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宙の花標  作者: ながる
第三部 月に叢雲風に花

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20.風凪

 それからしばらくしても、ツバメはまだマンションの部屋に滞在していた。

 気になって毎日寝る前に確認してしまう。いつも返事は「まだいる」とだけだったけど、飛燕(ひえん)に確かめても帰る日が決まってないのでそう言うしかないということだった。


「何かあったの?」

「いいえ。どちらかというと何もないので……」

「……どういうこと?」


 しばし悩みながら安藤が説明してくれたところによると、久我側で天龍社(てんりゅうしゃ)に一度接触があったものの、他に大きな動きはなく、SNS界隈にも怪情報さえ出ていない。ジーナさんやツバメが抑えてるというわけでもないので、少々不気味だと。


「マスコミの興味は下火になりつつあるものの、消えたわけではないですから。こっそり写真を撮るくらいだから何かは企んでるはずだ……と、あちこち少し深く調べているようです」

天野(あまの)さんがお父様とかに言ってくれてるんじゃなくて?」

紫陽(しはる)さんの言葉を、カスミ様がそのまま聞いてくださったことはありますか?」


 うっ、と言葉に詰まる。


「とはいえ、ツバメも動きがないのにいつまでも居るわけにもいかなそうですからね。どこかで一区切りにはすると思います」


 まさにそんな話をしてから数日後、珍しくツバメの方から連絡が来た。

 嬉しいような怖いような、そんな不思議な感覚を味わいながらアプリを立ち上げる。


――どこか、行きたいとこないか


 目に飛び込んできた一文に、思わずアプリを閉じてしまった。

 でも、すぐもう一度開いて、見間違いじゃないことを確かめる。一呼吸置くと、疑問が山ほど湧いてきた。だって、ツバメから誘われるなんて、今まで一度もなかったんだよ?


――急にどうしたの? 誰かと間違ってる?


 我ながら哀しいけど、その確率の方が高い気がしてしまう。


――間違ってねーよ! あー……


 そのまま、端末は沈黙してしまった。

 飛燕は……安藤は何か知ってるのかと、彼を振り向いてみたけど、にこりと笑われて終わりだった。

 もどかしいまま、とりあえず行きたい場所を考えてみる。


――イギリスのキュー・ガーデンズやウィスリー・ガーデンには行ってみたいけど……


 一拍置いて、端末が震えた。画面に通話マークが出ていて、反射的にタップする。


『外国まで行ってられるか!! 日帰りできる範囲にしろ!』

「日帰り? ねえ、何かの調べ物のついでとかなの?」

『そうじゃなくて……』


 しばしガサガサと小さな雑音がして、息を吸い込む音が続いた。


『お嬢さん、誕生日が近いだろ? 終わったか、これからかは知らねーけど。下手な物やるより、普段あまり行けなさそうなとこの方がいいかと思って。帰る前に連れて行ってやろうと……いや、欲しい物があるなら、まあそれでもいいんだが……』

「……! いくっ! でも待って。ちょっと調べたい!」

『んな大袈裟なモンじゃねーぞ? 俺がつまみ出されそうなとこはやめてくれな』

「えっと、うん。わかった」


 ほんのりと苦笑の気配がして、通話が切れる。

 ドキドキと胸を高鳴らせたまま飛燕を見れば、彼は微笑みながら頬杖をついてこちらを見ていた。


「安藤、私の誕生日教えた?」

「いいえ。あちこち画像を確認するうちに紫陽花に気付いたようで。「もしかして誕生日が近いか?」とは、確認されました」


 今日ほどこの名前を付けてくれたことに感謝したことはない。花の名前から取られたから、ツバメが気付いてくれたのだもの。

 ツバメとしか行けないようなところってあるだろうか?

 私はしばらくネットに齧りついたのだった。




――幻のエデン?

――そう。ほら、西のリトルチャイナタウンって呼ばれてる辺りの奥の一角。衛星写真で見るとすごい庭があるらしいって……知らない?

――思い当たる節はあるが……

――気まぐれで公開されるらしいんだけど、ツバメなら公開日とかわかるかなって。

――あそこは公開っていうか……まあ、いいか。何とかはなると思うが、本当にそこでいいのか?

――うん! 私には絶対に縁の薄いところだから、お願いします!

――そうだろうな。ただし、絶対はねぇぞ? ダメだった時の二次プランは考えておけよ?

――うん。そうする。


 うきうきとやり取りを終えた私を、飛燕がちょっと呆れた顔で見ていた。

 西のリトルチャイナタウンは、中国や韓国の人たちをはじめ外国人が集まる地区で、違法滞在者も多く治安がよろしくない。

 渋い顔をする飛燕(安藤)がそれでも強固に反対しなかったのは、どうやらツバメが以前その界隈で暮らしていたらしいからだ。


「十年以上経ってますから、たぶんツバメの影響力は大きくないですよ? 絶対に私かツバメの傍を離れないでくださいね。庭に入ってしまえば大丈夫だということですが……」

「おとなしくしてます!」


 言われても弾む声を隠せず、飛燕の呆れ顔は戻らない。


「怖い思いをすることになっても知りませんからね。まったく、その好奇心の強さと妙な行動力はユリ様譲りなんでしょうか」

「お婆ちゃんには全然敵わないと思うけど……」


 はぁ、とため息をついて、飛燕は目を閉じてしまった。

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