94 ラストバトル
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広い部屋だった。天井からつるされた幾つもの燭台には橙色の炎が灯り、外周に張り巡らされたステンドグラスからは極彩色の光が淡く差し込んでいる。敷き詰められた絨毯は血のように赤く、一段高くなった部屋の奥には絢爛豪華な玉座があった。
その玉座に座るのは、今回の騒動の元凶――担任その人であり、傍らには両手を拘束されたさあきが横たわっていた。
「さあき!」
俺が叫ぶと、さあきがこちらに気付き、声をあげようと息を吸う。しかしそれは声になる前に、驚きの表情へと変化した。さえぎる様に、先生がケタケタと笑い出したからだ。
「あはははは! こんなに早く戻ってくるとはね、一橋君! そしてようこそ。皆、申し分ない強さに育ったね。私は嬉しいよ」
歪んだ笑みを浮かべる先生。ここまで、先生の事は話だけで聞いていた王子達は、自分達の知っている担任の、信じられないような変わりように息を呑んでいた。
「なぜ、こんな事をしたのですか。僕はまだ、信じる事ができない」
そう言って、王子は進み出た。いつもの柔和な顔とは異なり、怒りの色を見せながら先生を睨んでいた。
俺達はこいつのせいで異世界に飛ばされ、右も左も分からない状況に放り出された。そんな状況からクラスメイトを導いてきたのが王子だ。しかし王子は、ずっと考えていたはずだ。なぜ、自分達がこんな目にあっているのかと。
その元凶が目の前にいる。それは俺たちがよく知っている人物だった。しかし王子は、まだ信じれずにいた。自分達のクラス担任が、教え子にしたこの仕打ちを。
「天王寺君。君は真っ直ぐすぎる。能力も人望もあるのに、人を信じすぎる。もっと疑うべきだね。私は、君達を殺すために召喚しただけなのだから」
はっきりと、殺す為と言い切った先生。それは俺達にとって――王子にとって、最終宣告に等しかった。
王子は大きく息を吐き出すと、静かに片手剣を引き抜き、言った。
「僕達は必ず元の世界に帰ります。しかし、その前にこの世界を救う。貴方を倒して、全て終わらせてみせます」
続いて、タクヤが進み出た。
「なんでわざわざ帝国皇子に化けて、俺に取り入ったのか、理由を教えてくれないか? 先生」
タクヤは木の根が渦巻く魔法杖を取り出し、それを担ぎながら不遜な態度で言った。傍らでは、仁保姫が戦闘準備を整えている。
先生はニヤニヤとしながら答えた。
「少し、違う人生を楽しみたかっただけだよ。帝国皇子という立場で人生をやり直して、帝国内でのし上がっていくサクセスストーリー。ほら、よくあるじゃない。転生物だよ。もう少しで皇帝になれて完結できたんだけどね」
「そんな事のために……」
仁保姫が呟き、睨みつける。タクヤは苦笑しつつ、その言葉を受ける。
「まあ、俺も楽しかったさ。だけど、俺達はお前の玩具じゃない。やりたいんなら自分でやれよ」
「私が自分でやったら、簡単すぎて面白く無いじゃないか。君達に行動させて、私はそれに乗っかって何処までやれるか――そういう制限プレイさ」
先生の答えに、タクヤは辟易として両手を開いた。話にならないといった所だろう。返事もせずに、大きくため息を吐き、それっきりだった。
「私は貴方に感謝しているわ」
その声は、六道あやねのものだった。巨大な黒鉄鋼の両手剣を地面に突き刺し、その整った顔に冷たい微笑を浮かべていた。
先生が、六道に向けて言う。
「六道君。君がこんなにも異世界を喜んでくれるとは、予想外だったよ」
元の世界では神秘的でとっつきにくく、何を考えているかわからないミステリアスな少女を演じていた六道。その実体は恐ろしいほどのハードゲーマーで、この世界に来れた事を一番喜んでいたのは、こいつだった。なにしろ一人で魔界に残り、大魔王にまでのし上がってしまったくらいだからな。
「えぇ。でも、楽しみにしていた魔界と天界との戦争――ラクナロクは、貴方によって完全に水を刺された。私の楽しみを奪った罪は重いわ」
六道は氷のように冷たい目を向けながら言った。それを受け、先生が声を上げて笑う。
「あっはっは! それは悪かったね。でもそれにしたって、今の君のしている事は完全に世界を救う行為だ。大魔王らしくない。どうだい、世界の半分をあげるから、今からでも私に付くというのは?」
先生の冗談まじりの勧誘に、六道は静かに笑った後、答えた。
「ふふ、残念。私は貴方を倒すと決めた。大魔王が勇者と共に、真の黒幕を倒す――そんなストーリーも悪くないでしょ?」
「くっくっく。それは残念だ」
「ふふふ」
先生がケタケタ笑う。それと呼応するように、六道もクスクスと笑っていた。この二人は、割と似たもの同士なのかもしれない。
「っは。もう茶番はいいだろう」
俺は短剣を取り出すと、皆と同じく一歩前に進み出た。
「先生、最後に一つだけ頼みがある」
「なんだい? 一橋君?」
この部屋に来た全員が、武器を抜き戦闘態勢を整えた。それでもなお、担任は玉座に座ったままだった。その余裕げな顔に向かって言う。
「お前を倒した後、元の世界に戻る為には【異世界人召喚】スキルだけじゃなくて、【無限の魔力】もいる。それも魔石化して用意してくれると助かるのだが」
「……あっはっは! そうだったね、ごめんごめん」
先生は一瞬目を丸くしたが、すぐに発言の意図に気がついて、大笑いをした。そしてすぐに懐から魔石を取り出し、それに白く輝く光を付与した。
魔石を、玉座の隣で拘束されて横たわるさあきの傍に置く。そこには先ほど作って見せた【異世界人召喚】スキルの魔石もあった。続けて指を動かすと、さあきの周囲に光の膜が現れる。
「私を倒せば、この障壁は消える。君達はスキルと更科君を手に入れて、無事に元の世界に戻れる――と。これでいいかな?」
「あぁ。十分だ」
やはり、微塵も負ける気は無いようだ。完全に舐められている。その驕り、必ず後悔させてやる。
そうして前哨戦は終わり、全員がラストバトルを開始するタイミングを窺い始める。静かで息苦しい、張り詰めた空気が流れた。
決戦の火蓋を切ったのは、タクヤによる魔術詠唱だった。
【時術】【ポーズ】
その声が聞こえた瞬間、俺達は飛び出した。事前に打ち合わせていた通りの強襲だ。タクヤが【時術】【ポーズ】で先生の時間を止め、俺の【死】【一撃死】でしとめる。単純にして、最も強力な連携――
先生との距離は数十メートルだ。今の俺の【ダッシュ】スキルでも、【ポーズ】の効果時間内に先生の懐に入り込む事は十分に可能だった。
俺は他の奴らから一歩抜け出ると、先生との間合いを最短距離で詰めていく。そして速度を落とすことなく、先生の左胸へと短剣を突き出した――
ガキンッ!
金属同士がぶつかり合うような、鈍い音が鳴り響いた。見ると突き出した短剣の切っ先は、光の粒子が集って形成された光の衣によって、包み込むように受け止められていた。これはオーディンも使っていた、自動防御――
瞬間、止まっていたはずの先生の目がぎょろりと動く。その顔に歪んだ笑みを浮かべると、右手を俺の腹にトンと突きつけた。
【雷術】【ライトニングボルト】
「ぐあぁぁぁぁぁl」
先生の右手から発生した電撃が、スタンガンのように体中を暴れまわる。そしてトドメとばかりに蹴り飛ばされ、柱の一つに叩きつけられ、それを崩壊させてようやく止まった。
「まずは一人目――」
「はあああ!」
先生の余裕げな言葉をさえぎって攻撃をしたのは、王子だった。手にした片手剣――ノルン王国に伝わる宝剣を、右上段から振り下ろす。しかし先生は、腰から細身の剣を引き抜くと、簡単にそれを受け止めた。
王子の片手剣は【光術】のせいか、いつもその刀身が光り輝いている。しかし先生の取り出した剣も、同様に光り輝いていた。
「くっ。やはり【光術】が使えるのですね」
「あっはっは! 当たり前でしょう。【光術】の真の使い手は主神オーディン。そしてそれは【封技】によって、私が受け継いでいる――」
「黙りなさい」
つばぜり合いをする先生の背後から、黒い影が襲い掛かる。黒鉄鋼の両手剣を構えた六道が飛びかかったのだ。
しかし六道の攻撃は、光の衣による自動防御により阻まれてしまう。受け流され、地面を抉るだけに終ってしまった。それを見て先生は王子を払いのけると、六道に向けて剣を振るった。
「おっと……?」
振り下ろされたその剣は、六道の周囲を囲むように現れた黒い霧に吸い込まれ、刀身を失いかける。先生が慌てて剣を引くと、剣は元の長さに戻っていた。
「っち」
六道が小さく舌打ちをする。先生が興味深げに言った。
「面白いね。今のは【闇術】の効果かな。それは持っていないからぜひ欲し――」
「やあぁ!」
仁保姫によるとび膝蹴りが、先生の背後を襲う。先生は六道に見とれていたためか、思いっきりその攻撃を喰らってしまっていた。もんどりをうって、大げさに倒れこむ先生。
「痛い痛い! なんで【ライトクロス】が切れてるの!?」
同時に、なぜ自動防御が発動せず、攻撃を喰らったのか戸惑っていた。
「残念。その魔術、すでに対処法が分かってるの――王子君との戦いでね」
六道が澄まし顔で言った。攻撃に反応して自動防御する【光術】【ライトクロス】。使用者の一人である王子によれば、ほとんどすべての物理攻撃を一定時間受け止める光の衣を作り出す魔術だそうだ。
こうやって聞くと無敵な気もするが、王子と、その王子と戦った六道が言うに、幾つか弱点があるらしい。
一つは効果時間。例えば王子の場合、光の衣は持っても一分程という、短い時間しかその効力を発揮しない。よって戦闘を行いながら、先生が【ライトクロス】の効果を途切れさせたタイミングで攻撃する方法が一つ。
一方、単純に防御しきれないような強力な攻撃でぶち抜くという、ある意味何の解決にもなっていない力任せな方法も一つの手段だ。しかし六道の言う対処法は、そのどちらでもない。六道が持つユニークスキル【闇術】を使う方法だった。
六道の周囲に展開される闇の霧が一層と濃くなる。墨を塗ったような暗黒空間を背に、六道は不敵な笑みを浮かべた。
「【闇術】【ダークバニッシング】――この魔術にかかれば、あらゆる物を暗黒世界へ追放出来る。それが【光術】で作り出された、光の衣だとしてもね」
周囲に展開した闇の空間――【ダークバニッシング】。あらゆる物を暗黒世界に落とすというこの魔術を使えば、【ライトクロス】の光の衣は解除する事ができる。もちろん、再び【ライトクロス】を張り直されればそれまでなのだが、解除させられる手段があるというのは大きい。
「へぇ。なかなかやるねー」
立ち上がった先生は余裕げにそう言うと、ぼそりと【ライトクロス】を詠唱し、再び光の衣を発生させた。そして、王子達に向かい合う。
それにしても、先ほどの攻撃とあわせても先生のHPバーは1ドットも減ってはいなかった。後衛をしているタクヤも同じ事を思ったのか、感心した様子で言った。
「本当にHPが減らないんだね。すごいな」
先生は笑いながら答える。
「あはは! それが【無限の魔力】だからね。無限に魔術を使える、無敵のスキル。天界の神は、本当に強力なスキルを持っていたよ」
確かに主神オーディンの持っていたというこのスキルは、反則的なほどに有用なスキルだ。また他の神々が持つスキルも、同様に強力である――唯一つを除いては、だが。
「じゃあ、次はこれを披露しようかな。【生命生成】【アークエンジェル】」
先生はそう宣言しつつ、右手を地面に叩きつける。すると周囲に赤い魔法陣が広がった――しかし、魔法陣は完成した瞬間、色を失って消えてしまう。
「……あれ?」
それは、先ほど【生命生成】本来の使い手である母神フレイヤもやっていたミスだった。ヴァルハラ宮殿の周囲に展開する、戸松の【界術】【デエンチャント】により、魔法陣からモンスターを生成する【生命生成】は無効化されているのだ。
あまりにも不用意な行動だった。王子達がその隙を見逃すわけが無い――
予想外な結果に戸惑う先生の頭上に、どす黒い霧が発生する。六道の【ダークバニッシング】が発動していた。その効果によりあっけなく吸収される光の衣を確認し、王子が切りかかる――神々しく光輝く両刃の剣が、先生の肩口から腹部にかけてを切り裂いた。
「痛っ――」
斬られた痛みで叫びかけた所で、その動きを止める先生。苦悶の表情や動きだけでなく、噴出しかけていた血液までもが、凍りついたように動きを止めていた。
二回目の【時術】【ポーズ】――タクヤの詠唱に続いて、仁保姫が飛び出した。
「はぁぁぁぁ!」
仁保姫の小さな体から、次々と繰り出される拳と足技。ラッシュというか、コンボというか、とにかく言葉に余るほどの手数と衝撃が、時を止められた先生の無防備な体に炸裂し続けた。
「せいやぁ!」
トドメとばかりに繰り出した正拳突き――それは先生の胸部を直撃した。同時に時間停止の効果が切れ、先生の体がビクンと動き出す。
血液が飛び散り、肋骨か何かがボキボキと折れる鈍い音が響いた。
しかし先生はそれらのダメージを一切無視して、正拳突きを繰り出した仁保姫の手を掴んでいた。




