55話 娘の苦悩
「はぁ……私最低だな……。お母さんが呼んだとは思うけど、康太さんは私を心配して家に来てくれたんだよね。なのに私は、逃げる様に窓から飛び降りて、こんな所まで来るなんて……」
私、鈴音は街を一望できる公園の階段に腰を下ろし、街を眺めていた。
私は今から30分以上前に、康太さんが自宅に来ているのに気づいた私は、慌ててマンション2階から飛び降りた。流石に靴を用意するのは難しかったから、前の学校で使っていた運動靴を代用して履いたんだけど、靴の事で頭一杯で、携帯とか忘れてきたんだけど……。
「はぁ……しかも今回は財布も忘れたから遠出は出来ないし、いや、する気はないんだけど……。どうしようかなこれから。多分、お母さんたちは私が不在の事に気づいて今探しているのかな……。なんか気まずくて帰れる気がしないんだけど……」
のこのこ帰れば恐らくお母さんの説教タイムがあるだろうな。
前の家出の時は、林おばあちゃんが2時間説教したおかげで、焦燥しきった私をお母さんは追い打ちをかける事が無かったら説教は無かったけど。今回は林おばあちゃんはいないからお母さんが怒るだろうな……。
康太さんは……あの人は優しいけど、怒る時は怒りそうなタイプだよね。
正直康太さんに怒られたくはない気持ちもあるけど、どこか怒られたいって気持ちがあるんだよね。お父さん的存在の人に怒られた事がないから……。
「はぁ……鳥や雲は悩みが無さそうで羨ましいな……」
そう呟いた後、私は後方にいる両親と子供の家族連れへと振り返る。
和気藹々と家族団欒するその団体に私は
「羨ましいな……」
と羨望な目で見ていた。
子供は両親を慕い衒いない笑顔を向け、両親は子供の満面の笑みに癒され一緒に笑っている。
あれが……私が求めていた物。
父と母、2人が揃って、子である私を心の底から愛してくれて、そんな両親を心の底から愛する。
当たり前の様で、当たり前じゃない。少なくとも、私からすればどんな高級品よりも手の届かない物だ。
私は自分の左手を見る。
「いつもお母さんは私の右手を握ってくれた……だけど、いつも左手は誰も握ってはくれなかったな……」
小さい頃、夕暮れの公園で友達と遊んでいると、友達の親は2人揃って迎えに来ていた。
だけど私の場合は、片親だから決まってお母さんしか迎えに来てくれなかった。
勿論、お母さんだから嫌だってのは微塵もなかった。本当は仕事で疲れているはずなのに、私の事をずっと気に掛けてくれた。今でもお母さんにはしきれない程に感謝している。
だけど、だとしても、私は誰か私のもう片方の手を握って欲しかった。ずっと頼れるお父さんが欲しかった。そして……私はそれを今、得る寸前まで来ていた。康太さんだ。
康太さんは、ズボラでだらしなくて、少し目を離せばコンビニ弁当でゴミを散乱させるけど、それでも……カッコよくて、他人の娘である私に優しくしてくれた。凄く、凄く頼りになる人。
そんな人が憧れお父さんになってくれるんだ。私は、心の底から嬉しかった。知った日は興奮し過ぎて眠れない程に喜んだ。だけど…………私は怖さも知った。
もし、お母さんと康太さんの間に子供が出来たら、私はどうなるのだろうか。
疎まれるのかな、邪魔者扱いされるのかな、もしそうだとすれば、私は平常を保てるのかな……。
ずっとお父さんは憧れだった。
だけど、憧れは憧れのまま終わった方が良い物もあるのかもしれない。
例えるなら、欲しい物があって長い年月をかけてコツコツとお金を貯金して、苦労の末お金が溜まって欲しかった物を買った後、欲しかった物が自分が思ったモノではなかった時の絶望感。
物と家族を同列に考える事は出来ないけど、もし疎外される様な事があれば、私は……。
私はずっとお母さんの幸せを願って来た。
多分、お母さんは幸せになるチャンスが何回もあったはずだ。
お母さんは美人だし、気前も良いし、そんな人が誰からもアプローチがないわけがない。
だけど、お母さんは私の為にそれらを断って来たのかもしれない。
お母さんは口癖の様に言っていた。
『私の生涯は貴方が幸せになる様に手伝う事に費やすよ。だから鈴音。貴方は必ず幸せになりなさい。そうなら、私の幸せは要らないから』
お母さん間違ってるよ。娘は、母親が幸せじゃないと幸せにはなれない。
お母さんが私の幸せを願うと同じぐらい、私もお母さんの幸せを願っている。
そして、お母さんはその幸せを手に入れるチャンスが来たんだ。
高校生の時に選択を間違えて手放した初恋を、奇跡が重なって16年越しに結ばれる時が来たんだよ。
こんなチャンスは二度と訪れないよ。もしこのチャンスを逃せば、お母さんは幸せを手に入れられないかもしれない。だとすれば、私はずっと、お母さんに負い目を感じて生きていくしかなくなる。
そうだよ……私が我慢すればいいんだ。私さえ我慢すれば、2人は幸せに夫婦として愛を育める。
私は……そうだ、高校を卒業したあとは就職をしよう。大学なんて贅沢だし、別に大学に行ってまで学びたい事もないしね。
今度編入試験があって、上手く行けば冬前には高校に編入が出来るかもしれない。
そうすれば高校生活は約1年半。その後は独立して家を出ればいいんだ……。
それに、その期間でお母さんが妊娠する可能性があるわけじゃない。
なら、私が高校を卒業するまでは、もしかしたら……家族を味わえるよね……。
なんで……なんで! なんで嬉しいはずなのに、こんなに辛いの!?
お母さんも幸せで、康太さんも幸せで、私も短い間かもしれないけど幸せじゃん!
なんで今更……こんな思いをしないといけないのかな……。
親が再婚する子供って、皆こんな風に悩んでいるのかな? 私が考え過ぎなのかな……。
もし私も、こんな複雑な家庭環境じゃない。普通の家庭に生まれていれば、こんな悩みをしなくても良かったのかな……。
悩めば悩む程沼に嵌る負のスパイラルに囚われる私を他所、時間だけが流れる。
後ろで騒がしかった家族の騒音も聞こえなくなったから、どこかに行ったのかな?
そして、雲が太陽を隠した事で薄暗くなった時、声が聞こえた。
「見つけたぞ。田邊凛の娘」
田邊凛……って、お母さんの事じゃん。その娘って、私?
名前じゃないが呼ばれた様な気がして私が振り返ると、背後に汚い恰好のおじさんが立っていた。
手入れされてない髪が雑に伸び、顎や口元には不精髭が生え揃い、不気味な瞳で私を見ている。
何……この悪寒は。まるで蛇に睨まれたカエルの様に私の体が動かない。
私は震えた唇を噛み、
「誰……ですか、貴方は……?」
私が知らないおじさんに尋ねると、おじさんはカハッと喉で笑い。
「おいおい、誰ですかって、母親から聞いてないのかよ、悲しいなぁ。仮にも、俺の血を受け継いでいるのによ」
何を言ってるのこのおじさん……?
俺の血を受け継いでいる……意味が分からないんだけど……?
だけど、なに……この心臓の鼓動は?痛い、痛い痛い!拒絶反応を起こしているかの様に制御が利かない!
過呼吸寸前の私をおじさんは薄気味悪い笑みを浮かばせ言った。
「俺は宮下徹。テメェの父親だよ」
そう告げれた時、私の心の中の何かが壊れる音がした。




