69 天王寺淳
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「あ、クー! どこいってたの? 晩餐会、終っちゃったよ」
城に戻るとさあきが出迎えてくれた。すでに日がとっぷりと暮れてしまっていたので心配していたらしい。
あの後、ドキュンネ達と色々と話していたら、こんな時間になってしまった。城の食事――というか晩餐は、日没の頃と聞いてはいたが、話が長引いたので途中から諦めていた。
「ちょっと色々あってな。それよりさあき、今から温泉に行くのか?」
「え? うん。このお城の大浴場、すっごい大きいんだって。この後みんなで行く予定だよ」
「そうか。さあき」
「なに?」
きょっとんとした様子で首を傾げるさあき。くりくりとした大きな眼が俺を見上げていた。
「……風呂に入っている時、こまめに【解析】スキルで周辺をチェックしてた方がいいぞ。特に大浴場の、"東側の壁辺り"をな」
「え? どういうこと?」
「じゃあ、伝えたからな」
そう言い残し、はてなマークを連発するさあきを置き去りにして、俺は王子の所へ向かった。
……
クラスメイト達が住居としている尖塔に一つ入ると、王子が一人で訳の分からないタイトルの本を読んでいた。俺が来た事に気が付くと、王子は本を横に置く。
「クーさん。おかえりなさい」
「もう用事は終ったのか?」
「はい。午後だけでしたので。王都にいる時は騎士団の方々に稽古つけるを約束をしていたのです」
「なるほどね」
高校生が大人に稽古をつけてしまうか。まあ、こいつの場合だと大して驚きもしないが。
俺達異世界人はみな、この世界の連中と比べて成長しやすいらしく、もはや現地の人間で俺達に匹敵する高レベルなど一握りである。ましてや王子は60台後半というふざけたレベルに加え、現実世界でも剣道の心得があるんだ。そりゃあ稽古の一つくらい頼まれるだろう。
「王子。なんかこれから、女子の連中が温泉に行くとか言ってたが」
「あ、もうそんな時間ですか。じゃあ行かないといけませんね」
「なんだよ、覗きにでも行くのか?」
「あはは。違いますよ」
笑いながら王子は、モンスター討伐にでも行くかのように、金属製の篭手やブーツを着込み始めた。なにやら大げさな格好だ。
「この城の温泉は最高に気持ちが良いのですが、山本さん達が頻繁に覗きに来るのです……なので、僕が見張っていないといけません」
どうやらドキュンネ対策らしい。だが、なんだよそのガチ装備は。一戦交える気か。
ドキュンネ三兄弟。王子がガチ装備をせざるをえないほどに、本気で風呂を覗こうとしているようだ。なんというか、その情熱を別のところに費やせよ。エロ目的ならハーレムマスターのフーもいるし、ああいう方面に行けば少なくとも王子が苦労する事は無いのに。まったく。
覗き対策の準備を続ける王子に対して、俺は言った。
「あーそれなら大丈夫。さっき、さあきの奴に周辺のチェックを怠るなって言っておいた。あいつのスキル――【解析】っていうんだけど、広域レーダーを見る事が出来て、周囲一帯の人の動きなんて丸見えだから覗きが来ればすぐに分かるはずだ」
王子は、声を上げて感心する。
「それは便利なスキルですね」
「あぁ。だから女子達は放っていて、ちょっと飯でも食いに行こうぜ。俺、晩餐食い損ねたんだよ」
王子は城での食事をすましているが、別に構わないだろう。
「しかし……」
それでも王子は渋った。別に、風呂なんか覗かれても減るもんじゃないと思ってしまうのだが、王子にとってはそうはいかないようだ。生真面目なこった。
「それにな、ちょっと話がある」
「話……ですか?」
「さっきは御手杵達が居たから言い出せなかった話だ。今後について、重要な――」
俺の言葉に、王子の表情が真剣なものに変わった。
結局、王子と二人で夜の城下町にくりだす事になった。その際、俺達は城の東側にある小門を通って街に出た。これは時刻が夜である為、正門がすで閉鎖されていたからなのだが、ここを通ったのはもう一つの理由があった。
小門を通る直前、俺は門の前に広がる中庭の一画に目をやる。【眼力】スキルを使用して暗黒に包まれた草むらに目をやると、そこに三人の男が地面に這いつくばっているのが確認できた。
ドキュンネ三兄弟である。例の風呂覗き作戦――結局俺は、王子を連れ出す事を了承した。そしてこの門を王子と共に通過して、王子を外に連れ出した事に成功した事をあいつらに確認させる算段になっていたのだ。
暗闇の中、三人の親指がぐっと立てられた。表情までは見えなかったが、おそらく満面の笑みなのだろう。『グッジョブ』という心の声まで聞こえたから、間違いない。
これからあの三人は、先ほど力説していたルートを使って大浴場へと向かうのだろう。そして邪魔者はいない。即ち、覗き成功を確信したはずだ
しかし残念ながら大浴場には、広域レーダー持ちのさあきがいる。しかも、侵入ルートまで教えて警戒するようにも言っておいたから、すぐに見つかってしまうだろうな。あいつら。
「どうしました?」
思わず顔がにやついてしまっていたようだ。王子が奇妙そうにこちらを見つめていた。
気にするな。ちょっとバカ共の覗きがばれるだけだ。もし捕まったら、御手杵によって半殺しは免れないだろうが、まあ知った事ではない。南無南無。
「なんでもない。さっさと行こうぜ。昼間、美味い飯屋を見つけたんだよ」
不審がる王子をなだめ、そのまま城下町へと向かった。
……
王子と共に、昼間ドキュンネ三兄弟に連れ込まれた食堂に入った。昼間も結構人がいたが、今は溢れんばかりの客の多さだった。結構人気のある店らしい。
とりあえず昼間、騎士に言われた卵あんかけ丼を頼んでみた。名前がわからなかったので困ったが、店主に「卵、トロトロ、丼」と言うと通じたので何とかなった。どうやらこの店にはメニューというものが無いらしい。食いたい物を店主に頼むという形式のようだ。
しばらくすると、ライスの上にどろっとしたなにかと卵をぶっ掛けた料理が出てきた。見た目からして、見事な卵あんかけ丼である。しかもなかなか美味い。王子にも少し分けてやると、美味しい美味しいと連呼していた。やるじゃないか騎士君。
「そういえば、王子。タクヤとはあれから会っているのか?」
「あれから――と言いますと良く分かりませんが。牧原君が七峰さん達を勧誘しに来た時に、王都で会ったのが最後ですよ」
「そうか」
ようするに、ほとんど会っていないという事だ。まあ、お互い忙しいだろうから仕方無いが。
「牧原君がどうかしましたか?」
「タクヤからの伝言。『帝国の動きに気をつけろ』だってさ」
その言葉に、王子は顔をしかめた。
「帝国の動き……? どういう事でしょうか」
「さあな。俺にはわからん」
「そうですか……」
しばらく考えた後、王子は「わかりました、すこし探っておきます」と答えた。なにやら不穏な気配があるのだろうが、まあ俺には関係ない。こいつらの問題だ。
やがて卵あんかけ丼を食べ終え、本題に入る事にした。
「さて王子。さっきは御手杵がいたから話せなかったんだが、大事な報告がある。それと頼み事もな」
「もしかして、魔石十二宮を集めきった後の世界の事ですか」
「……あれ?」
王子は見透かすように、俺の眼を見つめていた。なんでこいつ、知っていやがる。
「……知っていたのか」
「はい。結構前ですけど、ディオン先生にそれとなくこの世界に異世界人の話が伝わっていていないか尋ねたのです。すると、人神ロキの話をされました。ロキに会うためには魔石十二宮を集めて三界を繋ぎ、天界に行くしかない――と」
あの語り部か。やれやれ、わざわざ魔界になんか行かなくても良かったんじゃねーか。スクルドの街で出会ったディオンから、もうちょっとねばって話を聞くのが正解だったとはな。
ただまあ、地上の語り部も、魔王や大悪魔と同じ内容を語ったという事は、どうやら魔石十二宮を集めると天界に行けるのは間違いなさそうだ。その点は確認になってよかった。
「知ってるなら話は早い。俺は魔石十二宮を集まったら、とっとと天界に向かうつもりだ。そうすれば文字通り地獄の蓋が開く――魔界の連中が大挙として地上にやってくる。これは魔界の親玉の一人、大悪魔ルシファから直接聞いたことだから、間違いない」
「やはりそうですか……」
王子は、少しだけ悲しそうな表情をした。
「だから、魔界の連中はお前に任せたぞ。地上を混沌から守ってくれ」
境界神ユミールとの約束――王子を魔界のモンスター達の防波堤にするつもりだと言うと、王子は申し訳なさそうに眉をひそめた。
「まずはクーさんに謝らないといけません。ごめんなさい」
「……?」
王子は頭を下げると、続けて言った。
「最初は――この世界にクラスメイトのみんなと来た時は、何とか無事に元の世界に帰らなければと考えていました。けれどすぐにこの世界にもいろんな人が住んでいる事、それと僕達が異常に強いという事実に気が付きました。その後、僕達は各地の迷宮を次々と攻略しました。その効果はすぐに現れ、この辺りのモンスターが激減し、先日に全てのノルン王国の迷宮を制圧しました。僕は、このまま世界中の迷宮を潰してしまえば、世界中がモンスターが居なくなると考えています」
「……って事はなんだ? 現実世界には帰る事は諦めたのか?」
王子はふるふると首を横に振る。
「そうではありません。いつかは必ず皆で帰ろう思っています。でも今は、この世界の人々を救う方が大切だと考えています。そしてクラスの皆とも話し合って、先に迷宮攻略を優先させようという事になりました」
それはつまり、この世界に来た直後に俺と話していた『皆で現実世界に帰還する』という約束を後回しにするという事を意味していた。最初に謝ったのは、約束を違える事に対してのようだ。
王子は、元々あった人望からクラスメイトの大半を味方につけ、その人数と王子自身の戦闘力をもって最初の街を救済した。そこからはまさに、人助けの連鎖だったのだろう。放っておけば、世界全てを救済するまでやめる事が出来ない救済の連鎖――まさに王子は、勇者の役目を背負ってしまったのだ。
一方で俺は、人も救わず世界も救わず、ただひたすら自分勝手に、現実世界へ帰還する事しか考えていなかった。だからこそ、王子よりも先んじて魔石十二宮を集めはじめたし、傲慢の君から聞いたユグドラシルを起動する代償にも、躊躇なく頷けた。
俺達がこの異世界に召還されてから、俺と王子は余りに道を違えすぎしまったのかもしれないな。
「……じゃあ、止めるのか? 俺を」
こうなると大結界を解除して三界を繋ごうとする俺は、王子にとって世界を危機に陥れるだけの危険要素だ。止められても仕方が無い。まあ、大人しくいう事を聞くかどうかは別だが。
しかし王子は、再び首を横に振った。
「いえ、クーさん。地上の混乱は、全て私が引き受けます。現実世界に戻る可能性に、いま最も近づいているのはクーさんです」
「……本当に近づいてるのかどうか、分からんぞ」
そう。天界に行って、ロキと会えば現実世界に帰れるのかといえば、やはり怪しいと言わざるを得ない。そもそも、本当にロキが俺達を召還したのか――そして俺達が現実世界に戻る手段が存在するのかどうかすら、何もわかっていないのだから。
「構いません。それに一つ考えがあります」
「考え?」
「ユグドラシルによって三界が繋がり、地上から天界にいけるのであれば、それはつまり地上から魔界へもいけるという事です。だったら――」
王子は身を乗り出して言った。
「だったら、僕が魔界に乗り込んで、先に魔王を倒します。そしてそのまま魔界を制圧する。そうすれば、迷宮を一々制圧していかなくても、地上に現れるモンスターがいなくなるでしょう」
王子は強い意志を持った目で、真っ直ぐに俺を見つめていた。
「っは……ははははは!」
思わず大笑いしてしまった。さすが王子。俺とは根本的に発想が異なるようだ。勇者の発想というかなんというか。魔界の連中から地上を守るのではなく、逆に魔界に乗り込んで、連中を討伐してしまえばいいって事か。
「クーさん……?」
「いや、悪い。そうか、魔界の連中を討伐する――か。それは思いつかなかったな」
確かに、王子が魔界に乗り込んで制圧すれば地上は守られるだろう。ちょっとやりすぎになるかもしれないが、境界神ユミールとの約束も違えてはいない。魔王は怒るかもしれないが、知った事ではないな。
「だが王子。お前、魔界に乗り込んで奴らに勝てるのか? あいつらは強いぞ。地上のモンスターとは格が違うはずだ」
「勝たなければといけないでしょう。六道さんも魔界から救出しないといけませんし」
「……え?」
六道を救出? 何のことだ?
「クーさんが手紙で言っていたじゃないですか。六道さんが、魔界で魔王に捕まってしまった、と」
おかしいな……王子に対しては六道の事を伏せて、適当にぼかしたつもりだったんだが。なぜか王子は『六道が魔王に囚われの身になってしまっている』と勘違いしてしまっているようだ。
「王子、六道は――」
「はい。六道さんは僕が助け出します。任せてください。地上の各地もクラスの皆で分担して防衛します。クーさんは魔石十二宮を集めたら一足先に天界に向かって、現実世界に戻る手段を探してください。よろしくお願いします」
王子は力強く言った。そのキラキラと輝く純粋な瞳を前にして、結局六道の事は切り出せなかった。
あいつ、魔界で七悪魔の一人にまでなっているんだがな。




