王都にて―箱とエルフ―
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読んでくださってありがとうございます。
「これで打ち止めのようだな」
シドは誰にともなく呟いた。しばらく待っても誰も入ってこない。全員中に入ったか、若しくは誰かが命令を下したのだろう。
扉の内側にある金属製の閂を横に滑らせ、一度強く叩く。
そして改めて男達と向き合った。
『ちょっと狭いんじゃないでしょうか……』
ドリスが呆れたように云う。
確かに狭い。一人ずつ着実に増え続けた男達の人数は三十四だ。武器を振るにはそれなりの空間が必要になるから、実質すし詰めと云っても過言ではない人口密度である。
『それに、どう見ても無関係の人間も混ざっているような……』
「(ぬかりはない)」
『乱戦状態でどうやって見分けるんですか?』
「(区別する線は奴等の仲間かどうか、ではない。俺に敵意を持っているかいないか、だ)」
『………』
「(即ち――)」
シドは唇を引き結ぶと、逆手に持った槍を凄まじい勢いで床に突き刺す。
足元に伝わる振動に狼狽えるギルド内の者達。云われた通り目を瞑っているエルフは、響いた轟音に身を竦ませた。
武装した傭兵達が闊歩するためか、床が石畳だったのは都合が良かった。
割れ目に左手を突き込むと、全身をバネのように使い跳ね上げる。
「お、っうおおおおっ!?」
落下地点から蜘蛛の子を散らすように逃げる男達。
逃げ遅れ、押し潰される男達には目もくれず、二つに割れた敵集団の片方に狙いを定めると、槍を持った右手を振り回しながら距離を詰める。
狙いを付ける必要などない。当たるを幸い薙ぎ倒す。
男達は濁流に呑まれたように攪拌された。
「(――武器を向ける者は殺す)」
動揺しながらも向かってくる男達の脳天を叩き割り、腹を串刺しにする。無防備な背中を狙い、回り込もうとする者には容赦のない蹴りを叩き込んだ。
本棚が倒壊し、飛んだ男の身体が食堂のガラスを突き破る。
「ひいいいいいっ!?」
受付嬢が悲鳴を上げた。大男が敵を蹂躙する様を、端に避難していた傭兵達は固唾を飲んで見守る。
「脆すぎる」
一撃で崩れ落ちる敵を前に言い放つ。が、手は緩めなかった。剣も戦棍も槍も斧も、皆等しく破壊する。防御は意味をなさない。
シドはここにきてやっと、森で戦ったエルフがこの世界ではそれなりの使い手であった事を知った。あのエルフは力と速度で圧倒的に勝るシドを相手に経験と技量で耐え忍んだが、目の前の男達は開封されるのを待つ血の詰まった袋に等しい。
一秒毎に地に沈む仲間の姿に、
「こ、こんなん無理だ!」
「逃げろぉっ!!」
敵わないと悟った数人が出口に殺到する。だが――
「あ、開かねえっ!」
「何やってんだ!? 早くしろお!!」
「か、かかか鍵が――」
動かねえ――そう続けようとした男の頭に、振り下ろされた槍がめり込んだ。
「ああああああ!?」
中身を浴びた隣の男が雄叫びをあげる。
槍を戻したシドは再度振り下ろす。頭を潰し、そしてまた次へ。
持ち上げ、下ろし、持ち上げ、下ろす。
逃げ場のない男達へ、どうしようもない速度で繰り出される一撃。無慈悲な耕耘機さながらに、シドは男達の頭を耕した。
「に、二階だっ! 上へあがれぇ!!」
叫んだ男が真っ先に階段へと走る。
シドは男が云い終わる前に動き出していた。
鉄で補強された木材をへし折り、階段に身を埋める。手の届かぬ所へ行こうとしていた男の足を掴んだ。
「ひえぇーーーっ!!」
男の顔が恐怖に染まった。
右手に槍を、左手に男の足を持ったシドは、駄々をこねる子供のようにその場で両手を振り回す。
階段は瞬く間に破片へと姿を変えた。
「こんな馬鹿な!」
前列の男が叫んだ。悪夢でも見ているかのような表情だ。
素早い戦士に出会ったことはあるだろう。力の強い戦士にも出会ったことはあるだろう。どちらも単独で相手取るには厳しい存在だが、囲んでしまえばなんとかなる。複数で命を捨ててかかれば人間の動きを押さえる事はそう難しくないからだ。
だが、もしその両方を兼ね添えた敵が現れたら――
「飛び道具だ! 飛び道具を使え!!」
後ろで誰かが指示を飛ばした。
一方的な展開になる原因の一つにリーチの差があるからだ。長い手足で槍を振り回されればそれだけで近寄れなくなる。
男達は矢が突きたったシドの姿を想像したのか、ニヤリとした。しかし――
「――おい、どうした!? さっさと矢を射て!!」
「え……。俺は弓なんて持ってねえ」
「俺もだ」
「……というかよ、持ってるならとっくに使ってるよな」
全くだぜ、ガハハハハ――と笑い合う男達。
『彼等は何故笑っているので……?』
「(……さあな)」
シドは一歩踏み出す。
笑い合っていた男達の顔から表情が抜け落ちた。凝めあった後、わっとばかりに四方八方に散らばる。
最も近くの一人を殺すが、他の男達はもう仲間の死には見向きもしない。倒れた本棚の裏、カウンターの裏、食堂の奥――生き延びる為にあらゆる場所に潜り込む。
シドは崩壊した階段に必死に飛びつこうとしていた男を蹴り飛ばした。
死体の散乱する周囲を見回し、歩きながら槍で死体を突く。
「ぐおおっ!?」
死体がいきなり跳ね起き、血走った目が見開かれる。
「バ、バカな……」
愕然とした顔で呟く男。
「バカはお前だ」
冷たく云われた男は身体に突きたった槍を掴むが、そのままぐったりと倒れ今度こそ本当の死体になった。
食料の貯蔵室で殺し、倒壊した本棚の隙間から引きずり出し、殺す。
最初から武器を出さず両手を挙げていた二名を除き、皆殺しにするのにそう時間はかからなかった。
(……そろそろ終わった頃かしらね)
固く目を瞑っていたレティシアは心の中で呟いた。
嵐に遭遇した小舟のごとく翻弄されていた身体が静かになった。聞こえていた悲鳴や哀願も消えた。目を開くのが恐ろしい気もするが、何が起こっているかわからないままのはもっと不安である。
「――うそっ!?」
目を開けたレティシアは絶句した。
まさに血の海である。頭の中が真っ白になった。
まともな死体など一つもない。一番マシなのが腹部に大穴の開いた死体だが、臓物が飛び出ており、お世辞にも綺麗な死体とは云えない。
それだけではない。中央で折り重なるように死んでいる者はまだ見れる。だが、どう考えても逃げようとしたとしか思えない場所で死んでいる者達は……。
何があっても生き延びるという執念が漂っているかのような姿で骸になっている。
腕から力が抜け、
「――きゃっ!?」
落下したレティシアは尻餅をついた。床についた右手にベッタリと何かが付着し、慌てて背後を見る。
「あわ、あわわわ」
頭頂部が沈んで脳漿が吹き出している頭から這いずって離れる。
先程までレティシアを背負っていた男がそれを見下ろしながら、
「外にまだ生き残りがいるかもしれん。出て行くなら落ち着いてからにしておけ」
「わ、わかってます」
レティシアは立ち上がろうとして、腰に力が入らないのに気付いた。
「く……」
何度やっても立ち上がれない。
「……どうした」
「こ、腰が抜けたみたいです……」
呆然と云う。このままでは移動できない。ここを調べに来るであろう国の兵士やギルドの人間に見つかったら面倒な事になってしまうだろう。
「仕方のない奴だ」
襟を掴まれ、子猫のように持ち上げられる。
「す、すみません……」
男はそのままスタスタと食堂の方へ足を運ぶ。
「金と装備は後で取りに来る」
受付嬢にそう云った後、少し考え込んで、
「建物の修理費は襲ってきた奴等の保証人に請求しておけ」
カウンターに戻り、レティシアを下ろすと槍も置き、鈍色の箱の鍵を開けていく。
何をしているのだろう――レティシアは小首をかしげそれを眺めていたが、
「生憎両手が塞がるのでな。しばらくここへ入っているがいい」
男は大きく口を開いた箱の中にレティシアを押し込もうとする。
「――イヤッ! 待って! 歩ける、歩けますから!!」
「心配するな。この中は砲弾の雨が降ろうと安全だ。着くまで寝ていればいい。先程と同じだ」
その声音からは何の感情も感じ取れない。
ゾッとした。訳のわからない物が既に入っているのもそうだが、一体何処へ連れて行くつもりなのか……。
「少し休めば歩けます! お願いですからこの中は――」
巌のような手がグイグイと押し込んでくる。レティシアの力ではビクとも動かない。
死に物狂いで抵抗した。
「抵抗は無意味だ」
「イヤァ――」
上から被せられる蓋に身体が押され、視界の下から箱の淵がせり上がってきた。
ガチャリ、と、絶望的な音が聞こえる。
「あああああーーっ!!」
レティシアは暴れた。視界と行動の自由を奪われた恐怖がじわじわと込み上げてくる。
腕も脚もまともに動かせない。もがけばもがく程、大量の小さな袋のようなものに身体が埋まっていく。
「助けて、お兄ちゃん……」
瞳から涙が溢れた。
「(どうやら落ち着いたようだな)」
『落ち着いたというより、疲れ果てたか諦めたんじゃないかと……』
静かになったコンテナを担ぎ、カウンターに置きっ放しになっていた依頼の用紙を懐に突っ込んだ。一応、受付嬢に依頼を受ける旨を伝える。
扉の閂をもぎ取り、外へ。
シドが姿を現すと、野次馬が輪になってギルドの入口を取り囲んでいた。ギルドから出てきたシドに関心が集まる。
強烈な視線を感じて立ち止まった。野次馬の列を端から見渡していく。
「(……あの女か)」
視線が一人の女に固定される。
小柄な、短い赤髪の女だ。動きやすそうな格好で武器は持っていない。
『さっきいましたよね』
ドリスの言葉に思い出す。確かに、コンテナを取り返した場所に目の細い男と一緒にいた。
後をつけてきたのか。だが、それなら何故ギルドに入ってこなかった……?
シドがじっと凝めていると、女は見られていることに気づき、ニィッと口の端を大きく吊り上げた。愉しそうに瞳が揺れている。
「お前達! 邪魔だ!! 道を開けろ!!」
野次馬でできた壁の向こうから、そんな怒鳴り声が聞こえた。
『たぶん警備兵ですよ、マスター。早く帰りましょう』
「(了解だ)」
返り血を浴びた姿は間違いなく兵士の目に留まる筈である。見つかれば声をかけられ、コンテナの中を見せろと云われるのは必定。開けたらエルフが出てきたなど、笑い事では済まされないだろう。
ミアータの屋敷に戻るには城門を一つ潜らねばならないが、どこかで血を洗い流す必要がある。
兵士達が来ている方角とは逆へ進む。
一斉に道を譲る野次馬の間を歩きながら、赤毛の女がいた場所をチラと窺う。
女は姿を消していた。
「あいつは想像以上にタダ者じゃないと思うね」
サンティは協力関係にある傭兵団の拠点に戻ると、開口一番そう云った。
サマルは難しい顔をして黙り込んでいる。
団長はここにはいない。一気に傭兵の数が減ったので、残った者達に召集をかけにいった。団で残っているのは、休暇を取っていた者、少数で依頼をこなしていた者、襲撃当時偶然出掛けていた者などだが、集めても百は超えないだろう。
王都を拠点に細々とやっていた組織で、元々大きな傭兵団ではなかった。悪名こそ高かったが、今度の事件でそれも終わりだ。あれほどの醜態を晒した彼等の居場所はもうここにはないだろう。
サンティはすっかり風通しがよくなった室内で、椅子に腰掛けると大きく伸びをした。
「それで、これからの予定は?」
「そうですねぇ……」
サマルは少し気まずそうに、
「本当は彼等を正面からぶつけて時間を稼ぎ、その隙に足元を切り崩す予定でしたが、まさか動く前に使い物にならなくなるとは……」
「アンタは人を当てにしすぎなんだよ。弱くないんだから正面から堂々とぶつかればいいんだ」
「人を使ったほうが楽じゃないですか」
悪びれもせずに云うサマルに、サンティは首を振った。この男は処置のしようがない。力はあるのに他人を使うことに意識を割きすぎて、結局どちらも中途半端になっているのだ。
「あのくっさい犬を使えばいいじゃん」
「ピグルですか? とんでもない。今の所あれしか残っていないのですから、数が増えるまでは危険に晒すわけにはいきませんよ」
おまけにこれだ。使うのはいつもどうでもいいような人材ばかり。気に入った手下は捨て駒にしようとしない。
もしこれがサンティとガラスのコンビだったら、とっくに二人で殴り込みをかけているだろう。ラヌートやメリクリアだったら軍を使って襲う筈だ。
サマルは部下を温存し、弱い傭兵をぶつけようとしている。
「アンタさぁ、いい加減に――」
「――おい、アンタ等!!」
サンティが苦言を呈しようとした時、団長が部屋に戻ってきた。その顔は険しい。
「あいつらは国からの依頼を受けたぞ。隣国が建設している砦の偵察任務だ。国が定期的に出している傭兵救済依頼のな」
ツテでも使ったのか、普通なら開示されない情報を喋りだす団長。
「奴等が現場に着き次第、残りの兵で襲撃をかける」
彼は覚悟を決めたのか、敵を嘲る様子は見えない。
出せる全力を機会に全てつぎ込む。こちらのほうがまだマシだ。勝てるかどうかはともかく。
「それはいいですね」
何か閃いたのか、サマルが嬉しそうに云った。
「私達も勿論手伝います。出発の準備が整ったら云ってください」
「……いいだろう。アンタ等を信用したワケじゃねえが、今はとりあえず共通の敵がいるからな。こちらとしても数は少しでも多いほうがいい」
団長は殺された傭兵の数を思い出したのか、顔を顰めた。
「奴等が出発したら距離をおいて追跡する。そちらも用意をしておいてくれ」
言い残し、団長は再び部屋を出て行く。
サンティはサマルに向き直った。
「で、何を思いついたんだい?」
「……バレましたか」
「当たり前だよ。アンタは自分で思っているほど複雑な性格じゃない」
「これは……手厳しい」
「どうせ陰険な策なんだろ?」
「至極真っ当な策ですよ。はっきり云ってこの傭兵団では彼等を仕留めるのは不可能でしょう。あの大男を数で制圧するなら最低三百は欲しいですからね」
いつもの癖で眼鏡を押し上げるサマル。
勿体ぶる仲間にサンティは苛々と足を踏み鳴らした。
「建設途中の砦の兵士を使いましょう。そうすれば数も揃うし、なにより挟撃できます」
「はぁ? どうやって動かすのさ? アタシ達にはツテなんてないだろ。他の奴等は手伝わないだろうし」
「ツテなんていらないでしょう。奴等の動きに合わせて私たちで刺激してやればいいのですよ」
「アンタ、まさか――」
この男は戦争でも起こすつもりなのか……。無論、どことどこが殺し合おうがサンティ達は意に介さないが、他の仲間は勢力バランスが崩れる事にいい顔はしないだろう。それに――
サンティの頭にちょっとした疑念が浮かび上がった。サンティ達の団長――テスラ――は、確かに手伝えとは云ったが、あの大男を始末する手伝いとは云わなかった。見た限り特にこちらを意識しているようではなかったし、放置しても問題はない可能性もある。それをこうまで躍起になる必要がどこに――
「……アンタ、アタシ達に何か隠してないでしょうね」
「滅相もない。私はいつもテスラに忠誠を誓っていますよ」
サンティはサマルと凝めあった。
(……駄目だ。アタシじゃ無理)
早々に諦める。戦闘専門のサンティでは表情から真偽を見極めることはできそうにない。
近いうちにラヌートかメリクリアに相談してみようと決める。
(それにしてもあの男……)
サンティはぐったりと椅子に身体を預けながら、仮面を付けた大男を脳裏に思い浮かべた。
もしサマルが失敗したらガラスに教えてやろう。きっと任務を放ってでも会いにいくに違いない。
あの二人が戦っている光景を想像すると、背筋がゾクゾクしてくる。
その光景の為ならば、他の団員から責められるであろうガラスを擁護してやってもいい。
(寧ろ失敗しないかしら、こいつ……)
眼鏡の曇りを拭き取っているサマルを眺めながら、サンティはそう思った。




