後で必ず後悔させてやる!!」

「それはこちらの台詞だ。俺を脅すとはいい度胸だ」


 シドが男の胸ぐらを掴もうとした時、奥からヴェガスが現れた。


「遅かったじゃないか、二人共。この通りバッチシ天幕を手に入れてきたぜ」


 ヴェガスはそう云ってガハハと笑う。


「その点に関しては文句のつけようがないが、この男はなんだ。お前が連れてきたのか?」

「あン? ――ああ、そいつは変な奴でよ。そうやって馬に乗せる代わりにこの天幕をタダで貸してくれたんだよ。なっ」

「な、何だと貴様っ!?  私を騙した癖によくも――」

「アァ!? 何だとコラァ!! この俺がいつテメエを騙したよ!? ふざけた事抜かしやがるとぶっ殺すぞ!!」


 ヴェガスは顔を歪め怒鳴りつける。

  

「話が違うではないか!! 馬に乗るだけの商売など成り立つわけがない!!」

「知らんなぁ。俺はエルフなんて一言も云っちゃいねえしよ。テメエが勝手に勘違いしてたんだろう。助平根性丸出しにすっからこうなるんだよ。いい歳して恥ずかしい野郎だぜ」

「許さん!!」


 男は馬を降りようとする。

 ヴェガスはその両肩を掴んで押さえつけた。


「離せ、貴様! 私にこのような真似をして――」

「うるせえぇっ!!」


 凄まじい声量に空気がビリビリと震えたかのようだった。キリイが心臓を押さえ、シドも顔を顰める。

 男は毒気を抜かれたように口をパクパクとさせた。


「どこ行こうってんだ、テメエ。朝までそこに座ってるって約束だろ? ああ?」

「し、しかし――」

「いいか? そこに朝まで座ってるんだ。降りることは許さねえ」

「そんな馬鹿な――」


 男は目の前の亜人から目を逸らしシドに向かって、


「お、おい貴様! この男をどうにかしろ!! こいつは頭がイカれてる!!」


 シドはヴェガスを見た。


「契約のうちか?」

「あ、ああ。俺は天幕を借りる。この男は馬の上に乗る。そういう約束だ。不幸な事にこいつは馬とエルフを取り違えたようだが、こっちにゃそんなの関係ねえ」


 なるほど――シドは大凡を察した。おそらくヴェガスはわざと与える情報を制限し、相手を望む方向へ進ませたのだろう。そしてその先に罠を仕掛けていたというわけだ。


「情報戦における勝利だ」

「なにい!?」


 眦を吊り上げる男にシドは、


「戦場では常に情報が不足しており、その中から最善の一手を打たねばならん。そこには常に危険(リスク)がつきまとう。故に、勝利するのは優れた作戦を立てた陣営ではなく、ミスの数が少なかった陣営なのだ。お前は敗北した。諦めろ」

「くっ……。ここには狂人しかおらんのか……」

「情報戦に敗れた側が結果を覆すには多大な戦力を必要とする」


 そう云って馬の上の男を全身くまなく観察する。


「残念だが、俺にはお前にそれほどの力があるようには見えん」

「私は砦の上層部とも取引があるのだぞ! 貴様等、今謝れば許してやろう!! 慰謝料はエルフで我慢してやる!!」


 その言葉に、天幕の奥からエルフ達が顔を覗かせた。


「いい加減ソイツどうにかしてよ! さっきからうるさいのよ!! 全然落ち着けないじゃない!!」

「……同感」

「どいつもこいつも私を虚仮にしくさりおって!! 必ず思い知らせてやる!!」


 確かに耳障りだろう。シドは問題ないが、団員達が寝不足になってしまっては困る。


「ヴェガス、馬には可哀相だが、くくりつけて外に出しておけ」

「へ? いいのか……?」

「構わん。馬は明日からは使う予定がないからな。休暇を取らせる」

「……ならそうしとくか」


 ヴェガスは整頓されず積み上げらている荷物の中から手品のように紐を取り出す。そして男と馬を縛り始めた。


「がああああああっ! 貴様等殺してやるーーっ!!」

「わかったわかった。直ぐに終わるからじっとしてろよ」

「ついでだ。口にも紐を咥えさせておけ。夜通し叫ばれてもかなわん」

「あいよ。へっへっへ。観念しなオヤジ」

「待て――むごおおおっ!!」

「目隠しもしておけ」

「あいよっ」


 雁字搦めにされて呻く男を、哀れみの視線で凝めるキリイ。

 男がウズベキと共に天幕の外に出されるとさっきまでの騒ぎが嘘のように静かになった。


「さて、今日からはしばらく落ち着いて過ごせそうだ」

「ホントよね! ちょっと見なさいよこれ! こんなものまでついてるんだからこの天幕!」

「……これ持って旅をするといい」


 キリイは会話しながら奥に入っていくシドと姉妹エルフを目で追いながら思った。

 今日の晩飯は何だろう。    

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