65 寄道
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境界神ユミールによって放り出された場所は、一面砂だらけの砂丘の上だった。ただ、砂漠のど真ん中ではなく、眼下にはかなりの面積を持つ湖があった。
その湖の岸辺には、白や紫の結晶が絨毯のように広がっている。さあきに確認させると、どうやらここはグラング魔塩湖で、空中神殿のあった砂漠都市ファーからさらに西へ向かった場所である。
どうやら地上に戻ってきたらしい。
「やれやれ。一時はどうなるかと思ったが、終わってみれば結果オーライか」
「まだ境界神には聞きたい事があったのだが……」
恨み顔でこちらを睨んでくる久遠をなだめる。
「まあまあ、久遠。お前には感謝してるよ。色々助かったぜ。【合成術】とか、ユミールを説得する時とかな」
「……」
ユミールとの会話を途中で打ち切った事が相当響いているようだ。久遠の奴、かなり凹んでいやがる。ただ、あれ以上野放しにするとユミールの方がキレそうだったからな。仕方が無い。しばらく放っておけばいつもの自信満々な様子に戻るだろう。
「クー。次は何処に行くの?」
さあきが眼下の湖をひとしきり眺めた後、振り向きざまに聞いてきた。
「ん、そうだな。久遠。【雷電のアメジスト】って聞いたことあるか?」
「……【雷電のアメジスト】なら、何回か見た事がある」
久遠は力なく答えた。
「お。まじか。何処にあるか知らない?」
「知らん」
「……なんだよ」
「魔石十二宮の一つとして、"神話"の中でそのような魔石があるという記述を見た事があるだけだ。現実の在り処までは知らん。しかし――」
「しかし?」
「我が先生なら御存知かもしれない」
先生――俺はその言葉に、クラス担任の男性教諭の顔を思い出した。そういえば俺達が全員この異世界に召喚されてしまっているから、現実世界では一クラス丸ごと失踪した事になる。そうだとしたら先生、大変な立場に立たされてるかもしれないな。まあ、どうしようもないけど。
「違う。この世界の先生だ。俺はその方から色々と神話や歴史の話を聞いてから、遺跡巡りの旅に出たのだからな」
「要するに、お前より神話に詳しい奴って事か。何処にいるんだ? そいつは」
「王都ノルンだ」
王都ノルン。俺達が最初に降り立ったノルン王国の首都だ。そして現在その街には、生徒会長にして完全無欠の閃光騎士――王子こと天王寺がいる。
「王子のいる街か。ちょうどいいな」
そう、ちょうどいい。ユミールとの契約を果たすために、王子の所には向かうつもりだった。タクヤから聞いた、世界中から色んな立場の人間が王子の下に集まってるっていう話もあるし。次の目的地は決まったな。
「久遠。その先生とやらに話を聞きたいから、ちょっと紹介してくれよ」
「む……」
久遠は口に手をやり、なにやらブツブツと呟いている。やがて納得したようにうなずいた。
「よかろう。俺も先生に聞きたい事が溜まっているしな」
「よし。決まりだな。さあき、次は王子の所だ」
「はーい。あ、でも」
さあきは何かに気が付いた様に首をかしげた。ポニーテールがその動きに連動して、大きく振られる。
「一応、奈々ちゃん達に私達の安否を知らせておいたほうがいいんじゃない?」
「あー。確かに」
そういえば空中神殿に七峰と比治山の二人を放置したままだった。さすがにあれから丸一日以上経っているから、まだあそこに居るとは思えないが。
「たぶん、もう私達の事は諦めて、タクヤの所に戻ってると思うよ。奈々ちゃんって、ああ見えてさばさばした所があるから」
なにが"ああ見えて"なんだよ。どうみてもそんな感じだろ。『探したけど見つかりません。仕方が無いので帰りましょう』とか言う七峰の無表情が目に浮かぶようだ。
「それじゃ、ちょっと帝都のタクヤの所に寄り道するか。いいか久遠?」
「構わん。手短にな」
俺はポーチから取り出した【空術】【シフト】がエンチャントされた魔石を砕いた。行き先は帝都エスタブルグである。
……
【シフト】は、前と同じ様にブルゲール商会の地下倉庫に繋がった。二回目なので慣れたもので、そこら中に散らばる物品を蹴散らしつつ、一階へと続くドアへと向かう。そのまま階段を登ると、ラウンジから話し声が聞こえてきた。
「あれ。一橋じゃん! 何で居るんだよ」
ラウンジに入るとすぐに比治山に見つかり、大きな声で話しかけられた。そこには比治山の他にも七峰と仁保姫、そして戸松もいた。
「さあきちゃん、一橋さん、それに久遠さんも。おかえりなさい」
「……おかえりなさい」
女子四人が立ち上がり、声をかけてくる。女子達に出迎えられるのも悪くない――そう思ってしまう光景だった。
「なんだよ。突然居なくなりやがって、相当探したぜー」
比治山が快活に笑いながら言うと、仁保姫がそれを受けて心配げな表情を浮かべる。、
「そうです。美羽ちゃん達だけ帰ってきて、心配しました」
「ちょっと色々あってな」
簡単に事の顛末を説明する。その間に久遠はこそこそとラウンジから逃げ出していた。どうやら女子率の高いこの空間は、久遠には居心地が悪かったらしい。俺だけ残して逃げるとは薄情な奴だ。
「あー。だから中核の部屋、ものけのからだったのね。あんまり遅いから探しに行ったら、何にもなかったからびっくりしたよ」
「用心深い一橋さんらしくないです。そんな罠に引っかかるなんて」
「っは。ほっといてくれ」
人間、失敗する事くらいある。確かに【空のサファイヤ】を目の前にして少し気持ちが先んじたってのはあったかもしれないがな。
「ところで、タクヤはいるか?」
「はい。居ますけど……ちょっと今は来客中でして――」
仁保姫の言葉の途中、二階から足音が聞こえてきた。タクヤのものだろう。
俺はラウンジから出て、階段の下で待ち伏せる。すると予想通りタクヤが、来客とやらと連れ立って階段を降りてきた。
「あれ、クー。戻ってたんだね」
「あぁ。邪魔している」
「そうだ、紹介しようか。こいつはクーカイ。俺の親友で、優秀な戦士だよ」
タクヤは連れ立った人物に対し、突然俺を紹介した。とりあえず頭だけ下げておく。
「で、クー。こっちはデイン」
「デイン・フォン・エスタブルグだ。デインと呼んでくれ、クーカイ殿。よろしくな」
そう言って握手を求められる。そいつは金髪と青い目をした、エスタブルグ帝国の人々に良く見られる典型的な青年だった。みすぼらしい地味な外套を羽織っているが、腰には華美な装飾を為されたレイピアを差しており、高貴な身分であることが窺える。
ぱっと見、どこにでもいる青年に見えた。だがちょっと待て。今こいつ、エスタブルグを名乗ったよな。
「エスタブルグ……?」
「そうそう。こいつ、エスタブルグ帝国の皇子なんだよ。継承権は低いけどね」
「低いとはなんだ。れっきとした皇帝エスタブルグ12世の第三皇子だ」
「これはこれは……」
こいつは驚いた。どうやら皇族らしい。しかも皇子――皇帝の息子かよ。
「クー。別にそんなに畏まる必要は無いよ。こいつ、俺達とたいして違わない年だし」
「貴様はもっと皇族に対して礼節という者を身につけるんだな」
「はは! 礼節だってよ。どの口が言うんだよ」
そう言ってタクヤは楽しげに笑っていた。デインもそれに呼応するようにケタケタと笑う。皇族といっても、随分とくだけた奴のようだ。
「それではクーカイ殿。今日はこれで失礼する。タクヤ、例の船の件を楽しみにしておくぞ」
「はいはい。任せといて」
そしてデインは別れの挨拶をしてから、商会を去っていった。




