92 援軍
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一瞬、何が起こったのか理解できなかった。しかし、続けてオーディンの周囲に現れた無数の雷球を見て、この現象が【雷術】によるものだという事を理解した。
――【雷術】を使えて、俺達の味方をするような奴は一人しか居ない。あいつらだ。
「うおおおおおおお」
「騎士!?」
野太い声と共に、先ほどの雷で破壊されたホールの天井部分から現れたのは、ドキュンネ三兄弟の一人、田中騎士だった。
大斧を振りかぶり、落下の勢いに任せてオーディンの脳天に叩きつける。それは岩さえも粉砕してしまいそうな一撃だった――が、オーディンの周囲に展開されていた光の衣が衝撃の方向を受け流し、斧は足元の床をえぐりとるだけに終った。
オーディンは、素早く反応した。流れるように神槍グングニルを操ると、一瞬にして騎士をくし刺したのだ。傷口から大量に血が吹き出る。それは明らかに致死量とも思えるほどの大出血だった。
「ふはははは! 効かん!」
しかし騎士は、あろう事かそのまま――くし刺しにされたまま、体ごと前に進み出た。光の槍が、刃の部分はおろか柄の部分まで騎士の体にめりこみ、深く突き刺さっていく。
しかし、奇妙な事が起きていた。騎士の刺された部分から、出血が止まっていたのだ。現在進行形で、光の槍が突き刺さっているにもかかわらず――だ。
さらに、HPもほとんど減っていない。いや――オーディンが槍を引き抜こうと力を込めるたびに減少はするのだが、少しでも減少するたびに、HPバーが急激な速度で回復しているのだ。
騎士のユニークスキルは【再生】――詳しい効果は知らなかったが、今の状況を見ると、どうやら驚異的な自己回復力を発揮するスキルのようだ。
やがて前に出た騎士は、ついに力ずくで主神オーディンにしがみついてしまった。それと同時に、周囲に浮かんでいた雷球が一斉にオーディンを襲った――騎士もろとも、大量の雷弾が音を立てて破裂していく。暑苦しいほどにパワフルな騎士にしがみつかれ、身動きを封じられたオーディンは、その集中砲火を受けざるを得なかった。
その時、俺達の前に二人の男が降り立つ。それは残りのドキュンネ三兄弟の二人、山本光宙と旭宇宙だった。
「山本君! それに旭君も!」
「やあ王子。それに皆さんもお揃いで」
王子の声に、きざっぽく身振りをして答える光宙。その間も光宙は右手をオーディンに向け、次々と【雷術】による攻撃を発動し続けていた。騎士にも漏れなく、その攻撃はヒットし続けていたが。
「光宙。どういうつもりだ」
俺が聞くと、光宙はぐいっと顔を寄せながら言った。
「どういうつもりもなにも。楽しそうな事になってるじゃないか」
聞けばこいつら、王子の後をつけて、太古の地での王子達と六道の戦いを見物していたらしい。その後ヨルムンガンドに乗って移動し始めた王子達を追い、こいつらも世界蛇の胴体にしがみついて天界にまでやって来た。そして俺達がヴァルハラ宮殿に入るのを見て、後を追ってきたそうだ。
「……世界を救う戦い……俺達もかませろ」
そう言って、うつむきつつ呟いた宇宙が、数歩進み出て地面に手を当てる。その瞬間、部屋の床が、中央からどろりとした何かに変質した。侵食するようにその変質範囲を広げ、やがて部屋中の床が、端を残してどろどろの底なし沼のようになってしまった。
宇宙のユニークスキル【溶解】――固体を液体へと変えてしまう効果があるらしい。ただし無機物限定だが。
このスキルを用いて部屋中の床を液体に変えてしまい、宇宙はホールの中央に大穴を掘り進めていく。オーディンとそれにしがみつく騎士、そして宇宙本人すらも巻き込んで、ずぶずぶと床に沈んでいった。
「おい。どうする気なんだよ」
一体何をしているのか。その質問には、最後に残った光宙が答えた。
「あの男――オーディンといったか。倒せないのだろう? だが、それは【再生】をもつ騎士も同じだ。このまま動きを封じ続ければ、しばらく時間が稼げる。その間に宇宙が【溶解】で床を掘り進めて、あいつを地上まで叩き落してやる」
それは、オーディンの動きを封じる作戦だった。今の状態を保持したまま、オーディンを地上にまで落とす事ができれば、かなりの時間が稼げるはず。光宙はその作戦を、自分達が実行すると言ったのだ。
まさか、ドキュンネ三兄弟に助けられるとは、予想外だった。
「光宙――」
「何も言わなくていいぞ、牧原。後は俺達に任せたまえ。最後に、みんなの役に立ちたいのだ」
「――!?」
何か言いかけたタクヤを抑え、光宙が口にした言葉は、クラスメイト全員を驚愕させるとんでもない一言だった。
あの――自分勝手で傍若無人で、他人の迷惑など一切気にかけないドキュンネ三兄弟が、人の役に立ちたい……だと?
あり得ない。全員が同じ事を思った。どうした? ドキュンネ三兄弟――と。
俺達が揃っていぶかしむ顔をすると、さすがに光宙も顔をしかめた。
「お前らの言いたい事は、ひしひしと感じる。だが、その話はすべてが終わってからだ。とにかくここは俺達に任せろ。オーディンを全力で食い止めてやるよ」
そう言って、光宙は背を向けた。すでに宇宙によって【溶解】させられたホールの中央の穴は、かなりの深さにまで達していた。
「山本君……」
王子が神妙な顔で声をかける。王子もまさか、ドキュンネ三兄弟が手助けしてくれるとは思っていなかっただろう。複雑そうな表情だった。
光宙は肩越しに振り向いて、右手の親指を力強くつきたてた。
「王子。この世界に来てから数ヶ月間、楽しかった。元の世界に帰っても、相手しろよ」
「……はい、必ず!」
王子が応えると、光宙はうざいほどにすがすがしい笑顔を残して、大穴へと飛び込んでいった。
……
オーディンの居たホールを抜けた後、幾つかの通路と部屋を通過した。二人目の劣化神が現れたのは、巨大な食卓の置かれた絢爛豪華なダイニングルームだった。母神フレイヤが、巨大なテーブルの一脚に座っていたのだ。
フレイヤは完璧と言って良いほどの美人だった。整った目鼻に、絹の様に美しい銀髪。薄い黄緑色をしたドレスの胸元は、はち切れんばかりに主張し、すらりと伸びた手足からは異常なまでに魅力を感じた。
「へぇ。おいしそうな男の子ばかり」
艶かしい声でぺろりと唇を舐めるフレイヤ。そんな行為に反射的にビクついてしまう男子。男が戦えば、簡単に悩殺されてしまいそうだが、今回こいつの相手するのは男ではない。
「下品ね」
御手杵が、フレイヤを侮蔑する様に睨みつけながら進み出た。後ろで一つに結った漆を塗った様な黒髪が、ゆらゆらと左右に揺れていた。
そんな御手杵に、先程オーディンをドキュンネ三兄弟に横取りされてしまったタクヤが声をかける。
「俺とクアラが都合余ってるから、俺達がやってもいいけど――」
「あなたは最後の戦いに必要な方。ここは予定通り、私達が担当します」
御手杵は、鋭い口調でタクヤの言葉を制した。
手にした長大な槍――自身の背の倍はあろうかという長さを持つ三又槍をフレイヤに向ける御手杵。やる気は上々のようだ。
「もう御幸、勝手に決めないでよ」
霞立夏が、ひらひらとしたローブをはためかせながら俺達の中から進み出た。
「あら、やらないのですか? 立夏」
「べつにー」
霞は懐から教鞭のような短い魔法杖を取り出すと、それをフレイヤに向けて突き出した。
「淳に頼まれた事だし、当然やるけど。それになんか、この女――生理的にムカツくし」
それがどういう意味なのかは、よく分からない。ただ何はともあれ、やる気は十分ようだ。
「そう。あなた達が相手なのね。残念だわ」
そして言うとフレイヤは両手を開いた。同時に複数の魔法陣が現れる――しかし、その魔法陣は完成したと同時に、色を失ってしまった。
「あら……おかしいわね」
フレイヤが首をひねる。どうやら【生命生成】が発動しなかったらしい
。
そういえば、【生命生成】を封じる【デエンチャント】がヴァルハラ宮殿全体を覆っていたのだった。これはもしかして、楽勝かも――
「まあ良いわ、それなら、この子達を使うだけよ」
フレイヤが軽く指を鳴らす。すると天井の辺りから、真っ白な全身鎧を着込んだ白騎士と、同じく真っ黒な全身鎧を着込んだ黒騎士が、隊列を組んで降り立った。
「行きなさい」
フレイヤが右手を払うと、それら騎士共が一斉に襲い掛かってきた。
「はぁ!」
御手杵が一息にテーブルを飛び越えて、フレイヤに迫る。構えた三又槍を突き出したまま――途中、進路上に飛び出した何体かの騎士すらも、粉砕しながら進んだ。
その突進を、フレイヤはひらりとかわす。優雅な回避だったが、休む間もなく御手杵が追撃に追いすがろうとする。
慌ててフレイヤは呼び出した騎士たちを盾に、御手杵と距離をとった。主君を守るように、横並びにスクラムを組んだ黒と白の騎士達。生半可な攻撃では突き破れそうに無い肉の盾だったが、その頑強なモンスター達は次の瞬間に跡形も無く焼き尽くされてしまった。
霞の【火術】【フレイムランス】が発動し、騎士達を横薙ぎにしてしまったのだ。にやにやと無邪気な笑顔を見せながら、霞は御手杵の隣へと移動する。
「今の内に」
王子が指示を出し、俺達は二人が切り開いた道を駆け抜けた。
呼び出した騎士達が、一瞬にして葬られる。そんな状況でもなお、フレイヤは余裕げな表情を崩さなかった。「少しは楽しめるようね」――そう言って、フレイヤは再び大量の騎士達を呼び出していた。
どうやらまだまだ余裕があるようだ。
「霞さん、御手杵さん。二人とも、気をつけてください」
部屋を出る直前、王子が二人に声をかける。
「まったく、淳は心配性なんだから。私がこんな女に遅れをとると思う?」
「すぐに片付けて後を追います。淳君もお気をつけて」
霞と御手杵が順に返事をした。敵を見つめたまま、後ろ手で小さく手を振っている。
俺達は二人と別れ、ヴァルハラ宮殿の最奥へと足を踏み入れた。




