王都にて―地下道の戦い・下―
ちょっと時間かかってしまいました
何かの間違いだ――ヴェガスはそう思った。
シドは人間にしては大きいが、縦にも横にも太いヴェガスと比べると明らかに劣る。十分な速度を乗せた体当たりは、その巨躯にふさわしい破壊力でもって相手を吹き飛ばす筈だった。
しかし現実はどうだ。力比べに負け、後ずさったのはシドではなくヴェガスの方である。
己の身体一つでのし上がってきた男にとって、純粋な力での負けを認めることは自我同一性の崩壊を意味している。
「――らぁっ!!」
ヴェガスは渾身の力を込めて、横から大きく拳を振るった。
ハンマーのようなそれを、シドは左腕で、拳ではなく手首を掴み、止める。オーガに匹敵する力だがわざわざ身構える程ではない。毛むくじゃらの大男が奥歯を噛み締めるのを仮面越しに眺めた。
アキムの言が真実なら、目の前の大男――ヴェガス――こそがエルフ襲撃の張本人だ。この男のせいで暗い地下を歩き通し、一時的とはいえコンテナを手放す羽目になっている。許す理由がなかった。ぎりぎりと左の手指を握りこませる。
それを感じ取ったヴェガスが拳を強く握りこんだ。腕の筋肉が膨れ上がり、加えられる圧力に対抗しようとする。
増した抵抗に指の動きが止まる。察したヴェガスがニヤリと笑った。
シドは同じように笑い返すと、出力を上げる。一度は止まった指が、再び腕に食い込み始めた。
驚いたヴェガスは、顔を真っ赤にし血管を浮かび上がらせる。
傍から見ている分には、二人は動かないままに力比べをしているようであり、誰の目にもヴェガスが有利なように見えた。
だが実際は違う。シドは持てる力の五分の一も出してはおらず、片やヴェガスは食い込む力の強さから明らかな危機感を抱いており、普段発揮する以上の力を出している。
目の前の人間は、この自分よりも強い腕力を持つ――ヴェガスにとって俄かには信じることができないその事実は、今では痛みを伴って突きつけられている。どれほど力を込めようとも、男は大地のように揺るがなかった。
ヴェガスがその事実を認めた時には、既に考える時間など許されてはいなかった。皮膚を突き破り、肉を裂きながら侵入してくる指。激痛に、ヴェガスの脳裏が警鐘を鳴らした。
「くっそぉぉぉっ!!」
吠え、左腕で殴りかかる。
シドは槍を手放すと、逆の手と全く同じに相手の左腕を右手で掴み取った。
ヴェガスの顔から吹き出ていた汗が冷たいものに変わる。痛みの発生元が二つになった今、迷っている時間はない。もはや言葉も発さず無言で蹴りを入れる。
放たれた右足は、見事にシドの腹部に埋まった――ように見えた。
離れた場所で見ていたアキムやキリイ、エルフ達が心配そうな声をあげた。
「――貴様、一体何で……」
ヴェガスは呆然と足を戻す。蹴った瞬間の感触が今もまだ生々しく残っていた。今蹴ったのは真綿で包まれた鉄塊だと云われても納得できてしまうだろう感触に、ぞっとしたものを感じ、戦意が急速に衰えていく。
「人間じゃない……」
質問ではなく自分に云い聞かせる為のものだったのか、小さく呟かれた言葉はアキム達の元まで届くことはない。
「――人間だと云った覚えはない」
抵抗する気が失せた相手にも躊躇せず、シドは両の手を食い込ませていく。
もはや、ヴェガスの両腕が断裂するのは避けられないかと思われたが、意外な者が救いとなった。
「一気に掛かれぃ!!」
アトキンスである。彼の命令によってシドとヴェガスの周りをぐるりと兵士が取り囲み、七~八人程が一斉に剣を構えて向かってきた。
シドはすぐさま手を離し、射撃槍を拾い上げる。後ろから向かってくる四人をまとめて薙ぎ払った。
腕に力の入らないヴェガスは慌てて後退しようとするも、背中が何かにぶつかった。
同じように後ろ向きになったシドである。横にズレようとするヴェガス。
シドにとってみればアトキンスに率いられた兵は敵である。数を減らしておくに越したことはない。横にズレようとするヴェガスに合わせ、逆の方に動く。
背中合わせに両者の位置が入れ替わった。
戦う相手がいきなりシドに変わり驚いた顔をする兵士達を、先程と同じように薙ぐ。
シドとヴェガスが背中合わせに、それを兵士と騎士達が包囲するという図式が出来上がった。
兵士達の輪の中から、ズカズカとアトキンスが踏み出してくる。
「やっと追い詰めたぞ、この賊めが。ここが貴様等の墓場だ」
そう云うと余裕に満ちた表情を見せる。
屍猟犬と戦っていたヴェガスの手下達は、既に共々殲滅され、生き残っている敵は包囲の中にいる二者のみである。個人的な動機のあるシドだけでなく、王都の闇に巣食う住人の中でも大物の一人である暴れん坊ヴェガスの首というおまけ付きだ。
アトキンスの頭には、少なからぬ数の死傷者の事などなく、騎士を個人的に動かした事による叱責を補って余りある――と思っている手柄の事で占められていた。
さらに付け加えるなら、視界の端に見えるアキムとキリイをついでに捕縛し、シドが連れ歩いているエルフを自分の物にするという考えまで持っている。
人生には転機というものがあるらしいが、今日がまさにそれだ――アトキンスはそう思った。
「――へっ。どうやら軟弱な騎士様には徹夜がこたえたらしい。立ったまま寝言を云ってやがるぜ」
「――フッ」
ヴェガスの言い草にシドが鼻で嗤う。
「負け惜しみを云いおって。貴様等を始末した後――」
アトキンスはそう云うとアキム達の方を見やり、
「あの裏切り者を捕縛し、エルフ共は俺が貰う。貴様の奴隷なら殺した俺の物にしても誰も文句など云うまい」
舌舐りした。
邪な視線を感じ取ったエルフ達が身体を硬直させ、アキムとキリイが目を剥く。二人の驚きは自分達が裏切り者扱いになったことではなく、アトキンスの現状を全く認識していない見当外れな言動によるものだ。
「聞いたかよ、キリイ。あいつまだ自分がしでかしたことをわかってないらしい」
「まさかここまで頭が悪かったとはな……。はっきり云って、あんな奴に命令されていた今までの自分が恥ずかしいぜ」
二人の言葉に、アトキンスの顔が紅潮した。
「黙れっ、裏切り者が! 貴様等は獄に繋いで生まれてきたことを後悔させてやる!!」
「――馬鹿か、お前は。獄に繋がれんのはそっちだってぇの」
「全くだな。……俺はやっぱり盗賊に転職するのはやめにするよ。ああいうのが本当の悪党だってんなら、俺はそこまで馬鹿にはなれそうにない」
「違いないや。そもそもあいつは道中シドにまったく歯が立たなかった事をもう忘れたのかね。頭の中身だけじゃなく身体も完全なオーガとして生まれてくれば良かったのによ」
云いたい放題の二人。アトキンスはさすがに我慢出来なくなったのか、顔を背けると、
「――まずはこいつらだ! 掛かれっ!!」
シドとヴェガスを指差し、兵士達に命令を下した。
ヴェガスは腕の調子を確認する。短い時間とはいえ、会話が行われたおかげでだいぶ動くようにはなってきた。しかしそれでも戦闘力のダウンは避けられそうもない。真後ろにいる男の存在を痛いほど感じた。
賭けるしかない――と思う。戦い方には性格が出るものだ。自分が腕力に自信を持ち、それ故に正面からの戦いを好むように、後ろの男の戦い方にも必ずそれは出ている。脳裏に、最初のぶつかり合いが浮かぶ。あれこそがこの男の本質だろう。己に絶対の自信を持ち、相手が何を仕掛けようとも決して揺るがない。ただ、突き進むのだ。
そういう者は必要がない限り卑怯な不意打ちなどしない。ましてやいきなり今、背後から襲ってくることなど有り得ないといっていい。何故なら、自分相手にそれをする必要がないからだ。
ヴェガスの中で一つの決着がついた。――シドを無視し、兵士達を相手取る。
そうと決めたヴェガスの心が軽くなる。純粋な力のみを信奉するヴェガスは単純な性格をしている。そして、一旦そうと決めてしまうと、背中を預けているシドの存在は異様な頼もしさを伴った。
敏感にそれを察知したシド。
『なんか、変な成り行きになっちゃいましたね……』
「(そうだな。……とりあえず、あのアトキンスとかいう奴と兵共を片付けるか)」
アトキンスの命令によって兵士達があらゆる方向から襲いかかってくるが、二人背中合わせになっている今、相手をするのは前方と横方向のみ。シドにとっては児戯に等しかった。
シドは槍でもってその場に留まり相手をするが、ヴェガスは小刻みにステップを踏み、剣を躱すと拳を叩き込む。
毒を食らわば皿まで――。シドはできた余裕を使い、視界の端に映った斜め後方の兵士に槍の柄を突き出した。
ヴェガスは肩を大きく上下させ、ふいごのような息を吐いている。全身血塗れで傷のない箇所を探すほうが難しいだろう。それでもこうやって動けるのは驚嘆に値するが、初めに比べ明らかに精彩を欠いている。次第に捌ききれなくなり、シドのフォローが増える。
「何をしている! まずはヴェガスから殺るんだ!!」
アトキンスが発破をかけた。
こともあろうに自分が足を引っ張っている――その事実に、自身に対する怒りが湧いてくるヴェガス。
「――おい、お前! シドと云ったか! あの喚いてばかりのクソ野郎の口を黙らせるぞ!!」
思い切ってシドに提案してみる。
「いいだろう。……では、俺が先に行こう」
「――ッ!? お前達、奴等を防げ! 俺の前に壁を作るんだ!!」
響き渡るヴェガスのがなり声に、応えるシドの言葉。それを耳にしたアトキンスは残った兵士と騎士を自分の前に呼び集め、盾と為す。
兵士達は訓練された動きで二列になると、丸盾を上下に並び立て、剣をその隙間から突き出した。
「チッ。自分の身を守るのだけは一丁前だぜ」
「では行くぞ」
「お、おい――」
シドは一応一声掛け、兵士達に向かって走り出す。前面にできた刃の壁を見て別の方法を考えようとしたヴェガスは慌てて後に続いた。
「バカめっ! ――串刺しにしろっ!!」
壁が僅かに角度を変える。直線的だったそれが、シドがぶつかるであろう点を中心に包み込むような形になる。
シドは槍を横に持ち、前に掲げると一瞬の躊躇いもなく鉄と肉の壁に激突した。
鎧と盾と肉がひしゃげる例えようもない不協和音が木霊する。絶叫をあげて舞い上がる兵士達。アトキンスは言葉もない。
「おらよっ! これでも喰らって目ェ覚ましやがれ!!」
前を行くシドを追い越したヴェガスは、開いた穴からアトキンスに強烈なぶちかましを喰らわせた。そのまま背後の壁に押し込む。
「グゲェェッ」
壁と挟まれたアトキンスは、肺の呼気と共に悲鳴を吐き出す。遅れて赤いものが流れ出た。
「百人長っ!?」
残った兵士と騎士が指揮官の危機を救わんと集う。
その行く手に、シドが立ち塞がった。
「どうやら、お前達の相手は俺がすることになったらしい。存分にかかってこい」
「舐めるなっ!!」
騎士が放つ鋭い斬撃が首筋に向かってくる。シドはそれを槍の柄で撥ね上げると、反対側にある穂先を半円を描くように叩きつけ、相手の頭部を叩き潰した。
「一斉にかかれぇっ!」
敵は吹き出した騎士の頭の中身を浴びつつも、怯まないで立ち向かってくる。
「やれやれ――だな」
一人ずつ確実に息の根を止める。逃げないでくれるのは都合が良かった。国の兵士を殺したことが公になれば、例えこちらに非がなくても面倒な事になるのはわかりきっている。
「アキム、キリイ。一箇所ずつで構わん。逃げ口を塞げ」
粗方数が減ったのを見計らい、そう声をかけた。
云われた二人はエルフの傍を離れ、手近な道を塞ぐ形で待機する。残りは二つだ。
「――ヴェガス、そいつは後回しだ。向こうの道に行き、逃げようとする者を殺せ」
「……仕方ねえ」
最後の一箇所はシド自身が背負った。
「……どうする?」
残り十人前後となった兵士達の中から声があがった。
「百人長はもう駄目だ」
「……逃げよう。それしかない」
「逃げるっていったって……いったいどこから……」
顔を付き合わせ、ボソボソと話し合う兵士達。そこへ、生き残っていた騎士が、
「待て、貴様等! アトキンス隊長を見捨てるつもりか!? そんなことをすれば二度と日の目を見られんぞ!?」
と、いきり立って喚いた。
「――ふざけるなよ。大体俺達をこんな場所まで連れてきたのはお前達騎士じゃないか。貴族なら貴族らしく責任を取れっていうんだ」
「そうだそうだ! 俺達が逃げる時間はお前が稼げ!! それが無理ならせめて黙ってろ!!」
兵士達は騎士に白い目を向け、反論する。
「この下民共がっ!!」
「なんだとぉ!? もういっぺん云ってみやがれクソ貴族!!」
どんどん険悪な様子になり、終いには敵であるシド達の前で睨み合いを始める両者。
「おいおい、頭大丈夫かあいつら」
アキムがうんざりした顔で云った。
緊張の連続でエルフ達の顔にも疲れが見える。
「おい、お前達」
シドは、さっさと終わらせるために生き残りに話しかける。
「そこの――かたびらを着た――奴等は、この場にいる騎士に止めを刺せ。一人残らずだ。その上で俺達を地上まで案内するなら命は奪わないでいてやろう」
兵士達が迷った時間は僅かだった。頷き合ってお互いの意思を確認すると、剣を手に騎士を取り囲む。
「正気か、貴様等!? 俺達に手を出せばこの国には――」
「――お前達を殺したのは、地下道にいた犬のような化け物だ」
シドは騎士の言葉を遮って云う。
「一体どこの誰がここに死体の確認に来る? そもそも死体が残っているかもわからないというのに。お前達の死は、指揮官の愚かな行動ミスということになるだろう。戦場ではよくあることだ」
ウンウンと一人で頷く。
シドの口上が、兵士達の迷いを完全に払拭した。ワっとばかりに騎士に群がる。
「――ま、待て! たの――」
幾本もの剣を身体に突き立てられ絶命する騎士。
アキムはそれを横目にシドに訊ねる。
「アトキンスはどうする?」
「兵士に始末させる。共犯に仕立て上げれば俺達のことを報告される心配はなくなるからな」
「……ふーん。ま、いいけどよ。確認はしておいたほうがいいだろ? 俺が行ってくるぜ」
返事を待たずして、嬉々としてアトキンスに駆け寄るアキム。
壁際では、内臓に傷を負ったアトキンスが目にも鮮やかな血を流し、力なく座り込んでいる。
「よお、アトキンス隊長。身体の調子はどうだい?」
「……だ、だすけ……を」
「いつもの威勢はどうしたよ。それに、残念だが助けるわけにはいかないんだよなぁ。口封じのためにも、お前は、今から、ここで、兵士達に、殺されるんだよ。おわかり?」
アキムがからかうように云うと、アトキンスの瞳から光るものが頬を伝った。
「けっ、今更遅ェンだよ!!」
ドカドカと死に体の身体に蹴りを入れる。シドの命に従い、止めを刺しに近寄っていた兵士が引いた目でそれを見た。
「――あ、あのぅ……」
「お? おお、わりぃわりぃ、つい嬉しくて興奮しちまった。止めを刺すんだろ? 一番痛くて時間がかかるとこを狙えよ?」
「はぁ……」
「――この、馬鹿がっ!」
駆け寄ってきたキリイがアキムの頭を叩いた。
「いい加減にしろ! 死に行く者に鞭打つことはないだろうが!!」
「……無理するなよ、キリイ。お前だってホントは凄い嬉しいんだろ? 顔から涎が出てる」
「――ハッ!?」
キリイは咄嗟に己の口元を押さえるが、涎など出ていない。
「ふざけるなっ! だいいち顔から涎など出るか!!」
アキムとキリイがいつものようなやり取りをしている間に、兵士はこっそりアトキンスに苦しまないよう一撃で止めを刺してやった。
「ああくそっ! 見損ねた!!」
頭を抱えて嘆くアキム。
離れた場所からそれを聞いていたシドは、事が済んだのを確認し、改めてヴェガスに向き直った。
「さて、こちらも決着をつけるとしようか」
「………」
ヴェガスの身体の下には、血溜まりができている。それでも眼光鋭くシドを凝めている。
『殺しちゃうんですか?』
「(別にエルフを狙わないのなら殺す必要はないんだが、どう見ても降参しそうなタマじゃあるまい)」
この期に及んでエルフを人質に取られるのも面倒なので、その線を警戒しつつ距離を詰めていく。
「……やるしかねえのか」
その言葉に、おや、と思う。その性格から死ぬまで歯向かうと考えていたのだが、どうも乗り気ではないようだ。
『裏事情に通じていそうですが、助けて情報源にした方が良いのでは?』
「(なるほど。そのような利用方法があったか……) ――おい、ヴェガス。俺に従うなら命を奪うのは止めにするが、どうする?」
云われたヴェガスは悩んだ。既にシドの力は認めている。腕力至上主義だからこそ、自分よりも強い力を持つ者に従うのはやぶさかではない。相手が自分を殺す気なら死ぬ気で抗うが、見逃してくれるというならその手を掴まない理由はないだろう。元々ヴェガスの方から仕掛けた戦闘である。そのこともヴェガスの背中を押した。
しかしすんなりとは受け入れがたいのも事実である。自分よりも強いからといって、人生観が同じとは限らないのだ。もし相手が度を越した平和主義者だった場合、ヴェガスのこれからは死んだも同然のものになってしまう。
従って生きるべきか、戦って死ぬべきか――頭を捻って悩むヴェガス。
しかしその悩みは、思ってもみなかった人物によって終止符を打たれた。
「――おおっと、動かないでくださいよ、お嬢さん。うっかりズバっと切れちゃったらお互い不幸な事になっちゃいますからねえ」
どこからともなく現れた一人の男が、ミラの首筋に短剣を押し当て、そう云った。
「――サマルっ!? お前今までどこに……」
ヴェガスの驚きの声に、細い目で弓を描き、その男――サマル――は楽しそうに哂った。
一応、次で地下道は終わりの予定です。




