60 狭間
60
「え? え? ここ、どこ?」
突然の状況に、事態が飲み込めていないさあき。だが、それは俺も同じである。
「落ち着けさあき。とりあえず、周囲を調べろ」
「え……うん。わかった」
スキル【変化】により、【飛行】を持つ比治山の姿を模した久遠に空中運ばれながら、俺は周囲を見渡していた。
その空間は、腐ったトマトの様な赤黒い空間が延々と続き、遠景にはいくつかの足場と、それを繋ぐ階段が縦横に連なっていた。上を見ても下を見ても同じような景色が相似形に続いており、それぞれの足場には、モンスターらしき姿もうろついていた。
先ほどまでいた空中都市では無い。それどころか、同じ世界ですらない事が一見して感じ取れた。そしてさあきの【解析】スキルにより明らかになったこの場所の名称は、"次元の狭間"だった。
「久遠。とりあえず、どこかに着地しよう」
「了解だ」
久遠が足場の一つに狙いを定め、近づく。そこには触手を蠢かすイソギンチャクの様なモンスターがうろついていたが、俺とさあきによる上空からの先制攻撃で問題なく撃破した。そして安全地帯になった事を確認して着地すると、一番状況が分かっていそうな久遠を問い詰める。
「おい久遠。何が起きたんだ」
「あの古代文字は、歴史を記述している物ではなかった。あれは魔法陣だったのだ」
「魔法陣だと?」
久遠は背から羽を生やした少女、比治山の姿と声のまま応えた。その口調にはかなり違和感を感じるが、今はそんな事を言っている場合ではない。
つまり、あの部屋自体が罠だった事か。
「そうだ。途中までしか読めなかったが、恐ろしく高度な陣だった。この俺がまったく理解できないほどにな。まあ結果を見れば、どのような術だったのかは明らかであろう」
強制転移術――作動すると部屋にいる人間を別の場所に転送してしまう類の罠だろう。確かに、今考えるとかなり不自然な部屋だった気はする。【空のサファイヤ】を目の前にして、のこのこトラップに引っ掛かるとは、まったく失敗したな。
しかしまあ、引っ掛かったものは仕方が無い。ぐじぐじ後悔しても時間の無駄だし。対応を考えよう。
まず不幸中の幸いか、【空のサファイヤ】は俺の手中に収まったままだった。どうやらこの魔石十二宮も一緒に飛ばされてしまったらしい。これでは、なんというかあの罠、全然盗難防止ができていないが、何のための罠だったのだろうか。
何はともあれ一応【空のサファイヤ】は手にしている。という事は、後はこの奇妙な空間から脱出する事に専心すれば良いって事だ。
「久遠、この場所について何か知らないか?」
「次元の狭間か。地下都市に残された碑文でその記述は散見している。"三界"はわかるか?」
「天界、地上、魔界の事だろ」
ヘルとかルシファとか、魔界の連中が良く使う単語だ。この世界を形成する、三つの世界という意味である。
「それなら話は早い。次元の狭間は、その三界の間に埋め込まれた異次元空間だ」
「なんだそれ?」
「もしくは平行世界だな」
「いや……」
久遠の口調は常に自信満々だが、残念ながら肝心な所があやふやだった。
「イメージ的にはそれぞれの世界の隙間にある、別の世界だと思っていい。詳しい性質は知らんがな」
三界の隙間にある世界か。なんかその話、どこか聞いたことがある気がする。いまいち思い出せないが……
「クー。なんか向こうに変な物が見えるよ」
「なに?」
その時、スキル【解析】による広域レーダーと合わせて目視による索敵も行っていたさあきが、ある方向に指を指しながら言った。その方向を【眼力】スキルも使って眺めると、細長い柱のような黒い物体が確認できた。黒い直線が、蜘蛛の糸の様に上空から垂れ下がっていたのだ。
「なんだあれ。さあき、距離は?」
「遠すぎてよくわかんない。少なくとも数十キロは先だと思う」
「建造物――には見えないが」
久遠が腕を組んで首をかしげる。まあ、行ってみたほうが早いな。
「とりあえず行ってみるか。ここにいても埒あかねーし」
「了解」
「はーい」
俺達はその地点に向けて、移動を再開した。
……
その場所へは、比治山に【変化】している久遠に掴まって、連なる足場を無視して一直線に向かった。本物の比治山と比べると、随分とのんびりとした飛行だったが、これはまあコピーだから仕方が無いのだろう。速度以外はやがて特に問題無く、目的の物体近くの足場まで移動する事が出来た。
それはとんでもなく巨大な直径を持つ、円筒状の黒っぽい塊だった。爬虫類の鱗のような模様が、下方から上方へと延々と続いている。
一瞬それが何か分からなかったが、しばらく考えて、ある生物の表皮と酷似している事に気が付き、柱の正体がわかった。
「……これは、ヨルムンガンドの胴体だな」
「ヨルムンガンド?」
俺がそう呟くと、いつの間にか元のチビ男姿に戻っていた久遠が、興味深げな顔で聞き返してきた。
「それは北欧神話のヨルムンガンドの事か? それとも魔界の三柱神が一柱、竜の君ヨルムンガンド事か?」
「後者だ。『ヨルムンガンドが掘った大穴の話』は知らないか?」
「……あれか、太古の地の伝説。ヨルムンガンドが魔界から地上まで、無理矢理に駆け登ったという――」
さすが久遠。太古の地の神話は知っているようだ。
「そうそれ。俺は一ヶ月ほど前に、その太古の地に行ってさ。ヨルムンガンドと会って、話したんだよ」
「本当か!? 何を話したんだ?」
久遠の顔色が変わった。どうやらコイツは神話的生物にも興味あるらしい。
「別に。魔石十二宮と、魔界の政治情勢について少し語り合っただけだ。たいした話はしてない。ただ――」
俺は目の前に立ち上がる、巨大な柱を見上げた。
「この表皮は、その時見たヨルムンガンドのそれとそっくりだ。ここが次元の狭間――三界の隙間にあるっていう久遠の話と、ヨルムンガンドの伝説を合わせれば、これはヨルムンガンドの胴体ちいう事になるんじゃないか」
「なるほど……」
黒と灰色の織り交ざった鱗を持った巨大な蛇腹は、天高く伸び続けていた。本当に、延々と。まるで無限に続くかのように。
このヨルムンガンド胴体の発見により、この次元の狭間からの脱出が一筋縄ではいかない事が判明した。少なくとも、物理的には脱出不可能だろう。
久遠も同様な考えに到ったらしく、頭を抱えている。ただ一人、さあきだけは状況を理解していないようだったが。
「どうしたの二人とも。登らないの? これがそのヨルムンなんとかの体で、本体が地上にいるっていうなら、これを辿ればいつかは地上にたどり着くって事でしょ?」
「その通りだ、更科氏。ただその考えは、"いつかは"という条件が無くせないのだよ」
「……?」
さあきが不思議そうに首をかしげる。やれやれ、手間のかかる奴だ。
「もしも伝説通りだとすれば、ヨルムンガンドの長さは無限だ。つまり、このヨルムンガンドの体には終着点が無いんだよ。まあ、無限ってのが誇張だとしても、この体を伝って上るにはとてつもない時間がかかるはずだ。要するに月まで続くハシゴがあっても、それをただたどるだけじゃあ、月に辿り着くのは時間的にも体力的にも不可能って事だ」
「あ……」
そう。手がかりになるかもしれないと思って調べたこの黒い柱は、ヨルムンガンドの胴体だった。そしてそれは、俺達がこの空間に完全に閉じ込められたという事実を認識させるだけの存在だったのだ。
――だが、まだ諦めるのは早い。
「まだ手は有る」
「えっ?」
俺は腰のポーチから、空色に輝く魔石をいくつか取り出した。
「それは?」
「【空術】【シフト】が封じられた魔石だ。昨日七峰に貰っておいた。行き先は王都ノルンとか、帝都エスタブルグとか、まあいろいろだ」
「そっか。【空術】でワープすればいいって事ね。さすがクー」
そう言ってカラカラと笑うさあき。そんな楽観的な幼馴染とは対照的に、久遠の顔は暗いままだった。
「久遠。やっぱ何か、問題があるのか?」
久遠には【変化】がある。それはつまり【空術】使いの七峰に【変化】する事で、いつでも【空術】が使えた事を意味する。
しかし久遠は【空術】による脱出を提案しなかった。その時点で、多少嫌な予感がしていたが、実際に【空術】の話を出してもこの表情だ。おそらく、なにか問題があるのだろう。
「問題というほどではない。【空術】による脱出は、当然俺も考えた」
「だったら、なんだよその顔は」
「おそらく……な。確信があるわけでは無い。試してみればはっきりするか」
久遠はそう言うと、瞑想するように目をつむる。しばらくすると俺達の目の前には、縁なしメガネを小さな顔に載せた秀才少女――七峰奈々が出現していた。
「帝都エスタブルグに【シフト】を繋げるぞ」
「あぁ」
本物の七峰からは、絶対に発せられないような乱暴な言葉遣いで久遠は言った。同時に久遠の【空術】【シフト】によって、平面が作り出される。
俺達はそれに飛び込んだ。そして――
瞬間移動した先には、今までと同じ赤黒い空間が延々と広がっていた。




