王都にて―三日目・これから―
「――それで、結局宿の修理代は誰が払ってくれるのかしら?」
そう云うとミアータは冷たい双眸で目の前に並ぶ男達を睨めつけた。
王都にある伯爵邸の執務室に集められた面々は、シドにヴェガス、アキム、キリイといった地下道でやらかしてしまった者達である。シドは最早ボロ布と化しつつある外套姿であり、アキムとキリイはラフな私服姿。ヴェガスはオーダーメイドで誂えた鎧を着用している。上品に抑えられているとはいえ、明らかに質の良い調度品に囲まれた部屋にあって、ある意味違和感がないのはヴェガスのみであった。
「事情はわかったけど、宿の持ち主であるマルゴル氏には全く関係ないわよね? 一応立て替えておいたけど、何の利益もなしに貴方達にお金を与えるほどお人好しじゃないわよ、私は」
順に男達の一人一人と目を合わせていく。
アキムは視線をあらぬ方向へ向け、キリイは俯いた。ヴェガスは我関せずであり、シドは天井の木目を眺めている。
「――聞いてるのっ!?」
ドン、と机に手を叩きつけて叫ぶ。
アキムとキリイはビクンと身体を硬直させた。解放された窓からは涼しい風が吹き込んでいるのに、顔からは汗が流れている。
「そ、そのようなことを申されましても、我々は宿にはいなかったわけですし……」
キリイがなんとかそれだけを口にする。隣で聞いていたアキムは、そうだよな――と心中で同意した。
「……ならなんで貴方達二人はここにいるのかしら?」
「そ、それはですね……。実を云うと、団を除名になってしまいまして……」
「ふぅん。……それで?」
「へ? い、いや、ですから除名になってしまったので――」
「それは別にここにいる理由にはならないでしょう。私が呼んだのは私に面倒事を押し付けた人間。――つまり、貴方達は《良心と慈悲の刃》亭の破壊に関係があると自分で思ったから来た、と考えているんだけど」
「ち、違う! ――いや違います! 俺達はそっちとは無関係だ――です!」
「そっち?」
ミアータの片眉がツイと上がった。このバカ、とアキムがキリイを肘でつつく。
「……まぁいいわ。とりあえず後回しにしましょう。一つずつ片付けていかなくてはね」
二人から視線を外し、ヴェガスとシドを見やる。
「ヴェガス・ヨークト。宿を破壊したのはシドとはいえ、元はといえば貴方が襲撃をかけたのが原因だわ。何故ここにいるかはともかく、弁償は貴方がするのが筋ではなくて?」
問われたヴェガスは力強い瞳でミアータと目を合わせる。
ミアータは、おや、と首を傾げた。ヴェガスの瞳には犯罪者に特有の、罪悪感や歪んだ価値観、狂的な光――といった濁りが全くなかった。
まるで、日の当たる真っ当な生活を送ってきた戦士のようだ。それも、しかるべき場所に忠誠を置くことのできた戦士である。ブレが全く見られない。
「地下に下りた俺の手下は全部死んじまった。あの化け物みたいな犬のせいでな。勢力図に出来た空白は、昨日の時点で既に他の奴等の手が入った。……俺にはもう、何も残っていない」
「組織やお金は残ってないかもしれないけど、まだご自慢の身体があるじゃないの。働いて返済しようという意志はないわけ?」
「……俺の意志は、俺の物であって俺の物ではない」
「どういう意味かしら?」
「隣にいる男に預けた。あの地下道でな」
一つの地域を支配し、他の犯罪者と渡り合ってきた男のその言葉に驚いたミアータは、最後に残った男――シド――を見た。地下道で起こった事は一通り聞いた。が、詳しい遣り取りまでは聞き及んでいない。ヴェガスの右腕同然だった男が高地エルフだったのにも驚いたが、当の本人である大男がシドの配下になったことにも同じくらいの驚きを感じる。
「ということは、全ての責任は貴方に収束するということになるんだけど……」
自らに向けられた視線を察したシドは天井を見上げていた顔を戻した。
「金はないぞ」
「わかっているわよ、そんなことはね」
苦虫を噛み潰したような顔をするミアータ。目の前で雁首揃えているのは、全員が全員無職で文無し同然という甲斐性の欠片もない男共だ。そんな奴等から金を取ろうとする場合、選択の余地はない。
「まず確認しておくけど、支払いの義務はヴェガスにあると考えるわ」
「当然だな」
「当のヴェガスは貴方に従うと決めているようだけど、そのような取り決めでもあったのかしら?」
「ああ、地下道でな。利用価値がありそうだったので殺すのは止めにした」
「……本人が横にいるのによく堂々と云えるわね。でも、それなら話が早いわ。部下の責任は上が取るべきだし、お金は貴方が工面しなさいな」
「アテがない。時間がかかってもいいならいつかは払えるだろう」
「それじゃあ駄目よ。時間はかかってもいいけど、確約が欲しいわ」
「……そんなものあるわけがなかろう。俺には土地や保証人になってくれる知り合いはいないぞ」
「何を云っているのよ。人材も立派な財産よ?」
「人材だと?」
「そうよ。その財産を使って稼ぎなさい。貴方の力ならすぐに返し終わるわ」
「……ふむ」
シドは成程、と思った。ミアータの云う事は理にかなっている。家屋を物理的に破壊したのはシドだが、原因はエルフを狙って襲ってきたヴェガスにある。そして幸か不幸かその両者はシドに付き従う立場なのだ。サラなら連れ回しているシドが悪いなどと云いそうだが、そもそもエルフ達はシドに殺されても文句を云えない立場である。当時の状況なら連れ回したのは命を助ける条件といっても過言ではない。
「それは、中々いい考えだ」
「でしょ? ここ最近で一番の閃きだったと自分でも思ったわ」
シドはニヤリとし、ミアータはウフフ、と笑う。
傍で見ていたアキムはこの場にいないエルフ達に激しく同情した。彼等は応接間で飼い犬よろしくシドの帰りを待っている筈だ。よもや帰りを待つ主がこのような企てをしているなどとは夢にも思うまい。
しかし、アキムとキリイにも他人の心配をしている余裕はなかった。アトキンスの命令だったとはいえ、違反は違反である。しかも当事者であるアトキンスは死亡しているときている。共に生き残った兵士達が口を閉ざした以上、真相は闇の中。永遠に表に出ることはない。だが、そうなると困るのは上の人間である。責任を取るべき人間がいないのだ。その結果が、生き残った騎士全員の連帯責任という形であり、真相が不明な以上、貴族の子弟に重罪を押し付けることもできず、除名という結末に落ち着いた。
つまり、アキムとキリイは今日から仕事がない。王都に実家のあるアキムはまだいいが、問題はキリイだった。金を稼がねば家族が路頭に迷ってしまう。今日、呼ばれてもいないのにここに来たのはその件で提案があるからだった。
「……あー、盛り上がってるトコ悪いんですが、俺達の話も聞いてもらえないでしょうかね」
アキムが怖々と二人の間に割って入った。
「さっきも云いましたが、俺達騎士団を除名になってしまいまして……。できれば雇って頂けないかな、と……」
「あら、さっきの続きね。いいわよ、話を聞きましょう。……そうね、まずは何故除名になったのか教えて頂戴」
その言葉に、アキムの唇がプルプルと震える。
「それはですね、実はアトキンス百人長が私的な理由で騎士団の麾下を動かしまして……。その際に巻き添えを食ったという感じです」
「おかしいのはそこなのよね」
ミアータは顎に手首を当て、首を傾げた。
「――貴方達、アトキンス百人長が騎士を動かす理由も、その相手もわかっていたわよね? どうして従ったのかしら?」
「えっ、従った理由ですか……。そ、それは、勿論命令されたからとしか……。一応評価は悪いですが、騎士は騎士なもんで……」
「あのアトキンス百人長がよりにもよって貴方達に声をかけたと? はっきり云って現実味がないわね。嘘をつくならもっとマシな嘘にしなさい」
続く言葉が出ないアキムは魚のように口をパクパクさせた。ミアータは叩き込むように、
「雇って欲しいなら正直に話しなさい。包み隠さず全部よ」
アキムとキリイは目を見合わせた。云ってもいいものかどうか判断に迷う。何しろシドがあの場で兵士達にはっきりと口止めをしているのを聞いているのだ。直接云われたわけではないとはいえ、本人が真横にいるのにペラペラと喋るのはいかがなものか。
そろっとシドの方に視線を移す。仮面越しに目が合った気がした。仮面の下の薄い唇が、弧を描いた。
「……え?」
嫌な予感がしたアキムは呆然と言葉にならない声を漏らした。
「――ミアータ、そいつらはな」
シドはもったいぶって云う。
「なんと、アトキンスを始末する為に参加したんだ」
「げええっ!?」
「――なんですってぇ!?」
ミアータはキッと、アキムとキリイの二人を睨みつけた。
「貴方達――今、シドが云ったことは本当なの!?」
訊かれた二人は青くなる。
「待ってください! た、確かにそうですが、殺ったのは俺達じゃありません!!」
「……本当かしら?」
ミアータはシドに窺う視線を向ける。予想していたシドは待ってましたとばかりに、
「確かに、厳密的に云えば殺ったのはそいつらではない。止めを刺したのは生き残りの兵士だからな」
そして、シドは呆れた風を装い首を振った。
「いや、そいつらが兵士達と一緒になってアトキンスや奴に従っていた騎士をなぶり殺しにした時は俺も目を疑ったよ」
「な、なんて事を……」
ミアータは目をまん丸に見開いて先程のアキムのように言葉が出ない様子だ。
ヴェガスは笑っていいものかわからず、微妙な表情をしている。
「待ってくれ――ください! 兵士達を脅して殺させたのはシドなんですよ!!」
俺達は誰も殺してない、と訴える二人。
「……どういう事なの?」
ミアータはシドに冷たい瞳を向けた。
案外遊べなかった――と、シドはつまらなそうに鼻を鳴らし、
「――フム。どうもこうもない。当座の判断だ。後で話されるのも面倒だったのでな。話したくても話せないようにしたまでだ」
「……結局、全部貴方のせいじゃないの! 最初から最後まで!!」
「そういう見方もできるな」
「そういう見方しかできないわよ! 問題は起こすなって云ったじゃない!!」
「(チッ) ――五月蝿い小娘だ」
『……声に出ちゃってますが』
「誰が小娘ですってぇっ!?」
ミアータが凄い剣幕で椅子から立ち上がった。シドは五十センチ以上低い所にある顔を傲然と見下ろす。
睨み合う二人を、周りの三人は驚いて凝める。
しばらくして、ミアータがぷいと顔を逸らした。向けた先はアキムである。
げ、と声に出さずにアキム。
「――貴方達、私は如何なる理由があろうと上官を殺そうとする人間を雇うつもりはないわ」
キリイはその言葉にがっくしと肩を落としたが、アキムは心中で胸を撫で下ろした。このような人物の下で働いても心休まる時などないだろう。
「――でも、使うのが他の者なら話は別だわ。貴方達はシドの下で働きなさい。勿論嫌とは云わないわよね?」
ミアータはにっこりと微笑んだ。
毒花に喩えられる女とシド。一体どちらの下で働く方が幸せなんだろうか――アキムは両者を比べてみる。
「――どっちも最悪だ……」
ぼそりと呟かれたキリイの言葉こそが真実だと悟るのに、そう時間はかからなかった。
サマルが部屋に入ると、その部屋の円卓には既に四つの人影が腰掛けていた。灯りの存在しない部屋は暗く、人影の詳細は知れない。辛うじて大きさがわかる程度で、小柄なのが二、平均的な大きさが一、それなりに体格の良い影が一だ。
椅子の数は全部で六。サマルが席に着けば、空いた席は一つとなる。
「よっこいせ、と」
見掛けに似つかわしくない言葉と共に椅子に腰掛けると、空いた席を眺める。
「彼はまた欠席ですかね?」
誰に宛てるともなく呟く。
「そうだよ。そろそろ計画が実行段階に入るから忙しいんでしょ」
右隣から返事が返ってきた。座っているのは小柄な人影である。
「それなんですがねぇ……。云いにくいのですが、私が担当していたミルバニアの仕掛けが途中で流れちゃいまして……。もう一度最初からやり直しなんですよねぇ」
あはは、とサマル。
「……団長は知っているの?」
「勿論ですよ。既に報告してあります」
「なら、アタシがとやかく云う事じゃないな。処分は団長が決めるだろうよ」
「処分だなんて、まるで私が始末されちゃうみたいな云い方です。これでもだいぶ役に立っていると自負しているのですが」
「ハン! 影でコソコソするしか能のないアンタが、その裏方でしくじったんだ。タダで済むわきゃないだろ」
サマルは肩を竦めた。ここで二人で云い合っても意味がない。決めるのは団長であるのだから。
「ゴチャゴチャうるせぇンだよ! 揃ったんだから黙って団長の話聞けや!!」
大柄な影が怒鳴った。声の五月蝿さに、隣に座っていた平均的な大きさの人影が溜め息をつく。
「ガラスさん、もう少し静かに喋れないのかしら? 図体だけでなく声も大きいなんて救いようがありませんわ」
「――なんだとォ!? でかいのが悪ィみたいな云い方してんじゃねえぞ!! 手前ェの胸を見て物云いやがれ牛女が!!」
「……なんですって? もう一度云ってご覧なさい。貴方のその下品な頭髪を剃り落として差し上げますわ」
「喧嘩売ってンのか、オイ」
ガタンと椅子を鳴らし立ち上がる。闇の中、二人の人物が睨み合う気配がした。しかし、
「――そこまでにしておきなさい」
残ったもう一人の小柄な影の言葉に、
「――チッ」
ガラスと呼ばれた者は舌打ち、もう一人は疲れたように嘆息し、大人しく顔を戻す。
「揃ったようなので定例会を始めますね」
小柄な人影――団長――の言葉に、四人は姿勢を正した。
「まず、それぞれが行っている各国への根回しですが、サマルさんがミルバニアから撤退しました。その結果、ウェスタベリ王国に入り込んだラヌートさんの計画に影響が出る筈です。ミルバニアは捨てる訳にはいきませんから、いつものように余裕のある人が手伝いを――」
「私は無理ですわよ」
一人が先んじて云った。
「今動いたらせっかく築いた足場が崩れてしまいます。手助けは他の者に頼んでくださいな」
「……仕方ありませんね。帝国の貴族は皆一筋縄ではいきませんし。では――」
「おおーっとぉ。俺も無理だぜェ」
「……ガラスさんもですか」
「すまねェな。俺の正体を怪しんでいる賢しい野郎が一匹いるもんでよ。始末するつもりだが、もうちぃとかかりそうだ」
「なら、あとは――」
そうして、団長の視線を感じたもう一人の小柄な人影は、
「えええーっ! またアタシなのっ!? この前もそうだったじゃん! いい加減皆に騙されてるって気づきなよ団長!!」
「サンティ! 手前ェなンてこと云いやがる! やりたくないからって適当なウソついてンじゃねーぞ!!」
「ハァ!? そりゃアンタでしょ!? そのトサカ頭をツルッツルに剃られてから後悔したって遅いんだよ!?」
「……手前ェ。どいつもこいつも人の頭の事をとやかく云いやがって。死にたいらしいな」
ガラスと呼ばれている男がドスの効いた声で云い、再度立ち上がった。それを見て、対抗するようにサンティと呼ばれた女も立ち上がる。
「今日は割って入るラヌートはいないよ? 泣いて謝るんだったら今のうちにしときな」
「上等だ」
ガラスが背中に手を回し、サンティが腰を落とす。
「――まぁまぁ、お二人さん。ここは一つ私の顔に免じて矛を収めてはくれませんかねぇ」
「腰抜けはすっこんでろ! 大体手前ェの不始末だろうが。なンで俺達が動かなきゃならねえ」
「――仲間だからですよ」
「……え?」
云い争っていた三人は、その存在を思い出したかのように声の元――団長――に顔を向けた。
「生き残った、数少ない仲間だからです。それに問題があるのですか?」
「い、いや……。でもよ――」
「――それとも、そのような事は関係なく好き勝手にするのがお好みですか? もしそうなら、今からでもそうしますが」
口調こそ変わらないものの、込められた物は大違いだ。それを感じ取ったサンティは、ヤバイ――と大慌てで、
「アタシがやるよ! ちょうど暇だったからね!! サマルもそれでいいだろ!?」
「え、ええ、勿論ですとも」
「……ンじゃこれで解決だな。さすがのチームワークだぜ、俺達は」
サマルとガラスもサンティに調子を合わせた。
「……そうですか。ならばこの問題は終わりということで。では次に――」
団長が話を先に進める。三人はほっと安堵の息をついた。
ガラスが自分の席に戻ると、サンティはとなりのサマルに顔を寄せ小声で話しかける。
「(――ところで、一体何で失敗しちゃったんだい? アンタ、裏でコソコソするのは十八番だったろ?)」
「(いやぁ、実はですね)」
サマルは地下道で会った巨躯の人間を思い浮かべて顔を顰めた。
「(事の発端は私が取り入ったヴェガスという人物が――)」
闇の中、密談を始める二人。
話を聞いていくうちに、サンティの瞳が嬉しそうに輝きだした。
「(へえええ。そいつは面白そうじゃない。ガラスの奴が知ったら悔しがるね。今回ばっかりは失敗したアンタに感謝してやるよ)」
「(………)」
サマルはニコニコするサンティを凝めながら思う。地下道では、荒事が苦手だったから逃げた。今度はあの時のようにはいかないだろう。そう、思うが――
何故か、サマルの胸中の、あの男に出会った時から存在する得体の知れない不安は消えることはなかった。
載せる前と載せた後に一応チェックしています。
普通に読む感じで表示させると誤字脱字に気づきやすいからです。
それらを発見しましたら投稿後一時間以降ならご一報願います。
直後ならまだチェック前の可能性大です。




