99 日常
99
「クー! 起きて!」
「……あぁ」
寝ぼけ眼でベッドから起き上がると、散らかった自室の中に、幼馴染――更科 沙愛の制服姿が目に入った。さあきは口を尖らせる。
「もーまた徹夜してたの?」
「うるせー……すぐ着替えるから、外で待ってろ」
俺はたまりにたまった積みゲーを片付けるため、ほとんど寝ずに毎日を過ごしていた。今日も一時間ほどしか寝ていない。とりあえず、迎えに来たさあきを追い出し、俺は制服に着替え始めた。
異世界から元の世界に帰還して、2週間ほどが経過した。
【異世界人召喚】スキルを使い、現れた巨大な転移陣に乗り込むと、気がついたら病院のベットの上だった。俺達は召喚されている間、全員揃って意識不明に陥っていたらしい。現実世界でもあちらで過ごした時間と同じ――つまり約2ヶ月ほどが経過していた。
突然クラス全員が昏睡するという事態は、当然ながら騒動を引き起こしていた。ただ、学校や保護者達によって極力隠蔽されていたようで、全員が意識を取り戻した時には大した騒動にならなかったのは救いだった。
意識を取り戻してすぐに、医者からまったく異常なしとの診断が下り、俺達は夏休みの代わりに1週間ほど短すぎる休みが与えられた後、先日から学校に登校させられている。
なんというか、もうちょっと休みをくれても良いじゃないかと思うのだが、授業期が始まっていた事もあって授業日数がやばいという理由らしい。
アンラとユミールとの会話の後、俺は1週間ほどかけてクラスメイト全員を説得した。
ほとんどのクラスメイトは、最初からは現実世界に帰りたがっていたので問題なかったが、異世界に残りたがるクラスメイトもそれなりに居た。そんな連中には、アンラとユミールに言われた事――つまり、奴らが【世界の裏側】を破壊しようとしている事を告げてやった。
【世界の裏側】を破壊すれば、この異世界は消滅するか、残ったとしても現実世界との繋がりはかなり怪しくなる。つまり現実世界に戻る事が出来なくなる可能性が高い。それでも構わないならば、帰還せずにこの世界に残れ――そう言うと、大半のクラスメイトは帰還する事に決めたのだった。
しかし、その話自体に疑問を持った王子と、単純に"あちらの世界"を気に入っていたフーと六道の説得には、少し骨が折れた。最終的には王子は俺が、フーはタクヤが、そして六道はさあきと仁保姫が説得し、なんとか納得させたのだった。
そうして結局、俺達は全員で現実世界に帰還した。
アンラから貰った死者の魂――"あちらの世界"で死亡したはず三人も、しっかりと意識を取り戻した。特に教国で大暴れした唐松からは土下座気味に謝られたが、みな気にするなと声をかけていた。最終的に皆無事だったんだし、あんな異常な状況じゃあ、仕方がなかったと俺は思う。
結局、この件で意識を回復しなかったのは、担任の先生だけだった。彼はまだ、病院に入院している。おそらく、これからも目を覚ますことは無いだろう。
「……外で待ってろって言っただろ」
「待ってたじゃん。部屋の外でね」
着替え終わり自室から出ると、さあきがしたり顔で待ち構えていた。なにがそんなに嬉しいのだろうか。この幼馴染は。
「ご飯はどうするの?」
「いらねー。時間無いだろ」
「だめだよ。ほら、歩きながらでいいから、これ食べて」
差し出された菓子パンをいやいやながらに受け取り、玄関へと向かう。
あの後、クラスの連中は少し変わった。
十の奴は前よりも丸くなって大人しくなったし、七峰は前よりもずっと皆に頼られるようになった。
フーは野球部をやめ、封じ込めていたエロさを完全オープンにするようになった一方、クラスの問題児だったドキュンネ三兄弟はほんの少しだけ見直され、前よりはうざがられなくなっていた。
窓際の席に座り、いつも一人で過ごしていた六道は男女問わずよく話すようになった。変わった言動と偏った知識によりクラスでも浮き気味だった久遠もそれは同じだ。
王子は取り巻きの女子の数が前より増えてしまった以外は、いつも通り完全無欠っぷりを発揮している。というか、前よりも隙がなくなってしまったくらいだった。
タクヤの奴は、仁保姫と付き合い始めた。最初は彼女が出来たから、オンラインゲームが出来なくなると冗談交じりに言っていたが、今は仁保姫を同じオンラインゲームに誘って一緒にプレイするという、なんというか逆転の発想により、仁保姫と付き合いつつも今まで通りに準廃人プレイを続けているそうだ。
ま、変わったのそれくらいだ。
「クー。早くしてよ」
「わかったよ……」
のろのろと靴を履いていると、さあきが玄関のドアを開け、急かしてくる。差し込む朝日のあかるさに、思わず目がくらんだ。
あれからいくらか試してはみたが、結局この現実世界では【異世界人召喚】スキルは使えなかった。おそらく病床に拘束されていた間に、アンラ達が【世界の裏側】を破壊したためだろうが、その結果"あの世界"がどうなったのか、今の俺には知るよしもない。
現実世界へ帰還する日、見送りに来ていたヘルやユミール達との別れの挨拶後、俺はアンラに聞いてみた。
『本当に【世界の裏側】を壊すのか?』
『はい。もうすでに他の神々の了解は得ています』
【世界の裏側】を壊せば、自分達は消滅するかもしれない。どうしてそんな事をするのか――と最後に聞くと、アンラは悟ったような顔でこう答えた、
『それは、あなたがあなたである事を確信していて、その事を一切疑っていないからです。我々には、それが無い――そういう事でしょう』
その言葉を聞いて、俺は何も言えなくなってしまった。アンラの言いたい事は、俺にはよく分かるから――
願わくば、あの世界が残っていてくれたら――アンラやヘル達が、新しく開放された世界で生きていてくれればと、無責任に思っている。
「……さあき」
「ん?」
突然名前を呼ばれ、首をかしげるさあき。いつもと変わらない笑顔のまま、長いポニーテールがゆっくりと揺れた。
「どうしたの?」
「……何でもない。行くぞ」
「――うん」
異世界での冒険は終わり、現実世界での日常が再開した。
■




